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「待ってください……! た……、保、先生っ」
体育館、入り口前廊下。
私の言葉に、外へ行こうとしていた保先生の足がピタリと止まる。
そのまま少しの間をあけた後、くるりとこちらに振り返った。
「……なにかね」
小さなしわが、そのくたびれた顔つきを飾る眉の間による。その視線の厳しさに、うっ、と思わず言葉が詰まってしまう。
「え、えぇっと……、あの、今日は、その、ありがとうございました……」
「……礼なら、もうすでに聞いたが」
眉間のしわが濃くなる。あからさまに話しかけて貰いたくなかった、というその雰囲気に、今にも頭を下げて逃げ出したい衝動にかられる。
(けど、それじゃダメだ)
それじゃ、わざわざ追ってきた意味がない。
「そ、そうではなくて……。ブレーカーのこと、教えてくださって、ありがとうございました」
ピクリと、保先生の片眉が動いた。
「……生徒に、設備について説明をするのは当たり前のことだろう」
「そう、かもしれませんが……。で、ですが、」
一瞬ばかりの躊躇。けども首を横に小さく振って、意を決して言葉を続ける。
「あの場で、ブレーカーのことを知ってるのは私だけでした」
「……」
「実行委員の人達だっていたのに、ブレーカーの下へ走ったのは、私だけ、でした」
あの暗闇の中でも、冷静にスマホの明かりをつけて対処を計ろうとした生徒もいた。けども、そんな生徒達ですらも、誰もブレーカーをあげに行こうとしなかった。それどころか、口にすらしなかった。
どうしてか。
(考えられることは……、多分、一つだ)
みんな、知らなかった。ブレーカーのことを。それがどこにあるのかも。
それに、私が暗闇の中、袖から飛び出したその時、一瞬だけ聞こえたあの声――、『とりあえず、誰か保先生を呼んで来て』。
実行委員のものだと思われるその声は、確かにそう言っていた。
文化祭実行委員をまとめる教師の立場にいるのが、保先生である事は、私も一、雑用係として入った時から知っている。だから、あの時、ブレーカーの位置について説明されても、特に疑問も抱かなかった。
けど、もし、それを教えられていたのが自分だけだったら?
自分以外の誰もが、そのことを教えられていなかったとしたら――?
「……確かに、他の生徒達には教え忘れた。それは認めよう。だから緊急で誰かに伝えておこうと思った。一人でも知っていれば、どうにかなるからな。実際、どうにかなっただろう」
「ですが、それが私じゃなくても良かったはずです。それよりも、実行委員長さん、そう言った方に教えた方が、効率よく委員全員に話がいったかもしれない」
「……たまたま、あそこにいたのが君だったから教えただけだ」
「でも、そのあとにだって、実行委員の人達と話すタイミングはどこかであるはずです。私だけに、教える必要性はなかったんじゃありませんか」
多分、これは予想だけど、保先生は教頭先生がなにかしようとするのを知っていたのだろう。
それがなにかまで想像できていたのかはわからないけど、いざ生徒達が盛り上がった時は、私達のライブを失敗させようとしていることに気づいていたのだろう。
だから、私にそれとなくブレーカーの場所を教えた。仮にも教師という立場である以上、彼らの味方をするわけにはいかない。けれど、教頭先生のやることを見逃すわけにもいかない。
だから、教えるだけにした。
そうすれば、こちらが勝手になんとかした、という解釈にすることができるから――。
保先生の眉間のしわの数が増えていく。苛立たし気にその足先がタンタンとリズムを刻み始める。
ごくりと唾を飲む。本当にこの続きを話してしまっていいのか、迷いが生まれる。
けども、言わなければいけない。……ううん、多分、きちんと話さないといけない。
もうずっと、しかたない、とあきらめ続けてきたのから。
今こそ、ちゃんと、この人と話さないといけない。
「保先生――……、ううん。お父さん」
刻まれていたリズムがピタリと止んだ。
驚愕からか、その瞳が小さく見開かれる。
私と同じ色をした瞳を、初めて真っすぐに見返しながら、私は小さく息を吸いこむと、再び口を開いた。
「アナタが、ロックの神様、ですね」
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