第8話 デートしよっか
翌日、返してもらったカバンの中に入っている数学の勉強をして、一段落ついた頃……部屋にノックの音が響いた。
「美優―? 今暇―?」
「……暇じゃないー」
「そう言わずに。ちょっとこれをね、保君の家に届けてほしいの」
ドアを開けたお母さんが、大きな紙袋を差し出した。
「……何これ?」
「朝ちゃんに頼まれてたの忘れててー。でも、ママ今日用事があって行けそうにないから、美優が暇なら持って行ってくれないかなーって思って」
「朝ちゃんって……たもっちゃんのお母さんだよね?」
「そうよー。お料理の本を貸してほしいんだって」
「暇、じゃないけど……でも……」
でも、これはチャンスかもしれない。
たもっちゃんといつも通りに話が出来れば、この間のことも謝れるかもしれない……。
「しょ、しょうがないなー。じゃあ、行ってきてあげるよ」
「あら? ホント? 助かるわー」
そう言って紙袋を置くと、母親はお願いねーっと言って部屋を出て行く。
残された私は――。
「そ、それじゃあ……ちょっと準備しようかな……」
クローゼットからとっておきのワンピースを取り出すと、いそいそと着替えはじめた。
とっても可愛いワンピース。これを着ていけば、たもっちゃん可愛いって言ってくれるかな……。そしたら、この間は嫌な態度取ってごめんなさいってちゃんと謝って、それで……。
「いってきまーす!」
超特急で準備を終えると、私は渡された荷物を手に家を出た。
私の家から歩いて十分の場所に、たもっちゃんの家がある。
藤原と書かれた表札を確認すると、私はブザーを鳴らした。
「はーい」
しばらく待つと、ドアが開いた。
「……こんにちは」
「おう」
顔を出したのは、たもっちゃん本人だった。
「どうした?」
「おばさんに渡してってお母さんから頼まれたの」
「あー、今留守だわ」
「そっか……」
「渡しておくな。わざわざありがと」
いつも通り――なようで、どこかぎこちない私たち。
上手く会話が続けられない。いつもはどうやって話していたっけ、先生と生徒じゃなくて幼馴染として――。
「……じゃ、じゃあ私帰るね!」
謝ろうと思っていたはずなのに……鼻の頭がツンとしてきて涙が出そうになるのを感じた私は……慌てて後ろを向くと、たもっちゃんの家から逃げ出そうとした。
「美優」
でも、そんな私の腕を……たもっちゃんが掴んだ。
「え……?」
「えっと、さ……この後、暇?」
「暇、だけど……」
言葉の意図が分からずに恐る恐る振り返ると……ホッとした表情で笑うたもっちゃんがいた。
「デート、しない?」
「え……?」
「なんてね。友達からもらった映画の優待券が今日までなんだよね。ペアだからよかったらどうかなって。……その、この間のお詫びってことで」
お詫び……本当なら私が謝るべきで、たもっちゃんが謝らなきゃいけないことなんて一つもない……。
でも……。
「行く!」
せっかくのたもっちゃんとのお出かけのチャンス! それに……本当はこのまま帰るんじゃなくて、ちゃんと謝りたかった。謝って、それで……出来ればどうしてあんな態度を取っちゃったか、ちゃんと伝えられたら、なんて……。
「んじゃ、準備してくるから乗ってて」
ポケットから取り出した車の鍵を私に放り投げると、たもっちゃんはガレージの車を指差した。
「失礼しまーす……」
たもっちゃんの車に乗せてもらったことは何度かあるけれど、だいたいいつもお姉ちゃんも一緒の時だったから助手席には初めて乗る。
いつもと違う視界にドキドキしてしまう。
すぐ隣は運転席。ここにたもっちゃんが乗るんだ……。
「っ……。心臓、もつかな……」
空っぽの運転席を見るだけでこんなにドキドキしているのに、これにたもっちゃんが来たら……。
「どうした?」
ガチャっという音とともに、運転席にドアが開くと……たもっちゃんが顔を出した。
「べっ別に!」
「そう? あ、鍵もらっていい?」
「はいっ!」
差し出された手のひらに車の鍵を渡すと、たもっちゃんは慣れた手つきでエンジンをかけた。
「シートベルトしてな」
「は、はい!」
焦ると上手くできない……。勢いよく引っ張ってしまってロックがかかったシートベルトを必死で引っ張るけれど、どうやっても出てこない。
こんなこともスマートに出来ないなんて恥ずかしい……たもっちゃんだってきっと呆れて――。
「貸してみ」
「え……?」
すぐそばで声がしたかと思うと――私の身体を覆うようにたもっちゃんの身体がそこにあった。
「きゃっ……」
「……ほら、これで大丈夫」
「え……?」
「これすぐロックかかるんだよなー」
ロックを解除すると、助手席のシートベルトを引っ張り出してたもっちゃんはセットする。
ビックリした……。突然あんな……。
「ふっ……」
「え?」
「顔、真っ赤だぞ?」
「っ……!!」
