2
母が死んだのは、私を生んですぐのことだった。
元々、身体が丈夫な人ではなかったらしい。その為、産後の経過がよくなく、そのまま亡くなってしまったのだという。
その頃、実は母には仕事依頼が来ていた。しかし、母はそれを完成させることはなく、亡くなってしまった。
親類は皆、その時の無理がたたったのだとか、私に責任はない、だとかと言う。アナタは悪くないのよ、と初めてその事実を教えてくれた祖母なんかは、私に向かってそう言った。
けど、父だけは違った。
私が話しかけると、顔をしかめる。なにか小さな失敗をすると、すぐに眉間のしわの数が増える。怒鳴られる、なんてことはなかったけれど、それでも私の動向一つ一つが父の機嫌を損ねているらしいことは幼い私にでもわかった。
会話がないわけじゃない。おはようと言えば、おはようと返される。でもそれだけで、それ以上も以下もない。
よくある、子供を嫌って夜遅くまで帰ってこない、なんて育児放棄もない。だからって休日になったらどこかに出かけようか、なんて仲良しこよしな親子でもない。
大体、私がいなければ、父は母を亡くすことも、前の仕事を辞めることもなかった。その父の仕事も今と比べれば収入は低いけれど、ようやく軌道に乗りかかっていた時期だったらしい。
けれど、それを、私という存在が全てダメにしてしまった。
それに、絵を描くと父の機嫌があらかさまに悪くなる。紙や鉛筆を取りあげるようなことはなかったけど、それでも目の前では描いてほしくない、という空気がただよい始める。
多分父は、絵を描く私の姿に母のことを重ねているのだ。母と同じ私が気に食わなかったのかもしれないし、それとも亡くなった母を思いだして悲観的になってしまったのかもしれない。
その辺のことはわからないし、それを父に訊くことも、やっぱり私にはできない。
それになによりも――……。
「……お母さんと同じね、って言われるのが、嫌だった」
お母さんのようだ、お母さんの生き写しね、やっぱり親子なのね、と皆がそう言う。
決して、相手に悪気がないことはわかってる。言葉はあれでも、私の絵を褒めてくれていることも。でも、そこには必ず母の存在が介入してくる。
見たこともない母の存在。知りもしない母の絵。
私は、私の描きたいものを描いているだけなのに。どうしてそんなことを言うの――?
どうして、皆、『お母さん』と比べるの?
「お母さんが嫌いなわけじゃない。……ううん、本当は好きかもわからない。だって、会ったこともないし。写真は見たことがあるけど、なんだか実感はわかなくって……」
娘として、こんなことを思うのはきっといけないことだ。
でも、それでも、会ったことも話したこともない人のなにを好きになればいいのだろう。
母だからって、娘だからって、そんなことで、無償で知りもしない相手のことを好きになんてなれない。もちろん、嫌うこともできないけど。
でも、
「自分の絵がお母さんと同じって言われるのは嫌だなって思ったの」
だから、絵を見せるのをやめた。
なるべくひっそりと絵を描く。そうすればなにかを言われることもない。お母さんとそっくりだと言われることもないし、比べて下手だと悪口を言われることもきっとない。
父が、顔をしかめることも、きっとない。
それでも――……。
「……自分の絵が、描きたいって思ったの」
高島くんが好きだと言ってくれた私の絵。
母の劣化版のようだと言われた絵を、コピーでしかないようなその絵を、高島くんは好きだと言ってくれた。
それが、なんの事情も知らないからの言葉だったとしても。
私にはそれが凄く嬉しかった。たった一言なのに。
まるで、それだけで、全てが救われたかのような、そんな気分になったんだ。
「でも、ダメだね。どんな風に考えても、なんだかありきたりなものになっちゃうや。結局、どんなに似てても、私にはお母さんみたいな才能はないのかも……。って、ごめんね。せっかく、文化祭前日なのに、こんなモチベーション下がりそうな暗い話しちゃって……」
気にしないで、なんとかするから! とごまかすように手を横にふる。
が、高島君は、ふむ、と小さく頷くと、そのまま顎に手をやりながら何かを考え始める。
高島君? と尋ね返しても、返事はない。しばらくの無言の間が、私達の間に広がる。
「……真似って、そんな、に、悪い、こと……?」
「え?」
ふっ、ととうとつな間で返されたそれに、思わず目を丸めた。
言われた意味が理解できず、どういうこと? と尋ね返す。高島くんも、上手く言葉が見つからないのか、んー、と考えるように頭をかく。
「俺は、古賀さんの、絵、がお母さん似、でもいい、と思う……」
「……それは、私の絵じゃダメってこと?」
違う違う、と高島くんが、困ったように首を横にふった。そうじゃ、なくて……、と次の言葉を探そうとしてか、口をもごもごと動かし続ける。
「……たとえ、ば……、赤ん坊は、親、から言葉を、学ぶ、じゃん……?」
「うん」
「言葉は、そうやって、覚えて、いく。誰か、が、何かを言う、から、覚えられる。箸の、持ち方……服の、着替え方……。全部、最初に、誰かがやる、のを、見て、真似して、そんで、覚える……」
「えっと……。もしかして、だから真似をするのは別に悪いことじゃないってこと?」
子供は親のやってることを見て真似して覚える。だから、真似をするのは別に悪いことじゃない。そう言いたいらしい。
うん、と高島くんが迷いもなく頷き返してくる。
「でもそれは、子供の成長の話でしょ? 常識を学ぶ為には確かに仕方ないことかもしれないけど、絵とかは違うよ。誰かの真似をしちゃったら、それはただのパクりだよ」
「違う。パクり、は、盗むこと、だ」
んん? それの一体何が違うんだろう?
