第17話 旅の垢は早めに落とすに限る
「さて、これはここに置いて……と」
僕は脱衣所に到着すると、まずは普段自分が着るために用意しているTシャツとトランクスをクリアボックスから取り出すと、普段替えのシャンプー等を置いている棚の上を片付け、その上に畳んで置く。
「これは着替えだ。風呂から出たらこの服に着替えるように」
「だから風呂ってなんだよ?」
疑問の声を上げながら僕が用意した服に手を伸ばしたライラの右手を軽く叩いて落とすと、僕は睨みつけてきたライラに説明する。
「ばっちい手で触るんじゃない。触るのは風呂に入って綺麗にしてからだ。風呂っていうのはね。自分の体を綺麗にする場所の事だよ」
「何だ。水浴びかよ」
水ではなくてお湯だ。
そうは思ったけど、ここで説明するよりも実際に体験してもらった方が早いだろうと思い、「そうだ」とだけ答える。
そして、どう見ても一枚の布を二つ折りにして両サイドを縫い付けた後に穴を開けただけ……という装いのボロ切れと化した服もどきをライラの両手を強引に上げさせて剥ぎ取ると、その布切れをゴミ箱に放り込んだ。
「テメーなにしやがる!! やっぱり変態か!!」
しかし、その行為がお気に召さなかったのか、ライラは僕の背中を服ごと爪で切り裂く。
この部屋にいる限り服も怪我もすぐ治るけど、一瞬とはいえ痛みは発生するのだ。
正直止めて頂きたい。
「痛いな。何するんだ。水浴びするのに服着て入る奴が何処にいる」
「いや……だからっていきなりは無いだろ……」
何やら顔を赤くしてモジモジしているライラを尻目に、僕も服を脱いで洗濯機の中に放り込む。
しかし、そんな僕の行動を見ていたライラは、元々大きかった目を真ん丸に見開いて指を向けてくる。
「おいっ! 何でおっさんまで裸になってるんだ!!」
「何故って、君は風呂の使い方がわからないだろう? 説明するのに服着て入るのもないだろう」
それに、流石に前日荒野に一泊してさんざん汗をかいて気持ち悪かったのもあるし、一石二鳥でもある。
僕は服を全て脱ぐと振り返り、布切れ一枚剥がしただけでスッポンポンになっているライラを促して風呂場に入った。
「おお……なんだこれ……」
「おお……なんだこれ……」
風呂に入ると2人揃って同じ言葉を口にしたが、言っている意味はもちろん違う。
ライラは風呂桶を見ていることから風呂の形と先ほど僕が蛇口を捻ってお湯を出した事に驚いているのだろう。
対する僕は、お湯を出した後に裸のライラの背中を見て、頭から尻尾まで一直線に繋がっている体毛と、元々細かった猫のような尻尾がブワッと膨らんでいるのを見て驚いていた。
こういうのを見ると、耳も尻尾も飾りではなくて、本当に違う人種なんだなと実感してしまう。
「ライラ。珍しいのはわかるけど、とりあえずここに座りなさい」
興味深そうに蛇口から飛び出しているお湯を汚い手で触ろうとしているライラを慌ててシャワーの前まで引っ張ると、椅子に座らせる。
すると、丁度鏡に向かって2人揃って並んで座るような格好になり、再びライラが驚いた。
「なんだこれ!? 変な獣人とおっさんが見える!!」
「変な獣人は君だよライラ。君だって水面の反射なりなんなりで自分の姿くらい見たことあるだろうに……」
いつまでも驚いてばかりでは先に進まないので、僕はライラにさっき僕がやってみせたようにやるように、目の前の蛇口を捻るように口にする。
さっきは僕に止められた事に不満を持っていたのか、今度は止められないことに気分を良くしたらしく、ライラは蛇口を思い切り捻った。
最も、僕はその行為を予想していたので、シャワーの向きとは違う方向に体を寄せて、その直撃を躱す。
最も、何も知らないライラはまともにシャワーからの一撃を食らってしまったが。
「わぷっ!! な、何だゴペッ!? ちょ……ケイマ!!」
こんな時ばかり名前呼びかい。
ビックリして振り向きざま僕に抱きついてきたライラを引っぺがすと、シャワーに当たらない位置にライラを座らせ、蛇口を指さした。
「ほら、そこをさっきとは反対側に回すんだ。今度はゆっくりだぞ。そうすればお湯も弱くなるから。……そうそう、そんな感じ」
今度はおっかなビックリ蛇口に手を伸ばすライラに説明すると、ようやく丁度良い勢いに落ち着いた。
「……なんだか知らないけどすげーな。それに、何であったかい水が……」
「それはそういうものだと思っといて、今は使い方を覚えるんだね。ほら、顔下げな」
