第三章 二節 あたしの欲しいもの

 勝てない。大型の化け物を目の前にして、ただただその言葉ばかりが頭の中を巡る。

 港に到着してから数分。その間に既に到着していた部隊、あたしの後に到着した部隊はあたしを残して全員倒された。今は退避している。一緒に来ていた姫咲さんたちもやられ、今は追い打ちされないようにあたしに引き付けている。

 目の前の大型は種別不明、新種の可能性があるみたいだ。蛇みたいに長くて太い胴体。そこから鋼みたいに硬くて鋭い荒々しい爪のある脚を四本生やしている。頭には鬼みたいな捻れた角を二本、自身の爪と同じように鋭い牙をいくつも持っていて、そしてその大型の化け物は翼もないのに空を飛んでいた。

 う、体、痛い……。頭も痛い……。

 あたしもそれなりに攻撃を受けてしまい、腕や脚など所々から血が流れている。おそらくかなり深い傷もある。

 麗さんが無理はしなくていいって言ってたけど、正直それはもうできない気がする。今ここであたしが逃げたり隠れたりしたら退避した人たちが殺されるかもしれない。そうじゃなくたって、あたしには分からない。あたしはどうやって戦えばいいのか……。

 めちゃくちゃ怖い。

 初めて本物の化け物と戦った。本当に怖かった。配属されたγ部隊の人たちに迷惑をかけながら戦ってなんとか倒すことができたくらいだ。

 今だって手の震えが止まらない。気を抜けば持ってる鎌を落としそうで、だから体が力んで余計に震える。

 化け物に負けるとどうなる?お腹を引き裂かれて、眼を串刺しにされて、心臓を抉り取られて、手足を粉砕されて、頭を潰されて……。さっきからそんな嫌な想像が脳裏にベッタリとくっついて離れない。

 大型は風を切るような勢いであたしに向かって飛んでくる。あたしはそれを避ける。そして気付かれないように用意していた魔力を発動させて、あたしがついさっきまでいた場所、今大型がいる場所の地面から巨大な黒いランスを突き上げる。大型は真上に吹っ飛ばされたけどさほど大きなダメージは負ってなさそう。

 やっぱり硬いな……。だけどこうして攻撃を少しでもしていれば、あいつはあたしを狙う。ひかりたちが来るまで凌ぎきれば……。

 正直、今すぐに逃げだしたい。戦わなくちゃならないのに、戦って勝たなきゃいけないのに……。あたしはそのために今ここにいるのに……。

 多分あたしは『この時代に必要とされている』、『役目だから』って思うようにして怖いという気持ちを抑え込んでいるんだ。怖いという気持ちを抑え込んで戦おうとして一人で突っ込んで、迷惑をかけて……。

 もしかしたら、いずるさんはそれを分かっていて言ったのかもしれない。きっと蜘蛛との戦いの時、無理して一人で突っ走るような真似をさせない、メサイア計画の主力としてではなくチームとしての『必要』や『役目』をあたしに与えてくれたんだと思う。

 でも、結局それだけじゃダメだった。誤魔化しきれない。抑え込めない。怖くて怖くてたまらない……。気を抜けば、足が勝手に後退りをしようとするほどだ。

 でもじゃあ、あたしはどうやって戦えばいいんだよ……。何を頼りに戦えばいいんだ……?どうして他の人たちは、ひかりやリーベはこんな奴らと戦えるのさ……。あたしは怖くて怖くてたまらないよ……。

 気が付くと大型はあたしに向かって突進してきていた。そして巨大な爪であたしを引き裂こうと……。

「ひっ……!?」

 思わず目を瞑る。全身が震えて動けない。逃げることもできない。

 やだ、死ぬ!怖い!!

「やあああ!」

 力強くて、けれど透き通るような声が聞こえた。ひかりの声……?

