3


 ロックの神様って何者なんだろう。


 ずっとおざなりになっていた疑問が、再び私の中に浮上してくる。

 ずっとロックが上手い人のことを言っていて、そういう人を探しているのかと思ったけど、でも、今の会話の感じでは、どうやら高島くんはロックの神様と一度会って、しかも話したことがあるみたいだ。

 ということは、ロックの神様は、高島くんの知り合い? 

 でも、それならどうして探す必要があるんだろう。連絡が取れなくなってしまったとか? 

 んん~、と頭をひねる。が、答えは出てこない。

 そうこうしている間に、高島くん達の片付けが終わり、結局、その日はそのまま帰路につくことになった。流石の三人も、今日ばかりは真っすぐに帰宅するということで、誰もが明日に備えて家路へと向かう。


(とにもかくにも、明日がもう、本番なんだ)


 車で送ってくれるという斎藤さんの言葉に甘えて、彼らと一緒に道場を出る。最後にぐるりと忘れ物などがないかを確認して、道場の電気を落とす。


(成功させよう。絶対に)


 まだ私になにができるかわからないけれど、この三人の思いが皆に届くように――。


 この二週間がむだにならないように。せいいっぱい、明日は出来ることはやるんだ。

 道場のドアを閉めた。ギィッと小さな音をたてながら、彼らの二週間は幕を閉じた。


 そして翌日、朝。

 学祭、当日――……。


 七時。いつも以上に早い時間に家を出て、学校へ向かう。

 学祭の開始時間十時。そのため、本当はこんなに早い時間に出なくてもいいのだけど、私にはやることがあった。高島くん達が行う体育館でのリハーサルの準備だ。


『ゲストとして呼ぶ以上、学校側からの補助の生徒を用意させて頂きます。ですが! ただでさえ実行委員の仕事は毎年数多く存在し、人手が足りないぐらいなのです。急に増えたイベントに対処できるような隙間はありません。どうやら、幸いにもアナタは彼らと知り合いのようですし、アナタを彼らの補助員に任命致します。精々、問題を起こさぬように気をつけることですね』


 そう教頭先生から言われたのは、件のできごとが起きた翌日のことだった。

 要するに、『アナタ達のような問題児達に割く人手はありません。自分達のことは自分達でやりなさい』ということらしい。

 苦笑しつつ、けれどこれはチャンスだ、とも思った。

 だって、雑務とは言え、彼らの役に立つことができる。ライブが始まってしまえば、私なんかにできることはない。大体、今までの練習中だって、ただ見てる以外にできたことは何もなかった。CDジャケットだって未だに完成していないし、私は彼らに対して、ないないづくしの状態だ。

 だから少しでも役に立てるなら、なんでもやってやる。

 幸いにもクラスの出しものも、前日までに用意した駄菓子などを売りに出すだけのもので、全員参加タイプのものではない。私は室内の飾りつけ――それも結構あっさりしたものだったので、ほとんど時間がかからずに終わった――などの準備係だったので、当日の今日は余裕でこちらに集中することができる。


(本当は、もっと本番に近い時間帯にリハーサルができれば良かったんだけど……)


 でも、日中は演劇部などの出しものがあるし、学祭終了後はすぐに後夜祭となっている。その為、使用が可能なのはこの時間帯しかなかった。けれど、使わせて貰えないよりはマシのはず。

 まだ誰もいない、暗い体育館を開け、電気をつける。暗幕と鍵の閉められた窓や壁際のドア達をかたっぱしから開け、空気の入れ替えなどを行う。最後にステージ横に用意してある、いくつか学校から借りることになった備品の調子を確認していると、ププーッとクラクションが外から聞こえてきた。


「まっなみ~ん! おっはよ~!」


 体育館目の前に広がる、校庭。そこに見覚えのあるミニバンが入ってくる。その窓先から、朝っぱらなのに高いテンションで手を振ってくるのは、言わずもがな、斎藤さんだ。どうやら、いつのまにか集合時間になっていたらしい。

 体育館横に停められた車に駆け寄り、おはようございます、と挨拶を返す。 Morning(はよぉ~)! と斎藤さんが改めて挨拶を返してくれながら車から降りてくる。が、なぜかいつもと違って助手席の方から降りてくる。

 あれ? と首をかしげた瞬間、よっ、と思いもよらぬ声がその場にあがった。


「久しぶりだな、嬢ちゃん。元気にしてっか!」

「宮崎さん⁉」


 運転席側から出て来た宮崎さんに驚く。

 あ、あれ。なんで宮崎さんが? 予想外の人物に目を白黒させつつ、あわてて挨拶を返す。


「ま、まさか、宮崎さんもステージに……?」

「んはっはっはっ。そりゃ面白ぇ考えだが、俺はライブには出ねぇよ。店の方もあるしな。これを届けに来ただけだ」

「これ……?」


 宮崎さんが車の後部に回る。よっこらせ、とトランクを開けると、そこから一つの箱を取り出してくる。

 縦幅の狭い、平べったい感じの段ボール箱だ。箱の上には、太く大きなマジックの字で『PP/WUX400ST』と書いてある。


「大事に使えよ~? くっそ高かったんだからよ」


 ほら、と渡されたそれをあわてて抱きかかえる。うっ、思ったより、重たい、これ……。


「あ、あの、これは一体……」

「古賀さん」


 なんですか、と尋ねようとした瞬間だった。ひょいっと、手元が一気に軽くなる。


「これ、は、持つよ……。代わりに、こっち、お願い……」

「あ、高島くん」


 振り返って見あげた先、高島くんがそこには立っていた。

 けど、いつも学校で見るそれとは違って、今日はバンド時の恰好だ。小さくひとまとめされた金色の髪に、服装も学生服ではなく、白の無地のシャツにジーンズといつも通りのラフな格好だ。

