第3章

 数日後、俺たちは依頼のあった村に向かった。

 不審な人影が現れるという屋敷の一族が地域一帯を治めるこじんまりとした静かな村だ。

 その村の入り口にはきちんとした身なりの華奢な男が待っていた。

「ご足労いただきありがとうございます。この度依頼させていただきましたアルと申します」

「海扇から派遣されて参りました、ハミルと申します。こちらはエレンとキアラです。よろしくお願いします」

 肩につくかつかないかのストレートの艶やかな栗毛に、モノクルの奥にヘーゼルの瞳をのぞかせた人の良さげな青年だ。

 聞けばこの屋敷の管理人だという。

「何年か前にこの屋敷の一族が途絶えてしまいましてね。ですが歴史的な価値から保存が望まれまして、住人はいないのですが有志の者が管理を行っているのです」

 問題の屋敷に向かいながらアルは三人に話す。

「いつも通り手入れと見回りに行ったある日のことです、屋敷の前に人影が見えましてね。しかし近づくとふっと消えてしまって……それ以来たびたび人影が現れるようになり魔物の被害も増えたのです」

 経緯を話すアルの後ろをついていきながらキアラはどこか違和感を感じていた。

 かなり村の中を歩いてきたが未だに村民とすれ違ってすらいない。

 そして何より……。

(こんな鄙びたところなのに虫の声が聞こえない……!)


 ———シュッ。


 本能的にキアラはエレンの前に飛び出した。

 風を裂く音が聞こえると同時に肉を断つ不快な音が耳に届いた。

「キアラ……!?」

 その声にはっとして、キアラは遠のく意識を引き戻す。そして大きく踏み出し敵の喉元に瞬時に変化させた右手を振りかぶった。

 しかし、奴は……アルと名乗った何かは後方に飛び退ってひらりとキアラの一撃をかわした。

 その隙にハミルが瞬時に結界を織り成す。

(思ったより出血が多いな……)

 耐えきれずキアラは膝をついた。

「キアラ!」

 二人はキアラに駆け寄り、彼を守るように陣形を組む。

「ふーん、その流派は女系だったから継承者はてっきりお嬢ちゃんだけかと思ってたけど……そっちの僕もか」

 そう言ってアルは笑う、先刻からは想像がつかないほど残忍に。

「まあ。一人も二人も変わらんな、殺せばいいだけだ」

 その眼光に射すくめられ戦慄が走る。

 こいつはやばい、と本能が告げている。

「貴様……まさか……!」

「ああ、そうだな。申し遅れた」

 栗毛は徐々に透き通ったプラチナブロンドに、目は深く吸い込まれそうな緑に変わっていく。

 ぞっとするくらい端正な顔を醜く歪めて笑いながら彼は淡々と述べる。

「俺の名はベリアル。君たちの先生を殺した悪魔だ」

 三人は突然の展開に必死に頭を追いつかない。だがそうも言ってられない。

「何故……先生を殺した」

 地を這うような声でハミルが問う。

「何故? うーんそう命じられたからかね。上に自分たちにとって邪魔な力は排除しろって」

「たった、それだけで……!」

 ハミルが苦々しげに言うと、ベリアルは飄々と返した。

「それだけ? 俺たちにとっちゃ死活問題だろう?」

 それから品定めするように三人をみる。

「ふーん、さしずめお嬢ちゃんはあの女の攻撃における力を、銀髪の僕はあの女の守りと癒しの力をそれぞれ継承したってとこかね。……まあどちらにしても邪魔なだけだ、消えてよ」

 そう言ってベリアルは無数の攻撃を繰り出す。

「やなこった……!」

 エレンはそう叫びながらベリアルの攻撃をことごとく相殺する。しかし、炎で作った防壁の合間を縫って、いくつかがエレンの肩をかすめた。

 鮮血が飛び散る。

「エレン!」

 キアラはまだ動けそうにない。ハミルはエレンの傷が増えていくのをただ見ていることしかできなかった。

(どうしよう、どうすればいい。落ち着け、あいつに勝つにはどうすればっ……!)

