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(高島くん⁉)


 えぇ⁉ なんで⁉ MCって、斎藤さんがやるんじゃなかったの⁉ というか、もしかして、このままライブ続行させるつもりなの⁉


 混乱する私を前に、ステージの上からも二人分の混乱の声があがる。What⁉ 俊人⁉、なにやってるんですか高島さん⁉ ――どうやら彼らにも予想外のことだったようだ。

 が、そんな二人を無視して、えぇっとー、と高島君ののんびりとした大声は続いていく。


「暗闇、の中からでぇ、すみませーんっ。機材トラブっちゃったみたい、でぇー! でも、今、復活させに、行ってるの、でー! ちょっと待ってて、くださーいっ!」


 復活したらぁ、バァンッ! って、凄いこと、起きるん、でぇー! バァンッてぇー! と彼の声が体育館中に響き渡る。


「バァンッ、てなんじゃそりゃ」

「この声、さっきまで歌ってたお兄さん?」

「あはは。変な喋り方ー」


 くすくすと、小さな笑いがいたるところで起き始める。中傷的なもの、というよりも、本当に面白い、と思って笑っているようだ。


(でも、どうして……。だって、喋るのが苦手だって……)


 ぼう然としながら振り返ってステージを見あげる。先ほどよりもまたはっきりと見えるようになった暗闇の中で、ステージ前部分にまで出てきて、身を乗り出すようにしている長身の人影が見える――高島くん、だ。

 瞬間だった。その人影の、見えないはずの目とばっちりとあったような感覚がしたのは。


 ――行って。そのまま。


「!」


 確かにそう言われたわけではない。私が勝手にそう思っただけかもしれない。

 けど、それでも気がついたら足が動きだした。ステージに背を向け、再び目の前の人波をかきわけ始める。


(そうだ。私だけ、じゃない)


 私なんかじゃ、なにもできないかもしれない。私一人じゃ、なにもできない。

 でも、今ここにいるのは、私だけじゃない。



 今の私は、『一人』じゃない。



「皆さん。どうせ、まだ、ライブは始まり、ませんっ。その代わり、一つ、物語を、時間潰しに、語らせて、ください。僕らの、from tale beginsの『物語』、です」


 物語? ――新たなざわめきがわく。すみませんっ、と声をあげながら、その間をかき分けていく。

 そんな私の背中をまるで押すように、ゆっくりとした低音が体育館内に声を響かせ続ける。


「僕ら、from tale beginsは、昨年、とある、小さなライブ、がきっかけで、生まれ、ました。まだ一年、とちょい、の新参者、です。なので、この場には、名前を聞いたこと、のない人達、の方が、数が多い、でしょう」


 高島くんの喋りに皆が集中し始めたからか、それまでごたついていた人混みがその動きを止めて次第に大人しくなり始める。

 断然通り抜けやすくなった暗闇の中。見えなくてもわかるそれを感じながら、足を止めることなく、私は走り続ける。


「バンドを、組んだ理由は、単純に、ウマがあった、から、です。僕等には、別に、プロになりたい、だとか、たとえば、この場にいる人達全員、を、歌で、幸せにしたい、とか、そんな夢や、目標は、一切、ありません。単純に、僕らが、歌いたかった。僕らが、やってみたい、好きなことがあった、ただそれだけのこと、です」


 生徒達の隙間から緑色の光が見える。入り口上につけられている、非常口誘導灯の光だ。

 見えた! と心の中で声をあげ、踏み入れる足にさらに力をかける。


「それでも、僕らの物語、は、そこから、始まり、ました。実際に、ライブを始めて、詰まったこと、思ってもみなかった壁、そういったこと、は、山ほど、ありました。その度に、喧嘩して、言いあい、も、しました。今でも、正直、結構、してます。でも、それでも、僕らは、音楽を……。このメンバー、でやる音楽、を、やめられません」


 入口に向かって真っすぐに駆ける。急に生徒が飛び出してきたからか、入り口横に立っていた先生達が驚いたように私を見てきたのがわかった。こらっ、なにしてるんだっ、と怒声が飛んでくる。


「それは、単純に、このメンバー、で、やる音楽が、好きだから、です。未だに、なにがしたい、とか、自分達だけの音楽性も、わかり、ません。昨今、よく聞く、アイデンティティ、って奴。ああいうもの、ですね。自分だけの、自分だけにある、自分らしさ、そういうものすら、僕ら、は、まだ、見つけられて、ません。でも、それでも――」


 先生達の間をなんとかすり抜けて入り口横の梯子に手を伸ばす。飛びつくように手をかけ、足をかけ、勢いよくそのままのぼる。


「僕らの音楽、を、好きだと、言ってくれる人が、います。こんな、僕らのこと、を、心の底から、好きだと。応援してくれる、人達が、います。そういう人、達に、できることなら、誇れる人、になりたい、と、そう思えるように、なり、ました。自分が、そんな、大層な人間じゃないこと、は、わかってます。僕は、このように、喋ること、すら、上手くできない人間、ですし……。でも、僕らは、そんな僕らの、好きなもの、を、好きだ、と言ってくれる人々に、お礼、がしたい」


