4

 リハーサルが終わると、急いで物をはけさせる。ライブ本番までは、日中は学生の場所となるので、ステージの上はきれいに空けとかなければならないからだ。

 片付け後は、掛石くんと斎藤さんとは一度別行動だ。一応部外者な為、一度外に出て、学祭開始と共にまたお客として来校するつもりらしい。朝早かったせいか、朝ご飯を食べ損ねたらしい斎藤さんが、Hungry《腹減ったぁ》! と嘆き出したので――掛石くんは、あきれた様子だったけど――近くにあるマックの場所を教えて、二人とは別れることとなった。


「じゃあ、行こう、か……」


 うん、と高島くんに頷き返す。片付け中に着替えていたらしく、いつも通りのモサイ男子高校生の姿がそこにあった。


(さっきまでかっよかったのに。なんだかもったいないなぁ)


 と、そんなことを考えていたせいか、思わず、金髪のままでいればいいのに、と口からついて出る。そんな私の言葉に、高島くんが唇を尖らせながら、だって、と口を開いた。


「金髪、で、いたら、うるさいばあさん、いる、し……」

「ああ……」


 ポンッと頭の中に、紫色のメガネをクイッとあげる姿が思い浮かんだ。

 そう言えば、宮崎さん達にからかわれていた時に、好きでこんな恰好してるわけじゃないって言ってたっけ。


「前からずっと金髪だったの?」

「いや、別に……。高校、入って、から……。髪の色、抜いて、染め直した……」


 高島くんの話によると、髪の毛を綺麗に染めるには、一回元の色を髪の繊維から抜く必要があるらしい。元の髪色の上から染めることもできるのだけど、それをやるとすぐに色落ちしてしまい、俗にいうプリン頭になってしまうそうだ。それに、元の色の上塗りをしているだけなので、綺麗な純金髪、にまでは至らないらしい。

 でも、その代わりに元の黒髪には戻れなくもなってしまうそうだ。


「けど、中学の頃、とは、できれば、決別、したかった、から……」

「決別?」

「んー……。中学、の頃……、俺、いじめられてた、らしい、から」

 え、と驚愕で目を丸める。いじめられていた? 高島くんが?

「って、言って、も、自覚はなくって……。ただ、なんかこう、うまく、馴染めない、なー……。なんか、浮いてる、なー……。あれ? 仲間外れ、に、なってる? いないように扱われてるなぁー……って感じに、気がついたら、なって、て……」

「え、えぇー……」


 けろっと話される内容に頬が引きつってしまう。

 いいのだろうか、そんな軽くて。でも、確かにまあ、高島くんってパッと見、絡みづらいって感じはするからなぁ。言ってはなんだけれど、対象にはされやすいタイプなのかもしれない。


「俺、としては、別によかった、んだけど……。一人でいる、のは、慣れてる、し……」


 慣れてる? と思わず尋ね返すと、あー……、と高島くんが少し言いづらそうに、頭を掻いた。そうしてゆっくりと、うん、まあ、と話し始める。

 どうやら、彼は昔から一人でいることが多かったらしい。元々、他人と話すのが苦手な上に、こういう独特な喋りをしていたせいか同年代の子にもからかわれることが増え、嫌になってあまり話さなくなったのだという。

 そうして、気がつけば一人でばかりいるようになっていたらしい。


「まあ、一人でいた、方が、楽だし……。別に、問題は……」


 だって、ほら、誰かといる、と、色々考えないと、じゃん……? アイツと、アイツ、はそんなに、仲よくない、から、あんましこの話題はー、とか……? ――と高島君が考えながらと言った風に、あごに手をやって言葉を続ける。


(空気を読むのが苦手ってこと、なのかな?)


