4th NUMBER『隠しておきたかった』


 翌日の朝。


 ナツメと僕は病室で点滴を打たれたまま。特にナツメは足を痛めているからベッドの上で安静にしているよう命じられた。


 ドクターは僕の衰弱した身体のことも心配してくれたけど、これから大事な話があるとナツメが言う。動くなら僕の方だと思って、彼女のすぐ側に椅子を出してもらった。


 点滴ごと移動し、彼女の顔と近くなるよう腰掛けた。そのとき背後の戸が開く音がした。愛しい彼女と手を握り合い、熱っぽく見つめ合うことばかりに夢中になっていた僕は反応がやや遅れた。



「ブランチさん……」



 強面を前にして身体が強張る。真っ先にお詫びとお礼を告げなければならない相手が今まさに。だけどそれすらも遅れてしまった。


 僕は硬直を通り越して震え出した。ブランチさんの隣に立っている小柄な少女。そこから伝わってくる波長は、紛れもなく……



「夏呼……さん……? あ、貴女もここに?」



 小動物みたいな顔立ちも、色素の薄い長い髪も、前世まえとよく似ているから尚更自然に重なってくる。違うところと言ったら、当時の夏呼さんよりいくらか幼いところだろうか。あと瞳が緑ではなく琥珀色だ。


「お久しぶり、です、春日様。ご無事、何よりでございます」


 あとは口調がたどたどしいところだろうか。今やっと言葉を思い出したみたいになってる。声質も子どもっぽい。でもやっぱり印象は凄く似ている。


 何より波長は嘘をつかないと強く実感した僕は、もう随分この世界に馴染んできているような気がした。



「やっぱりわかるんだな、春日」


「あのっ、ブランチさん。昨夜は……っ」


 伝えるべき言葉を思い出して口を開くも、ブランチさんはまるで興味がないといったふうに無表情でこちらへ歩み寄る。後ろをちょこちょこ着いてくる少女を一瞥いちべつしてから僕に言う。


「その通りだ。前世は夏呼。今世はヤナギという名前だ。通常、前世の波長を感知するにはそれなりの時間が必要なんだが、お前はどういう訳か霊力が強いらしい。あるいは元恋敵同士、何か通じるものでもあるのか……」


「そうなんじゃよ、ユキ! みんな同じ場所に揃っているなんて凄いじゃろう!? しかも夏呼とヒナ兄は結婚しとったんじゃ!!」


「え、えぇ! そ、そうなんですか!?」


 ベッドからずいと身を乗り出すその姿は紛れもなくナツメだけど、いま夏南汰が顔を出したなってわかった。そして衝撃の事実。こうして僕はまたお詫びとお礼のタイミングを逃す。



 対してガタガタと二つの椅子をこちらへ寄せるブランチさんは、呆れたようなため息を零しながら呟いた。



「……そりゃあ、おめぇは知らんじゃろ」



 いや、陽南汰お兄さんが言ったらしい。そしてナツメの顔を見るなりはっと小さく息を飲む。冷や汗が似合いそうなくらい表情が強張っている。


 キョロキョロと僕らの顔を眺めていたナツメが、やがて心底不思議そうに首を傾げた。



「なんじゃ。ユキは知らんかったのか? 何故じゃ、夏呼。ユキに秘密にすることはなかったじゃろ?」



「あ……夏南汰、様……それは……」



 夏呼さんの波長を持つヤナギさんも気まずそうに口ごもる。僕にもやっとわかった。



(そうだ。夏南汰は知らないんだ。僕が後を追って死んだこと)



「ナナコという子どもまでもうけたそうじゃ。

ええのう。驚きはしたが、夏呼に似て可愛い子だったに違いない」



 頰を緩め、優しい目をしているナツメの中の夏南汰。見ていると切なくなる。



 夏呼さんが出産する前に僕は死んでしまったから、ナナコちゃんって名前は初めて聞いたけど……



 違うんだよ、夏南汰。


 本当は君の子なんだ。



 夏呼さんは切迫早産の可能性があったけど、危険な状況はなんとか免れた。お兄さんと僕で病院へ運んだんだからちゃんと覚えてる。僕の死後、無事に出産できたということだろう。


 そして何より、夏呼さんが我が子を何処かへやるはずがない。つまりナナコちゃんはあのときの子。真夏を目指して成長を遂げた陽だまりの命だ。



 いま前世の近しい人たちと顔を合わせたばかりなのに、僕は早くも大体の状況がわかってしまった。気付いても言ってはならないこともわかってしまった。


「逢ってみたかったのう、私の姪っ子に。いつかまた逢えるじゃろうか」


「……そうじゃな」


「ええ、きっと」


 椅子に座った後も夏南汰の興奮がおさまるのをじっと待っている二人。一生懸命隠しているんだね。知ったらきっとナツメは思い詰めてしまうから。


 僕ら二人が悲しい最期を遂げなければ喜ばしいことだったかも知れない事実まで伏せられている。それを寂しく思う。


 だけどお兄さんと夏呼さんの覚悟もよく伝わったから、僕も当たり障りない表情を浮かべ黙することで意思を示した。


 僕の願いも同じだと。せっかく新しい人生を生きているナツメに悔やんでほしくない、だからここはあなたたちのやり方に従うよ、と。





 前世の懐かしい話をした後は、いよいよ本題と思しき流れに入った。無邪気な夏南汰の気配は鎮まり、現在のナツメがしかと僕の目を見つめて問う。真摯な眼差しでありながらも哀しげに。



