瞳の青さを思い出す日

七味真世

第1話

あの日父と来た海は、海水浴客でごった返していた。まだ小学校のころのことだ。


木くずやパリパリに乾いた海藻、角の取れたプラスチック片なんかが散らばった、何の変哲もない浜辺。海は濁っているし、水着の中には砂が入る。やたら上機嫌のお兄さんやお姉さん、声の大きな幼稚園ぐらいの子供のグループなどは、視界に入るだけでうんざりしたものだ。


あの頃、私はあまり海が好きではなかったのだと思う。


唯一好きだったのは、安っぽく見えて重量ばかりあるパラソルの下に寝そべって、空を見上げることだった。


周囲に公園も森もない住宅街のど真ん中に住んでいた私にとって、開けた場所で見る空は全く違うものに見えた。


四方八方どこを見てもずっと広がる青空。てっぺんは少し青みが強くて、どこまでも続いていそうだ。雲一つない快晴もいいけれど、ふわふわとした綿雲がいくつか浮かんでいるのもまたいい。


父が趣味のサーフィンをしている間、そうして空を眺めるのが楽しみだった。


「hey」


突然声をかけられたのは、そんな時だった。


どうやら私と同じくらいの年の少年が話しかけてきたようだ。


太陽の強い光に照らされてほとんど真っ白に見える、繊細な金色の巻き毛。そばかすがうっすらと浮かぶ白い肌。そして何より、群青色にも見える濃い青色の、まん丸の瞳。


私はその瞳に釘付けになった。空よりも青い色をした瞳が、生き生きとした光を宿して私を見つめているのだ。


少年は手招きして、私を少し離れた波打ち際へ連れて行く。そこにはこんもりと大きくなった砂の山があった。


「何か作りたいの?」


質問するけれど、少年は困ったように首をかしげるだけだ。何か思い至ったのか、自分を指さして「マイク」とつぶやく。


最近見たアニメ映画にそんな名前の登場人物がいたことを思い出して、たぶん彼の名前なのだろうと思った。私も自分を指さして、「ハナ」と言う。


とたんにマイクの顔が、はじけるようにほころんだ。マイクの笑い声は甲高くて、混雑した浜辺でもよく響く。私もつられて、自然と笑い返していた。


それから私とマイクは、日が傾くまで砂山で遊んだ。私は城を作りたかったけれど、マイクは四足歩行の何かしらの動物を作りたかったようで、何度もジェスチャーでその動物の真似をした。私はマイクがジェスチャーをするたび、たまらなくおかしくなって、腹を抱えて笑い転げた。


マイクがくれたお菓子のグミは真っ黒で、私は最初それが何か分からなかった。浜辺で拾ったタイヤの破片かと思ったのだ。マイクは私の目の前でグミを噛み千切り、ほほを膨らませながら食べてしまった。思わず驚きの声を上げると、今度がマイクが笑う。私がそのグミを試しに食べてみて、「やっぱりタイヤでしょ、これ!」と叫ぶと、彼は笑いすぎて涙が出てしまった。


潮が満ちてくると、なんとなく形ができていた砂山が波をかぶるようになってしまった。崩れる砂は波打ち際に吸い込まれて、みるみるうちに山は丘に、丘は平地になっていく。私とマイクはそんな砂山を放っておいて、海に飛び込むことにした。砂交じりの海水をばしゃばしゃとかき分けて、わざと転んだり、水をかけ合ったり、泳いだりした。


海の中に入るだけであんなに楽しいなんて、私はそれまで全然知らなかった。


あの夏の、あの時だけの思い出だ。







今でも青空を見上げると、マイクの青い瞳と真っ黒のグミの味を思い出す。


大人になってから分かったことだが、あのグミは海外で売られているリコリスというハーブのグミらしい。輸入品を販売している店で見つけたことがあって、1袋だけ買ってみたけれど、やっぱり味はタイヤだった。マイクがあんなに美味しそうに食べていたのは本当に不思議だ。


今年入学した大学は、幸いにも自然豊かな山の上にあった。敷地の一部が開けた広場のようになっていて、昔のように寝そべりながらぼんやりすることができる。その上空も広く眺められるので、この場所はかなり気に入っている。


広場の近くには国際交流センターがあって、留学したい学生や海外からの留学生がよく訪れた。かくいう私も来年か再来年には留学を考えていて、可能な留学先や必要な手続きなどを調べに来たところだ。


とはいえ、案外忙しい授業に疲れて、調べる前に広場で休憩するのも悪くないだろう。


山の上にあるだけあって、広場には夏でも涼しい風が吹く。地面は芝生で覆われていて、寝そべるにもぴったりだ。


「こにちは」


たどたどしい日本語の挨拶が聞こえた。太陽の光をさえぎって、外国人留学生が私をのぞき込んでいるらしい。


大柄で、少しぽちゃり。ズボンのベルトの上にぜい肉がはみ出てしまっている。髪は金髪交じりの茶髪で巻き毛だ。そして瞳は、まん丸の青い色をしている。


私はドキッとして、慌てて体を起こした。


改めてじっくり見る青い瞳は、空よりも青かった。


「マイク?」


彼は思い切り顔をほころばせた。見覚えのある、つられて笑ってしまうあの笑顔だ。


太ったのは、きっとリコリスのグミを食べ過ぎてしまったからだろう。

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瞳の青さを思い出す日 七味真世 @shichimimayo

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