3rd NUMBER『誰かに聞いてほしかった』
嵐の吹き荒れる崖下で、
焦げた木の匂いをほのかに感じた。きっと同じように無残なことになったであろう僕らは、当然死んだものだと思っていた。
だけど……
――ユキ、ユキ――
――ねぇ、何処?――
迷子の少女のようなか細い声を聞いて僕は目を覚ました。入院患者の病室を思わせる青白い部屋。カーテンで仕切られたベッドの上で半身を起こした。
「ここだよ」
僕は答えた。小さく息を飲む音がカーテンの向こうから聞こえた。
たしたしと駆け足の音が近付いて間もなく、仕切りが開け放たれた。
「ユキ……ッ!!」
すらりとした背丈に曲線を帯びたシルエット。もう夏南汰の姿でないことは明らかだったけど、魂は同じだと僕にはわかった。星の逆光で顔が陰になっていても、声と波長ではっきりとわかった。おのずと唇が震える。
嗚呼、なんという奇跡。
死後の世界で更に死を迎えた僕らはいよいよ無に還ってしまうのだと思っていた。だけど今もこうして共に在る。互いの存在を確かめることが出来る。もうここが何処であろうが、自分がどんな状態であろうが構うものか。
微笑んで両手を広げて見せるとこの胸に飛び込んでくる、なんという心地良い重さ。女の子らしい柔らかい感触がする。
互いに労わるよう頰を撫で合う。身体を密着させれば重なり合う二つの鼓動。
きっと今、熱い涙を零している。昔っから案外泣き虫な元・夏南汰。性別の変わった現在に於いても変わらず愛おしい人だ。
「秋瀬……いや、ナツメ。良かった、また君にも逢うことが出来て」
「冬樹さん……冬樹、さん……」
「そうだね。僕は春日雪之丞だけど、磐座冬樹でもあるんだ。ナツメ、ちゃんと覚えているよ」
僕の前世と今世の記憶はもう共有されたと確信していた。もう全部思い出しただろうと、置き忘れている記憶など無いだろうと疑いもしなかった。
ユキと呼ばれても冬樹と呼ばれてもどっちも間違いじゃない。僕も君が夏南汰でありナツメであると理解している。だから安心して。そんな思いを込めて彼女の青みがかった黒髪を撫でた。
次第に目が暗闇に慣れていく。息がかかるほど間近に迫ったナツメの顔は切なげで物欲しそうだ。昔からそうだ。無防備な色香。いつだって抗えなかった僕は、現在の状況もよく把握できていないにも関わらず、妖艶な彼女へ吸い寄せられていく。
彼女は僕の膝の上に乗ってくる。華奢な足首に包帯が巻かれていることに気付いた僕は、ごめんと呟きながらそこを撫でた。彼女はかぶりを振って小さく呻く。吐息が僕の唇を求めてくる。
柔らかく重なったが最後、酩酊状態に陥った。
――起きてるのか、春日。
まだ半分は閉まったままのカーテンの向こう側からあの人の声がしなければ、そのまま押し倒していたかも知れない。
「さっきはその……すまなかった!
声を聞いているうちにブランチさんだと気付いた。
全て許すとは言ってやれない。それはもちろんそうだろう。貴方が謝ることじゃないよ。
そう思う一方で、僕は焦ってもいた。だってナツメは未だ動じることなく僕の膝の上に乗っている。僕の首に腕を絡ませて耳元に熱い息を吹きかけてくる。わかってる、悪気は無いんだって。夏南汰の気質が引き継がれているなら尚更納得だ。いわゆる猪突猛進なんだ。多分、ブランチさんの声も耳に入ってない。
だけど、こんなことされたら……
「…………っ、ナツ、メ……ちょっ、まっ……あ……」
僕までブランチさんの言葉が飲み込めなくなってくる。確かなのは、彼が真摯な姿勢で僕と向き合おうとしてくれているってこと。まさかこんな状況で嬌声じみた声を上げる訳にはいかない……!