「ハミル!もうあれをやるしかないわよ!」

 ベリアルとの応酬の中、エレンは必死に呼びかける。

「……そうだね」

 そうしてハミルは必要な道具をエレンの方に投げてよこした。


 ♢ ♢ ♢


 道具を受け取って改めてベリアルをみる。

 強い、それも桁違いに。力の差は歴然だ。

(こんな強い相手に初見に近い術を使うなんて……)

 正直、成功するだろうか。

「エレン、大丈夫。君ならできるよ」

 私の心を見透かしたかのようにハミルは言った。

「あったりまえでしょ!」

 少し見栄を張って、自身を鼓舞してから精神を研ぎ澄ます。

「ハミル、エレンはなにをしようとしてるんだ」

 小声でキアラは尋ねる。

「…封印だよ。少し詠唱に時間がかかるんだ」

 ハミルの目は今までに見たことがないほど鋭く、真剣な眼差しだった。

「そうか…なら」

 血がぼとぼとと滴り落ちるのにも構わずに勢いをつけてキアラは立ち上がった。

「僕が隙を作る。ハミルはエレンのサポートをしてやってくれ」

 正直、そんな身体のキアラに無理を強いるのは気が進まない。だがここは、彼の決意を信じて任せよう。

 気休めだがキアラに治癒呪文を唱えてから答えた。

「もちろんだよ」


 ♢ ♢ ♢


(小娘は何をするつもりだ…)

 精神統一をはじめたエレンをみとめてベリアルは沈思黙考に入ろうとする。

「お前の相手は、僕だ!」

 しかし、それはキアラに阻まれた。

 腕と足のみを変化させベリアルとの距離を詰める。二人と練習して来た成果だった。胸元のペンダントがあたたかく身体を包むように感じた。

(こいつがどんな力を持ってるのか全くわからないけど、少しでもエレンが集中できるようにッ)

 勢いをつけて大きく振りかぶった猛撃も、ほとんどベリアルには届かない。

 先ほど受けた傷は動きすぎてズキズキと痛み、ハミルが治したその傷口はいまにも開いてしまいそうだった。

 それでも、ベリアルの気をエレンからそらせるなら、と力を振り絞る。

『天地に満ちたる生命の躍動よ、彼女に力を』

 その隙にハミルがエレンを補助する呪文を唱える。

 するとすぐにエレンの周りの気の流れが変わった。

「……できた! キアラ!」

 キアラはハミルの呼びかけでベリアルから距離をとる。

「なんの真似だ……ッ、これは!!」

 ベリアルの足元には魔法陣のような光の筋が浮かび上がっていた。

「くそッいつの間に……!」

 エレンは目をかっと開き、ベリアルを正眼に見据え口を開く。

『天にまします我らの父よ 願わくば彼の者封じ給え』

 瓶を前につきだし最後の言葉を唱え、術を完成させる。

「ぐあああああああああああ」

 ベリアルの絶叫が響く。

 しかしその目はまだ、殺気に満ちていた。

「このような未熟な術……簡単に破れるぞ」

 唸り声にも似た声でベリアルは吐き捨てる。

「破らせてたまるかっ……!」

(どうしよう……)

 毅然と立ち向かっているが、その実、今にも跳ね返されそうだった。

 瓶を握る手が震え弾き飛ばされそうになる。

 その時。

 強く握りしめた手に、しわだらけの暖かい手が添えられた。何年も経った今でもわかる。先生の手だ。

「先生っ……!」

 驚きと嬉しさとで思わず後ろを確かめたくなる。そんなエレンをマリアはとどめる。

「振り返らないで、エレン、まっすぐ前を見て。大丈夫、先生が支えるから」

「はい!」

 背中から聞こえる優しく懐かしい声に、時折涙ぐみそうになりながらも、しっかり目を開き前を見る。

「貴様……まだ残って……ッ!」

 驚愕と焦りが入り混じったベリアルの声が聞こえた。

(今だ)

「はぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

 その隙にありったけの力を込める。

 完全に完成した魔方陣がベリアルを絡めとると、エレンの持つ瓶の中に引きずり込んだ。

 瓶の栓は耳をつんざくような叫び声とともにベリアルを封じ込めた。瓶はしばらく震えていた。

「やった……?」

「エレン!」

 二人はエレンに駆け寄ってはじめてその存在に気づいた。

「「先生……?」」

「先生!」

 ばっと振り返り抱きついてきたエレンを抱き返し呆然としている二人を穏やかな眼差しで見つめマリアは声をかけた。

「お疲れさま三人とも。よく頑張ったわね」

 その声に安心して、三人は涙を止めることができなかった。

「先生っどうして……っ」

 しゃくりをあげながら尋ねるハミルに、マリアは優しく答える。

「あなたたちを想う気持ちが強すぎて、本に少し残ってしまっていたみたい。でもね、そんなに長くはいられないの」

 マリアは微笑みながら三人に言う。

「ありがとう、彼を封じてくれて。私はこれからもずっと、あなたたちのそばにいるわ」

 穏やかな春の陽射しのような光に包まれて、マリアは姿を消した。

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