Redo:それでも私は、希うから。
まず、最初に私の意識に入り込んできたのは吐き気だった。
「あがっ! おえっ!」
せり上がる何かを喉元で押し込みつつ、口の中に広がる特有の酸っぱさを唾液とともに吐き出す。
視界には見慣れた我が家のカーペットが広がっており、遅まきながら嘔吐を我慢したことに感謝する。やっと落ちついてきた身体を労わるようにベットに転がり、大きく息を吐いた。
「また、戻ってきちゃった」
壁掛けのカレンダーが示す日にちも、枕元のスマホが示す日にちも同一の『あの日』の1日前。
もう何度目になるかわからない、彼の運命の『特異点』。
「体感的に、もう戻れるのはよくて二、三回かな……それでも、私はっ」
思い出したようにせり上がる吐き気を堪えつつ、私はトイレに向かった。
———タイムリープ。
SF小説なんかではお馴染みの、文字通り時間を遡ることのできる能力。そんな荒唐無稽な能力に気づいたのは、もう遥か昔のこと。あれからいろんなことをやり直しながら、ここまでたどり着いた。
最初は、ただ気になる男の子が交通事故で亡くなる、という運命を変えたかっただけ。ピアノが得意で、温和な性格で、かっこよくて。ずっと片思いしてたけど、告白する勇気なんてあるはずもなくて。そんな、どこにでもあるような青春のかけら。
突然だった。
いつものように朝投稿すると、クラスの中が騒がしかった。最初は誰かが問題でも起こしたのかと友達とふざけていたが、教室に入ってきた先生の表情でクラスが静まり返った。
「皆さんに悲しいお知らせがあります。昨夜、桐生くんは交通事故で亡くなりました」
いや、何かの冗談でしょ?
クラスメイトがなくなるなんて、そんなことそうそう起こりっこない。
きっと、何かの間違いに違いない。
そう思った瞬間、私の中で何かが壊れた。
それからというもの、私は幾度となく彼の死を回避してきた。
私がタイムリープしてから、現実世界に戻るまでの時間はおよそ2日。戻れるのは『彼が亡くなる運命』に巻き込まれる1日前で、そのあとは強制的に彼が死んだ後の時間に飛ばされる。私が彼の死を拒めば、それに反応して時間を遡ることができる。
ただし、巻き戻るたびに『私の中の何か』は削れていく。
最初はちょっとした浮遊感が巻き戻った直後にやってくるだけだったけれど、次第にひどくなって。今では胃の中身がひっくり返るみたい。
それでも、彼には幸せになって欲しいのだ。
たとえ、私に振り向くことはないのだとしても、彼の人生を歩んで欲しい。
たとえ、私のタイムリープが無駄だったとしても、好きな人には幸せになって欲しいのだ。
他の人から見たら、相当に重い女だってことはわかってる。
けれど、できるのにしないのは違うと思うのだ。
「さて、とりあえずプレゼントを買いに行きますか」
着慣れたはずのキャラメルのレザーコートはすでにぶかぶかになってしまったが、今は買い換えている時間が惜しい。少しでも今の状況を打開できる方策を見つけないと、また彼を殺すことになってしまう。
玄関を開けると、いつぞやと同じ乾いた、冷たい風が吹き込んできた。
それでも私は。 菊川睡蓮 @Past
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