そうやって必死に耐えていたところで思いがけないことが起こった。
「ユキに何か言ったのか? ブランチ」
「!?」
「…………ちょっと待て、ナツメか?」
聞いてないかと思ったのに。何故こんなタイミングで冷静になるの、ナツメ。君はやっぱり悪い子だ。
何か凄まじい波長……いや、波動を感じて僕は凍り付く。だらだらと嫌な汗を流すも当然待ってはもらえず、勢いよくカーテンが開け放たれた。
「かぁ〜すぅ〜がぁ〜〜」
「ひっ……!」
それはまさしく阿修羅の再来。カーテンからベッドまで烈火で焦がしそうな勢いの彼がにじり寄ってくる。ブランチさんというより、陽南汰お兄さんそのものと化した彼の怒りの矛先は迷わず僕へ向いた。
「なんしとんじゃワレェ! 誰が一緒に寝てええと言うた!?」
「ご、ごめんなさ……! これには事情が」
「あぁん!? 情事の間違いじゃろうが!!」
「そ、そこまでしてません……!」
「ブランチ。何を言ったのかと聞いている」
騒ぎが最高潮となったところで、ちょうど部屋に入ってきた誰かが怯えたように足を止めるのが見えた。修羅場に恐れ
◇
それからしばらく経った後だ。
ナツメは元の寝床へ返され、僕は自分の寝床の上で事の経緯を聞いた。いつでも眠れるようにという配慮なのか、部屋は暗いまま。だけど暗雲が晴れたおかげで結構よく見える。窓の向こうの夜空には眩しいくらいの星が幾つも浮かんでいる。
「ふふ、ブランチくんは見た目が怖いし言い方もキツイけどね、君たちがこうして生還できたのも彼のおかげなんだよ」
「
眼鏡の奥の優しい眼差し。ちゃんと覚えている。今、寝床の側の椅子に腰掛け僕に語りかけてくれているのは、ずっと看病してくれていたあの
「ここに来て間もない君はまだわからないよね。ブランチくんは元々優秀な
所々、言ってること自体がわからないんだけど、この人の話はすんなりと僕の中へ流れ込んでくる。知っているのはドクターという呼び方だけで名前も知らないのに、妙に安心するんだ。もしかして精神科医なのかな?
とにかく今わかった。助けてくれたのはブランチさんなんだ。どんなに怖くても、次に会ったらお礼と謝罪をしなくちゃ。
そう覚悟を決めて震える拳を握っていたとき、涼しい風がふわりと僕の頰を撫でた。いつの間にかドクターが窓へ手を伸ばし、ほんの少しだけ開いていた。
「ちょっと空気の入れ替えをさせてね」
「あっ、はい」
「雨の後だから涼しいね。風もだいぶ穏やかになった」
硝子の隙間から覗く剥き出しの夜空。
ドクターはそちらを見つめたまま、つまり僕から視線を逸らしたまま囁くような声で言う。
「雪之丞くんは、ナツメさんのどんなところが好き?」
こうもストレートに訊かれたのは初めてだったから、僕はしばらくぽかんとした。雪之丞のときは夏呼さんにだけ、冬樹のときだって親友の相澤くらいにしかこの気持ちは打ち明けたことが無い。いや、どんなところが……なんて話は、考えてみればしたことが無かった。本人に対してでさえ。
「そう、ですね」
だから返答まで少し時間がかかった。全てというのが一番簡単なんだけど、自分でもちょっと掘り下げてみたくなった。
本当はずっと前から、誰かに聞いてほしかったのかも知れない。
「強そうにしているけど実は凄くか弱くて、独りで生きていけそうに見えるけど、本当は誰よりも愛情が必要な女性に見えます。放っておけないんです」
「……うん」
「自分がどんなに非力でも、支えになれたらって、気が付いたらそう思っていました」
言葉を出し尽くしたら、涼風が止んだ。カタ、と小さく音を立てて、剥き出しの夜空が硝子に閉ざされた。
「よくわかるよ。確かに彼女は脆い人だね」
窓の方を向いたまま呟いたドクターは、やっぱり人の心をよくわかっているんだと思った。僕にはまだなんの施設かもわからないこの場所で、彼女の声にならない悲鳴を何度も聞いたりしたんだろうか。
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彼女の凛とした瞳
神秘の漆黒の奥に秘められた
孤独 悲しみ 切なさは
見る者が見ればわかるらしい
知ろうとする者でなければきっと無理
上向きの胸の奥が傷だらけ
触れることが許された者にだけ
その痛みが伝わるよ
理解者が居て良かったね
だけど数々の犠牲を払い
ここまで追いかけてきた僕だから
自分が一番でいたいと思う
僕の唯一の我儘だ
彼女の気丈な姿
強き者を装った横顔
花菖蒲の如くシャンと立つ
だけど見る者が見ればわかるよ
君の正体は勿忘草
鮮血に映える悲恋の花
僕がその意味を変えねばならない
『真実の愛』に導かねばならない
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