 そう言えば、斎藤さんにも説明が足りない、ってよく言われてたっけ。私と話してても、度々大事なところを話してくれないこともあったし――わざとな時のが多い気がするけど――、喋るのが苦手なのは本当なのだろう。


「それ、に、あの頃は、ギターも、あった、し……。一人、なら、誰にも、じゃまされず、に、練習、できたから……」

「ギター? ベースじゃなくって?」


 驚いて尋ね返す。あれ? 言ってなかった、け、と高島くんが不思議そうに返してきた。


「中学の時、は、ギター、弾いてたん、だ……。ギター、なら、一本あれば、弾き語り、もできるし……。別に、バンド組むつもり、なんて、なかった、から、適当に弾く、なら、ギターがあれば、自分には、充分だった、から……」


 でも、と長い前髪の隙間から見えるその目がスッと細められた。


「『音楽』、は、それじゃ、ダメだって、言われた、から……。だから、変えた……」

「……それって、ロックの神様に?」


 言われた――その聞き慣れた表現に、ピンッと、例の神様が頭の中に浮かんだ。

 高島くんがちょっとだけ驚いたといった風に目を丸くする。が、すぐにニヤッとしたあの笑みを浮かべ直すと、正解、と言葉を続けた。


「気になってたんだけど、そのロックの神様って何者なの? まるで会ったことあるみたいな言い方だけど……。でも、高島くんって、その神様を探してるんだよね?」


 気になっていた質問をようやく口にする。

 訊くなら、多分今がチャンスだ、とそう思った。

 高島君が、うーん、と顎をさする。言うか言うまいか、まるで悩むようなその様子に、どんな答えが返ってくるのかと、思わずドキドキとしてしまう。

 少しの間をあけて、実は、と高島くんの口はゆったりと開かれた。


「俺も、よくは、知らない、んだ……」

「……え」


 予想外の返答だった。

 思ってもみない返答に、思わずとまどってしまう。


「知らないって……。で、でも、高島くん、その人と話したことがあるんだよね……?」

「一度、ね。でも、少し、話をした、だけ、で……、どんな人か、までは、知らないん、だ……」


 でも、ギター、は、凄い、うまかった……――そう、高島くんが懐かしそうに言葉を続けた。


 それは高島くんが中学生のときの話。当時、クラスで仲間外れになってることに気づいた彼は、教室にいることが少なくなっていた。学校にはいるのだけど、HRなどの大事な授業をのぞいては、基本的に使われていない空き教室で過ごした。持ってきたギターを弾いていたらしい。

 好きな音楽を聴いたり、その曲を弾いたりしながら、一人で毎日を過ごす。それは決して、つまらないものではなかった。が、周囲の人々はそうは思われなかったらしい。彼は問題児として学校側からも浮いた存在として見られるようになり、ますます孤立していった。


「でも、別に、一人、でもいいじゃんって……。だって、好きなこと、いっぱい、やれてる、し。なにに問題が、あるの、って。勉強、だって、その気になれば、教科書、とか、辞書見て、自分で、やれる。人と人は、支え合って生きてる、とかって、言うけど、でも、それは、多分きっと、食品の生産とか、なんか、そういう関係、に当てはまる、だけで……、誰かと、一緒にいなさい、ってわけじゃ、ないんだ。きっと、人間関係、は、希薄でも、生きるだけ、なら、単純に皆、できるんだ……」


 淡々と語られる言葉に、なんだかぎゅっと胸の奥がつかまれたような感覚がした。


 生きるだけなら、一人でもできる――そう口にした高島くんは先ほどとは違って無表情だった。高島くんが無表情で話すことは今までだってあったけれど、それでも彼のその言葉には、いつも暖かな温度があった。今の彼には、その暖かさもない。


(……さっきは、『慣れていた』って言ってたけど、本当に、高島くんはそうだったの?)