「大丈夫?ミーアちゃん」

 化け物に八つ裂きにされて死んでしまう。簡単に想像できてしまうあたしの行く末に覚悟もできないで、体を縮こまらせていた。けれど何も起きることはなくて、代わりにひかりの声が聞こえた。

「……え?」

 ゆっくりと瞑っていた目を開ける。ほんの一瞬しか瞑っていなかったけど目が暗闇に慣れたせいで視界に入る光が眩しすぎて目の奥が少し締め付けられるように痛んだ。

「ひかり……」

 そこには化け物の姿はなく、ひかりが立っていた。

「ミーアちゃん、危なかったよ」

「本当ですね。私たちの到着が遅れていればあのまま死んでいたかもしれないです」

隣からリーベの声。向くとリウスを抱えたリーベが立っていた。

「とりあえず、ここはわたしに任せて。リーベちゃんはミーアちゃんの手当をしてあげて」

 ひかりはあたしに背を向けてそう言った。その先にはさっきまであたしと戦っていた化け物がこっちの様子を窺うようにして飛んでいる。

「分かりました」

「え、でも……」

「いいから、ミーアちゃんは早くその怪我を直して!」

「!?……分かった」

 ひかりにしては強く突き放すような言い方だった。こんな、怪我をして、怖がって、その気持ちを誤魔化して抑え込んで、でも結局どうやって戦えばいいのか分からないあたしは、あたしも一緒に戦うなんて言えなかった。

「行きましょう」

 あたしはリーベに連れられて少し離れた物陰に隠れて治療を受けた。リーベがリウスから透明な液体の入った小瓶を取り出し、その中身をあたしの患部に垂らす。すると血行が良くなった時みたいに一気に熱くなって、ゆっくりと傷が塞がっていった。

「これで少し時間をおけば完治するはずです」

「……ありがとう」

 ひかりは今も戦っている。それなのに、あたしはあの化け物から離れられて安全な場所にいられて安堵している。そんな自分がもの凄く腹立たしい。

 ひかりはあんなに恐ろしい化け物にも勇敢に立ち向かって戦っている。けれど、あたしは化け物を前にしただけで足がすくんでまともに戦えなかった。今だって安堵しているはずなのに体に残っている恐怖が消えていないのか震えている。

 くそ、どうすればいいんだよあたしは……。

 手に柔らかくて少しだけひんやりとした感触。

「!?」

 リーベが自分の手をあたしの手に軽く添えたいた。

「いきなりすみません。すごく震えていたので、つい……」

「大丈夫。……ありがとう」

 そう言って少しの沈黙が生まれた。遠くで化け物とひかりが戦っている音が聞こえる。

「あたし、……どうやって戦ったらいいのか分からないんだ……」

「え、……どうやってって……」

「怖いんだ。訓練通りに戦っても怖くて。本当は今すぐに逃げ出したくて……。でも、そんなことしたら戦いに負けて、化け物のいない世界は作れなくて。あたしは化け物のいない世界を作るために今まで生きてきたのに、本当だったら怖いとか逃げたいとか思うだけでもダメなのに……。だから無理してでもがむしゃらになってでも戦わなきゃ、あたし全部投げ出しちゃいそうで……。ねえ、リーベは怖いって思わないの?逃げたいって思わないの?」