僕は言いながらライラの頭を強引に下げると、その上からシャワーのお湯をかける。
当然ライラは騒いだけど、お湯をかけながら髪を洗い流すと、妙な声を出して大人しくなる。
「よし、とりあえずこんなもんか。ライラ、次にシャンプー使うけど、目を開けるなよ。開けると染みるぞ」
「な、何だよ……次は何をするつもりなんだ……」
「いいから目を閉じとけ。ギュッとしとけばいいから」
「わかった。ギュッとだな」
怯えたような声を出すライラは、まるで借りてきた猫みたいだ。
いや、借りてはいないけど猫だったな。
そんな事を考えつつ、僕はシャンプーを手の平の上に出すとライラの頭をガシガシ擦る。
しかし、一向に泡が出る気配がない。
「……こりゃすごいな。一体どれだけ汚れているのか……」
「……なあ、ケイマまだか?」
「まだだ。もうちょい辛抱しな」
僕は再びライラの頭を洗い流し、シャンプーでの洗髪を試みるも、やっぱり泡は出てこない。
結局、ライラの髪が泡だったのは三回目のチャレンジになってからだった。
「ほら、綺麗になったろう。次はこいつを使って顔洗いな。僕は背中の毛を洗うから」
「なんだこれ? どうやって使うんだ?」
「お湯つけて両手で挟んで擦ってみな。泡が出るから、その泡で顔を洗うんだ」
説明をして、少し迷ったけど僕は背中の毛はシャンプーで洗う事にして、先ほどと同じようにシャンプーを付けた手で背中の毛を擦る。
ライラはというと「おおっ!」とか言いながら泡で遊んでいたけど、とりあえず失敗しながらでも洗う練習をしてもらうことにした。
その後、ようやく背中と尻尾を洗い終えた僕は、ライラを向かい合わせるように座らせると、タオルにボディーソープを付けて揉むように擦る。
その様子にライラも少しは驚いたようだったけど、多少は慣れたらしい。
「それは何に使うんだ?」
「これで体を洗うんだ。今日はやり方含めて僕が洗ってあげるから、次からは自分でやるんだよ。ほら両手上げて」
僕の言葉にライラは素直に両手を上げる。
どうも、ここまででかなり警戒心が薄れたことに満足して、僕もライラの体を丁寧に洗っていく。
どうやらくすぐったいらしく、少し体をクネクネさせていたけど、概ね気持ちがいいらしい。
すぐに上気した表情になってなすがままになっているライラの様子を見るに、これまで随分とひどい暮らしをしていたんだろうなとちょっとだけ同情心が沸いてきた。
さて、これで後は下半身を洗えばおしまいだ。
僕は全く贅肉のついていない細い太ももを中心にタオルでこすっていたのだけど、そのうちある事に気がついた。
「…………」
それはなんというか、非常に由々しき問題だった。
ここまで洗ってきてどうして今まで気がつかなかったんだとか、ここに来る途中にハインツが口にしていたことをどうしてもっと真剣に考えなかったのかという疑問が頭の中を駆け巡る。
「……? ケイマ?」
どうしたんだ? と言わんばかりのライラの顔をまじまじと見たあと、僕はライラの体をくるりと鏡側に向けると、ライラにタオルを差し出す。
「……もうやり方は覚えただろう? 後は自分でやりなさい」
「はあ? 何だよ。ここまでやってくれたんだったら最後までやってくれよ」
唇を尖らせ、ブーブー文句を言うライラの手にタオルを握らせ、もう話は聞かないと言わんばかりに僕は立ち上がると風呂桶側の蛇口を止める。
「全部洗い終わったらこの中に入って温まるんだぞ。で、出たら外にバスタオルと着替えを用意しておくから、体を拭いたら着替えて戻ってきなさい。いいかい? 君は賢い子だからもう全部一人で出来るはずだ。じゃ、そういう事で」
「おい!? ケイマ!?」
後ろから抗議の声が上がったけど、僕は無視してバスルームから飛び出すと、着替えを引っ掴んで寝室にもどる。
寝室では未だに寝続ける獣人の少女がいるわけで、当然、この子にも目を覚ましたら色々教えなければいけないだろう。
最も、今の僕にはそれよりももっと重要な問題があるわけで……。
「…………付いてなかった…………」
ここにきて僕はようやくハインツが言っていた言葉の意味に気がついて、風呂に入る前にライラが口にしていた「変態」という言葉が、何やら自分の二つ名になったようで頭を抱えるしかなかった。
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