光陰矢の如し

知多山ちいた

第1話

 ある平日の昼下がり、山田秀光は定食屋で同期入社の菅原と昼食を共にしていた。山田はトントン拍子に出世したため今では役職に隔たりがあるが、二人の付き合いは変わっていなかった。

 山田はサバの味噌煮定食を、菅原は納豆定食を頼んだ。注文を待っている間、山田はふと菅原に問いかけた。

「なあ、菅原。最近、時が経つのが早いと思わないか」

「どういた? いきなり」

「子供のときに比べて、一日があっという間に過ぎている気がする」

「そりゃお前当たり前だよ。10歳の子供にとって1年は10分の1、40歳の俺達にとっては40分の1、10分の1と40分の1ではどっちが大きい? そういうことだよ」菅原はニヤリと笑みを浮かべた。

 山田は納得できないという表情で首を傾げた。

「そうかなあ? 時間は誰にだって平等だろ? その解釈はおかしい気がする……」

「優秀なお前でもそんなことを思ったりするんだな」

 同期の菅原から見ても山田はとびきり優秀な人間だった。それも上司に忖度する類の優秀さではなく、どんな業務もミスなく素早くこなし、何事も飲み込みが早いという優秀さだった。菅原は、そんな優秀な人間でも普通の人と同じような感覚を持っているんだなと思った。

 サバの味噌煮定食が山田の席に運ばれてきた。菅原はさらに続ける。

「俺たちも歳をとったということだよ。歳を重ねれば時間は短く感じる。これはどうしようもないことなんだよ。みんな同じさ」

「ふむ……」

「感覚的な問題だからさ、実際に時間が短くなってるわけじゃないよ。だから気にするだけ損じゃないかな?」

「感覚的な問題か……」

 菅原が頼んだ納豆定食も運ばれてきて、二人は食事を始めた。山田はまだ心ここにあらずといった表情だったが、急に箸の動きを止めて呟いた。

「不老不死も可能なんじゃないかな……」

「は?」

 菅原は訳が分からず目を丸くした。

「もちろん肉体的な不老不死なんてのは不可能だ」

「そりゃそうだよ。他に不老不死なんてあるのかよ」

「感覚的な不老不死だよ。お前さっき言っただろ? 歳を重ねるに従って感覚的な時間は短くなるって。じゃあ、それを逆にすることができたら?」

「はぁ」

「歳をとるたびに一年が長く感じるようになると、老いや死を『感覚的に』先延ばしにすることができるってわけだ。子供の頃は自分の老いや死なんて想像しなかっただろ? あれと同じことだよ」

 菅原はすっかり呆れた表情になって言葉を失っていた。山田は話を止めない。

「完璧ではないけど限りなく不老不死に近い感覚を手に入れることができるんじゃないかな。問題はどうやって感覚的な時間を長くするかだ。これは難しいぞ――」

 菅原はようやく口を開き、

「それが無理だからお前は悩んでいたんだろ?」

「そうだけど、なにか方法があるはずだ……何か……」

 重苦しい空気が漂い、山田と菅原は無言で食事を続けた。


 夜、山田は家族が待つマイホームへ帰宅した。山田には妻と子ども二人がいた。8歳の長男と6歳の次男は先週デパートで買ってあげた電車のおもちゃで遊んでいた。

「パパー、相撲やろう」

 さっきまでおもちゃで遊んでいたはずの子どもたちがいつの間にか山田に取り付いている。

「えー? パパ仕事してきてもうヘトヘトだよ」

「ねえやろうやろう」

 山田を掴んで放さない二人の子どもに押し切られて、山田は渋々相手をしてやることにした。

「はっけよい、のこった」

「えいやー、はー!」

 無邪気に暴れまわる二人の子どもに四方八方から押され、ついに山田は体力が尽き果てて床に倒れ込んだ。

「ひー……パパもうダメだ……」

 大の字になって床に伏している山田が子どもたちの方を見ると、彼らの姿は既にそこになく、リビングでテレビを見ていた。さっきまでおもちゃで遊んでいたはずなのに相撲をやったかと思えばいつの間にかテレビを見ている。そんな子どもたちの様子を見て山田はハッとした。