 ああ、情けない……。何言ってるんだあたしは。涙まで出てきて馬鹿じゃないの。

 弱音をぼろぼろ吐き出して、そのくせリーベの顔は見れなくて俯いて。

「……私も、怖いですよ」

「……え?」

リーベの言葉に顔を上げ、掠れて声になったかも分からない声をあげた。

「私だけでなく、他の戦っている方たちも皆怖い、逃げたいって思ってると思います」

 リーベはピアノの音みたいに凛とした声でそう言った。あたしの弱々しい声とは大違いだ。

「じゃあ、どうして?どうして、戦えるの?」

「欲しいものがあるからですよ」

「欲しいもの……?」

「はい。ミーアさんの治療が終わるまで、少し私の昔話に付き合ってもらえますか?」

 太ももにできていた傷を見るとまだ傷はほとんど塞がれていなかった。

「……分かった」

 リーベの脈絡のないような言葉に了承をする。

「私の家は昔、父と母と姉と私と三十人ほどの使用人で暮らしていました」

 リーベは語り始めた。

「父と母は私を甘やかし、姉や使用人たちは私の面倒を見てくれて、今思い出してもかけがえのない幸せな日々です。けれどある日、私はそんな大切な家族を失いました」

「え……!?」

「それ以降は一人残った二つ歳が上の侍女、レリンと暮らすようになりました。たった一人でも大切な家族には変わりなく、私はレリンのために生きていこうと日々強く思っていました。そんなある日、レリンが『リーベ様は自分の欲しいものに対して、もっと素直になった方がいいと思いますよ』と言ったのです。最初は何を言っているのか分かりませんでした。なぜなら私の欲しいものはレリンとの幸せな日々であり、既に手に入れていたからです。けれどその後すぐに思い出しました。私が昔はとても我が儘だったことを。おそらくレリンはその時のことを言っていたのでしょう。しかし、その時の私になんか戻れるわけがありませんでした……」

「……どうして?」

 あたしの疑問にリーベは大きく深呼吸をしてからゆっくりと告げた。

「家族を失ったのは私の我が儘のせいで招いたことだったからです」

「え……!?」

「家族で出かける予定だった日、付近に化け物が現れました。外出はもちろん中止になり、その日はずっと家で過ごすことになりました。けれど、その日を楽しみにしていた私はどうしても出かけたくて、我が儘を言って一人で家を飛び出してしまったのです。その結果、家に張られていた迷彩の結界が歪み、化け物が家を襲ってしまいました。父と母は私の目の前で化け物に引き裂かれました。姉や使用人に至っては化け物に喰われたのか、大量の血や衣服の切れ端を部屋に散らしていただけで姿形もありませんでした」

 リーベは淡々と、同じリズム同じ抑揚で惨憺たる状況をあたしに語った。

「家を出てほんの一瞬のことでした。結界を破ってしまったと悟ってすぐに戻りましたが、その時見たのは、無残に殺されていく家族の姿でした。そしてその時、レリンも複数の化け物に襲われていました。当時はまだ今のような魔法は使えませんでしたが、なんとか守りきることができました」

「……」

 昔のこととはいえ、軽く口に出せることではない。そんな話を語ったリーベに掛ける言葉が見付からなかった。

 トラウマになりかねない過去を背負っている。けれど、普段の柔和な雰囲気からはそれを感じさせない。そこにはきっと強さがあるんだ。怖くても立ち向かえる強さが。

「おそらく、それから私は我が儘を言わなくなったのだと思います。自分の欲しいものに素直になる心も、自分そのものも抑え込んでしまったのだと思います。そして心の中のどこかで他人と一線を引くようになっていました。一番親しく、愛すべき存在であるレリンに対しても。そして自分の欲を抑えて、他人の、取り分けレリンのために生きてきました。それは贖罪であり、もう決してあのようなことを起こしはしないという誓いと臆病な心から来たもの。私自身はそのことに自覚はありませんでしたが、レリンは分かっていたようです。レリンはさらに言っていました。『私にはもっと素直になってくれても良いのですが……。もう無理でしょうか……』と」

「……昔から一緒に暮らしていたから、せめて自分にはってこと?」

 あたしはおそるおそる尋ねてみる。

「ええ、きっとレリンはそう思い、私にそう話したのでしょう。ですが、レリンのその思いに反して、おそらくレリンに対して一番私の素直な気持ち、言わば私自身を見せないようにしていました。家族が化け物に襲われた時、レリンだけは守ることができました。しかし、その時レリンは大きな怪我を負ってしまったのです……。いまだにその傷跡は残っています。胸からお腹、そしてその下にかけて。その傷によってレリンは女性としての機能を失っていました。私は奪ってしまったのです。レリンから女として生きていくことを。あんな事件さえはなければ、私が我が儘を言わなければ、レリンはきっと誰かと愛し合って身体を重ね、子を成して幸せな家庭を築けたはずなのに。私は……その全てを奪ってしまったのです」

 相変わらず淡々とした口調。けれど、強く握りしめて震えている手や俯きながらも僅かに覗く噛まれた唇からは悲哀や怒りや憎悪が漏れ出ていた。

「レリンは私を恨んでいないと言います。おそらく本当のことでしょう。でも、私は違いました。自分のことを恨んで恨んで仕方がありませんでした。自分の胸を引き裂きたい、と衝動的に思ってしまうほどに自分を追い詰めることも何度もありました。そんなある日、私たちは再び化け物に襲われました」

