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翌日、火曜日。放課後。
「古賀ちゃーん、こっちこっちー」
学校が終わり、指定された場所へ向かうと、すでに銅宮先輩の姿があった。手を大きく振りながら、私の名前を呼んでくるその声が、閑静な住宅街内に響き渡る。
「す、すみません、遅くなってしまって……」
「ぜーんぜん! 時間通り! 古賀ちゃんって、バイトの時もそうだけどさ、しっかり時間守るタイプだよね」
あわてて駆けよる私に、私は早過ぎるか遅すぎるかの極端タイプだから羨ましいよ、と銅宮先輩が笑いながら言う。無邪気な笑みを浮かべる先輩に、少し恥ずかしい気分になりながら、そんなことないですよ、と手を横に振り返した。
「で、まあ、道場の使用時間だけど、とりあえず十九時には門下生達が来ることになってるから、それまでしか使えない感じ。それでもいい?」
「い、いえ! 全然大丈夫です!」
むしろ、こちらこそ無理言ってしまってすみませんっ! と頭を下げる。そんな私に、困った時はお互いさまだよ、と銅宮先輩はケラケラと笑いながら言った。
『銅宮先輩の家の道場を、借しては頂けないでしょうか』
そう銅宮先輩に尋ねたのは、昨日のことだった。ちょうど、バイトのある日。早めにお店に足を運ぶと、予想通りすでに銅宮先輩が、鼻歌混じりに更衣室で着替えをしていた。
『あれ? 古賀ちゃん、早いね。めっずらしい!』
さん付けからちゃん付けへ。名前の呼び方が変わったのは、銅宮先輩と打ち解けて話せるようになった日のことだ。色々と話している内に、先輩の方から呼び方を変えてきたのだ。さん付けなんて、なんか他人行儀みたいだしねー、とそう言って銅宮先輩は笑った。
古賀ちゃんも先輩なんかじゃなくって、美紗子って呼んでもいいんだよ? とも言われたけど、流石にそれはできるわけもなく、私の方は相変わらずな呼び名のままで通している。
銅宮先輩の家の道場を、バンドの練習場所として借りる――、それがあの時、思いついた考えだった。
道場なら、それなりの広さもあるし、音楽室程ではないけれどきっと防音効果もある。外に音を漏れ出す必要もなく、練習をすることができるはずだ、とそう思ったのだ。
と言っても、それにはまず銅宮先輩の家から許可を貰わねばならない。昨日今日、仲良くなっただけの後輩に、いきなりお家を――意味合いは少し違うけど――貸してください、なんて言われて、果たして頷く人はどれだけいるだろうか。提案してすぐに、激しい不安に襲われる。
けれど、他に案らしい案も浮かばない。
言うしかない。
ここで言わないと、きっと今までと何も変わらない。
それに――……。きっと、銅宮先輩なら大丈夫だ。もし断られても、多分きっとあの先輩なら、なにか悪く言ってくることなどはないはずだ。
たった少し前に仲良くなったばかりの私に何がわかるかという話だけど、なぜか、確信を持ってそう思えた。
私の急な申し出に、銅宮先輩はキョトンとしたものの、実は……、と詳細を話すと納得してくれた。そうして、しばらく考え込んでくれた後、親に訊いてみる、とそう言ってくれた。
そしてその晩。先輩から来たラインは、OKという返事だった。
ただし、時間制約つきだけどね、と申し訳なさそうに書かれていたけれど、それでもありがたいことには変わりない。
すぐさま、お礼の連絡と高島くん達への連絡を入れた。
そうしてその翌日、つまり今日。早速、先輩の家におじゃますることになったのだった。
「トイレは向こうのドアを出て、通路を少し歩いたところにあるから、そこを使って。一応、電源コードはここの壁際と、向こうの壁際の二つあるから。延長コードはうちにもあるからさ、必要そうだったら言ってよ」
「は、はあ……」
ひ、広い……。開けられたドアの向こうに広がった光景に、思わず目が点になる。
そこにあったのは、とてつもなく広い道場だった。体育館のような丸く高い天井、その下に広がる、だだっ広いフローリング床。真ん中部分には、これまた広い畳のスペースが敷かれており、その上には赤色の枠で正四角形がいくつも描かれており、どうやら、ここで試合形式の練習などをしているらしいことが想像できた。
(入口とか門も結構大きかったし、銅宮先輩の家って、もしかして、凄いお家なんじゃ……)
本当に借りてよかったのかな、こんなところ……。冷や汗が背筋を流れていった。
「そういえば、例のバンドの人達は? いつぐらいに着くって?」
「あ、それが、どうやらもうそろそろ着くそうで……」
スマホを取り出して、ラインを確認する。そこには、つい先日交換したばかりの連絡先が集められたグループラインが一つ。こうした方が連絡が取りやすいでしょ、という斎藤さんの発案の下、昨晩作られたものだ。
