今日と皆

アオベエ

皆の今日

 ある日、仕事を終えた僕は家に帰る為に駅に向かっていた。

 すると前の方から、血相を変えて自転車を漕ぐ男の子が僕の横を通り過ぎて行った。駅に着き電車に揺られながら自分が子どもの頃の、ある一日を思い返す。



「おじゃまします」


 夏休み、友達の家に遊びに行った。

 友達のお母さんに挨拶を済ませると、彼の部屋がある二階へ向かう。部屋の扉を開けるとすでに他の同級生達が集まっていた。


 冷房の効いた部屋、冷たい麦茶を飲みながら器に入ったお菓子を食べ、テレビゲームやカードゲームをして遊ぶ。時刻が午後六時頃になると口裏を合わせた訳でもなく皆が帰りの仕度をする。


「明日、遅れるなよ」


 学級委員でもある池田君が言った言葉の意味は皆もわかっていた。明日は夏休みに入る前から予定していた僕達だけで映画を見に行く約束の日だった。


「わかってるよ」


 池田君の友達らしい他のクラスの同級生の子が返事をする。そうして僕は、胸の高鳴りを抑える様に自転車を漕いで帰宅した。


 翌朝、池田君の家の前に五人全員集まり目的の映画館が内設されているショッピングモールへ向かう。道筋は池田君が先導し、残りの四人はそれについて行った。


 しばらく自転車を漕いでいると、今自分が走っている場所がいつも両親の運転する車の窓から見ていた場所だった事に気づき言いようのない喜びを感じた。


 目的のショッピングモールに着くと駐輪場に自転車をとめ入り口へ向かう。

 普段は両親と駐車場のある入り口を利用していた事もあり、目の前にあるこの建物が何かいつもとは違うものに見えた。


 入り口の自動ドアが開くと冷房の効いた空気が汗ばんだ僕達の肌を包む。

 普段は両親としか来た事のない場所に子ども達だけで来る事が出来た事と外の暑さから解放された喜びが相まってこの上ない幸福感を覚えた。


 周りの同級生達も同じ様子で、それぞれ発する言葉を一考する事なく大声で垂れ流す。この頃には友達の友達という関係の同級生とも同じ冒険を共にした仲間の様に会話する事ができた。


 そうして池田君が主導の下、予め買っておいた前売り券をチケット窓口で交換して僕達は上映時間まで施設内を歩き回る事にした。


 衣服、飲食、雑貨、嗜好品まで様々な店が内設されており、それらの店に向かう為に階段、エスカレーター、エレベーターなどの移動手段が至る所に設置されている。


 その時の僕達にとって、ここで見るものがどういう理屈でそれがどんな意味を持ってそこに在るのか分からないものだらけだった。それでも見るもの全てが新鮮で心地のいい体験だった。


 僕は何だか気が大きくなって、自分と歳の近い風貌をした子どもが家族連れで歩いているのを横目に自動販売機で飲み物を買ってみたりした。


 そうしている内に上映時間が迫ってくる。僕は便意を催したので皆には先に映画館へ行くように促し一人最寄りのトイレへ向かった。


 トイレを出ると目の前の書店から大学生風の男が俯きがちにすたすたと出ていった。何となくさっきまで男が居たと思われる方を遠目に見てみると、本棚の所に幾つかの本が積み重なっておりその上に何かが置かれているのが見えた。


 もっと近くで見たかったが、僕がそれを見た事を他の人達に知られてはいけないような気がしてそれ以上その奇怪な建造物を見るのをやめた。そしてこの事は誰にも話さないでおこうと思った。


 映画館に到着して上映室に向かっていると、もぎりのスタッフに声をかけられる。


「すみません、チケットはお持ちでしょうか」


 小学生の僕は突然の社会的な手続きにひどく動揺した。

 リュックの中身をひっくり返した後にズボンのポケットに入れてある財布をベリベリと音をたてて開き、中にあるチケットを手渡した。


「それでは、六番の上映室にお入り下さい」


 僕はその手続きを終えた事に満足して、上映室の番号が書かれた紙を受けとった。


 薄暗い通路を歩きながら目的の上映室へ向かう。

 その途中には電燈に照らされている映画のポスターが並んでおり、それぞれの番号をぴかぴかと掲げ点々と在る上映室は無限に続く世界への扉の様だった。


 僕にとって、幻想的なその光景は夢と現実との境界を曖昧にした――


――映画を見終わり、家へ帰ろうと外を見ると大雨だった。

 僕達は誰一人傘を持ち合わせていなかった為、雨が止むのを待つことにした。


 アスファルトに打ちつける雨粒や、家族連れの人達が帰って行く姿を眺めていると何か冷たい感覚を抱いた。


 午後六時半を過ぎた頃、一向に勢いを緩めない雨を見かねて池田君が帰る事を提案する。こんな時間まで外で遊んだ経験はなく、それによる不安から皆も賛成し、僕達は雨にうたれながら駐輪場へ向かった。


 外は雨の影響もあってか、すでに辺りは真っ暗になっていた。

 ずぶ濡れで雨音に声をかき消されながら池田君を先頭に自転車を漕ぐ、しかし雨と暗さによって視界は悪く池田君は帰りの道筋を見失ってしまった。


「あれ?あれ?」


 普段は落ち着いている池田君が取り乱している姿を見てさらに不安が増す。

 どこへ向かえば良いのか、どこに向かっているのかさえも分からない。ただでさえ見慣れない道を真っ暗な雨の中僕達は無我夢中で走り回った。


 どれくらい時間が経ったのか、僕達は何とか馴染みのある通学路まで帰ってきた。


「それじゃあね」


「バイバイ」


 誰が誰に言ったのか分からない様な帰りの挨拶を交わし、それぞれの帰路につく。

 僕は程なくして赤信号にひっかかった。一人で信号待ちをしていると、先程まで皆と居た事がどれだけ僕の心を強くしていたかを実感した。


 家に帰りたい。

 両親は心配しているだろうか。

 お風呂に入って布団に横になりたい。


 色々な感情を想起させている内に信号が青になった――



――家に着きインターホンを鳴らすと母の声がする。震える声で自分の名前を告げると玄関の扉が開いた。


「おかえりなさい」


 母は別段心配している様子はなく、僕が服を濡らして帰った事を咎めた。

 こうして僕の大冒険は幕をとじた。



 電車が目的の駅に着き、帰宅する。家に着くと自分で鍵を開け、玄関の扉を開く。

すると妻が僕を出迎えながら今日あった事を話し始めた。


「ちょっと聞いて、あの子ったら今日服を泥だらけにして帰ってきたのよ」


 その妻の言葉を背中に受けながら息子がいる寝室を覗く。

 すでにぐっすりと眠っている息子の顔はどこか満足そうに見えた。

 

 彼の今日という一日はどんな大冒険だったのだろう。






















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