「え……!?」

「大型の化け物だったことに加え、レリンは戦闘向きの魔法を使えなかったので、私はレリンを守りながらの戦いになりました。今度は、今度こそは守り切ってみせる、そう心に刻んだにもかかわらず、私はあっさりと負けてしまいました」

「そんな……」

「当然と言えば当然でした。ミーアさん、私の魔法はどのようなものですか?」

「え、サポートに特化した魔法……」

「その通りです。サポートをする力だけではその大型を倒すことはできなかったのです。魔法とは自分らしくどうしたいかで強い力を発揮できると以前にひかりさんが仰っていましたよね」

「うん……」

「私は自分の我が儘を押し殺し、自分の欲を差し置いて常に他人のためになるよう生きてきました。私の魔法はその結果ということでしょう……」

「そうだったのか……」

「はい。しかし、当時はそのことも知らず、どうして私には強い力がないのかと嘆きました」

 リーベの力は十分強いと思う。あたしは一緒に訓練をしている時にずっとそう思っていた。けれど、それでもリーベは自分の無力さを感じる場面に直面したということなんだろう。まるで今のあたしと似ている。

「受けたダメージと恐怖と自分への絶望で力尽きていると、化け物は次にレリンを襲おうとしました。私はそれを目の当たりにした瞬間、激しい頭痛に襲われてしまうほどの憤りを感じました。レリンをこれ以上傷付けることは許さない、と。私はただレリンと共に暮らすことができればそれでいい、そんな僅かな願いすら叶わないのなら、何をしてでもどんなことをしてでも手に入れてやる!レリンは誰にも渡さない、誰にも奪わせない!ずっとずっと私の隣にいてくれる大切な人だ!!だからこんな所で私は死ねない!!」

 先ほどの淡々とした口調とは違い、僅かに抑揚と強いハリの喋り方だった。

「そう強く思ったんです。そうしたら、体に感じる痛みも恐怖や絶望も全てを乗り越えるようにして再び立ち上がり、戦うことができたのです」

 リーベはそこで話を区切った。

「えと、その後は……?」

「その後?いえ、その後のことは今重要ではありません」

「うぇっ……!?」

 いや、重要じゃないって……!いやいや、その後レリンさんは助けられたのかとか!

「話が長くなってしまいましたが、私の欲しいもの、それは私にとっては何にも変え難いかけがえのないものです。それを失わないためなら、手に入れるためなら私はどんなに怖くてもどんなに辛くても立ち向かえるんです」

 失わないためなら、手に入れるためならどんなに怖くても辛くても立ち向かえる……?

「ミーアさんはこの戦いの先に欲しいものはありますか?」

「!?」

 あたしに聞いているの……?そんなこと今までに聞かれたことなんてなかった……。あたしは生まれた時から、いや、生まれる前からこの戦いに参加して化け物と戦うことが決められていたんだ。戦って勝つことが目的で、その先なんて考えたこともなかった。ひかりやリーベとの差はそこなのかな?ああ、また隔たりを感じる。あたしの欲しいものってなんだよ。そもそもあるのかよ……。

『わたしの欲しいものは、屋上で話したことだよ』

 いきなり通信機からひかりの声が聞こえた。

「え……?」

「ひかりさん!?」

『ごめんね、勝手に聞かせてもらっちゃった』

「いえ、それは構いませんが……。今戦闘中では?」

『うん、そうだけど、どうしても言いたくて。ミーアちゃん』

「は、はい!」

 思わず敬語になった。

『わたしが欲しいものは、昨日話したことだよ』

「え……?」

『ミーアちゃんとリーベちゃんと三人で化け物のいない世界でみんなの笑顔を見て、三人で笑い合いうってことだよ。わたしはそのためなら怖くても戦えるんだ』

「……」

『まだ二人と出会って一ヶ月くらいしかたってないけど、一緒に訓練して、時間がある時は街に遊びに行ったりお揃いのストラップを買ったりしてさ。わたし、凄く楽しかった!それで二人のことすっごく好きになってるなって思ったんだ!だから、この戦いでも一緒に戦って、化け物のいない平和な世界で、三人で最後に笑い合いたいなって思ってる!これが、わたしの欲しいものだよ』

