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「ごめん……っ、あはっ。気を悪くしてたら申し訳ないっ。でも、ワザとじゃないの。これだけはわかって……。ふふっ」
一時間後、レジ。
ようやく笑いが収まった先輩――まさか、笑いが収まるのにこんなに時間を使うことになるとは……。途中、お客さんがレジに並び出したりしものの、差し引いても先輩が笑っている時間の方が長かった気がする――が、関口一番に口にした謝罪に、はあ……、とあいまいな返事が私の口から出た。
「私、ツボが浅いんだよね。なんかね、人の倍笑っちゃうの。他人がそんなに笑うかーって言うようなことでも、ずっと笑ってられるってかさ。おかげで、バラエティ番組とか観たら、もうその日は地獄よ。ずっと笑いっぱなしだし、観てなくっても笑いを引きずって笑いっぱなし。で、ようやく笑わなくなったと思って忘れかけた頃に、また思い出して大笑い。本当困りもんよ」
たまにさ、レジで変なお客さん来るときあるでしょ? もう本当爆笑しそうなんだけど、仕事中だから笑えないし、もう本当地獄かってぐらい我慢して我慢して――そう言葉を続けながら、その時のことを思い出したのか、うふっ、と笑い声? とを口から噴きだす。
(ほ、本当に、これが、あの銅宮先輩……?)
だって、銅宮先輩って、いっつもツンと澄ました感じでいるはずで、レジ対応以外で笑顔なんて見せないし……。
こんな風に、ニコニコするような人じゃなかったはず。それとも、これは夢? 先輩が怖すぎるせいで、夢の中で自分の都合のいい先輩を生みだしちゃったとか……?
こっそり手をつねってみる。
結構痛い。夢じゃない。
ちなみに、レジ横の棚出しは、なんとか銅宮先輩に手伝って貰う形で終わらせることが出来た。どうやら、先輩の言っていた『じゅうき』とは、四足のついた小さな棚のことだったみたいだ。ついでに、『じゅうき』とは、『什器』と書くそう。
その話に、うっかりと、ああなんだ、『重機』じゃなかったんだ、と漏らしてしまったせいで、銅宮先輩が再び笑いの渦に飲み込まれ、数分程度で終わる筈の作業に倍の時間がかかってしまったのはここだけの話です、はい。
「特に、古賀さんの挙動が本当ツボでさ。なんていうの、小動物的? 一個一個のことで手一杯になってあわあわしてる感じとか、目の前に急に現れた初めて見る物に戸惑うハムスター、みたいな感じでさ。見てるだけで、くすぐったくなって笑っちゃうというか」
「ハムスター、ですか……」
じゃあ、いつも真顔だったのは……、と続けて尋ねれば、笑うの我慢してたから、とあっさりと返される。はは、と空笑いが口からこぼれた。
(でも、嫌われてるわけじゃなかったんだ)
ホッと胸をなでおろす。と、同時に頭の中で、ほらね、とあの子供っぽい感じにニヤッと笑う高島くんが出てくる。
自信、もって、話しかけて、みて……良かった、でしょ、とあの独特な喋りでそう続けてきた。
「……あのさ。もしかして、怖がらせちゃってた?」
銅宮先輩が、心配そうに眉を八の字にしながら尋ねてきた。
「い、いえっ。そ、そういうわけでは、」
「あー。いいよ、いいよ、気ぃ遣わなくって」
先輩が苦笑しながら手をひらひらと振る。
「友達にもよく言われるから、大丈夫。アンタの真顔怖いって。まあ、自分でも目つきの悪さについては自覚してるけどね。うちの親父がさ、空手道場の師範なんだけど、これがまた絵に描いたように顔が悪くってね。師範って立場も相まって、なんかもう漫画に出てきそうな感じなのよ。悲しいことに、それを完全に受け継いじゃってんだよね、私」
この髪色もさー、尖った顔してるからそれに似合あうようにしようと、やってみたんだけど、それが逆にダメだったみたいで初対面の人には引かれること多いのよねー、そう言って、銅宮先輩が、髪の毛先をくるくると指でいじる。
しかし、明るい口調のわりには、どこか寂し気な雰囲気がそこからはにじみ出ていた。
「す、すみません……」
「古賀さんが謝ることないよー。むしろ、今までごめんね。ほら、笑う方はいいけど、こういうのって笑われる方が嫌でしょ? だから気をつけてたんだけどさ。でも逆に嫌な思いさせちゃったね」
銅宮先輩の笑みに、どきりとする。どことなく憂いさを帯びたそれに。
(……もしかして、銅宮先輩自身、それを誰かに言われたことがあるのだろうか)
けど、それを尋ねることはなんとなく、はばかられた。誰にだって触れられたくない部分はある。私にだってある。
そういうものに簡単に触れていいほど、私と先輩は仲良くない。
(……でも、なんとなくその距離がもどかしく感じる)
そのぐらいには、私の中で銅宮先輩の印象が変わった感覚はする。
「まっ、なんにせよ、これで古賀さんから私への誤解は解けたわけだし。さっきみたいにわからないことがあったら、気軽になんでも訊いてよ。教えるからさ」
わからないままって方が、嫌でしょ? ――そう言葉が続けられた瞬間、ハッとまた高島くんの言葉が頭の中に思い出される。
