第五章 一節 友だちでいたい

 気が付くとあたしは自室のベッドで仰向けになって泣いていた。涙は枯れていた。声も枯れていた。身体は疲れ果てていた。頭も疲れ果てていた。

 ああ、それでも、もう少しだけ泣いていよう。もう少しだけ。

「ミーアさん……」

「!?」

 急に声がした。見るとリーベが立っていた。いや、部屋の明かりは付いていないし窓から入る月明かりも弱くてよくは見えなかった。だけど声と気配でそう感じた。

「すみません、何度もノックしたのですが、返事がなくて」

「……」

「その、体の傷……」

 傷……?

 体を確認しようとする。だけど面倒だな……。でも、自分で掻きむしったような気がする……。

 少しジンジンと痛い。でも、ほんの少しだけ。だからもっとしないと。もっと痛くしないと。どうして?分からない。分からないでいい気がする。とにかく痛くしたい。

 腕を掻きむしる。

「ミーア、さん……」

 掻きむしる。

「ダメです!ミーアさんダメです!!」

 リーベはあたしの腕を掴んだ。これじゃ掻きむしれない。

「止めないで。じゃないとあたし、おかしくなる……。お願い……お願い!」

「!?」

 リーベは顔をくしゃりと悲痛に歪めた。あたしの腕はするりと落ちた。

 また、掻きむしる。掻きむしる。掻きむしる。

「どうしてかな?全然痛くないよ……。こんなに血が出てるのに。ねえ、どうして?気持ち悪いんだ。頭の中がもやもやして体がふわふわして凄く気持ち悪いんだ。痛くして消そうとしてるのに全然痛くならないんだ。どうして?ねえ、どうして?」

「ミーアさん!!」

「!?」

 リーベに抱き締められた。

「……離れてよ。これじゃ痛くできないよ」

「ごめんなさい。ごめんなさい……」

「どうして謝るの?」

「ごめんなさい。ごめんなさい……」

 リーベの体は熱かった。染み付くように熱かった。どこかで感じた熱さだった。どこでだっけ?分からない。分からないことだらけだ。でも、とても気持ち良い。

 あたしは泣いた。たくさん泣いた。リーベに抱き付いて泣いた。その間、リーベはずっとあたしを抱きしめてくれていた。頭を撫でてくれていた。枯れたはずの涙がたくさんこぼれた。

「ありがと……」

 どれくらいたったか……。あたしはそう呟いた。

 リーベは抱き寄せていた体を離してあたしに顔を合わせた。

「いえ、こんなことしかできなくてすみません。もしかしたら止めるべきですら……」

「謝らないで。嬉しかったから、だから……もう少しだけ」

 あたしはまたリーベに抱き付いた。

 今さらだけどリーベが無事だったことに改めて安堵した。最後にリーベを見た時は治療のためか、もう意識がない状態だったからな。

「リーベは、……知ってた?」

「化け物の正体、……ですか?」

「うん……」

「今まで知りませんでした。今日初めて知りました」

「そっか……」

 そうなのか。

「リーベはそれ聞いてどう思った?」

「……驚きました。化け物のおぞましい姿は、私たちがおぞましいと強く思っているからあのような姿に見えるだけで本当は……」

 人間。リーベはそう続けなかった。

「ねえ、これを知ってリーベはまだ戦える?」

「……分かりません」

 あたしは戦えるわけないじゃんって言った。ひかりは戦って全部倒さなきゃいけないんだよって言った。リーベは分かりませんって言った。

 『違い』がある。『違い』は『隔たり』だ。いや、またあたしが勝手に感じているだけなんだ。

 あたしはゆっくりとリーベから体を離した。

「ひかり……どうしてる?」

「……」

「言って」

「……ひかりさんは、とても落ち込んでいました。ミーアさんに嫌われてしまったと……」

 ……やっぱり。

 隔たりを感じているのはあたしだ。距離を置いているのはあたしなんだ。ひかりはきっと今でも……。

 あたしは、それでもひかりとリーベのことを嫌いにはなれない。好きなのだ、二人のことが。どうしてかな……。きっと好きになっちゃったからだと思う。出会ってまだ日は浅いけど、二人と過ごした時間は楽しかった。凄く凄く楽しかったんだ。だから嫌いになれない、変わらず好きなんだ。

 でも、無理だ。無理だよ……。単なる価値観の違いなんて、そんなんじゃない。あたしたちが今まで殺していたのが同じ人間。どうしてそれが当たり前でいられるの!?魔法が使えない人を差別する、人間じゃないおぞましい化け物として見る。どうしてそれが正しいことなの!?

 分かってる。彼らは、ひかりたちはずっとその中で生きてきたから。それがずっと普通で当たり前とだったから。それにひかりやリーベは目の前でたくさんの人たちを殺されてきたんだ。倒さなきゃいけないって思って当然だ。……でも、だからこそ、あたしと違うんだ。性格とかじゃない。もっと人間の根底の部分。深く高い隔たりがあるのだ。

 ……ひかりが羨ましい。こんなにも決定的な違いがあるのに、それでもあたしと仲良くしたいと思ってくれている。リーベも今あたしのことをこうして抱き締めてくれている。

 ああ……、あたしだけだ。あたしだけ弱い……。あたしは一体どうしたいんだ……。

 多分、あたしは同じ人間を差別して、殺していたことなんてどうでもよくなっている。いや、どうでもよくなってはいないか……。でも、二の次だ。人を殺すのは嫌だ。でも、そう思うあたしと、そもそも化け物を同じ人間だとは思わないひかりやリーベとで違いがあって隔たりがあるのがたまらなく嫌なんだ。あたしが嫌だと感じるものを二人が良しとするのがたまらなく嫌なんだ。だから仲良くできる気がしない。あたしが仲良くできる気がしないんだ。

 ふと、ベッドの脇に携帯が置いてあるのが目に入った。

 ずっとここに置きっぱなしだったのか。持っていなくて良かったかもしれない。戦っている最中に持ってて、壊れたりでもした時これも再生してくれるか分かんないもんな……。

 あたしは携帯を手に取って、付けてある星型のストラップを握り締めた。

『ほら、ミーアちゃんも。友だちになった証、みたいな』

 ひかりの言葉が想起された。

 ひかりとリーベと出会えて本当に良かった。何もなかった、あたし自身すらなかったあたしに欲しいものを持たせてくれた。そしてあたしにあたし自身を持たせてくれた。だからあたしは二人のことが好きだ。だから友だちでいたい。だからずっと一緒にいたい。そのはずなのに……。

「なのに……、なのに……」

 考えたくない。何も、二人のことも考えたくない。ずっとこの温かい中で寝ていたい。

「えっ……、なん、ですか……!?」

 リーベが声をあげた。

 ああ、また、か……。

 あたしとリーベの乗っているベッドに魔法陣が現れていた。青白い光を放つ転移の魔法陣だ。

 また、またあたしは人間を殺しに行く……。

 気が付くとあたしは化け物に囲まれていた。

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