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「……学校では、先生と呼びなさい、と言ったはずだが?」


 保先生こと、父、『古賀保こがたもつ』が、ふぅ、と息をつく。やれやれと、言うことをきかない我が子にあきれたように、その肩をすくめた。


 保先生こと『古賀保』がこの学校に教師としてやってきたのは、九月頭、二学期が始まる時のこと。私がこの学校に通うことと同じ時期だ。けど、それは偶然なことではなく、なるべくしてなったことだった。


 古賀保、高校教師。担当、古典。


 彼がこの職に就いたのは、私が生まれた頃のこと。母の画家職と同じで、当時、あまり収入が安定しない職についていた父は、私が生まれたことに際して仕事を変えなければいけなくなった。

 幸いにして、父は大学で教員免許を取っていた。そこで、親戚のツテを使って小さな公立の高校の教師になった。最初は非常勤として、その内、きちんとした正職員となり、今に至る。

 自分の親が教師という立場にいるのは、なんとも落ちつかない話だ。学校側はもちろんのこと、クラスの人達へは転入初日に説明がされている。

 そのため、この事実は皆、知っている話で、秘密でもなんでもない。それでも自分と同じ苗字の人を先生と呼ぶのは恥ずかしい。けど、お父さんなんて呼べるはずもなく、結局、悩んだ末に基本的には『先生』と、そして名指しの時は、下の名前で呼ぶことにした。

 幸いにも『保』という名前はあまり名前らしくない。そのせいか、下の名前で呼ぶ分には、違和感なく、すんなりと受け入れることができた。


 父のため息に、ごめんなさい、と頭をさげる。

 確かに約束をやぶったことに関しては申しわけない。でも、だからと言って、後悔はしていない。

 どうしても必要なことだと思った。だから、破ったのだから。


「大体、ロックの神様、とはなんだね。そんなわけのわからん者のことなど、俺は知らんぞ。第一に俺がうるさい音楽が嫌いだ。お前も知っているだろう」

「……うん。知ってる」


 敬語に戻らなかったからだろうか、父の眉間に再び濃いしわが刻まれる。なら、と不機嫌そうにその口が開かれる。

 でもっ、とそれをさえぎるように、私も強い声をあげた。


「その理由は、知らないよ」

「……そんなもの、知らなくていい」

「ううん、知りたい。だって、ずっと、話してこなかった」


 ずっと、ちゃんと話してこなかった。それこそ、私が物心ついた頃から。

 私は知る父の話は、いつだって、他人から聞いたものだ。父と母がどこで出会ったのかも、以前は全く違う職業についていたということも、全部全部、父から語られたことはない。


「……教えてくれないなら、私が考えたことを話してもいい?」


 言葉を続ければ、父が苦虫を潰したように、その顔を歪めた。が、止める気はないらしい。

 ホッとしながら、私は改めて父の目をまっすぐに見返す。


「ロックの神様っていうのはね、高島くんに教えてもらった人なの。彼に音楽がどれだけ凄いか教えてくれた人で、凄くギターが上手いんだって」


 かいつまんで、高島くんとロックの神様について説明をする。彼とロックの神様との出会い方、その人を探して彼がこの高校にいること、自分の知っていることを話す。

 父はなにも言わない。相変わらず、態度を崩すことなく、私を見返してくる。


「でも、高島君が入学した時、ロックの神様はこの学校にはいなかった。元から、この学校の先生じゃなかったって可能性がないわけじゃないけど、でも、他にも考えられる可能性がある。それは、、という可能性」


 高島くんの話を聞いて、まっ先に浮かんだ考えがそれだった。

 普通、教師という職業の人達は、よっぽどのことや私立校でない限り、県や市の意向で数年ごとに別の学校に転勤させられる決まりがある。どれぐらいの任期かは人によるだろうけど、二桁の年数を行く人はきっとそういない。

 現に父がそうだ。それがあって、私は何度も転校を繰り返し続けることとなった。


「けど、高島くんは探した時に、そんな先生は見たことがない、と言われたって言ってた。それじゃ、話が成り立たない。転勤してしまってもういない先生だとしても、一年前までには確かにいたなら、そんなこと言うはずがない。それじゃあ、ロックの神様は本当に別の外部の人だったのか。ううん、多分、それも違う。多分きっと、ロックの神様はその時にしか、その学校にいなかった先生、なんだ」