 もちろん、中学生の頃の高島くんを、他人である私が想像できるわけがない。けれど、一人ぼっちというものなら、私には簡単に想像することができる。

 誰からも話しかけて貰えない教室。皆の話が耳に入るのに、それは全て自分を素通りしていく。隣で騒いでいる人がいてもその輪が遠い場所にあるように感じる。

 皆の先には私以外の誰かがいて、私に向けて話しかけてくる人は誰もいない。それなのに楽しそうな会話や笑い声は耳に届く。

 心の中で自分がそこにいたら、なんて考えて相槌をしたりしてしまうけど、もちろん、誰もそれには返してくれない。こういうことをしている自分がバカらしく感じるし、でもそれよりもその中に入れない自分がいけないもののように感じて、惨めになってくる。


(今だって、高島くん達とは喋れてるけど、クラスの中じゃ、相変わらずだし……)


 以前の自分と変わったように感じても、結局のところ、こういうところはまだまだ変われてないままだ。

 仕方ない。自分がいけないのだ、とそうわかっているし、もう慣れたようなものだと思っていたけれど、やっぱり思い返すと惨めな気分になる。

 慣れたようでいつまでたっても慣れない、小さな痛み。

 ――それに、


『まぁ……。慣れても、さ……。怒りは、わく、よねって、こと』


 あの日、自分の好きなものをバカにされて、高島くんは確かに、そう言っていた。

 あの言葉は、嘘なんかじゃないはずだから。だから、もしかしたら本当は――。


「……でも、『音楽』、は、違った」


 優しい、暖かな声音が私の思考をさえぎった。

 ハッとして高島くんを見返す。そんな私の様子に気づいているのかいないのか、高島くんはさらに言葉を続ける。


「『音楽』は、一人、じゃ、できなかっ、た……。それ、を、あの人が、教えてくれ、た」

「……ロックの神様?」


 私の問いに、そう、と高島くんがその口元を小さく綻ばせた。


「ちょうど、今ぐらい、の頃、だった、かな……。いつも、みたい、に、ギターを、弾いて、いたら……、その人、が、やってきた、んだ……」


 いきなり開け放たれたドア。そこに立つは、ピッシリとしたしわ一つないスーツを着た見知らぬ男。

 さすがの高島くんでも驚いた。あわてて持っていたギターを抱えながら床の上を後ずさりすれば、今弾いていたのは君か、とそう尋ねられたらしい。

 わけもわからないままに、高島くんが頷き返すと、その人は教室内に足を踏みいれた。

 あ然とする彼を前に、いきなりその人は肩に背負っていたケースからギターを取り出してきた。そこで高島くんは初めて彼がギターを背負っていたことに気がついた。けど、それにハッとするよりも先に、男の演奏がいきなり始まった。

 それは、ついさっきまで高島くんが弾いていた曲の旋律だった。しかし驚くことに、ただ原曲を弾くだけだった高島くんと違い、目の前の彼が弾いているのは、自己流のアレンジが加わっているものだった。しかも、全て難易度の高い演奏技術の類で、当時の高島くんには絶対真似できない領域のものだったという。


「まあ、今でも、できるか、は、不明、かな……。一は、やっちゃいそう、だけど……。でも、その時に、さ、その人が、顎、で、くいって……俺のギター、さしたんだ」


 お前も弾け、と言っているのだと、高島くんにはすぐにわかった。

 あわててギターを構えて、彼に合わせて弾く。けど、もちろん彼の技術に高島くんが追いつくわけもなく、何度も振り払われそうになった。でも、それでも、


「とても……、楽しかった」


 初めて二人で弾くギター。

 初めて誰かと演奏する音楽。


 初めての体験に、高島くんは追いつけなくなる自分にもどかしさを感じた。もっと弾いていたいのに。


 もっと――……、一緒に弾いていたいのに。


 気がついた時には、演奏は終わっていた。

 汗があふれ出ていた。額から流れ落ち、ギターを握る手も汗がにじみ出ている。息が乱れていて、感じたこともない疲労が、どっといきなり重圧となって身体にのしかかってくる。

