第二章 三節 隔たり

 昼間はまだまだ暑い十月でも夜になると少し肌寒い。上着のパーカーを着てきて良かった。

 お風呂から出て自室に戻ったが時間はまだ九時前であまり眠くなくて、自動販売機で買ったココアを持って魔法省の展望室に来ていた。

「綺麗だな……」

 この時代に来てから周囲の張り詰めた緊張感だけで疲労を感じていたけど、この時代でも街の明かりと星空は綺麗に輝いていて、それだけで疲れが吹っ飛びそうだ。

 けれどあたしの時代よりも少しだけ街明かりは少ない。それは多分人口の問題だろうか。

 この時代に来て最初に麗さんが化け物によって年々人口が減少しているって言っていた。けれど化け物がいなくなったあたしの時代の人口はこの時代の何倍も多く、その分街明かりも多い。つまり、この綺麗な夜景ですら僅かながらあたしに緊張感与えてくるのだ。

 冷たくてそれでいて汗ばんだようにじっとりとした空気が頭の中に流れているような、そんな緊張感。早くこれに慣れなくちゃ。

「お休みになられたのではなかったのですか?」

 不意に後ろから声をかけられたので振り返ってみるとリーベが立っていた。

「そのつもりだったんだけど時間が早過ぎて寝付けなかったから」

「そうだったのですか。ではせっかくですから少しお話でもしませんか?」

「話?」

「はい。と言っても他愛のないお話ですけど」

 そう言ってリーベは微笑んだ。

 あたしたちは近くにあったベンチに座った。

 あたしに話ってなんだろう?仲良く雑談をするような仲になった覚えはない。いや、それが問題なんだろうな。

 別に親友になれとまではいかなくても、ある程度のコミュニケーションをとって相手のことを知っておいた方がいい。そうでなければ化け物と戦う時も連携はとれない。

「星、綺麗ですね」

「うぇ!?ほ、星?……まあ、綺麗だけど」

 リーベの口からは本当に他愛のない言葉が発せられ、あたしは拍子抜けし、思わず変な声が出てしまった。

「それに街の明かりも明るく綺麗です」

「う、うん、そうだな」

「この時代がたくさんの人で溢れている証ですね」

「そういうことになるな……」

 一体何が言いたいんだ……。

「私の時代はこの時代と違い、人間と化け物の住む居場所が分けられていませんでした。ですから毎日のように化け物と戦う日々で、夜も安心して眠ることができませんでした」

 そうか、リーベの時代はそうだったな。

 場所を選ばず時を選ばず化け物に襲われる。運が悪ければ今日の訓練で戦ったような鬼に襲われることだってある。そんな殺伐とした世界じゃ。ゆっくりと星を眺める余裕もない。化け物のいない平和な時代のあたしなんかじゃきっと想像もできないくらい恐ろしい世界だ。

「私にとって夜でも活気のある街の光景はきっと安息であると共に未来への希望を持たせてくれます」

「希望?」

「はい。この時代でも化け物はまだ確かに存在します。しかし、確実にミーアさんの時代のような化け物のいない世界に近づいています。ですからミーアさんの時代への希望を持つことができます。街の景色はその証です」

 あたしの時代への希望、か……。

 化け物のいない平和と幸せと安息の、理想郷。そう何かの本で読んだ気がする。その理想郷で生まれて、暮らしてそれが当たり前で、たとえ厳しい訓練を毎日受けてきたあたしでも、目の前の景色に希望じゃなくて緊張感を感じているあたしにはリーベの言葉を理解はできても正直同じように思うことはできなかった。

「ミーアさんはひかりさんのことどう思われていますか?」

「え?どう思ってるって、なんでいきなり……?」

「この景色は私に希望を持たせてくれると言いましたが、実はひかりさんにも同じことを感じているのです」

「あいつにも同じことを……」

「はい。とても明るくて前向きなひかりさんを見ていると希望が持てるんです。ですがミーアさんはひかりさんのこと避けているように感じられます。ひかりさんもそのことを気にしていたのでどう思われているのかと思い」

 あぁ、そのことか。そうしがちであることに自覚はあった。避けていたことの理由も。

「あたしの時代はさ、理想郷って呼ばれているんだ。この時代に行われたメサイア計画が成功して化け物が完全にいなくなった世界。でももし失敗すれば歴史が変わり最悪、あたしのいた世界は消えてしまうかもしれない。そうならないためにあたしは小さい頃から厳しい訓練を受けてきた。けど、それでも本物の化け物との戦いの中で生きてきた人たちは文字通り命懸けで、理想郷の中で生きてきたあたしなんかじゃ同じ気持ちを持つことさえできないんじゃないかって思ってたんだ」