「……」

 ひかりらしいな。明るくて目を瞑ってしまいそうなくらい眩しい。単純で簡単なのに凄く羨ましい……。ああ、羨まし過ぎるよ。

『ミーアちゃんはどう?』

「あたし、は……」

 そう呟きながら、あたしの体はゆっくりと立ち上がった。そしていまだに響く体の痛みを無視して千鳥足になりながら歩く。

「ミーアさん!?まだ怪我は完全に……!」

 あたしはこの戦いのために今まで生きてきた。周りの人たちに、世界に生かされてきた。期待されていた。だからあたしは戦っている。化け物と戦っている。そんなあたしが……。

「あたしなんかが……、願っていいの?求めていいの?望んでいいの?」

 誰に向かってなのか分からない問いを宙に吐きながら、空中で化け物と戦うひかりの真下まで来る。

「あたしも欲しいものを、持っていいの!?」

 通信機で話せばいいものをわざわざひかりの元まで行って叫ぶ。

 ひかりは翼を広げて、大型の周りを旋回。背後をとって双剣をクロスさせて一振りして光の刃を飛ばして大型を仰け反らせ、遠くへ飛ばす。そしてあたしの方を見た。

「うん!もちろんだよ!」

 ひかりはいつも以上に眩しい笑顔で言った。あたしと同じように通信機を使わず、あたしに直接声を届けてくれた。

 大型は再びひかりに襲い掛かる。けれどひかりはそれを紙一重で躱して隙を突いて攻撃しながら続けた。

「だって、自分が欲しいと思うものを持ってこそ自分なんだもん。それは自分が自分だって証、ミーアちゃんがミーアちゃんだっていう証だよ」

「証……」

「そうだよ。それは自分の思う自分、自分のなりたい自分なんだよ。だから、少しくらい我が儘になったって、欲張りになったっていいんだよ。それに、きっとその分力も湧いてくるはずだから」

「自分の思う、自分……」

 自分のなりたい自分……。

 光の羽を飛ばして大型を攻撃、遠ざけて再びあたしに向き合った。

「だから言ってみて!ミーアちゃんの欲しいもの」

「あたしは……あた、しが欲しいのは……いっしょ……に」

 喉が詰まってむせる。言いたいことと声がうまく重ならなくて我先にと口から出ようとする。ついでに無駄に唾も飛んだ気がする。

 持っていいんだ。欲しい物を、あたしを。二人はいいって言ってくれた。あたしは、あたしも……。

「あたしも笑いたい!!三人で一緒に、化け物のいない世界で一緒に笑い合いたいよ!!」

 あたしは叫んだ。頭に血が上って視界が白くなるくらい力いっぱい叫んだ。それと同時に鎌を出現させ、大型に向かって一振り、魔力による巨大な刃を飛ばす。それは黒色なんてものじゃない。全てを吸い込み染め上げてしまうような闇色。それが大型を下から襲い、真上に吹っ飛ばす。

「はあ……、は、あ……」

 呼吸が荒くなる。大声で叫んだせいで喉痛いし噎せそう。けれど、体全体にだくだくと熱い何かが流れる感じがした。それがとても、とても気持ちいい。

 今まであたしが持っていなかった物。もしかしたらずっと欲しかったものなのかもしれない。

 隔たりがある。あたしが隔たりを感じている。でも、それでもあたしはひかりとリーベのことをいつのまにか好きになっていた。だから一緒に色々なことをしたい。街に遊びに行ったり美味しい物を食べたり、二人と一緒なら学校で勉強だってしたい。そして何より三人で笑い合いたい。

 きっとこれがあたしなんだ。今まではきっと持つことができなかったもの。だけど今は違う!あたしが思うあたしがちゃんとある!あたしの欲しいものがちゃんとある!だから、そのためなら怖くったって戦える!

