2nd NUMBER『負けたくなかった』


――すぐに申し込んだにも関わらず、なぜ冬の公演の予約が取れないんだ――


――席など用意されていなくても良いと言っているではないか!――


――今までこんなこと無かったのに――


――残念だわ。毎年の楽しみが……――



 案の定、先日決まった作戦に対して多くの不満と悲しみの声が寄せられた。対応してくれている親衛隊の人たちにも星幽神殿のみんなにも、そして楽しみにしてくれていたお客様にも本当に申し訳ないと思う。


 今までの僕ならただ罪悪感に苛まれ塞ぎ込んでいたかも知れない。だけど今は……


「早く解決しなければ。この声を待ってくれている人たちの為にも」


 目覚めて間もない時間帯、早朝の窓際で拳を強く握る。


 締め切っていたカーテンを思い切って開けてみる。眩しい。眩しいけれど、僕は以前より少しだけ長く朝日と向き合うことが出来た。




 僕は長い髪を後ろで束ね、衣服を着替えてから朝の食堂へ向かった。ここ数日で僕の精神はかなり参っている。バランスの良い食事は精神の安定に欠かせないと先日ワダツミ様から諭されたばかりだ。


 食堂へ入ると既に何人かの従事者が居た。そして何人かの顔に疲れの色が見られる。本来は皆、思いやりのある人ばかりだ。わざとではないのだろうけど、自分に向けられるいくつかの冷ややかな視線を感じた。



 連日のクレーム対応のせいだろう。


 僕が恨みを買うようなことをしなければ、こんな苦労をかけずに済んだんだ。


 実感が込み上げて居たたまれなくなる。だけど逃げたくはなかった。



「おはようございます」



 僕はみんなへ精一杯の誠意を込めて頭を下げた。どんなに震えても格好悪くてもいい。返事など来なくても構わない。



「ご、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。僕の為にご迷惑をおかけしております。皆様には本当に感謝しております。一刻も早い解決に努めます」



「イヴェール」


「イヴェールさん……あの、大変かと思いますが、頑張って下さい」



 泣くものか。こんなところで泣くものか。



 じわりと込み上げてくる涙腺の痛みに抗いながら再び一礼。サッと方向を変えて食事を受け取りに行った。



「うむ。朝食は大事じゃぞ、イヴェールよ。こう香りを楽しみ、咀嚼そしゃくをし、自然の恵みに感謝をしながら自分の持つ全ての感覚で味わうのじゃ。実に良いものじゃぞ」


 トレーを持って歩き出そうとしたら、既にそのお方は窓際の席に座っていらした。


 赤い鼻緒のぽっくりを履いた足は床に着かずブラブラと。小さな両手で湯呑みを持ち、ほのかに湯気の立つ茶を啜っている。朝食は根菜のサンドイッチに豆のスープだけど、前に居合わせたことのある僕は知っている。このお方は何が食卓に並ぼうとあくまでも湯呑みなのだ。



 ワダツミ様!?


 なんと、本当にワダツミ様だ!!



 素性を伏せた神官のときとは形状の違う白装束姿。露わになった幼くも美しい顔。周囲がざわめいていく。普段、あの格好のときは神殿内でも奥まったところにしか居ないから皆びっくりする訳だ。


 伏し目から覗く二色の瞳。こんな目立つ姿なのに、喋り始めるまで誰も気付かなかったのが不思議だ。このお方はご自分の気配を操作する能力まで持ち合わせているのだろうか。



 そんな周囲の反応などお構いなしとばかりに、ワダツミ様はスープカップの中身を愛おしげに見つめながら語るのだ。実際は僕と、そのお声の届く範囲の者に言っているのだろう。



「何せこの自然の恵みたちは、我らが身体の一部になっていくんじゃからのう。ありがたや、ありがたや」


「ワダツミ様」



 伝わってくる。我が師の思いがひしひしとこの胸に。僕の弱った心に温かい感覚が灯る。



 寝ること、食べること、話をすること。


 僕がいままで疎かにしていたこと、その一つ一つが生きる為の尊い仕事なんだとおっしゃっているんだ。そして基本的なことをやり直すのはとても勇気が居る。だからこそ気付いたそのときに、早い段階で、失った習慣を取り戻していく必要がある。