 それなのに、なぜか心の中はとても軽かった。震える手を前にして、床の上にへたってしまった自分を前にして、それでも心の中はわくわくと見知らぬ感覚への好奇心で溢れ返っていた。

 そんな高島くんを彼は指さす。そしてこう言った。――これが『音楽』だ、と。


「ギター、は、一人、でも弾ける……。でも、音楽は、一人、じゃ、完成しない……って、その人、は言ったん、だ……」


 その少しあと、どこからか、教師達のものと思われる足音が聞えて来た。二人分のギターが激しくかき鳴らされたのだ。なにごとかと思った教師達が駆けつけてきたのだ。

 彼にもその足音は聞こえたようで、颯爽とギターをケースに戻すと、そのまま、教師達が来る前にギターと共に出ていってしまった。せめて名前だけでも、と思ったものの、それを訊く暇もなかったという。


「あとで、知った、けど……。その日、うちの学校、で、三年生向け、の、高校の、説明会、があった、んだって……。近所の、高校の先生、を招いて、毎年、やるんだ……。高校、は、こういうところ、ですよー、って……。見たこともない人、だった、し、スーツ、も着てた、から……。多分、あの人、は、その先生だった、んじゃない、かなぁって、睨んでる……」

「高校の先生だったってこと? でもなんでそんな人が、ギターを持ってたの?」

「さあ……。そこ、までは……」


 高島くんが首をかしげる。どうやら、そこまでは彼も思いつかなかったようだ。


「でも、まぁ、その来てた高校、ってのが、ここってのは、わかった、から……。だから、受験、して、なんとか受かった、んだ……」


 でも、彼はいなかった。校内のどこを探しても。


 教師に尋ねても、そんな先生はいない、と言われた。しかしそれでも、高島くんは諦めなかった。

 教師、というのは自分の憶測に過ぎない。それに、あの人がギターをやっているなら、自分も弾き続けていればいつかは出会えるかもしれない。そんな風に考えを改めたのだ。


「ベースに、変えた、のは……。一人、で、弾くのを、辞めてみよう、と、思って……。ベース、は、一人で目立つ、には、向かない、けど、皆を引き立たせる、には向く、から……。誰か、と、音楽を、作ってみたかった、んだ……」


 そうして彼は斎藤さんと掛石くんと出会った。

 一緒に、音楽を作れる仲間達として――。


「一人、でも、生きてける……かも、しれない。でも、『音楽』は、一人だった、ら、見れなかった、もの、があった。だから、音楽、だけは、誰かとやりたくなった……」


 そう言って、高島くんがふわっとした笑みを口元に浮かべる。まるで、何か大切な物を見守るような、今までの中で、一番暖かな笑みを。


「実のところ、さ……。今日の、ライブ、も、期待、してるん、だ……。あの二人、には、悪い、けど……。もしかし、たら、あの人が、来るかも、しれない、から……」


 来ないかも、しれない、けど……――そう言いながら、罰が悪そうに高島くんが唇を尖らせる。

 確かに、軽音部の存続や練習場所、斎藤さん達の立場など、色々かかっている最中に、そんなことを考えているのは不謹慎かもしれない。

 でも、だからと言って彼が軽音部のことを思っていないわけじゃない。きっかけは、その人の存在だったかもしれないけれど、けどそれは単なるきっかけに過ぎない。

 高島くんがあの二人と一緒に音楽をやってきた事実は消えない。ようやく見つけた仲間達のことを、大事に思っていることだって嘘じゃない。

 それは、この二週間を、ううん、今の彼の笑みを見ればわかる。


(『慣れた』わけじゃないかもしれない。でも、多分高島くんは見つけたんだ)


 一人じゃなくてもいい居場所を。彼が彼としていられる場所を。

 だから、


「……見にきてると、いいね。神様」


 高島くんが、驚いたようにこちらを振り向いた。

 けれど、すぐに前を向くと、うん、とゆったりとした、でも確かな暖かさのこもった返事をしてきた。

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