 この子たちは常に刺激で満ち溢れているから時間が長く感じるのかもしれない。やることなすこと全てが新鮮だから一日も長く感じる。大人になった自分も常に刺激のある環境に身を置けば時間の流れを遅くすることができるかもしれない。山田はそう思った。

「おーい、風呂入るぞ」

 山田は希望に満ちた表情で浴室に向かっていった。


 一週間後、山田と菅原は再び昼食を共にしていた。

「山田、今日飲みに行かない?」菅原は何気なく誘った。

「悪い、今日はお花の日なんだ」

「は?」

「華道だよ、華道」

「いや、それは分かるけど……。なんでそんなの始めたの?」

「お花だけじゃないぞ。明日は茶道、明後日はキックボクシング、明々後日は……」

 菅原は呆気にとられて適当なツッコミを入れることができないでいた。

 山田は自信満々な表情で菅原を見ている。

「俺気付いたんだよ、菅原。体感時間を長くするためには刺激が必要だってな」

「そのために習い事を始めたってわけか」

「ああ。お前にも感謝しなければいけないかもな。きっかけを与えてくれたわけだし」

「俺も刺激の必要性は感じてはいたが……。それにしてもお前、やりすぎじゃないか?」

「このぐらいは必要だよ。なんたって、俺は不老不死を目指す男だからな」

 菅原は何かとんでもないことに関わってしまったのではないかと不安になった。


 一ヶ月後。

 菅原はしょんぼりとして歩いている山田を見かけ、声をかけた。

「おい山田、どうした? 元気なさそうじゃねえか」

 山田の表情からは先月までの活きのよさが失われていて、どこか悲しげな雰囲気を醸し出していた。習い事を抱えすぎて疲れ果てたんだろうと菅原は推測した。

「さすがのお前でも厳しかったか。気にすることはない。人間そんなに……」

「先週、お花でな……」

「ん?」

「賞を取ったんだ。先生からはもう教えることはないと言われたよ」

「すごいじゃないか。さすがだな」

「華道だけじゃない。茶道も書道もボクシングも。どれもすぐに上達してしまったんだ」

「お前、昔から何でもすぐに腕を上げてたからな。でもよかったじゃないか、モノになって」

「ぜんぜんよくないよ。俺は刺激を求めて習い事を始めたんだ。それがどうだ? 一ヶ月もしないうちに刺激も何にもないただの日常に成り下がっている」

 菅原は山田が習い事を始めたそもそもの動機を思い出して納得した。

「お前の優秀さが仇となってるな」

「そういう問題じゃないと思う。趣味をいくら増やしたところで意味がないのかな? 趣味なんて所詮は趣味、どうでもいいこと。どうでもいいことから刺激を受けるなんて考えがそもそも間違っていたのかも」

「そんなに思いつめるなよ。これからじっくり……」

 菅原が話そうとしているのにも構わず、山田は突然何かを思い出したような表情を浮かべ、去っていった。菅原は山田の後ろ姿を見送った。


 さらに一ヶ月後。

 菅原は山田が会社を辞めたという噂を聞きつけ、山田のもとへ向かった。

「おい山田、辞めたってどういうことだよ」

 菅原は鬼気迫る表情で山田を問い詰めた。しかし山田はにこやかな表情で、

「俺気付いたんだよ、菅原。刺激を得るためには自分の生活をまるまる変えなきゃいけないってな」

「それで辞めたのか? これからどうすんだよ?」

「大丈夫だよ。ちゃんと決めてある。明日からはいくつかの仕事を掛け持ちでやることになってる」

「は?」

「まず9時からはコンビニ、11時からビルの清掃、13時から宅配、そして15時から……」

 菅原はもう何も言う気が起きなかった。ただただ呆れ果て、今日まで同僚だった男の希望に満ちた顔を見つめるしかなかった。そして、この男とはもう二度と会うことはないだろうと悟った。


 会社を辞めてから数ヶ月、山田秀光は憂鬱だった。

 新しく始めた仕事が順調――いや、順調すぎた。どの仕事も始めて数日でそつなくこなせるようになり、一ヶ月も経った頃にはすっかり上司に信頼される存在となっていた。頭を使う仕事、体を使う仕事、細かな気配りが必要な仕事と、求められるスキルを分散させていくつもの仕事を掛け持ったのだが、山田の優秀さはそれさえも退屈な日常に変えてしまった。

 大量の仕事を短時間でこなして上司や同僚の評判は良く、その余裕からくる丁寧な接客は客にも評判がよかった。山田の存在は、多くの場所で多くの人たちを笑顔にした。ただ一人、山田本人を除いて――。

 山田は以前よりも時の流れが早くなっているように感じていた。そして、どんな対策をしても一向に時の流れが遅くならないことに対して焦りを感じ始めていた。

 日を追うごとに山田の焦りは精神を蝕むようになってきた。時がものすごい早さで流れていく……。このままではあっという間に死が訪れる――。止まれ、止まれ、止まれ……。

 しかし、山田の優秀さは伊達ではなかった。どんなに焦燥感に駆られた状態でも、自分の置かれた状況とその原因を分析し、対策を考えることができるのであった。

 ――そうだ、もっとスリルが必要なんだ。仕事なんて失敗しようが何をしようがせいぜいクビになる程度だ。そんなものをいくら掛け持ちしたって緊張感は生まれない。もっとなにか危険なこと――自分の大切なものを賭けることでなければ駄目なんだ。

 山田は座って考え込んだが、すぐに決意を秘めた表情で立ち上がった。表情からは焦燥感が消えていた。


「強盗だ! 金を出せ!」

 閉店間近の大手地銀支店。覆面姿の山田が銀行員を銃で脅していた。恐怖で縮み上がった銀行員が山田の用意したバッグに金を詰めると、山田はそれを受け取り銀行を後にした。警察官が到着したとき、銀行から強盗犯の痕跡は消え去っていた。

「ひゃはーー! やりましたね、山田さん!」

 逃走中の車の中、強盗仲間の男がはしゃいでいた。いくら優秀な山田といえども、銀行強盗ほどの大仕事を1人でこなすのは難しい。そこでネットを通じて何人かの仲間を引き入れたのだが、計画の策定など重要な仕事は全て山田が行った。無邪気にはしゃぐ仲間を下品なやつだなと思いつつ、山田自身には別の理由で喜びが湧いていた。

 ――楽しい。楽しい、楽しい、楽しい! 

 今まで生きてきた中でこれほどの刺激はなかった。捕まれば何もかもが終わる。金も、家族も、残りの人生も全てが奪われる。全世界の人間の中でこれほどのスリルを味わえるのはいったいどれだけいるだろうか。

 山田は今、人生で一番充実していた。そして一日の体感時間も今までとは比べ物にならないくらい長くなった。

 ――俺はとうとう見つけたのかもしれない。子供の頃に戻る方法を。


 頭脳派銀行強盗現る――。

 世間ではこのニュースで持ちきりだった。複数の銀行が襲われていながら、未だに逮捕どころか手がかりさえつかめていない。犯罪史上前代未聞であった。

 山田は、習い事や仕事の時と異なり、今回は退屈することはなかった。一口に銀行強盗と言っても、銀行によって攻略方法は違ってくる。強盗のたびに計画を一から練り直し、襲う。予期せぬトラブルが起こることもしばしばであったが、毎回新鮮な気持ちで臨むことができ、強い刺激を味わうことができた。

 そんなある日、いつものように銀行を襲った山田は、銀行の出口から出て逃走用の車に乗り込んだ。ドアを閉めた山田は覆面を外すと、車の中に違和感を覚えた。

「お前誰だ!」運転席に座っていた男が振り向いて大声を上げる。

 そこにいたのは強盗仲間ではなかった。20代ぐらいのスーツを着た見知らぬ男が顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいる。

 ――車を間違えた!

 普段の山田ならあり得ないミスだった。強盗生活が楽しくて浮かれていたのかもしれない。しかし今はそんなことはどうでもよく、この場を切り抜けなくてはいけない。顔まで見られてしまっている。どうする――山田は悩んだ。

 ズドン!

 銃声とともに、スーツを着た男が目を開けたままその場に倒れ込んだ。車内には、煙が充満していた。山田の右手にはいつの間にか銃が握られていた。

 初めて人を撃った。もちろん人を撃つことになるケースを想定していたからこそ、銃を所持していたわけだ。それでも、山田は人を殺してしまったことの衝撃を受け止めきれないでいた。

 フラフラしながら車から出ると、その場を立ち去った。


 自宅に戻った山田は、ベッドに入ったものの眠れないでいた。

 今日、人を殺してしまった。捕まってしまった場合のことを恐れているのではない。強盗は平然と行っていた山田であったが、殺人に対してはさすがに罪の意識を感じていた。

 体感時間を長くしたいなんていう身勝手な欲望のせいで人の命を奪ってしまった。そんなことが許されるのか――。

 許されるわけがない。例え不老不死であっても、それが人ひとりの命より価値があるなんてことはない。

 山田は決意した。自分の欲望を満たすための人生とは決別することを。

「戻ろう、昔に。普通の生活があれば十分幸せなんだ。それで満足しよう」

 そう呟いた山田はようやく眠りにつくことができた。


 数週間後。

 山田は元の職場に復帰した。元々山田の能力を高く評価していた会社は、あっさりと復帰を認めた。菅原も正気を取り戻した同僚の復帰を喜んでいた。

「待ってたぜ、や・ま・だ!」

「またお世話になるよ」

「何言ってんだよ。お世話になるのはこっちだよ」

 職場は以前と変わらず明るい雰囲気だった。皆、山田の復帰を祝福している。

 山田は懐かしい面々の中に、見知らぬ顔があるのに気がついた。

「菅原、彼女は?」

「ああ。彼女は新入社員の川島さん」

「そうなんだ」

 川島は黙々と仕事をしていて、山田を囲む輪の中に入ってこようとはしなかった。

「すごく真面目な子だよ。きっと山田の役に立つと思うよ」

「ふうん。それは楽しみだね」


 昼休みになった。川島が山田の元へ挨拶に訪れた。

「あの、山田さん。ご挨拶が遅れました。川島です」

「ああ、川島さんね。こちらこそよろしく」

「あの……早速で申し訳ないんですが、相談に乗っていただきたいことがありまして。お時間よろしいですか?」

「構わないよ」

「えっと……ちょっと人には聞かれたくないことなんで、できれば場所を移動したいのですが……」

「そう。じゃあ外出るか」

 山田と川島はオフィスから出て、普段は使われていない会社の倉庫の中に入った。

「ここでいいかな?」

「はい」

「いったいどんな……」

 相談の内容を尋ねようとした瞬間、山田の脇腹に鋭い痛みが走った。

「カズヤのカタキ!」

 山田の脇腹には小さな果物ナイフが刺さっていた。ナイフの柄を手にした川島が鬼の形相でこちらを睨んでいる。

 川島はナイフを抜き取ると、続けざまに山田の胸部や腹部を刺した。

 薄れゆく意識の中で、山田は銀行強盗の際に間違えて車に乗ったときのことを思い出した。

 そうだった――。

 もう一人いた――。

 なんで忘れてたんだろ……。あのときはそれどころじゃなかったからな……。

 太古の昔から数多の権力者が不老不死を目指した。彼らとは違った概念で不老不死を目指した男の生涯はここで幕を閉じた。

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