「交通事故に遭ったことは覚えていますか? 冬樹さん・・・・



「えっ……そ、それは何処で聞いたの?」



「ブランチが冬樹さんの運ばれた病院まで行って調べてきたんです。トラックが歩道まで突っ込んできたという話をお見舞いの人がしていたそうで」



「う……うん」



 次第に冬樹の記憶を思い出していく僕は、情報が食い違っていることに気が付いた。



 冬樹はあのときに死んだと思う。だけどそれは木材の崩落のせいだ。交通事故が直接の原因じゃない。


 いや、むしろ……



――逢引転生の力を保ってくれたことに感謝するよ――



――さようなら……“磐座冬樹”――



 直接の原因は僕自身の中に在った。雪之丞の意思が冬樹の動きを封じたんだ。意図的に。最愛の魂との再会を果たす為に。



 こんなの彼女に言えるはずがない。



「うん、覚えているよ。確かに交通事故に遭った。多分、死んじゃったんじゃない?」



 だから僕は嘘をついた。心苦しいけれど正直にはなれなかった。彼女にとってはあまりに残酷な事実だからだ。


 大丈夫、罪悪感なんていずれ慣れるさと自分に言い聞かす。雪之丞として生きていた頃もそうだっただろうと。


 これで彼女の心が守れるなら容易いこと……っていうのはやっぱり強がりで、少し涙が流れてきた。結局彼女を心配させてしまったけど、僕は出来るだけ口を噤んでその後の解説を慎重に受け入れることにした。



 ナツメは語った。フィジカルとアストラルの関係性を。この世界の仕組みを。



 アストラルは幽体の世界。肉体で生きるフィジカルで生涯を終えた後にこちらに生まれ変わるのだと言った。そして……



「冬樹さん、貴方はまだ死んでいません。肉体が滅びると幽体も死を迎える。ゆえにここに貴方の幽体が存在することが何よりもの証拠です」


 冬樹がまだ生きていることも知った。ブランチさんの調査によると冬樹は瀕死の重傷。幽体離脱でこの世界に渡ったのだと聞いた。



――そうか……失敗したかと思ったけど――



――死ななくて正解だったんだね――



「…………っ!」



 突如、僕の中でニヤリと笑った気配。背筋へ高速の霜柱が降りていくような感覚がして僕は息を詰まらせた。



 雪之丞の意図するところがはっきりとわかった。それは自分の中に在る人格とは思えないくらい、実に恐ろしい発想だ。




 雪之丞は前世で投身自殺を図ったことで、見知らぬ世界へと渡った。だから誤った確信を持っていたんだろう。


 今世でも、死ねば、世界を渡ることが可能だと。フィジカルにナツメの波長は感じられなかった。ならばきっと、こうすることこそが正解なのだと結論付けて……



 冬樹に明確な殺意を向けたんだ。



 幽体離脱をさせる為なんて甘いものじゃない。本気で殺そうとしたんだと思う。




 確かに結果として最愛の魂との再会は果たされた。でも……


「冬樹さん、私は……っ、なんとかして貴方を助けたい。死なせたくないんです! どんなに一緒に居たくても……」


 漆黒の双眼を潤ませているナツメを前に心が軋む。このままで良いのか、雪之丞の意思のままにして良いのかと悩む。


「ナツメは特殊な申請で肉体を借り、生態系研究の目的で物質世界を訪れていたんじゃ。君と私は本来、生きる世界が違う。じゃけぇ君に出逢えるなんて思わんかったよ。ユキ、もう性別すら変わっている私に、君の魂は気付いてくれたんじゃな? いけんとわかっていても……嬉しかったよ」


 僕の頰を両手で手繰り寄せ、欲しがる目をする夏南汰の波長に心が揺れる。雪之丞に意思に従えばこのまま傍に居られるんじゃないかと期待してしまう。



 ねぇ、僕はどうすればいい?



 今、頭の奥が激しく疼いてる。記憶が戸を叩いているような気がする。もしやまだ完全じゃなかった? まだ思い出せてないことがある? そんな不安があるのに……



 このまま戻らなければどうなるのか。



 一生懸命考えようとしても……




――もういいよ。大丈夫、僕らの記憶は全て共有された。他には何も無い。後は僕に任せて――



――――っ。




 ああ、負けてしまう。



 冬樹の意思は、また、閉ざされて、しまいそうだ。







「待って。僕に提案……いや、お願いが」





 再び意識がはっきりする頃、僕は自然と口にしていた。皆に続けた言葉は実際のところ、提案でもお願いでもない、執念による策略だった。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 愛しい 愛しい

 勿忘草の君よ

 どうかこれ以上悲しまないでおくれ


 これが僕の執念による結果だとしても

 君が悔やむことはない

 君を責めることはない


 愛しい 愛しい

 あいの織姫よ

 どうか信じておくれ

 僕に任せておくれ


 僕は僕なりの最善を尽くしたい

 いいや 我儘になってしまうのかな



 だけど僕には聴こえるよ



――共に在りたい――


 君の真の願いが


――ひとつでいたい――


 君の悲痛な叫びが



 きっと幻聴なんかじゃない



 君は僕の片割れ

 終わりゆく夏の最中さなかでも

 決して色褪せぬ想い

 解けない絆


 織姫と彦星は許されねばならない

 これくらいは自惚れてもいいでしょう


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