 声が遠くなる。今まで狭まっていた視界が一気に開け、駆けあがった先に、まっすぐな道が一本だけ残る。暗闇の中、それでも確かにわかる道が足元を作り、まっすぐに行く先を示してくれる。


「きっかけ、も、理由、も、全てどうだっていい。それは、皆、後からついてくる。僕らが、このバンド、を、始めなかったら、僕らは、僕らを好き、と言ってくれる人達、に、出会わなかった。一生、出会わなかった。そして、僕らも、こんな風、に、歌うことは、なかった。大事なのは、僕らは、このバンドを始めた――ただそれだけのこと、です」


 硬い通路を走る私の足音が響く。

 そういえば、こんなに全力で走ったのはいつぶりだったろう。体育の時だってこんなに真面目にやってない。短い距離なのに、凄く遠く長い距離に感じる。

 けど、走らなくちゃ。走らなくちゃどうにもならない。



 だって――。一人、じゃないから。



「実は、今、一人の子が、僕らの為、に、走ってくれて、います。詳しく、は言えません、が、その子、も、自分のやること、で、色々悩みがあったり、葛藤があったり、と、しています。けれど、彼女、は、自分で始める、ことを選びました。困難に向かって、走ること、を、決めました」


 一人じゃなにもできなくても、0からはなにも生みだせなくても、


「次の歌、は、実は、そんな彼女の姿、を見て、作ったもの、です。今度、出す、新作CD、の最後、を、飾る曲、でもあります。これ、は、僕らから、彼女、へのお礼の歌、です」


 私だって、1から《みんなと》ならなにか生みだせるかもしれないから――。


「曲名は『story tailor』――物語を作りあげる人」


 通路一番奥に辿り着く。

 高い位置にあるガラスケースには背伸びしても届かない。それを補う為、すぐ横の窓の枠に上る。狭い足場に、やけに高くなる視界。けれども、恐怖は感じない。

 すぐそばに皆が――、彼らがいてくれるんだから。



 絶対、大丈夫だ。



「もし、なにかを、始めることに悩んで、いたら。まず、は、始めるところ、からスタート、して、みてください。そこからしか、見えない、景色が、きっとある、から」


 ガラスケースに手が触れる。カチッと小さな音をたてて、ふたが開き、素早くスイッチに手を伸ばす。

 と、そのとき、一瞬、ステージの存在が目に入る。

 うっすらとした闇の中、それでも今では慣れてくっきりと見えるようになったその闇の中。一瞬だけ、今度ははっきりと高島君と目があう。

 そして、


「さあ、皆さん、」


 パチッ、と小さなスイッチの入る音が鳴り――。

 

「まずは――、『物語から始めよう』」



 ダンッ! と激しい物音がしたのは、その次の瞬間だった。



 今まで真っ暗だったステージ上が光であふれ返る。しかし、帰ってきたのはスポットライトの光だけではない。

 眩いほどに金色に輝いた細かな光の粒が、ヒラヒラとステージの上を舞っていた。なん重もの光の粒が床から勢いよく吹きあがり、まるで、紙吹雪のようにキラキラと、舞い散っていく。

 おー⁉ なにあれー! テープ? すっげぇ! 超きれい! と生徒達の間から様々な声があがった。

 けど、真横に位置する高い場所から見ていた私には、あれが紙ではないことがわかった。キラキラと輝くそれは、ステージの後ろ壁でしか舞っていない。と、いうよりも、正確には、そこにしか映しだされていない。


(映像……?)


 これが、斎藤さんが言っていたバーンッ! ってやつ……? でも一体、こんな凄いものどこから――……。

 身体を地に戻すと、高島君の姿が目に入った。金髪色の髪のせいでか、まるで彼自身が一粒の光になったかのように、その頭がキラキラと輝いている。

 チラリと高島君が目だけをこちらに向けてくる。今度こそ、はっきりと目があったことがわかった瞬間、ベースから片手を離して、高島君がこっそりと親指を立てた。


「!」


(ああ、私、役に立てたんだ)

 ぶわっと、目の前の映像の光のように、大きく熱いものが胸の底から湧き上がる感覚がする。手元がじわりと今にも動き出したくなるようなそんな気持ちに駆られる。手が震え、身体全体が熱くなる。

 口元が緩んで、大きな弧を描き出すのが自分でもわかった。

 えへへ、と私も親指を立て返す。やったよ、私にもできたよ、と。



 ふと、頭の中に小さなひらめきが浮かんだのは、そのとき、だ。



 あ、と思うほどに小さな輝き。それがむくむくと自分の中で大きくなる。キラキラと舞う光にも負けないほどに眩しい光になって私の頭の中を埋め尽くす。

 これだ――そう思った次の瞬間、そんなひらめきを力強く前に出すように、スティックの叩かれる音が響いた。

 そして、金色の歓声が響く体育館内に、再び音の世界が広がった。


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