 一礼をし、向かいの席に腰を下ろしたときにはっきりとわかった。周囲に聞こえぬよう小声で僕の名を呼ぶワダツミ様の微笑みを前にして。


「のう、雪那」


「はい……!」


 我が師は簡単なようで実は難しいことを僕に思い出させようとしてくれたんだ。




 食事を終えたところでワダツミ様が切り出した。


「今日はまたあの若き親衛隊長が星幽神殿ここを訪れる。雪那。其方、勇気ある決断をしたそうじゃな」


「僕の責任ですから」


「なぁに、一人で背負い込むことは無い。もとより一人で解決するのは不可能なくらい事は大きくなっておる。頼るべきところは頼りなさい」


「……恐れ多いことです」


「其方は誠意を忘れておらぬから大丈夫じゃよ」


 そんな会話の途中で僕はふと思い出した。何故かこのタイミングで。



(あの人も来るのだろうか)



 脳裏に焼き付いて離れない。



――お会い……出来て、光栄です――



 僕の顔を真正面から捉えるなり、みるみるうちに水の膜を張っていったエメラルドグリーンの双眼。



「ミモザという娘のことが気になるか」



「えっ」



 思い浮かべた人物をあっさりと言い当てられ、僕は驚きに目を見張った。射るような眼差しでこちらを伺っているワダツミ様。僕の中に言い表せぬ罪悪感が込み上げてくる。



「は、はい。確かに彼女のことを考えてはいましたが……」


 このお方に隠し事は無駄だと思って僕もあっさり認めた。だけど明確に否定もした。



「恋慕、とか、決してそのような想いではございません」



 何故だろう。あの日、初めて対面したあの日、僕はミモザさんに手を握られていることに恐れを感じた。何故か、これ以上触れていてはいけないと思ったんだ。



「うむ……私もかつては人間であったが、なにゆえ人というのはこうも恋に結び付けたがるのじゃろうか」


「えっ!? あっ……いや」


 見当違いな返答をしていたことに気付くなり僕は恥ずかしくなった。だけどワダツミ様はそんな僕の間違いも許すかのように頷いてこう続ける。



「あの娘もそんなつもりではないと言っていた。そして今日もここには来ない」


「そう、ですか」



 ここには来ない。その一言に僕は安堵を覚えた。向かい合うワダツミ様がどんな表情で僕を見ているのかも気にならなかったくらい。



 だって、次に顔を合わせた時には、彼女の正体がわかってしまうような気がしたから。




 午後になってクー・シーさんが星幽神殿まで来てくれた。訛った身体を回復させる為、神殿の敷地内を走っている際に気付いた。


「やあ、雪那くん。ランニングなんて珍しいね」


 車から降りてきたばかりのクー・シーさん。確かに彼の他には誰もいない。


「はい。事件が解決したら待ってくれているお客様たちにこの声を届けたい。休暇中とは言えども体力は取り戻しておかなければと思いまして」


「君は本当に立派な歌手だ。まだ時間はあるからキリのいいところまで走っておいで。待っているよ」


「恐縮です」



 お言葉に甘えてもう一周してきたところで、僕は再びクー・シーさんと落ち合い自室に向かった。



「君のストイックなところは僕も是非見習いたい。捜査中でなければバーで一杯吞み交わしたいところなんだけどね」


「僕は聖職者ですから」


「ああ、そうだった。申し訳ない。じゃあ今日もこのレモネードで」



 チン、と音を立てて僕らはレモネードの瓶で乾杯をする。真冬の昼下がり。見つめ合う眼差しを次第に真剣なものへと変えていった。



「犯人が言っているのは三度目の春日雪之丞の可能性もあるからね。心して聞かせてもらうよ」


「はい」



 僕の中では正直、三度目の雪之丞の方が壮絶だ。


 最愛の魂に辿り着いたにも関わらず、何故自ら命を絶ったのか。気の狂うような恐怖に負けぬよう、気を引き締めて語らねばならない。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 嗚呼

 罪深き僕に手を差し伸べてくれる

 今は亡き君だけが生きる目的だった

 そんな僕が今

 沢山のぬくもりに包まれているよ


 こんなことが許されるのだろうか?


 無意味な問いだとわかっている

 神は仰っている

 そればかりは自分で見つけなさいと


 嗚呼

 どれ程の罪を背負っても

 生きて 生きて 生き抜いて

 なんらかの形で示さねばならないのが人生なのか


 罪人にも生が与えられているのは

そんな理由なのか


 嗚呼

 僕は本来

 神に仕えるのもおこがましい


 なれどそれも試練というのなら

 僕は罪に縛られている場合ではない

 いつかはこの手で光に触れ

 多くの命へともたらせたなら



 言霊よ届け

 命へ響け

 ステンドグラスを貫いて

 僕は歌う

 崇高な天がもたらす

 七色に焦がされ 灰になっても


 今は信じられる

 僕の願いは決して果てない


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