「確かに緊張感はありますね。大規模な計画を行っているのですから無理もありませんが私の時代でもこれほど張り詰めたような感覚はなかなかありませんでした」

「そんな中であいつは無邪気に笑ってたんだ。呑気なほどに」

「まさかそれで呆れて嫌いになったのですか?」

「違うよ。ただ、驚いたんだ。この時代の運命を左右する計画の中心にいてあんなに呑気に笑っていられるなんて、最初は馬鹿なのかと思ったよ。でもちょっとだけ、あたしの時代で暮らす人たちに似てたんだ」

「ミーアさんの時代の人たちにですか?」

リーベが不思議そうに聞いてきた。

「うん。何に対しても前向きで生き生きとしていて、眩しいくらいにキラキラしてる人たちなんだ」

「ふふっ、確かにひかりさんとそっくりですね」

リーベは笑いながらそう答えた。

「しかし、ミーアさんの時代の方々と似ているのであればどうしてひかりさんのことを避けていたのですか?」

 もっともな疑問をリーベは投げかけてきた。あたしの時代の人と似ているのであれば当然接しやすくて避ける必要なんかない。普通はそう思うだろう。

「あたしはさ、さっき言った理想郷ってやつの中にいて、ほとんどそれに触れたことがなかったんだ」

「……どういうことですか?」

「さっきも言ったけどあたしは小さい頃から訓練をずっと受けてきた。平和な世界にいながらあたしだけ……。だからそういう人たちを遠くから眺めていることがほとんどで、たまに一緒になることがあっても、どうしても隔たりを感じちゃうんだ。あたしはこの人たちとは違う、あたしだけ一人ぼっちだって、どうしても思っちゃうんだ」

 皆前向きで明るくて、だけどあたしはそうじゃない。そうじゃないなら一体なんなのか、それすらも分からない。

 ココアを口に流そうとしたけどいつの間にか空になっていた。けれどなんとなく飲む仕草だけする。

「なるほど。それでミーアさんの時代の方々と似ているひかりさんを避けているわけですね」

「うん……」

 あたしは重ねて見ているんだ。あたしの時代の人たちとひかりを。似ているだけで本当は違う。だけどやっぱりあたしとも違う。

 ひかりの魔法、明るくて綺麗で温かかった。あの魔法に込められた思いはきっととても純粋で一途なものなんだろうな。それに比べてあたしの魔法は黒くて、一体どんな思いがあるのか自分でも分からない……。本当に真逆だな、ひかりとあたしは……。

「あまり気にしなくても、ミーアさんは最初から一人ぼっちじゃないですか」

「!?……え、……あ、うん、そうだね……」

 サラッと胸に鋭く突き刺さる言葉を言われた。まあ、事実だからいいんだけどさ……。

「あ、違いますよ!最初からっていうのはこの時代に来た時からって意味で、一人で来たのですから最初は一人ぼっちで当然ですよって言いたかったんです!ですからこれから仲良くなることは十分できると思いますよ」

「なんだそういうことか」

 違うのか、良かった……。てっきり柔らかい声と物腰で毒を吐かれたのかと戸惑ってしまった。

「でも……、そんなに簡単にいくかな。あたしは厳しい訓練を受けてきただけだけど、ひかりは本物の化け物と戦ってきた。それなのにあんなに明るくて前向きで……。ああ、あたしとひかりは違うんだなって感じた……」

 いちいちこんなことを感じるのはあたしが臆病だからかな。別に嫉妬しているわけじゃない。いや、少しだけ羨ましいのかもしれない。でもほんの少しだけだ。それ以上に隔たりを感じて、居たたまれなくなる。だから仲良くなんてなれない、仲良くなろうとしても頭がモヤモヤして胸のあたりがクシャクシャになるだけなんだ。そう感じてならない。

「大丈夫だと思いますよ」

「……」

「ミーアさんとひかりさんには隔たりも違いもないと思いますよ」

「……そうかな」

 リーベはあたしの顔を見つめてくすりと笑って続けた。

「ひかりさんはメサイア計画で戦うために参加しています。そしてミーアさんはメサイア計画で戦うためにこの時代に喚ばれたんです。お二人は同じです。同じだからミーアさんは喚ばれたんです」

「……」

「それにひかりさんはただただ純粋にミーアさんと仲良くしたいみたいですし、隔たりや違いがあっても気にしないと思いますよ」

「え……?」

「ですから、あとはミーアさんの気持ち次第ですね。ひかりさんと仲良くしたい、という気持ちを持てれば大丈夫です」

「……」

 お互いに仲良くしたいという気持ちを持てばそれだけで仲良くなれる。そんな単純なものだろうか?あたしの時代の人たちなら、ひかりならそう思うのかもしれない。そしてそれだけで本当に仲良くなれるのかもしれない。でも、彼らと違うあたしにはそう思うことができない。

 ……けど、そんなひねくれているあたしと仲良くなりたいとひかりは思ってくれている。その気持ちには答えたい。だから……。

「……頑張ってみるよ」

 つっかえそうな声を引きずり出すようにしてリーベにそう告げた。

「はい、頑張ってくださいね」

 リーベは温かな笑みであたしを応援してくれた。

 とりあえず、明日あたしから話しかけてみるか。

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