慌てて頬を両手で挟んだ私を、嘘だよとたもっちゃんは笑う。
「からかったの!?」
「いや、可愛い反応するなって思って」
「もう! 酷い!!」
「悪かったって」
全然悪かったなんて思ってなさそうな口ぶりでたもっちゃんは笑う。そして――。
「ごめんな」
もう一度、今度は落ち着いた口調で、たもっちゃんは言った。
「……いいよ、別に。そんなに怒ってるわけじゃないし」
「いや、そうじゃなくて……この間の」
「あ……」
何の話をしているのか、ようやくわかった。でも、あれは……。
「私こそごめんなさい。あんな言い方しちゃって……。本当はすぐにでも謝りたかったんだけど……」
「気にしなくていいよ。俺の方こそデリカシーがなかったよな。ああいうことはからかっちゃダメだもんな」
「たもっちゃん……」
「美優に悪いことしちゃったと思って、ずっと謝りたかったんだ」
「うん……。あのね、本当にたか……桜井君とはなんでもないの。付き合ってるわけでもなくて、ただの友達」
「そっか」
私の言葉を、今度はふざけることなくたもっちゃんは聞いてくれる。
今なら、言えるんじゃないだろうか。私が、好きな人のことを――。
「そ、れに……私、今好きな人がいて」
「そうなのか?」
「うん……だから、ああいうことは……冗談でも言われたくなかったの……」
「そっか、そうだよな。ごめんな」
「ううん、大丈夫……」
言葉が途切れる。
「…………」
「…………」
沈黙が、私たちを襲う。
何か話さなければと思えば思うほど、言葉が出てこない。
けど、そんな沈黙を破ったのは、たもっちゃんのスマホの着信音だった。
「っと」
「……電話?」
「ん」
「……出なくていいの?」
「いいの。今は美優といるんだから」
そう言うと、たもっちゃんはスマホの電源を切ると、後部座席に投げた。
「……で、どんなやつ?」
「え……?」
「だから、美優の好きなやつってどんな人?」
「っ……」
その、まるで自分のことだとは思ってもなさそうな口ぶりに……切なくなる。
それはたもっちゃんにとって私が、そういう対象だと思われてないということを表しているかのようで……。
「……年上で」
「へー? 三年のやつ?」
「……明るくて」
「ふむふむ」
「優しくて、泣いてたら傍にいてくれて、おちゃめで私のことを気遣ってくれて、それで……」
言いたいけれど言えない気持ちをこめて、隣にいるたもっちゃんをジッと見つめる。でも、その視線にたもっちゃんが気付くことは、ない。
「そっか、いいやつなんだな。そいつと上手くいくといいな」
「……うん」
あなたのことだよ。
「美優は可愛いからな、きっと大丈夫だよ」
本当に? 好きですって言ったら、たもっちゃんはOKしてくれる……?
「たもっちゃん……」
「ん?」
思わず名前を呼ぶと……たもっちゃんは私の方を向いた。
視線が、交わる。
「……ううん、なんでもない」
けれど、私は何も言うことなく前を向いた。
「どうした?」
「なんでもない」
不思議そうに問いかけるたもっちゃんにそう言うと、私は目を瞑った。
分かってしまった。
たもっちゃんにとって私は、結局可愛い年下の幼馴染でしかないのだと。
好きな人の話をしても、自分のことだと気付くどころか、ヤキモチひとつ妬いてくれないのだから……。
こんなに好きなのに、こんなにたもっちゃんのことだけを想っているのにどうして……。
「――着いたぞ」
いつの間に着いたのか、たもっちゃんの声に目を開けると、映画館の入っているショッピングモールの駐車場に車はいた。
「ありがとう」
助手席のドアを開けてくれたたもっちゃんにお礼を言うと、私は車を降りた。
映画館では、上映中の映画のポスターが掲示してあった。
「どれにする?」
「どれでもいいの?」
「美優の好きなのにしていいよ」
「ホント? ……じゃあ、これ」
私が指さしたのは、少し大人向けの恋愛映画だった。
「これ? 難しくない? もっとほら、こういうのとか」
ファンタジー映画をたもっちゃんは指差すけれど、私は首を振った。
「これがいいの。好きなのにしていいってたもっちゃん言ったじゃない」
「それもそうだな。んじゃ、これにしよっか」
「うん!」
たもっちゃんと並んでチケットカウンターへと向かう。
同じように並んでいるのは親子連れと、あとはカップルばかり。
私たちの前のカップルもちょうど同じ映画を見るようで、タイトルを言うとチケットを購入していた。
「次の方どうぞー」
私たちの番が来て、たもっちゃんと並んでカウンターへと向かう。
こうやって並んでいると、デートに見えるかな。
「ふふ……」
さっきまで沈んでいた気持ちはどこへやら、私は浮かれてたもっちゃんの隣に並んだ。すると――カウンターのお姉さんが、私の姿を見て困ったように口を開いた。
「お嬢さん、いくつかな……?」