意味がわからずに首をかしげる。高島くんが小さく苦笑する。
「たとえ、ば……、俺らの、作る音楽、は、俺らの、好きなもの、から、生まれてる……。好きなもの、が、見本になってる、んだ……。これは、パクり?」
「そんなわけない!」
好きなものを見本にして、だなんて、そんなのはどんな人間だってやることだろう。
それがダメということは、好きなもののようなものを作りたい、好きな人みたくなりたい、そういう憧れの全てがダメ、と言われているようなものだ。
それはパクりじゃない。絶対に。
「そう、だね……。でも、これ、は、古賀さん、が、言ってたこと、となにも、変わらない、んだよ……」
「私が言ってたこと……?」
「俺ら、は、自分の聴いてきた、音楽、しか、知らない……。だから、俺らの頭、の中にある、メロディー、っていうのは、皆、それを元にした、ものしかない、んだ。当たり前、なことなんだ、けど、さ。自分、の、知らないもの、は0から、生み出せ、ない……。それが出来る、のは、ほんの一握りの、天才、だけ……」
だから、俺らが作れる、音楽、は、全て、俺ら自身、が聴いてきた、音楽なん、だ――そう言葉を続けながら、高島くんはその口元に小さな弧を描く。
「俺ら、の音楽、は……。皆、俺らの、好きな
0からは、生みだせない……。けど、1からは、生みだせる、から……。そこに、色んなもの、を、掛けあわせる、んだ……――そう言って、高島くんが指を右と左の人差し指をたてると、かけるマークを作りだす。
(0からは生みだせない。でも、1からは生みだせる……)
もしかしなくても、高島くん達は、そうやって音楽を作って来たのだろうか。
0から新しいものは作れない。けど、三人分の経験を掛けることは出来る。全く違う三人の価値観、趣味趣向を三人で掛け合わせる。
そうして、三人で、三人だけが作れる新しい音楽を生み出す――。
オリジナルの、なににも捕らわれない、自分達だけの『オルタナティブ』を。
(でも、私は? 私はどうすればいいのだろう)
絵は一人でしか描けない。高島くん達と違って、私は一人きりなのだ。
一人でなにができる? なにもできなかったから、私は今、ここにいるんじゃないか?
お母さんの絵から、私の絵にする為に、私はどうすればいいの?
私の、私が、好きなものは――……。
「……眉間」
「え?」
「眉間……に、しわ」
ツン、と高島くんが私の眉間を突っついてくる。わっ、と反射的に目をつむりながら、眉間を手で押さえた。
た、高島くん、急になにを……?
「古賀さん、って、考えごとしたり、困る、と、眉間にしわ、寄る、よね……。ぎゅっ、て……」
「え、えぇ?」
そ、そう? と尋ね返す。うん、と頷き返されるものの、自覚はない。と、言うよりも、まず、そんなこと初めて言われた。
うぅん? と首をかしげる。すると、ほら、また、と笑われる。手を押しあててみたけど、ハッとした時には解けてしまっているらしく、触ってもわからない。
「……真似って、考えるのが嫌、なら……、受け継ぐ、って、考えてみた、ら……?」
「受け継ぐ?」
きょとんと高島くんを見返す。
高島くんが、そう、と先ほどよりも柔らかな笑みを、その口に描く。
「自分の中、にあるもの、を、受け継ぐん、だ。自分の、好きなもの、を作る、為に」
受け継ぐ。
お母さんの絵から、私の絵にするのではなく、
私の絵にする為に、お母さんの絵を受け継ぐ――……?
「それって、どういう……」
「おい、俊人! なにサボッてんだよ!」
私の言葉にかぶさるように道場内に怒鳴り声が響き渡った。斎藤さんの声だ。声の方を見れば、斎藤さんと掛石くんが二人でアンプを車に運ぼうとしている姿が目に入ってくる。
ハッとする。そうだった。今、片付け中だった!
あわてて床の上に散らばる荷物を集めて鞄の中にいれていく。が、そんな私とは逆に、あ、バレた、と悪びれた様子もなく、高島くんは舌をチロリと出す。
そうして、今、行き、まーす、とのんびりとした声で続けながら、これまたのんびりと立ちあがる。
「……でも、まあ、俺、の言葉、じゃ、ないんだけど、ね。今の」
「へ?」
「神様、からの、お告げ、だよ」
神様からのお告げ?
意味がわからずに首をかしげかけて、あ、と思いいたる。神様って、もしかして――……。
「ロックの神様?」
ニヤリと、高島くんが、あの意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「ロックの神様、は、間違えない……。信じていい」
そう最後に言い残すと、高島くんは斎藤さん達の方へと駆けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます