第四章 三節 化け物と呼ばれる者たち

 目が覚めて最初に視界に入ったの白い天井。どうやらあたしは横になっているみたいだ。

 白い明かりに目を細めながらその天井を観察すると壁紙を貼った暖かみのある自室の天井とは違い、清潔感を押し付けたようなつるつるとした天井だった。横になった体からはゴワゴワとした布の感触がして、乾いて冷たい空気は薬臭かった。

 ここは、医務室かな……。

 そう思い、掛けられた布団をめくり、体を起こす。辺りを見渡すと白いカーテンであたしの寝ていたベッドが仕切られていてやっぱり医務室みたいだ。

「目が覚めたようだな」

 布団の擦れる音が聞こえたのか、麗さんがカーテンを開けて入ってきた。

「えっと、あたし……」

 そういえばどうしてあたしは医務室のベッドで寝ているんだ。

 頭がぼーっとする。起きたばかりで頭が覚醒していないのかモヤがかかっているみたいだ。

 確か、化け物の領域への総攻撃をしてその時……、リーベ、が刺されて……。

「麗さん!リーベは!?リーベは無事ですか!?」

 確か、あの時リーベは化け物に刺されて、血が止まらなくて……。

「心配ない。救護班の対応も早く、命に別状はなかった。すでに今は戦闘が行えるほど動ける」

「よか、ったぁ……」

 消える恐怖感と緊張感、入れ替わりで湧き上がる安堵感に追いつけず変な瞬間に息が漏れた。

 良かった。良かった、本当に。

「良かった、良かった……」

 何度も良かったと繰り返す。

 少し落ち着くとだんだんとあの時のことを思い出してきた。救護班が来てくれて、その後また戦いに戻ったんだった。それで戦ってる時に、また化け物が、人間に……見えて……それで、油断して刺され……!?

 お腹を見る。服をたくし上げてみる。さすってみる。切り傷も貫かれた跡もなかった。

 助かった、のか……。

 刺された後、途中で気を失ったのかそれ以降のことは思い出せないけど多分救護班がすぐに駆けつけてくれてそれで助かったのかな。

 それはともかく、どうして化け物が人間に見えたりするんだ……?疲れてるだけかと思っていたけど多分違う……。ただごとじゃない何かが……。

「どうやら自分の身体に何が起きたのか理解していないようだな」

 考え込んでいると麗さんがそう声をかけてきた。

「え……?」

 あたしの身体に起きたこと?刺されたお腹のことか?

「……何が起きたのかも何もあたしが刺されて気を失っていたところを助けてくれたんじゃないんですか……?刺されたところもちゃんと治ってるし救護班か治癒の魔法が使える人に……」

 違うのか……?

「刺された後に救助された、それは間違ってはいないが……」

 その時、扉の開く音とこちらに近づいてくる足音が聞こえた。

「ミーアちゃん!!」

 足音の正体はひかりだった。

「ひかりぬわっ!?」

 勢い良く抱き付かれた。抱き付かれた衝撃で首ががくんと揺れて変な声が漏れる。

「なっ、どうしたんだよ、いきなり」

 ひかりから返事はなかった。

「……おーい、ひかり?」

 呼びかけるもやっぱり返事はなかった。けどずずっと鼻を啜る音が聞こえた。抱き付いたままの体は僅かにふるふると震えている。

 もしかして、泣いているのか……?

「良かった良かったよミーアちゃん。生きてて良かった……」

 ひかりは嗚咽混じりのぐしゃぐしゃな声で泣きながらそう言った。

 なるほど、そういうことか。

「そんな大袈裟だって。ちょっと刺されただけ。ほら、あたしはこの通りピンピンしてるし」

 あたしは元気アピールするべく、ひかりに抱き付かれながらも腕をぶんぶん振る。

「大袈裟なんかじゃないよ!ミーアちゃんが大変だって麗さんから連絡あって、駆けつけたら凄い血だらけで……、本当に、本当に死んじゃったかと思って、凄く怖かったんだから!」

 ひかりはぐわりとあたしの方に顔を向けてそう訴えた。涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだ。目も赤くなっている。

 あたしのためにこんなに泣いてくれているのか。少し、いや、凄く嬉しい。不謹慎だとは思いつつあたしはそう思った。

「そっか、ひかりが助けてくれたんだな。ありがとう」

 あたしはそう言ってひかりを抱きしめ返した。

 てっきりリーベの時と同じように救護班が来てくれたのだと思っていたけどひかりが助けてくれたのか。

「あの時ミーアちゃん大きな槍で刺されてて、もう助からないって思っちゃって……凄く凄く怖くて……」

 その時のことを思い出したのか涙で濡れた顔を歪め、消えそうな声でそう言った。

「……ごめん、心配かけたよね」

 あたしは再びひかりを抱きしめた。

「うん、凄く心配した」

 ひかりは頷いた。あたしの肩にひかりの顎が当たる感触がした。少しくすぐったい。

「怖い思いさせたよね」

「うん、凄い怖かった」

 ひかりはまた頷いた。

「本当に、ごめんね」

「……うん。ミーアちゃん生きてたから許してあげる」

 ひかりはまた頷いた。ひかりは許してくれた。

「ありがとう、ひかり」

 泣いていたからか怒っていたからか、ひかりの身体は熱いくらいに温かかった。ひかりの吐く息の音、上下する胸の膨らみ、全身に響く鼓動のどれもが熱かった。

 気持ち良い。ずっとこうしていたい。熱いお湯に浸かっているみたいに熱がじんわりと肌を通ってあたしの中まで温まり、境が分からなくて一体になる感じがする。

「互いの友情を確認できたところでそろそろいいか?」

 今まで放ったらかしの状態にしてしまった麗さんが口を開いた。

「ごめんなさい、お話の途中でしたよね。わたし、嬉しくてつい……」

 ひかりは抱きしめ合っていた体を離し、麗さんに向き直った。少し名残惜しい……。

「まあ、いいだろう。久遠の有様にお前はひどく落ち込んで気を病んでいたからな。生気を取り戻したのなら良い」

 そんなに落ち込んでいたのか……。本当にごめん……。そうあたしは心の中でまた謝った。

「さて、先ほどの話の続きだ。久遠、お前は自分の身体に起きたことを理解できていないように思える」

 あたしは化け物との戦いの中でお腹を貫かれた。それも三回連続で。けど今あたしの体にはどこにも損傷はない。だからきっと治癒の魔法であたしは回復したのだと思ったけれど……。

「つい先ほどの結希との会話で何か違和感を覚えなかったか?」

「ひかりとの話……?」

「わたしとの話、でですか?」

 麗さんはあたしの心当たりとは違うことを指摘してきた。あたしはもちろん、ひかりも何も知らないのかあたしと同じ疑問を持った。

 ひかりとの会話を思い出してみる。化け物にやられたあたしのところにひかりが駆けつけてくれた。大きな槍で貫かれて血だらけのあたしを見てひかりを凄く心配させてしまった。でもあたしはまだ息があってひかりが助けてくれた。

 ……あれ?おかしい……。

 もやり、と頭の中で黒い煙のようなものを感じた。

「気が付いたか?」

 麗さんはあたしにそう問いかけた。

「あたし、確かお腹を三箇所刺されて、それで意識もなくなって……」

 いや、でもそんな状態のあたしを執拗に攻撃してきた化け物がいたのかも。大きな槍で貫いた化け物が。

「それはおそらく一回目の生体反応低下時のことだろう」

「一回、目?」

「え、一回目ってどういう……」

 またもやり、とあたしの中で黒い煙のようなものを感じた。なんだか少し焦げ臭い気がした。

「あの時は急激にお前の生体反応が低下したためにすぐに結希を向かわせた」

 うんうんとひかりは頷いた。

「しかし、結希が到着する前に久遠ミーア、お前の生体反応は消えた。つまり死んだのだ」

「……は?」

 何を言っているんだこの人は……。それはおかしいって……。だってあたしは今こうやって生きてるし……。

 麗さんは冗談を言う人じゃない。それに本人を前にして直線を引いたように真面目な表情でそう言ったのだ。死んだと宣言した本人を前にして。

「そんな!ミーアちゃんが死んだなんておかしいよ!だってわたしちゃんとミーアちゃんの心臓の音聞いたし、それに今こうして生きてるんだよ!」

 ひかりはあたしと同じことを思って麗さんに抗議した。普段麗さんに対して使う敬語も使わずに声を荒らげたせいで、驚いたあたしは麻痺してぼやけていた頭を現実に引き戻せた。

「そう思うのも当然だろう。私が今し方死んだと言った久遠は今こうして私の目の前で生きているのだからな」

 明らかに矛盾のある言葉を先ほどと同じ表情で語る。

「だから、ミーアちゃんは死んでないんだよ!」

「いや、久遠ミーアは死んだ。それは間違いない」

「だったらどうして!?」

「死んだ直後に生き返ったのだ」

 ……生き返った?……あたしが死んで、その後に生き返った……?

 ひかりと麗さんの問答、麗さんは最後にまたおかしなことを言った。

「……はぇ?いき……かえった?」

 ひかりもあたしと同じく麗さんの言葉が理解できず変な声を漏らした。

 もやりもやりと頭の中が黒く煙る。

「生き返ったって……どういう、ことですか?」

 あたしはおそるおそる麗さんに尋ねた。聞いちゃダメな気がした。でも聞かなきゃダメな気がした。

「私自身は魔法省のモニターでお前の生体反応を確認しただけだが……」

 麗さんはそう前置きして続けた。

「お前の生体反応は低下し消滅した。しかし、その後消滅したはずの生体反応が復活したのだ」

 一度消滅した生体反応が復活……?どういうことだ?確かにそれだけを見たら生き返ったようにも思えるけど……、モニター側の不具合じゃ……。その方が死んで生き返るなんてことよりもよっぽど自然だ。

「もちろん、モニターや機械の不具合の可能性を真っ先に疑った。しかし、どこをチェックしても異常は見当たらなかった」

 あたしの考えはすぐに否定される。そして麗さんはさらに付け加えた。

「それに駆け付けたβ部隊の者たちが口を揃えて言ったのだ。地面に倒れて力尽きたはずの久遠ミーアがその直後に立ち上がり何事も無かったかのようにまた戦いに戻った、とな。その報告にひどく困惑したがモニターとも矛盾がなくそれを信じるしかなかった」

 う、熱い……。何、これ……。

 なぜか麗さんの話を聞く度に頭の中が黒く煙って熱くなる。

「ミーアちゃん、大丈夫!?」

 ひかりはあたしの肩に手を添え、顔をのぞき込んでそう言った。あたしはいつの間にか頭を抱えてうずくまっていた。毛穴が拡がるのが分かるくらいにぶわりと脂汗を垂れ流していた。

「まだ体調が安定しないか?」

「いや……、大丈夫です。続けて下さい」

 まったく大丈夫なんかじゃなかったけどあたしは麗さんに続きを話すよう促した。

 多分、聞いちゃいけないことだ。この先を聞くとあたしの頭はもっともっと焼かれる。それにもっと大変なことになる気がするから……。でも聞かなきゃいけないことだ。それが凄く重要なことだから。きっと知らんぷりしてちゃ本当にいけないことだから……。

 麗さんはあたしの言葉に頷いて続きを話した。

「戦いに戻ったお前は次々に化け物どもを倒していった。それは凄まじいスピードだったが同時にとても荒々しかった。今までのお前の戦いからは想像もできないほどにな。通信で呼びかけても返事はなくひたすらお前の喚く声が聞こえただけだった。そしてほどなくしてお前の生体反応が再び急激に低下した。そして消滅した」

 あたしは黙って麗さんの話を聞く。

「そしてまた生体反応は復活した」

 また……。

 ジリジリと焦げていく頭の痛みを耐えて話を聞く。ひかりはそんなあたしを心配してくれてか肩を軽く抱き寄せてあたしと同じように麗さんの話を聞いていた。

「それを結希が到着するまでの十数分の間に何度も繰り返し、最後に巨大な力を使って周辺の化け物を一掃し、それと同時に生体反応もまた消滅した」

「あの時の……」

 あたしのすぐ横でひかりは小さくそう呟いた。

「その後、結希が到着しお前は救助され今に至るわけだ」

 ……あたしは何度も死んで、その度に何度も生き返って化け物と戦った……?

「……どういうことですか?」

 喋る余裕なんてないあたしの代わりにひかりは麗さんに尋ねた。

「これは推測だが……、あの時久遠は次元の力によって生き返らされたのではないかと考えている」

 次元の、力……?何それ?

 麗さんの言う突拍子もないことにまた理解が追いつかなかった。ひかりも同様なのか麗さんの言葉に反応できずにいる。

「久遠、お前の時代はどのような世界だ?」

 この時代に来て最初に話しただろうことを聞かれた。

「……化け物がいない世界です」

「ではお前の時代では今行われているメサイア計画の主要人物、お前の言う化け物がいない世界を作ったとされる人物は誰とされている?」

「……ひかりとリーベと、あたしです」

 何度も目にした。自宅にある絵本で、学校の教科書で、魔法省の資料で。

「そう。久遠ミーアは既に存在するこの世界の未来を作るためには必要不可欠で途中で死なれては困る存在だ。だから死んでも次元の力によって生き返らされたわけだ」

「既に存在する未来のためにってそんなの……」

 別の未来になる可能性だってある。いや、あたしの時代の世界を作るのにあたしが必要なら、あたしが死んだ時はむしろそうなるはずだ。

「別の未来、メサイア計画が失敗に終わる未来になるだけ……。今までの考えではそうなる。例え先視の魔法で未来を見たとしても、条件が満たされていなければ必ずしもそのため未来が訪れるとは限らない。分岐点で別の未来が生まれてそちらへ進んでしまう。このように考えると久遠が死亡すれば我々の次元はメサイア計画の失敗という未来に向かう可能性があるずだ」

 そう。そうなんだ。それなのにあたしは何度死んでもその度に生き返らされた?

 いや、生き返ったこと自体は嬉しい。普通に死にたくないし何より、多分ひかりやリーベを悲しませてしまうから。

 でも、それはそうとしてあたしが次元の力で生き返らされたというのはやっぱりどうしてもおかしなことだ。と言ってもどうしてか生き返った記憶はないし、思い出そうとすると頭の焼ける痛みが強くなるしで実感がないんだけど。

「しかし、そうはならなかった。次元の力によってそれが阻まれたのだ。それはなぜか、私は一つの仮説を立てた」

 仮説か。わけのわからない不透明な出来事に真偽のわからない仮説。分からないことだらけだ……。

「仮説だから確証はないが、メサイア計画の成功した未来から久遠ミーア、お前を召喚したためにその未来と結びついてしまったのではないかと考えた」

「あたしの時代と結びついた……?」

「ああ、そうだ。先ほど言ったようにどのような未来が訪れるかは満たしている条件で決まる。その条件を満たすまでは例え先視の魔法を使っていたとしても何の関係性もない。しかし、今回我々のとった行動により、今はまだ何の関係性もないはずのお前の時代と強い関係ができてしまった。未来と繋がり、さらにそこから人一人をこの時代に召喚するという行動によってな。それによって我々の時代とどうしようもない結びつきができ、辿る運命が固定されたのではないかと考えた」

「だからあたしは何度も生き返らされたんですか……?死んじゃったら矛盾が起きるから」

 麗さんの言っていること、理解はできた。本当かどうかなんて分からない仮説だけど筋の通った考えだと思う。でも納得というか受け入れというか、そういうのはできなかった。話が壮大過ぎてついていけない。これは人間なんかが触れていいものじゃない、世界の仕組み。ヘタに触れば世界の大きな歯車に巻き込まれて簡単に潰されてしまいそうだ。

 でも、喜んでいいのかもしれない。……いいんだよね?だって……。

「あの、それって、絶対にミーアちゃんは死ななくて……メサイア計画も成功する、ってことですか?」

 ずっと黙って話を聞いていたひかりがここで口を開いた。あたしと同じように話についていくことができなかったのか、一つ一つ確かめるように途切れ途切れで麗さんに尋ねた。そしてあたしが今思ったことを聞いてくれた。

「ああ、そうだ。私の仮説が正しければ、だがな」

 そう、なのか……。

「す、凄いよ!それって凄いことだよ!」

「え……。う、うん、そうだな」

 ひかりは声を上げてそう言った。とても嬉しそうな顔している。あたしの好きな笑顔だ。そりゃ当然だよな。計画が成功して、化け物を残らず倒すことができて、あたしたちは死ぬことがない。喜ばずにはいられないことだ。

 だけど、なんでかな……?あたしは素直に喜べない。いや、きっと実感が湧かないんだ。いきなりこんな大それたことを言われたらついていくのも大変だ。だから……、この頭の痛みもきっとそのせいだ……。どうしてだ?さっきから何か凄く重要なことを忘れている気がする……。そうだ、さっき聞こうとしたこと……。なんだっけ……?なんで思い出せないんだ!?だって、さっきもそのことを考えて……。えっと、えっと……確か、化け物が……

「化物が、……人間に見えて……」

「「!?」」

「ミーアちゃん、今なんて……」

「え、……だから、えっと……化物が……人間に見えた……」

 どうしてこんなことを忘れていて、今も忘れそうになっているんだ!?こんなただごとじゃないことをどうして今まで誰にも言わずにいたんだ!?

「お前には見えるのか……?」

 麗さんはそう尋ねた。

 二人は驚愕の表情であたしを見つめている。

「え……」

 何その言い方?それじゃまるで本当に人間に見えるみたいじゃないか……。

「ミーアちゃん……」

「こんなことは初めてだ。まさか肉眼で見ることができる者がいるとはな」

「あ、の……どういうことですか……?」

「知らないのか?」

「え?」

「化け物が何なのか知らないのかと聞いている」

「化け物が何なのかって……」

 化け物は化け物じゃ……。人間を襲う、あたしたちが倒さなきゃ行けない存在。

「どうやら知らないようだ。まさか未来に伝えられていないのか?まあ、どうでもいいことだしな」

 麗さんはそう言いながら一人で納得していた。

「何なんですか?化け物は、化け物じゃないんでか?」

 聞いちゃダメな気がした。聞かなきゃダメな気がした。

 もやり、とする。まただ。また焦げ臭くて熱い。さっきひかりと抱き合った時の熱さとは違う、凄く嫌な熱さ。まるでこっちに来るなと言われてるみたいだ。

「いや、奴らは化け物だ。化け物以外の何者でもない」

「だったら」

「しかし、奴らは我々人間から生まれた」

「え、……」

 今、何て言った……?人間から生まれたって……。

「遥か昔、ヴァールハイトの時代よりもさらに遥か昔、化け物は存在しなかった。人々は何にも怯えることもなく平和に暮らしていた」

 ああ、まるであたしの時代と同じだ。

「しかし、ある時異変が起きた」

「……異変?」

「そうだ。魔法を使うことができない者たちが現れたのだ」

「魔法を使えない……」

 そんなことがあるのか……?

「それが病なのか、進化によるものか、それとも障害なのかは不明だ。しかし、事実として魔法を使うことができない者たちが現れた。また、魔法を使えない者から産まれてくる子どもも魔法を使えず、人間の世界に魔法を使えない者が瞬く間に増えていった。魔法は我々人間が生きていく中で必要不可欠なものだ。しかし、それにもかかわらず魔法を使うことができない者たちはなんとかして生き延びようとしたのだろう。結果、奴らは魔法を使わずして人間に全く劣ることのない生活水準を手に入れた。その時に人間は奴らと共存することもできたのかもしれない。しかし、我々の先祖である人間は恐怖したのだ」

「恐怖……?」

 そんな、一体どこに怖がるところがあるんだ?

「先ほども言ったが、人間にとって魔法は生きていく中で必要不可欠なものだ。つまり魔法が使えなくては人間として生きていくことはできない。魔法を使えない者は人間よりも劣るということになる」

「人間よりも劣るだなんてそんな……」

「にもかかわらず、魔法を使えない者たちが人間と同じ水準の生活をしていたのだ。人間でない人間よりも劣る存在が、だ」

「それで、恐怖したんですか?そんなことで……。だって、人間にとって必要不可欠なものがなくても、それでも人間らしく生きようとしたんじゃないんですか……?だから必死に生きようとしたんじゃないんですか!?それに、魔法を使えないからって、それだけで人間より劣るなんて、それじゃまるで差別じゃないか!!」

 おかしいよ。だって魔法が使えないだけで……。

「差別か……。お前はそう捉えるか。しかし、事実として当時の人間は恐怖したのだ。魔法なしで人間と同じ生活水準を手に入れるというのはひどく困難なことだ。しかし、奴らはそれを手に入れた。それが当時の人間にはとても不気味に感じたのだろう」

「そんな……」

 必死に生きようとして、きっと魔法が使えなくても一緒に生きていくために凄く頑張ったんじゃないのか?それなのにそれを不気味に思ったなんて……。

「だから迫害した。そして、やがて人間と奴らは対立し、不気味に感じた奴らのことを人間は『化け物』と呼ぶようになったのだ」

「……!?」

 じゃあ、……やっぱり化け物の正体は……、人間……?

「でも、それならどうしてあんな姿を……」

 化け物はどれも真っ黒で大きかったり凶暴な見た目だったりで……。人型でさえ同じ人間には見えない。同じ人間だとは思えない。

「そうだな……。分かりやすくお前の言葉を使うならば、我々が奴らのことを同じ人間ではない、不気味な存在、化け物と差別することで本来であれば見た目は我々人間と同じ、発する声も同じ、おそらく言語も同じであることを受け入れず、恐ろしくおぞましい姿や声として認識しているのだ」

「は……?何それ……」

「つまり我々が奴らのことを恐ろしいものおぞましいものと強く思うことで我々の視覚や聴覚などあらゆる感覚がそのように誤認しているということだ。とは言ったものの、今言ったことが分かったのは百年ほど前だがな。だからおそらくヴァールハイトはこのことを知らんだろう。化け物の研究が進む中であらゆる実験が行われ、化け物の正体が分かり、我々が奴らの姿や声を誤認していたということが分かったのだからな」

 そんな……。じゃあ、今まで化け物がおぞましい姿に見えたのは間違いだったの……?あたしも差別していたのか?あんなこと言っておいて。差別していたから、あたしにもおぞましい姿に見えて、あんなに怖いって思って……。だから、だから……。

「あたしは……」

 あたしは、今まで人間を、倒していたのか……?殺していたのか……?そんな、そんな……。

「そんな、そんな、そんな……」

 あたしが、人間を!?同じ人間を!?あたしと同じひかりと同じリーベと同じ人間を!?殺して、殺していたのか!?殺して、殺すって何?命を奪うこと?どうやって?切って突き刺して貫いて押しつぶして締め付けて焼いて……。

「うぶっ……」

 お腹からさらさらした生ぬるいのが湧き上がる。あたしは吐いた。

「ミーアちゃん大丈夫!?」

 あたしが殺したあたしが殺したあたしは殺したあたしは殺した。

 体が震える。そのせいで医務室の白いシーツに吐いた胃液が広がっていく。

「ミーアちゃん、やっぱりまだ体治ってないんじゃ……」

「その可能性もあるが……、化け物が人間に見えたということは……」

「どうしてそのことを知っていて普通でいられるの!?ひかりは知ってたの!?」

「わ、わたしは、知ってたよ……」

「っ!?」

 ひかりの言葉に一瞬固まる。

 知っていて、ひかりも化け物が人間だと知ってたのに……。

「結希はもちろん、このことはこの時代の者全てが知っていることだ」

「そんな……!?じゃあ、……どうして……」

「どうして奴らを殺せるのか、か?それは決まっている。奴らは化け物だからだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「そんな……」

 違う、彼らは人間だ。あたしたちが殺していたのは人間なんだ。

「我々の時代まで、奴らの正体は伝えられてこなかったが、それでもお前の言う差別とやらは何百年と続いていたのだ。あらゆる感覚が誤認するほど奴らのことを恐ろしいおぞましい迫害すべきだと考えてきたのだ。今さら正体が分かったところでそれはどうでもいいことだ。我々人間にとって奴らがどう見えようが本質は変わらん」

「そんな、どうでもいいことって……」

「しかし、お前の反応を見る限り、お前は、いやお前の時代は少し違うらしいな。お前は化け物が人間に見えたと言ったな。それはつまり我々よりもお前の言う差別心が弱いからだろう。おそらく全ての化け物がいなくなったことにより化け物への意識自体が弱まったからなのだろうな。しかし、この事実が忘れ去られていたのも現代では知れ渡っているにもかかわらずお前の時代まで伝えられていないのも、やはりそれはどうでもいいことだからだろう」

 そんな……そんな……。

「どうでもいいことなわけないだろ!?だって同じ人間なんだぞ!あたしたちと同じ人間なのに、どうして!?どうして殺せるのさ!?ねえ、ひかり!」

 勢い良くひかりの方を向く。だけどすぐに目線が落ちた。

 怖い……。ひかりの言葉を聞くのが……。ひかりは……、ひかりは彼らを、人間を殺してたことどう思ってるの……?それとも、やっぱり彼らは化け物だって言う……?

「ミーアちゃん……」

「っ!?」

 ひかりは目線を落としたあたしに合わせるようにしゃがんであたしの顔を見つめた。

「……」

 胸の奥の方で息が詰まる。

「ミーアちゃん、確かに本当の見た目はわたしたちと同じだし、元々は人間から生まれた、でもね」

 嫌だ。聞きたくない!

「あいつらは皆の笑顔を奪う、化け物なんだよ。だから存在しちゃダメで、戦って全部倒さなきゃいけないんだよ。だから、一緒に戦お?」

「……っ!?」

 頭の中で熱い何かがどろって溶ける感じがした。

「戦えるわけがないじゃん!!人間だったんだよ!?それなのにどうして化け物なんて呼ぶのさ!?なんでそれでも戦えるのさ!?」

「ち、違うよ!人間なんかじゃなくて……」

「うるさい喋るな!!」

「っ!?」

「聞きたくない!ひかりからそんなこと聞きたくないよ!!」

 あたしは叫んだ。喉が破れたような痛みがするほど叫んだ。ひたすら声をあげて掻き消す。

 聞きたくない聞きたくない聞きたくない。

 勢い良く叫び続けたせいか、喉が限界に達したみたいで激しく噎せ返る。勢いでまた吐きそうになり、なんなら内蔵とかも出てきそうな気持ち悪さに襲われた。

「やはり理解は得られなかったか……」

 呼吸が落ち着いた頃、麗さんはそう言った。

「だが、お前はこのメサイア計画の要だ。お前個人の価値観など優先される道理はない。今後も今まで通り戦ってもらう」

「嫌だ!あたしはもう戦わな……っ!?」

 戦わない、そう叫ぼうとした時、あたしの下から青白い光が放たれた。

「これは転移の魔法陣か……!?」

 転移の魔法陣!?どうしてそれがあたしに……?

「私も結希も使っていない。そもそも転移の魔法は下準備が必要なものでいきなり行えるものではない。となると……、どうやら本来の歴史ではお前は戦うらしいな」

「……え?」

「お前が意識を失ってから五日だ。本日、二度目の討伐作戦を行う予定で、もう既に準備はできている。予定ではお前抜きで行うことになっていたが、どうやら歴史はそれを許さないようだな。おそらくこの魔法陣も次元の力によるもの」

「そんな……。じゃあ、これは……」

「おそらく行き先は化け物の領域」

「っ!?嫌だ!いやだ!!あたしは、いやだ!ころしたくない!!」

 必死に抵抗するもどうしてか体が思うように動かない。逃げることができないあたしを魔法陣の光にどんどん包まれる。

「嫌だ!!たすけて!助けてたすけて!……ひかり!!」

 必死に叫ぶ。今さっき拒んだひかりに都合良く手を伸ばす。けれど、ひかりはあたしから顔を背けて肩を震わせていた。

「……っ!?」

 伸ばす手の指先が震えた。あんなに叫んでいたのに、喉が枯れたみたいに声が出なくなった。そしてあたしの視界が青白い光で覆われた。

 あたしはいつの間にか違う所に立っていた。

「え……、ここは……」

 化け物の領域!?

 あたしは化け物の領域である沼地らしきところに立っていた。いつの間にか制服も着ている。

 飛ばされたんだ。早く逃げなきゃ!あたしはもう殺したくない。人間を殺すなんて嫌だ!!

「……あ、れ?」

 走って逃げようとした。けれど移動していない。体が動かない。

 え、なんで!?どうして動かないの!?

 脚がピクリとも動かない。膝を手で掴んで動かそうとしてもびくともしない。脚の感覚は確かにある。手で掴まれる感触もある。でも自分の脚じゃないみたいだ。

「何なんだよ!くそっ!て、……え?手も動かない……。え、何!?」

 体が勝手に動いた。

「何……、これ?」

 あたしは体を姿勢良く正し、手を前に構えて鎌を召喚する。そして前方に向かって走り出す。

 なんで体が勝手に……!?まさか、これも次元の力……。

 走る先に化け物の群れが見えた。

「……っ!?」

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!

 アタシは前へ大きく跳躍。

 嫌だ嫌だ!!

 群れの最前列にいた人型に向かって鎌を大きく振りかぶる。

 ノイズが走った。人型が人間に見えた。武器を持っていない普通の格好をした人だ。

 嫌だ!!

 鎌を薙いだ。

 薄くて、なのに少し硬い感触。柔らかくて、なのに跳ね返すような感触。硬くて、なのに脆い感触。人間を斬る感触。手に伝わる嫌な感触が一瞬で、だけど一つ一つが鮮明に同時にあたしを襲う。

 思い出した……。あたし、あの時もこうやって斬ったんだった……。人型、いや違う。同じ人間に刺されて、だけどその後、体が勝手に動いて、斬ったんだ。何度も何度も何度も何度も、今みたいに。

 あ、あぁ、あ……。凄く焦げ臭くて凄く熱い……。まるで脳が焼かれてるみたいだ……。そっか、だから忘れてたのか。だから思い出そうとすると頭が痛くなって、熱くなったのか。

 アタシは何度も鎌を薙ぐ。その度に人型が倒れていく。

 ノイズが走った。ここは沼地じゃなくて住宅地。たくさんのマンションや民家が立ち並ぶその場所でアタシはそこの住人たちを切り付けていった。

「があっ……!?」

 虎型に左腕をもがれた。それでも体は止まらず斬り続ける。視線を虎型に向ける。ノイズが走った。

 ああ、あれも人間。乗用の機械兵器か。虎には見えないな。おぞましくは、もっと見えないな……。

 見たことないな。まあ、そもそもあたしたちは魔法があるから機械兵器なんてあまり使わないしな。

『魔法を使えない者たちが人間と同じ水準の生活をしていた』

 麗さんの言葉を思い出す。

 魔法を使えない分、きっと頑張ったんだよね。頑張って生きようとして手に入れた、あたしたちの魔法と同じだけの力なんだよね。だから、あたしたちは今戦っている。力は違う。でも、同じ人間のはずなのに……。

 ああ、戦いたくないよ……。殺したくないよ……。

 もがれた腕は液体状になってあたしの体の元あった位置に戻った。

 アタシは鎌を大きく振りかぶって薙ぐ。その瞬間、いくつもの針が伸びて化け物を襲う。さらに針は枝分かれして、咲き乱れて周囲の化け物を襲う。

 一瞬にして百もの化け物を倒し、黒い飛沫の雨と化した。ノイズが走る。一瞬にして百もの人間の死体と、赤い血の雨と化した。

「は、あ……は……あ、……うぅ、ぶぐっ……」

 また吐いた。だけど、体は相変わらず動かないから直立したままで胃液をぶちまける。

 アタシはまた動き出した。

 化け物はまだたくさんいる。人型、虎型、狼型、熊型、鬼や鵺までいる。

 アタシは切る。斬る。キル。きる。きりつけていく。

 腕を喰いもがれる。液体になって化け物を中から貫いて戻る。胸を刺される。刺さったまま殺す。脚が吹き飛ぶ。無理やり片脚だけで戦う。上半身が喰われる。あたしは潰れて、……多分液体になって内側から貫いて出て戻ったんだと思う。

 黒い腕を何十本も出す。人型を締め付ける。ノイズが走る。その人は悲鳴をあげて顔を悲痛に歪めて、体がめちゃくちゃな形に歪んで死んだ。

 黒い柱を三本出す。上から落として人型を潰す。ノイズが走る。柱の下から赤い液体と、はみ出た腕が潰された勢いで派手に飛んであたしの目の前に転がる。

 黒い斧を五本作り出す。振り回して人型や中型を切り付けていく。ノイズが走る。何が起きたのか分からないって表情でその人たちの首が飛んで、斬りつけられたところが大きく損傷した機械兵器は爆発して中から絶叫が聞こえる。

 黒い巨大なランスを三本出し、鬼に撃ち込む。三本のランスが突き刺さり、動きが鈍った隙にアタシは跳躍して鬼の頭の位置まで来る。そして鎌の刃に魔力を纏わせて黒い大きな刃を作り、切り裂く。ノイズが走る。これも乗用機械兵器。兵器ごと中の人も斬り裂かれて爆発した。

「ああ、……あ、ぁ……あ」

 同じ、はずだ……。あたしとこの人たちは同じ人間のはずだ……。それなのにどうしてあたしは鎌を振り回しているの?どうしてあたしは黒い制服を着ているの?どうしてあたしの魔法は黒いの?これじゃあまるで、あたしが化け物みたいじゃないか……!!

「ああああああああああ!ああああああ!!あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!ああああああああああああ!!!」

『これが欲しがった代償さ』

 声が聞こえた。

「ああああああああああ!!!ああああああああああ!!」

『君が欲しがらなければきっとこの事実を知ることはなかっただろう』

 凄く綺麗な声だ。だけどあたしに話しかけるその内容は聞きたくもない。

「ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

『だけど君は欲しがった。だからリスクを負い、代償を受けたのさ』

 うるさい!!

『欲を持ち、自分というものを欲するにしては大きすぎる代償だ』

 うるさいうるさい!!

『君はこんなに大きい代償だとは思わなかった、と欲した後に言うかい?しかし、覚悟を捨てて欲することだけを選んだのは君だ』

 うるさいうるさい!!黙ってろ!!

『君はこの代償を受けてなお、欲することができるかな?』

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