 ひかりは何も言わない。だけれど柔らかくて、輪郭の整った綺麗な笑顔を向けてくれているのが遠くからでも分かった。あたしもつられて笑う。

 その瞬間、また大型がひかりに凄いスピードで襲い掛かる。

「!?」

 危ない!そう叫ぼうとした瞬間、大型の頭に三本のナイフが飛んでいき、大型の下顎部分に当たる。一瞬怯み、そこをひかりは右手に持った剣で切り付けた。

「まったく、まだ完治していないのに動いて、そのうえ大声を出すなんて怪我に響きますよ」

「リーベ」

 声の方を向くとやれやれと言いたげなリーベがリウスを抱えて立っていた。

「ごめん……、心配させちゃって」

「ふふっ、私もこの戦いで欲しいものはお二人と同じです」

 リーベは珍しく無邪気な笑顔を見せた。今までお姉さんって感じのイメージが少しあったせいか、ちょっと可愛く見える。

『よし、それじゃあ三人で倒すよ!』

 ひかりの声が今度は通信機から聞こえた。目をやると、ひかりは大型と戦いながら空を旋回している。

「はい!」

「うん!」

 なんか、あたしが生き生きしてるってことが凄く分かる。いける!今のあたしなら!

『はああぁぁぁあああ!』

 ひかりは翼を大きく広げて数百の光の羽を大型に浴びせる。だけど、大型も俊敏な動きで飛び回っていて全部は当たらない。それに突進や爪での攻撃、口からの光弾で攻撃してくるからひかりもそれをうまく捌かなければならない。

「なんとか隙を作れれば……」

 あたしは鎌を再び大型に向かって一振り。気が付かれないように魔力を飛ばし、それが大型の周りを漂う。

「縛れ!」

 あたしは魔力を発動させる。瞬間、目に見えなかった黒い魔力が出現。大型は黒い霧に包まれたかと思うと、あたしの魔力が何十本もの黒い手となって大型に伸びて絡み付き、大型を拘束した。

「今だ、ひかり!」

『おっけー!』

 あたしの声にひかりがそう答えて手に持つ双剣を消し、翼から羽を一枚抜き取り両手に持った。すると羽は伸びていき、形を巨大な剣へと変えていった。

『いっけええええぇぇぇ!!』

 ひかりは光の剣を大きく振りかぶって大型に切り付ける。今までは小さな切り傷程度しか付いていなかった大型の体に巨大な切り傷が走り、黒い飛沫をあげた。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!」

 大型が悲鳴のような咆哮をあげる。

 さらに追い打ちをかける。ひかりは剣を宙で二回薙ぐと光の刃が放たれ、大型の傷口をさらに深くし、新たに飛沫をあげた。

 かなりのダメージを与えられたはずだけど、まだ倒せない。やっぱりタフだな。

「くそ、あたしも上で戦えたら……」

「ミーアさん、私に任せて下さい」

 リーベの方を向くと、手に持っていたリウスの首に付いた鎖を握り、それを勢い良く引っ張って引き千切った。

 途端、リウスは光りだして、その光がどんどん大きくなっていって……。あたしの見上げる先には、さっき戦った蜘蛛と同じか、それ以上の大きさをした三つ首の犬、巨大化したリウスが荒々しく力強く気高く立っていた。

 刃物の様に鋭い牙と爪。ゴワゴワと硬く荒く生えた体毛。まさに凶暴そのもの。けれど常に気高さを持ち続ける艶やかで鋭く輝いた瞳をしていた。

「こ、れは……?」

 リウスが巨大化した……!?

「先ほどの話の続きですが、私の欲というのは思ったよりも大きかったみたいで。レリンが襲われる直前にこの魔法に目覚め、見事化け物を撃退することができました」

「そうなんだ……。これが、リーベの魔法……」

「はい。討伐作戦の日までには皆さんに披露しようと思っていたのですが、機会を失ってしまって」

 でも、あたしの時代にもリーベがこんな魔法を使うなんて記録はない……。それに討伐作戦まであと六日しかなかったのに、こんな魔法を今まで使わないでいたのもおかしい。麗さんは時間の流れに干渉したことによってズレが生じて化け物が現れたって言っていた。もし、リーベのこの魔法もズレによって生じた、あたしの時代には伝えられていないものだとするなら、必ずしも現状が悪くなっていっている一方というわけじゃないのかもしれない。

「主よ、この姿で相まみえるのは久しいな」

 うおっ、喋った!?