『俺らは、楽器とか色々運ぶもんあるし、あとから合流するよ。大丈夫、一応、俺車持ってるし、地図さえ送ってくれればなんとかなるからさ。まなみんは先にその先輩と合流しててよ』
だ~いじょうⅤⅤ、なんとかなるⅤ! というやたらテンションの高い斎藤さんのラインのもと――掛石くんがあきれた風に溜息をついているクマのスタンプをそのあとに押していた――、こうして彼らとは別行動をすることが決まった。
まあ確かに。むこうに私がいてもじゃまになるだけだろう。
(……でも、ちょっとだけ、皆の役に立てないのは寂しかったり……)
それはさておき、そんなグループラインには『そろそろ』というぶっきらぼうな言葉が、新たに通知されている。
(そろそろって、あと何分ぐらいのお話ですか……。高島くん……)
らしいけどさぁ、と苦笑したその時、車が止まるような音が外から聞こえてきた。
「お。来たかな」
みたいですね、と銅宮先輩の言葉に頷き返す。皆を迎える為、二人でドアを開けに向かう。
ドアを開けた先には、一台の白いミニバンがあった。道場前の道路。その端に寄せる形で停まっている。
と、運転席の窓が下ろされ、まっなみーん! と聞き覚えのある声がする。
「昨日ぶりぃ~っ」
「斎藤さんっ、運転はあれほど大人しくとっ……、うっ」
「一……吐く、なら、外……」
吐きませんっ! とガヤガヤと相変わらずな賑やかさと共に、後ろのドアも開き、そこから掛石くんと、続いて高島くんが降りてくる。掛石くんは相変わらずなパンクとゴシックが混じった服装、高島くんは久しぶりの金髪姿に灰色を基調とした地味でシンプルな服装だ。どうやら、二人共、わざわざ着替えてからきたらしい。
(高島くんの金髪姿、久しぶりに見たなぁ)
こうやって見ると、やっぱりイケメンなんだよなぁ。いつものモサイ恰好からは想像できないぐらいに。
そんなことを考えていると、なんだ、一ちゃん酔ったのかぁ~? と斎藤さん――こちらもこちらで相変わらず目が痛くなるようなカラフルで奇抜な服装だ。国旗柄のシャツってどこで買ったんだろう……――も笑いながら運転席から降りてきた。
「遅れちゃってごめんねぇ。ちょっと色々手間どっちゃってさ」
「いえ、私もついさっき来たばかりなので」
ね、先輩、と銅宮先輩の方に振り返る。が、反応はない。それどころか、ぽかんと、まるで信じられないものを見た、とでもいうように口を開けたまま固まっている。
「? 先ぱ、」
「フ……、from tale begins……⁉」
「え」
先輩の口から予想外の言葉が飛びだした。
思わず今度はこちらがぽかんとしてしまう。が、そんな私を前に、えー! なんで! どうして! えーっ⁉ と銅宮先輩は頬に手をあてながら騒ぎ始める。
え、えっと……先輩……?
「古賀さん……。この人、が、先輩、さん……?」
「あ、高島くん」
ヌッとやってきた高島くんに、そうだよ、と頷き返す。ふむ、といった風に高島くんが私の言葉に頷きながら、銅宮先輩に目を移す。と、ん? と不思議そうに首を傾げた。
「あれ……。いつも、ライブ、来て下さる、方……?」
「へ? いつもって……」
「! は、ははははは、はいっ! そうですっ! いつも見てます! 応援してますっ!」
私の言葉をさえぎるように、銅宮先輩が口を開く。その顔は、茹であがったように真っ赤だ。
覚えててくれたんですか! と矢継ぎ早に口から言葉を吐き出していく。
「髪……、凄い、きれいな、赤、だから……。なんだか、覚え、ちゃって……」
いつも、ありがとう、ございます……、今日、は、よろしく、お願い、します……――そう言って、ゆったりと高島くんが頭を下げた。
瞬間、ボフンッと、音をたてて先輩の顔が今度こそ本当に茹だった。
「わ、私、死んでもいい……」
「先輩⁉」
そこまで……⁉ 手を組みながら、空を仰ぎだす銅宮先輩に思わずビクッとする。
高島くんも不思議そうに首を傾げる。が、俊人、楽器おろし手伝え~、と斎藤さんに呼びかけられ、はい、と駆けだしていった。
「もーっ! どうして先に言ってくれなかったのよ、古賀ちゃんっ! フロムが来るなら、私、それなりの心構えや準備だってしてきたのにぃ!」
もう! もう! もぉーっ! と銅宮先輩がバシバシと背中を叩いてくる。だ、だって知らなかったですし……。とりあえず、すみません……、と謝りながら背中の痛みに咳きこむ。
「先輩、高島くん達のこと、知ってたんですね」
「知ってるもなにも! 大ファンよ! 流星の如くインディーズバンド界隈に突如現れた期待の新星、from tale begins! 自ら言ってるキャッチコピーはクソダサイけど、音楽はもう本当に天才級で……!」