 転勤でもない、外部でもない、もう一つの考え。それはきっと、教師の娘であった私だったから、知っていた事実。


「ロックの神様は、保先生は、そのとき、出張でたまたまその学校に来てた人だったんだ」


『出張』。


 教師という職業には似つかわない言葉かもしれない。けど、教師に出張がないわけじゃない。実際は年に何回か、そのような期間が存在していたりする。

 たとえば、研修だったり、勉強会だったり、部活動の関係だったり……。理由は様々だが、教師にも他の学校へ出かける業務がある。

 基本的には県内ですむのがほとんどだけども、時折、他県へと赴く場合がある。

 そして、やはり父もまた、例外ではない。


「一年前、一回だけ、お父さん長期の出張に出たよね。理由も行先も知らなかったけど、あのとき、こっちの学校に来てたんじゃないかなって」


 そうして出会った。高島くんと――……。


 どうして、父がギターを持っていたのか、出張とは言え、外部の人間である父がこの学校の説明会という場にいたのか、そこら辺のことはなにもわからない。

 ただ、そうやって考えると、一つ、確実に説明ができることがある。


「……私ね、ずっと気になってたことがあるんだ。お父さんの前の職業って、なんなんだろうって」


 父の眉間のしわがまた一つ、濃くなる。けれど、知らなくていい、と今度はそう言わなかった。

 父の以前の職業。私が生まれるまで続けていた職業。

 もしあの時、母が亡くならなければ、私が生まれなければ、これから先もずっと続けていたかもしれない父の仕事――。

 それを通して母と父は出会った。フリーの画家の母と父が出会える仕事なんて、一体どんな仕事なのか。同職以外でありえるのだろうか。


 ううん。ある。だってそれは、実際に今、経験している。


「お父さんの前の仕事は、バンドマンだ」

「……」

「それも、大きな音楽会社に所属してる人じゃなくって、インディーズの――、高島くん達のような、まだプロじゃない人。そして、お母さんとは、CDのデザインを依頼するために知り合った」


 フリーの画家が、食べていくためには、絵の仕事を受けなければならない。好きな絵ばかり描いて生きていくには、現代は画家に対する需要性が低い。そんなことができるのは多分、本当に一握りの天才のみ。それはきっとどんな分野も、皆、変わらない。

 そして、母はそのようなデザインの仕事も請け負っていた。そこに仕事を依頼したのが、父だった。


「お父さんがロックを嫌うのは、多分、そのときの思い出があるから。自分が叶えられなかった夢を思い出してしまうから。でも、音楽は嫌えなかった。その証拠に、ロック以外の音楽は、どんなにうるさくっても、嫌そうな顔をしない。するのは、ロックのときだけ」


 もちろん、全部、私が考えたもので、正解かどうかはわからない。


 私は私の手元にある情報をかき集めて、考えただけだ。だから、たとえばどうして高島くんと出会ったとき、父の手元にギターがあったのか、出張とは言え、外部の人間であるはずの父が彼の学校にいたのか、いくつもわからないままのことがある。

 けど、こうやって考えれば、どうして父が高島くん達をフォローしてくれたのか、察することはできる。

 それに――……、


(もし違ったとしても、間違えてみないと、それはわからない)


 間違えるためには、まず訊いてみないとわからない。話してみないと、なにも。

 間違えることは怖い。違うと、否定されることはもっと怖い。

 でも、わからないままなのは嫌だ。

 だってわからないままじゃ、なにも見えてこないから。

 なにも知らないのに、好きか嫌いかなんて、決められないから。

 始めないとわからない。自分から。たとえ間違っていたとしても。

 それを、私は知っている。


 彼らに、教えてもらったから――。


「……全く。いつの間に、こんな反抗的な娘に育ったんだか」


 ふぅ、と父が息を大きく吐きだした。まるで、全身に入った力を抜くかのように。


「じゃあ、やっぱり、」

「四十点だ」


 点数をやるならその程度だ、と父が私の言葉をさえぎる。四十点。妙にリアルで厳しめな点数に、思わずうっと、言葉がつまる。


「まず説得力がない。結論は出せているが、そこに行くまでの説得力が薄い。自己の推論、という部分を配慮しても、証拠がいささか少なすぎる。確かに、教師という職業に、出張と転勤があるのは確かだ。しかし、出張は置いておくとして、基本的に公立の教員の転勤は、市内、または県内でのみ行われる。県外に行くことになるのは、本人の希望か、または職場結婚などが行われた際のみに起こる。それを考慮していない。否定ができる箇所があると言うのは、論文として致命的だ。受験で困る前に直しておきなさい」

「こ、これは論文じゃないもん……っ」

「日常的にできないことが、いざというときに、できるわけがない。勉学は、日々の行動から自ずと結果が出るものだ。精進しなさい」


 うぅ、お言葉がキツイ……。グサグサと胸元を指していく言葉の厳しさに、泣いてしまいそうだ。


(でも、なんだかいつもの父より優しい……?)


 いつも会話をしていたときのような、あの息のつまる空気がない。


「だが、」


 まあ四十点分は、正解だ――そう言って、父がフッ、とその口元に小さな弧を浮かべた。


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