1-6

 KGBのエントランスを出ると一気に肩の荷が軽くなる。

 慣れてしまったが、叱責されるためだけに足を運ぶのはやっぱりきつい。


「うはー……もういい時間だな」


 時刻はもう18時を過ぎていた。

 2時間ほどお小言をくらっていたことになる。

 ただ、社長に言われたこと自体は間違っていない。一刻も早く、シナリオライターの目処をつけなければ、またしても延期告知の理由を考える羽目になってしまう。

 もちろん、声をかけられる相手はすでに当たった後だ。

 かといって、社長を名前だけで満足させられるようなライターを連れてくるだけの予算は、『えいえんソフト』に存在しない。……もうこうなったらイチかバチかの博打を打つ必要があるのかも知れないな。

 足を止め、そんなことを考えていると、


「今日もごめんなさい」


 後ろからかけられた声に振り返る。

 声の主である女性は伏し目がちに立っていた。


「社長も悪気があってのことではないのです。俊徳さんに期待してのことだと、わかってあげてください」


 インテリヤクザの横にいるとどこか印象は霞んでしまうが、その美しさは人並み外れたものだ。

 KGBの流通部門の実質的な責任者――キャサリン・ゴッドウォー。

 彼女の特徴は何よりもその長くとがった耳だ。さらには透明感のある肌と流れるような金色の髪。まさに俺が元々想像していたエルフがそこにいた。


「ゴッドウォーさんが謝る必要はないですよ。むしろ、ありがとうございます」


 俺が呼び出しから説教のコンボをくらう度に、ゴッドウォーさんはこうした気遣いを見せてくれていた。

 俺よりもよっぽど忙しいはずなのに、そんなことはおくびにも出さずに、毎回声をかけてくれるのは随分人ができているなと思う。だからこそ、今の高いポジションもあるのだろう。


「そこで礼の言葉を口にできるのは、さすが俊徳さんです。それと以前からお願いをしていますが、私のことはキャサリンとお呼びください」


「いやいや、そんなことできないですよ。仕事上の間柄なんですから、そういうところはきちんとしておかないと」


 社長が彼女のことをキャサリン君と呼ぶ分には問題ないが、取引関係で言えば下の俺がそう親しく呼んでしまうのはこれまたあまりよろしくないだろう。


「……その基準で言うならば、私が俊徳さんとお呼びすることもまずいでしょうか?」


「それは問題ないです。あくまで俺の方から馴れ馴れしく呼んじゃダメだろうということなんで」


「そうですか。ならば、私は引き続き俊徳さんとお呼びしますね」


 ……スタッフの中にちゃんと俺の名前を呼んでくれる人がいないせいだろうか。

 俊徳と呼ばれると、どうにもむず痒い気持ちになる。

 少し悩み込んだ俺の表情を読み違えたのか、 


「社長も俊徳さんの時間を奪いたいと考えてはいないはずなのですが……」


「仕方ないですよ、社長も何も言わないわけにはいかないでしょうから」


 『えいえんソフト』の中でこうした場に出てこられるのは俺だけだった。

 俺が責任者であること以上に、適任者がいないのが原因だ。

 人慣れをまったくしていないモニカは当然として、アイリスは二日酔いのまま出先へ向かい、オシャレな会議用テーブルに吐瀉物を吐き散らかし、先方の仮眠室で半日以上寝ていたという過去がある。

 あかりは……きれいに猫を被ることはできるだろうが、その後、不機嫌になった彼女をなだめることを考えると、デメリットの方が大きそうだ。

 結果、総合的に考えて俺が来た方が良いという判断に至っていた。

 目の前の彼女も十分に『えいえんソフト』の惨状を知っている。おそらく、同じような答えにたどり着いているはずで、ゆえに「代わりに誰かを」なんてことは言わなかった。

 俺と視線が合うと、ゴッドウォーさんはぎこちない笑みを浮かべた。


「そ、そうです。もし、俊徳さんのご都合がよろしければ、これから食事などいかがでしょうか?」


「食事ですか?」


「ええ。いつも俊徳さんは真っ直ぐに開発室へ戻られているようなので息抜きに……私のような取引相手との食事ではあまり気も休まらないかもしれませんが」


「そんなことはないですよ。ゴッドウォーさんとお話しているのは楽しいですから」


「ほ、本当ですか? その、偶然ですよ? もちろん偶然ではあるのですが、こんな時のためにフェリラン三つ星のお店に本日空席が――」


 フェラリンというのはこの世界における某タイヤメーカーのアレみたいなグルメガイドブックで、三つ星ともなれば数える程度しか存在しない名店のはずだ。


「けど……お誘いはありがたいのですが、俺はシナリオライターを探さないといけないですから」


 直々のお叱りを受けたというのに、その帰りにゴッドウォーさんと食事へ行ったことが社長に知れれば、


「次の延期告知はこう書いてはいかがでしょうか。ディレクターが仕事を放棄し、女性と高級レストランへ出かけたため延期します、とね。きっとユーザーから燃えるような熱い反応を期待できるでしょう」


 なんてお小言が追加されるに決まっているのだ。


「それに俺なんかといたら、ゴッドウォーさんに迷惑がかかっちゃうでしょう?」


 男女で食事に向かえば、そういう関係だと見られてしまうこともある。当人がそんなことを思っていなくても、見ている側には関係ない。

 さらに流通のトップが1メーカーとだけ親しくしているのは、同業他社からすればあまり気持ちの良いものではないだろう。


「そんなわけで今日は遠慮しておきます」


「……わかりました。では、食事はまだ次の機会に」


 見るからにゴッドウォーさんが気落ちしているのはわかった。

 俺のことをそれだけ買ってもらえているのはありがたいが、そこまで本当に気を使わなくてもいいのにな。

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