あ。あれ、やっぱり斎藤さんが勝手に言ってる感じなんだ。納得。
銅宮先輩の話によると、高島くん達、フロム――彼らのバンドの通称らしい――がインディーズバンドとして現れたのは、突然のことだったそうだ。
なんの前触れもなしにいきなり渋谷の小さなハコ――ライブハウスのことをこう呼ぶんだそう――に現れて、演奏をしたのが一番最初なのだという。
「普通はさ、ああいうライブ会場で何かやる前に、路上ライブだとかビラ配りだとかしてさ、こういうバンドのこういうライブがあるので来てくださいってやったりするんだけど、彼らの場合そういうのは一切なくってね。当日会場で演奏していた他のバンドのファンが全員、誰アイツらって顔をしかめるぐらい、名前すらその場にいる誰もが知らなかったのよ」
ちなみに、教えてもらったところによると、『インディーズバンド』というのは、一言で言うと、どこの音楽会社にも所属していないバンドのことを言うのだという。つまりは、メジャーデビューしていないバンドのことだ。
まあ、最近はインディーズバンド専門のレーベルってのもあるんだけどさ、と肩をすくめながら先輩はそう言った。
インディーズバンドとしてデビューする際、最初に行うライブの形式はほとんど例外なく『対バン式』と呼ばれるタイプのものになる。小さなハコでよく行われる形式で、いくつかのバンド達が順々に演奏をしていく形のライブなんだそう。
高島くん達は活動開始のその日、そんなライブの一番最初を務めたのだという。
「基本的にライブの一番目って、その日の出演者の中で一番若手のとこが来ること多いからさ、まあ、ファンとか以外は皆、特に期待もなにもしてないわけ。名前も知らないバンドの演奏なんて、面白いのかどうかすらもわからないじゃん。それに、始まったばかりの頃はお客さん自体の数も少ないし、そんなに盛り上がる時間帯でもないんだよね」
けれど、フロムは違った――そう言って、銅宮先輩が目を輝かせながら言葉を続けた。
「あっという間にその場にいるお客全員を飲みこんだんだ。どう見たって、まだ高校生そこらの集まりのちゃっちい、しかも名前すらも知られていないバンドが、その場にいるお客全員を巻き込んだんだ。統一性のないしっちゃかめっちゃかな音楽性で、楽器の音量の調整もへたっぴでうるさかったんだけど、それでもその場にいる、趣味も趣向も全部違うお客相手に、そんなのお構いなしって言わんばかりに全員を引っ張ろうとしてくんだよ」
当時、銅宮先輩はそのライブの最前位置に立っていたのだという。先輩のお目当てのバンドは、その日のトリに来るような、バンドとしての経歴も、注目度も高いグループだった。
けれど、彼らの歌を聞いたその瞬間、銅宮先輩は彼らの歌に飲まれた。そして、それ以来、毎月の様に行われるライブの演奏を見に行くようになったのだという。
「鳥肌もんだったよ、あの日の演奏は」
そう言って、銅宮先輩が自身の腕をさすった。
「けど、まさか覚えててもらってたなんて……! しかも、髪、きれいって……!」
初めて染めててよかったって思ったーっ! もう一生変えないーっ! と銅宮先輩が自身の髪先をいじりながら言う。
その仕草に、ふと先日の銅宮先輩のことが思い出された。けど、あの時の様な寂しさを携えた先輩はどこにもいない。
思わず、ふんわりと小さな笑みが口元からこぼれた。
「……銅宮先輩は、彼らのことが好きなんですね」
「もっちろん! めっちゃくちゃ、大好き!」
無邪気に告げられた言葉に、思わず、ぐっ、と胸の中が熱くなる。自分に向けられた言葉じゃないのに、でも、今、とても嬉しい言葉に聞こえる。
(遊び、なんかじゃない)
こうやって、彼らの音楽を真摯に聴いてくれる人がいる。実際に耳にして、彼らが好きだと思えるものを好きだと言ってくれる人がいる。
批判をする人がいるのも、また事実だ。
でもきっとそれは、同じくらいに好きだと言ってくれる人がいるという証拠なのかもしれない。
騒がしく楽器をおろしている三人へ目を向ける。
好きなものも、趣味趣向も、価値観もバラバラな三人。
でも、この人達は皆、同じ方向を向いている。見ているものが違うだけで。
そしてそれを感じてくれる人もまた、ちゃんといる――。
(私も、やらなくちゃ)
自分にできることを……。ううん。
自分のやりたいことを、せいいっぱい、やらなくちゃ。
学祭まで残り二週間。
晴れ渡る秋空の下、揺れてばかりいた心の中に、ようやく小さな決意のようなものが生まれた気がした。
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