 はい、とこちらに差し出してきている黒い鞄を受け取ると、先程よりも軽い重みが手のひらに伝わってきた。どうやら、こっちの方が軽いよ、という意味で渡してくれたみたい。


(なんか、学校で見るとまた新鮮だなぁ)


 見慣れたと思っていたはずなのになぁ、と金髪の彼に苦笑する。なに? と不思議そうに首を傾げてくる高島くんに、なんでもない、と首を横に振り返した。

 その後、斎藤さんや掛石くんとも合流して荷物を体育館に運び入れていく。どうやら、宮崎さんの方は本当に荷物を運びに来ただけらしく、じゃまあ、がんばれよ~、青少年達ぃ~、と車で去って行ってしまった。でも、帰りにはまた、迎えにきてくれるらしい。本当、いい人だ。


「じゃあ、いっちょ、軽くリハ行きますか!」


 一通りの舞台準備を終えたあと、斎藤さんのかけ声を合図にリハーサルが始まる。

 リハーサル、と言っても別に本番通りのことをそのままやるわけではないそうだ。曲順や入りのタイミングの確認、音の響き、他にも本番の会場でしかできないことの確認など、そういった細々としたチェックを行うらしい。

 これは、実際のライブハウスでの時も同じなんだそう。流石に全通ししてたら、時間かかっちゃうしなぁ、とのこと。それに、リハーサルで体力全て使いきるわけにもいかない、というのもまた理由の一つのようだ。

 とりあえず曲順の確認から三人が始めだす。広い体育館内に何重もの音が反響し始める。


(さて……。ひとまず、私の役目は終わりかぁ)


 一度クラスの方に顔でも出してこようかな、と体育館の時計で時間を確認していたその時、古賀さん、とくたびれた声音が私を呼んできた。


「体育館の設備で、話がある。少し来てもらっても?」

「た、保先生……」


 振り返ると、保先生が立っていた。相変わらずのくたびれた風貌だけど、流石に文化祭、ということもあってか、どことなく服装がきちんとしている。いつもはダラけた感じのスーツも、ネクタイこそはないものの、きちんと着こなされ、足元の運動靴にも汚れがない。

 先生の言葉に、チラリと一瞬高島くん達の方に目を向ける。保先生に気づいているのかいないのか、特に止められることなくリハーサルが続けられている。


(まあ、ちょっとぐらいなら離れても大丈夫、だよね)


 はい、大丈夫です、と頷き返す。私のその返事に保先生も小さく頷き返して、先を歩き出した。


       *******


 連れられて来たのは体育館の二階だった。二階、と言っても細い通路のようなギャラリーがあるだけの狭い場所。出入り口も、体育館入り口傍のはしご以外にはないような、陳腐な造りのものだ。

 こんなところになんの用事があるのだろう? と首を傾げていれば、通路の奥――ステージの頭上、真横の壁にあたるとこまで連れていかれる。


「ここにブレーカーがあるのは、知っているかね」

「え。ブレーカー、ですか?」


 ここだ、と保先生が天井付近を指さす。その指先には小窓が一つあった。

 が、よく見るとそれが小窓ではなく、ガラスケースだということに気がつく。取っ手のようなものはなく、どうやら手で軽く押すと開いてくれるタイプの物のようだ。

 カチリと保先生がそのガラスを押す。開かれたガラスの向こうから、いくつもの黒いスイッチを携えたブレーカーが姿を現わした。


「もし、電気関係のトラブルが起きたら、ここをいじりなさい。大抵のことは、どうにでもなる」

「は、はあ……」


 大抵のことはって、なんだか曖昧な……。

 けど、知っておいて損はない。ありがとうございます、と頭を下げれば、それだけだ、と言って保先生がはしごの方に向かって歩きだす。


「あ、せ、先生っ!」


 あわててその背中を呼び止める。なんだね、と先生がその眉間に小さなしわを寄せながらこちらに振り向いた。


「こ……、この間は、ありがとうございました。このような、機会を設けて下さって、とても助かりましたっ」


 改めて、頭をさげる。

 例の一件のことを、こうして先生相手に触れるのは初めてのことだ。わざわざ、自分から話題にするのはなんとなく避けられたというか、話しかけるのがためらわれた、というのが主な理由だ。

 けど、だからと言って、お礼を言わない理由にはならないはずだ。きちんとお礼を言わなくちゃいけない、そうずっと思っていた。


「……今日は、頑張りなさい」


 ポソッと、呟くような、けど決してひとり言ではない言葉が投げかけられた。

 ハッとして顔をあげる。けども、私と目が合うより先に、保先生は歩きだしていた。こちらを振り返ることなく、はしごの方へと一人歩いて行ってしまった。


「保先生……」


 本当は、色々訊きたいことはある。どうして軽音部の事をかばってくれたのですか、軽音部の事が嫌いじゃなかったんですか、など。

 けど、多分、今訊くのは違う気がする。よくわからないけど、今はまだ、その時じゃない。

 それに、きっと悪いことを考えているというわけじゃないと思う。


『頑張りなさい』と、いう言葉。

 これは多分きっと、嘘偽りのない、教師としての生徒への言葉だと、そう思えたから。


 He~y《お~い》! まなみーん! と斎藤さんの声が下から聞こえてきた。

 手すりから身を乗り出し下を見れば、ステージ上から手を振ってきている斎藤さんと、こちらを見上げている高島くんと掛石くんの姿。どうやら私がここにいることに気がついたらしい。


「そっからさー! どういう風に音が聴こえるか確認して貰っていいー⁉」


 どうやら、まだ私にもできる事はあるようだ。

 わかりましたーっ! と手を振り返しながら、心の中で、がんばるぞーっ、と拳を振りあげた。


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