「ええ、そうですね。早速で申し訳ないのですが、ミーアさんを乗せて、あの大型の化け物の所まで連れて行ってもらいたいのです」

「え、あたしを!?」

「ほう。なかなかの強敵だ」

 リウスは上空でひかりと戦っている大型を見てそう言った。

「そしてあなたにも戦ってもらいます。できますか?

「愚問だな。主が貪欲である限り、我は有り、主のために戦おう」

「ふふ、とても頼もしいです。では、お願いします」

「承知」

 リウスはそう言うと、真ん中の頭をあたしの前に下げてきた。ここから乗れってことか。

「お邪魔します……」

 頭を踏むもんだからちょっとだけ躊躇いつつも上らせてもらう。背中まで行き、荒々しく生えている毛に掴まった。するとあたしが乗っているすぐそばからゆっくりと巨大な翼が生える。そしてそれをゆっくりと大きく、羽ばたき出した。

「では、ゆくぞ」

「う、うん……」

 リウスの羽ばたきは激しくなり、一瞬にして空へと立った。

 凄い勢い……。しっかり掴まってないと振り落とされる……。

 あたしは引っ張りすぎて抜けてしまわないかと心配になるくらいリウスの毛にしがみつく。そして体を押し返す空気に耐え、バランスを取りながらゆっくりと立ち上がり、右手で鎌を横に構える。黒い巨大なランスを一本作り出して迫る大型の傷に向かって、打ち込む!

 ランスは大型を見事に貫く。大型は仰け反り動きを止めた。

 よし!

 隙だらけの大型に向かってリウスが襲い掛かる。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!」

 リウスの鋭い爪で抉るように引き裂かれた大型は聞き取ることできないほど滅茶苦茶な声をあげた。

 さらにリウスは真ん中の頭で噛み付き、空高く振り回して放り投げた。空高くなす術なく放られる大型。

 それをひかりはすかさず追いかけ、真下から光の剣を突き立てる。そしてひかりはそのまま手を話して自由落下を始めた。

 落ちるひかりは指を鳴らしたのか、甲高く響く音が鳴る。すると、大型に刺さっていた光の剣はその光を増して、爆発。内部からひかりの化け物を消滅させる魔法による攻撃。立ち込める煙すら眩い光を発して大型を包み込んだ。

 思わず、目を逸らしてしまいそうなのを堪えて、目を離さないで見続ける。すると煙の端から細長い黒い物体。

「くそ、まだ倒せないのか……」

 あたしは両手で鎌を持つ。

「ちょっとごめんね」

 そう言ってリウスの真ん中の頭の上に足を掛けて、光の煙に向かって跳躍。首筋に鋭く風を切る感触を感じながら、一瞬で大型との距離を詰め、追い越して大型を見下ろす。

 鎌を振り上げて、魔力でランスを作る。黒い闇色の巨大なランスを十本。

 光の煙を振り払い、大型が姿を現した。体にはいくつもの傷があり、黒い飛沫を大量に吹き出させている。かなりのダメージを受けているのか姿勢は悪く、貧弱だ。けれど、それでもまだあたしの方を睨みつけて敵意を剥き出しにしてきた。

「これで、おわれええぇぇぇえええ!!」

 あたしは作り上げたランスを一気に打ち込んむ。ランスは雷鳴のような音をたて空を切り、全てを貫かんとその尖鋭な矛先を大型の体に突き立てた。さらに間髪入れずランスは次々に大型を突き刺していく。

 大型は悲鳴をあげていたかもしれない。けれど突き刺し、貫通しようとするランスたちによって発せられる衝撃音でそれは掻き消されていた。

 ランスの勢いに耐えきれなくなったのか、大型はついに押し負け、海へと落ちていった。大きな水柱を立て、宙に舞ったそれは雨が降るように落ちていく。水面は大型が落ちた波紋をいくつも広げるも、それ以外の揺らめきを見せない。

 ……倒したか?

 首筋に空気がぬるって足元がふらふらって。

「やば、落ち……!?」

 落ちる落ちる落ちる怖い怖い怖い怖い!!!!