『俺、は、わからない、方が、嫌、だなぁ』
ニッと歯を見せて銅宮先輩が笑ってくる。先刻のような憂いさはもうない。
その笑みを前に、何かが胸の内側に湧いてくるような感覚に襲われる。苦みがあるようなその感覚に、ギュッと思わず拳を胸元で握る。
これが、なにかはわからない。わからないけれど――……。
意を決して銅宮先輩を見返す。今までは逃げてばかりいたその瞳を真っすぐに見返しながら、はい、と私は頷き返した。
*******
翌日、木曜日。朝、七時半。
いつもよりも早めに支度をし、誰もいない家を後にして、学校へと向かった。
早めに家を出た理由は、高島くんだ。彼とどうしても二人っきりで話がしたい。でも、放課後まで待てない。なら、朝に話すしかない。
彼が早めに学校に来る人なのは、いつも先に教室にいることから知っていた。大体、生徒達が多く登校する時間帯にくるのが私なわけだが、それよりも先にいるということは、つまるところ、朝が早いということなのではないか。短絡的な考えだけど、今の私はそこに賭けてみるしかない。
(大丈夫。きっといる)
確信はない。でも不思議と『自信』はある。
人気の少ない校舎内を歩いて教室へ向かう。まっすぐにたどり着いた教室のドアを開ける。
そして――……、いつも通り、そこに座っている彼の姿が目についた。
「高島くん」
名前を呼びながら、彼の隣の自分の席に向かう。
きょとんとした顔で高島くんがこちらを振り向いた。両耳につけていたらしいイヤフォンを外して、古賀さん、とゆっくりとその口を開く。
「珍しい、ね。こんな、時間に、いる、の……」
おは、よう、と挨拶が返される。うん、おはよう、と私も彼を見返しながら返す。
「……なに、か、あった……?」
私のただならぬ雰囲気を感じたらしい高島くんが、ゆったりとその首を傾げる。長い前髪越しに、突き刺さすような強い視線を感じる。
瞬間、それなりの覚悟をして来た筈の胸がドキッと音をたてて、縮こまりそうになった。思わず、あとずさりをしてしまう。
(ダメっ。こんなことで怖気ついてどうするの……っ)
言うんだ。その為に来たんだから……!
「あ、あのね、高島くんにお話があって」
「俺、に……?」
「新作CDのデザイン……。私、やっぱり、やってみたい」
高島くんが、え、と小さく声をあげた。ぽかんと、小さく口を開けたまま、彼が固まる。
「こ、断った手前でこんなこと言うの、虫がよすぎるのはわかってる。でも、それでも、私、やっぱり描いてみたい……っ」
それは昨日、銅宮先輩と話せるようになって、改めて考え直してみた結果の答えだった。
自分の絵に自信がない。自分のイラストなんかじゃ、きっとお金にならない。もし評判が良くなかったら、迷惑がかかるのは私にだけじゃない、高島くん達、三人にもだ。そんな責任重大なこと、私なんかがやれるわけがない。
(……けれど、それでも)
やってみたい、と思った。
できない、知らない、きっと無理だ。そう諦めてしまう前に。
もしかしたら、そこからしか知らないものが見えるかもしれない。
仲良くなんてなれないと思った銅宮先輩と、笑いあえることができたように。
こんな私でも、まだ『自信』を持って、なにかをやってもいいのかもしれないと、そう思えたから。
そう、高島くんが思わせてくれたから――。
「……」
高島くんが、思案するように無言で口元に手をやった。
なにを言われてもいい覚悟はしてきた。怒られるかもしれない、今さらと呆れられるかもしれない。けど、それこそ仕方のないことだ。過ぎ去る無言の時間の前で、死刑宣告を待つ囚人のごとくの緊張感でごくりっ、と思わず唾を飲みこむ。
二人っきりの教室内にて、それはやけに大きな音で響いたような気がした。
「……わかっ、た」
「! じゃ、じゃあ、」
「……古賀さん。今日、放課後……時間、ある……?」
「へ?」
え、放課後?
予想外の返しに、今度はこちらがきょとんと目をしばたかせてしまう。
「う、うん。あるけど……」
「……じゃあ、放課後……に」
そう言って、高島くんは手にしていたイヤフォンを耳に戻す。と、そのまま、腕を組みながら前を向いてしまった。
……って。
(ま、待って。放課後ってなに。あれ? 私今、CDジャケットの話してたんだよね?)
どういうこと、と困惑していれば、教室内にドタドタと数人分の足音と共に、賑やかな笑い声を携えた男子グループが入ってくる。どうやら、他の生徒がき始める時間になってしまったようだ。
結局、そのままガヤに流される形で、話は終了することとなった。その後も、度々話しかけるタイミングを見計らっていたけれど、どうやら、周囲に誰かがいるときは話す気がないらしく――バンドのことが万が一にでもバレてしまわないようにの配慮かもしれない――、名前を呼んでも返事がくることはなかった。
(放課後に、一体なにがあるのだろう……)
そんな困惑を携えたまま、私は自分の席に大人しく座り続けたのだった。
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