「十四歳ですけど……?」
「……申し訳ありません、この映画は十五歳以上を対象としたものでして……」
「え……?」
お姉さんは視線をあげると、たもっちゃんに向かって言った。
「保護者の方がいらっしゃっても、十五歳未満の方がご覧になることはできないものとなっております」
「そうなんですね、すみません」
困ったように、たもっちゃんは私の方を見る。
「だって。他になんか見たいのある?」
「……ううん」
「そっか、じゃあさっき言ってたファンタジーでいい?」
「うん……」
たもっちゃんはカウンターのお姉さんにタイトルを言うとチケットを受け取った。
「ちょっと待ってて」
チケットを私に渡すと、たもっちゃんはどこかに行った。
でも、私はショックでそれどころではなかった。
映画が見れなかったことじゃない、そんなのじゃなくて……たもっちゃんとの間に、明確に大人と子供の線を引かれてしまったようで……。
「はい、お待たせ」
ジュースとポップコーンを持ったたもっちゃんが、私の前に現れた。
「え……?」
「せっかくなんだから、楽しもうぜ。これも面白そうだよ」
「……ありがとう」
「まあ、今回見られなかったのは残念だったけど、また違うの見に来ればいいじゃん」
「また来てくれるの……?」
「しょうがないから、付き合ってやるよ」
たもっちゃんは笑う。
私が映画を見れなくてショックを受けていると思っているのか、今から見る映画のおすすめポイントを色々と教えてくれる。
そんなたもっちゃんの優しさがひしひしと伝わってきて……私は胸が温かくなるのを感じた。
「取れた!」
映画の後、半券でクレーンゲームができるというのでショッピングモール内にあるゲームセンターに二人で来ていた。
「凄い!! たもっちゃん、クレーンゲーム得意だったの!?」
「大学の頃よく取ったんだよ。ほら、やるよ」
「やったー!」
両手で抱えても余るほどの大きさのぬいぐるみを、たもっちゃんがくれた。
「やっと笑った」
「え……?」
「なんでもない。んじゃ、そろそろ帰ろうか」
「あ、うん……」
たもっちゃんとのお出かけが楽しくて……帰るのが、寂しい。
車の中でしょんぼりしている私の頭を、たもっちゃんは優しく撫でてくれた。
「そんな顔すんなって。また来ればいいじゃん。映画も見なきゃだしな」
「たもっちゃん……」
たもっちゃんが私のことを、私と同じ意味で好きじゃないのはよくわかった。
でも、こんなふうに優しくされたら……もっともっと好きになってしまう。
諦めなきゃいけないのに、諦められないよ……。
「たもっちゃん!」
「ん?」
思わず、名前を呼びかけると……たもっちゃんは私の方を向いた。
「もし、もしだよ! たもっちゃんが好きな人がいたとして、その人がたもっちゃんのことを好きじゃないとしたらどうする!?」
「な、なんだ? 唐突だな」
「いいから、教えて!」
たもっちゃんなら、どうするのか。どうするのが正解なのか。
「たもっちゃんが好きな人が、たもっちゃんのことを恋愛対象だと思ってないことがわかったら……たもっちゃんなら、どうする……?」
私は、どうすればいい……?
「それは異性として見てもらえてないってこと?」
「そんな感じ……。異性としてっていうか……身内ぐらいにしか思われてないっていうか……」
「――俺なら、諦めないかな」
「え……?」
「諦めずにずっと好きでいたら、いつかその人が俺のことをそういう意味で好きになってくれる日が来るかもしれないだろ?」
視線を前に戻すと、たもっちゃんは真剣な顔でそう言った。
「そんな日が来なかったら!?」
「ん?」
「そんな日なんて来なくて、ずっとずっとそのままだったら?」
「それでも……俺がその人のことを好きでいるうちは、諦めない。もしかしたらいつか好きじゃなくなる日が来るかもしれないけど……でも、その日までは好きでいたい。だって、好きでいるだけなら俺の勝手だろ?」
好きでいるだけなら、私の勝手――。
「って、何言わせるんだよ! 恥ずかしいなー!」
「たもっちゃん……ありがとう」
「何か知んないけど……どういたしまして」
たもっちゃんは笑う。
その隣で、私も笑う。
諦めなくていいんだ。
もしかしたら、このままずっと片思いのままかもしれない。
それでも、この気持ちがなくなるまでは……ずっとずっとたもっちゃんのことを好きでいてもいいんだ。
いろいろ考えていた気持ちが、スッと楽になるのを感じた。
私は私の気持ちに素直にいよう。
いつかこの恋が終わるまで、たもっちゃんのことを好きでいよう。
「ありがとう」
もう一度そう言うと……私はたもっちゃんに取ってもらったぬいぐるみを抱きしめたまま目を閉じた。
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