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「!」


 ハッと目を見開いた。

 そんな私の様子に父が、肩をすくめながら苦笑する。


「お前の言うとおり、俺の前の職はバンドマンだ。恥ずかしいことにな」



 あの頃は、夢ばかり見ていた――そう、父はその話を始めた。



 父が母と出会ったのは、大学生の頃。

 その頃、父は大学のサークルメンバーとバンド活動をしていた。母の方は父らとは全く違う美大に通う生徒で、当時のバンドメンバーの知人だった。その縁から、バンドのCDやグッズなどのデザインを頼むようになり、次第に会う回数も増え、そうして、気がつけば二人は恋に落ちていた。そして、仕事関係は恋人へ、恋人から夫婦へと姿を変えることとなった。


「裕福な暮らしとは言えないが、それなりに幸せな暮らしだったよ。だから、お前がアイツの腹の中にいると知った時は大喜びしたもんだ。バンドの奴等も呼んで、一晩中バカみたいに祝ったりもした」

「バカみたいにって……。お父さんが?」


 私の知ってる父からは想像できない。でも、父がバンドマンだということだって、実際のところ上手く想像できてなかったりする。くたびれた、けども厳しい教師としての体裁を保っている父が、先刻の高島くん達のように、楽器を片手にステージを飛び回っていた日があったなんて。全く想像もつかない。

 ポカンとまぬけな顔をする私に、俺だって若い頃ってのはあるんだぞ、と父が苦笑した。


「バンドの方も、プロデビューこそしてはいなかったが、そこそこの人気がついて来ていて、CDやグッズ、チケットの売れ行きも上々だった。ツアーも決まり、新作のCD制作だって順風満帆だった。あんなに曲を思いついけたのは、あとにも先にもあのときだけだ。すべてが上手くいっているように感じていた。……お前が生まれた、あの瞬間までは」


 ドキリと、冷たいものに心臓を握り潰されるような感覚に襲われた。

 そうだ。父は母を殺してしまった私のことを――。冷たい汗が、頬をつたう。

 が、次の瞬間、父が口にした言葉は予想外のものだった。



「あの日――……、アイツを殺したのは、俺だ」



「…………え?」


(今、なんて……?)


 意味がわからなかった。

 どういうこと? とこぼすようにそう尋ねた声は、ひどく震えたものだった。

 そんな私に父が再び小さく笑う。

 先ほどよりも寂しげに、その眉を八の字に歪めながら。


「……アイツが亡くなった時、仕事を抱えている最中だったことを知ってるか?」


 うん、と頷き返す。それは、多分、母が終わらせられなかった仕事のことだろう。

 そうか、と父が窓の方に顔を向けながら頷く。宵闇に染まった、暗い校庭が窓の向こうには広がっており、暗い闇だけが父の瞳の中に映し出される。


「あの仕事は、俺が頼んだものだ。新作CDのジャケットのデザインを、アイツに頼んでいたんだ」

「……それって……」


 ドキッとまた、私の心臓が鳴る。けれど、先ほどとはまた違う冷たい鼓動だ。

 似ている、と思わず言えない続きを心の中でこぼす。


 似ている。高島くん達と私との、この、今の現状に――。


「もちろん、母体に負荷のかかることはさせられないと、落ちつくまでは締め切りを延ばそうという話はした。あの頃にはアイツも、俺達以外の仕事もしていたからな。バンドの奴らもそれでいいと言ってくれた。だが、アイツはそれを断った。それはアナタ達の音楽を待ってる人達にとても失礼だからって、予定通りの締め切りでやると言ったんだ」


 そうして、母は妊娠しながらも仕事を続けた。

 また一つ、また一つと仕事は片ついていく。けど、デザインという孤独な仕事の無理は、少しずつ彼女の体調を蝕んでいく。


「確かに、お前が生まれたあとにアイツは亡くなった。けど正確に言えば、それは違う。実際は、お前が生まれるという時には、すでにアイツの意識はなかったんだ。俺もツアー中でなかなか家にいなかったのが災いしたんだろう。帰宅したら、倒れているアイツの姿があった。いつからそんな状態だったのかはわからん。あわてて救急車を呼んだ結果、なんとか、お前を腹の中から出すことはできたが、アイツはダメだった」


 父が目を細める。

 窓の向こう側に広がる暗闇を前に、父はきっと母のことを思い出している。

 当時の、私が知らない風景を。


「俺は、確かにお前を育てる為にバンドを辞めた。けど、半分は違う。アイツが死んで、自分だけ好きなことを続けるだなんて、バカげていると思った。バンドの奴らは、だからこそ逆にアイツの為にバンドを続けるべきだ、アイツはこのバンドの為に頑張ってくれたんだぞ、と散々止められたがな。けれど、その頑張りがなにになった。俺は、自分の好きな者を殺す為に、自分の好きなことをしてきたわけじゃない。それを一つの尊い犠牲として、自身の力の糧にすることなんてできない。なにより、」


 好きだったはずのものが憎くなってしまった。もうこれ以上、好きなものをなくしたくなんてなかった――そう、静かに、けれど力のこもった言葉が続けられた。

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