「ほっ」

 落ちるあたしをひかりが受け止めてくれた。

「大丈夫?ミーアちゃん」

「な、なんとか……。ありがと」

 血管が破裂しそうなくらい心臓バクバクしてるけど。てか、これってお姫様抱っこ状態だよな……。なんてことを考えたら恥ずかしくなって余計に心臓がバックンバックンで……。

「良かった」

 ひかりはそう短く言った。だけどあたしに向けてくれた表情はやっぱり柔らかくて綺麗な笑顔だった。またつられてあたしも笑う。と言うか緩む。

『お二人とも無事ですか?』

「うん、大丈夫だよ。今そっちに戻るね」

 リーベの問いかけにひかりはそう答えてからあたしを抱き抱えたまま、リーベの元へ戻った。リウスはもう先に戻ったらしく、ぬいぐるみに戻ってリーベの肩に掛けられていた。

『結希、ヴァールハイト、久遠、聞こえるか?』

「はい、聞こえます」

『たった今お前たちが戦っていた大型の反応が消失した』

「ってことは!?」

「倒せたのですね」

「みたいだね」

「ぃやったーーー!!」

「「!?」」

 ひかりが大きな声で叫ぶようにそう言った。

「やったよ!倒したんだよ!」

「あ、ああ、そうだな。そうみたいだな」

「だったらさ、もっと喜ぼうよ。せっかくわたしたちの欲しいものが同じでそれに近づいたんだからさ。一緒に喜ぼうよ」

 近づいた……、あたしの欲しいものに……。化け物のいない世界で三人で笑い合うことに、近づいたのか……。近づいたんだな、あたしは。

「うん、凄く嬉しい。嬉しいよ!ひかり、リーベ!」

「はい、私もとても嬉しいです!」

 ひかりとリーベはまた笑顔で、だからやっぱりあたしも顔が緩んでしまって、だけどちゃんと笑えていると思う。だって凄く嬉しいから。これは近づいた証だと思う。化け物を全て倒してこの計画が成功した時には、きっとあたしたちはもっと笑えていると思う。

『喜びを分かち合うのもいいが、できればそれはこちらへ戻って報告書を提出してからにしてほしいんだが……』

「ほわっ!?ご、ごめんなさい」

 通信機から麗さんの呆れた声が聞こえ、それにひかりは変な驚き方をしてから謝る。

『こちらから確認できる化け物の反応はない。今回の防衛戦は白星と言っていいだろう。あとの仕事は回収班、処理班に任せて、お前たちは魔法省に戻ってバイタルチェックを受けてくれ』

「はい、分かりました」

『良くやってくれた。今日はゆっくりと休め』

 通信はそこで切れた。

「それじゃあ、戻ろっか!」

「うん」

「はい」

 あたしたちは帰路についた。港から魔法省までは結構離れている。歩いて移動するとかなり掛かると思う。魔法を使えば五分程度で移動できるけどそんな元気は今はない。それに今はひかりとリーベとおしゃべりをしながら歩きたかった。そっちの元気は今ならいくらでも湧いてくる。

 視界がぐにゃって……。

「!?」

 何だ?今……視界が歪んだ?なんか、ノイズが入ったみたいに視界チラついた感じがした……。疲れてるのかな……。戻ったらバイタルチェックもあるし、一応話しておこうかな……。

 そう思いながらふと倒れている人型の群れが視界に入る。

 そういえばγ部隊と戦っていた時は周りに人型がたくさんいたな。その時蜘蛛もいたから倒すのも少し大変だった。

 また視界がぐにゃって、たくさんの人が血を流して倒れてる。

「っ!?」

 何……!?

 もう一度見直す。けれど人型が倒れているだけだった。

 でも、今確かに人がたくさん倒れてて、それで血だらけで……。見間違い?いや、でも確かに……。疲れてる、んだよね……?疲れててぼーっとしてて……。でも、一応バイタルチェックの時に聞いてみよう。あと麗さんにも……。

「おーい、ミーアちゃん!早くしないと置いてくよ」

 声のする方を見るとひかりとたちは結構離れた所にいた。

「ごめん、今行く!」

 えーと、なんだっけ?……まあ、いっか。

 あたしはひかりたちの方に走った。

『ああ、これはいけないな。とてもいけないよ』

 何かが聞こえた気がした。

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