3. 鬼さんこちら 鈴鳴るほうへ

杜の中での事はあまりハッキリとは覚えていないのだけれど、とにかく深い深い杜だった。でも、暗くはなかった気がする。入り口で感じたような瑞々しい風が杜の中でも吹いていて、奥へと続く地面には風に揺られた木々が複雑に動く光の模様を映し出していていた。空は明るくて、でも青空ではなく、かと言って曇っているわけでもなかったような。夏の昼間に障子を閉めて、日の光を家の中から透かして見た時みたいな、あんな感じの明るさだったろうか。とにかく、とても明るいのに見慣れた夏空とは違った感じだった。あと、どこかで滝のような音も聞こえていた気がする。これは最近になって思い出したので気になって調べてみたのだけれど、やはりあの辺りは平野部で、周辺には滝はおろか山さえ無かった。


それから、さほど速く歩いていたわけではないのに、私はしばしば前を歩く女の子の姿を見失った。周囲に気を取られていたからというだけではない(と思っている)。何と言えば良いか分からないけれど、あの女の子は「捉えどころのない」感じだった。

確かに背中を見ていたと思ったのに、ちょっと木漏れ日に目を細めると、いつの間にか姿が見えなくなっている。ちょっと足元の花に気を取られると、どこかへ行ってしまう。大方、少し先の木の陰からこちらを眺めていたり、数歩離れた影の中に立っていたりするのだけれど、「そこに居る」という存在感が乏しい子だったし、そのうえ無表情で何も話さないので、視界に捉え続けていなければ忽ち杜の中を独りで歩いているような感覚に陥ってしまう。


どれくらいの間歩いていただろうか。私は女の子の姿を見失ったりまた見つけたりしながら後をついて歩き続けていたけれど、段々と疲れて眠くなってきてしまった。

「ねえ、ちょっと待ってよ。」

声をかけたけれど、またしても女の子の姿が見当たらなかった。私はちょっと拗ねたような気分になって、傍にある木の根元に座り込んだ。するといつの間にかあの女の子が私の目と鼻の先にしゃがんで、膝を抱えた私の顔を不思議そうに覗き込んでいた。

その深く澄んだ静かな目は今でも忘れられない。その時私は「きれい…」と思った。もしかすると声に出していたかも知れない。女の子は少し慌てたように立ち上がると、急に向かいの木の陰に隠れてしまった。今考えると、あれが唯一、女の子が示した反応らしい反応だったのではないかと思う。


その後は特に女の子からのアプローチも会話もなく、ただ漫然とした時間が流れて行った。辺りは静かで、風が木々の間を渡る音と、遠くから聞こえる滝の音。私は退屈して、膝を抱えたままいつの間にか眠ってしまったらしい。

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