第1章

 活気にあふれ賑わいをみせる市場、街中に満ちた花の香り、ここは深碧の町イニーツィオ。

 色んな用事を持った人々が行き交い、思い思いに過ごしていた。

 一番人が集まる市場から少し離れた市場は、そんな用事を済ませた人々にとって、待ち合わせの場にぴったりなのだった。

「ハミル、用は済んだのか」

 買い物袋を抱えたキアラが、木陰で本を読んでいたハミルに声をかけた。

 彼の濡烏の蓬髪からは金に煌めく琥珀の瞳が覗く。その鋭い視線を受け止めてもなお、ハミルは穏やかに微笑んだ。言葉はぶっきらぼうな上、その容貌に怖がられることも多いが、その実とても優しい人だと知っているからだ。

「うん。キアラ、エレン買い物は終わったのかい?」

「ええ、全部揃えたわ」

 キアラのものよりも小さめの買い物袋を抱えて、エレンが彼の後ろから顔を覗かせると、すこしくせのある赤毛がひょこんとはねた。彼女の淡い金色の瞳は燃えるような赤毛によく映える。

「じゃあ、早く仕事に行きましょ!」

「ああ」

「おう」

 よく似合う太陽を背負ったエレンの高らかな呼びかけに、二人も応える。そして、三人足並みを揃えて歩み出した。


 ♢ ♢ ♢


 花々が咲き誇り、通りはいつも人で満ち溢れる。こんな不幸と縁遠そうな町にも、魔物達〈やつら〉はいる。

 魔物が蔓延るこの世界。人々は自分たちの生活を守るためギルドを作った。

 ギルドが依頼を斡旋し、シャサール〈狩人〉がその依頼を請け負い報酬をもらう。長い間変わっていない体制だ。

 三人は同じ孤児院を出てからというもの、日々シャサールとして様々な依頼を請け負っているのだった。


 ♢ ♢ ♢


「今日の依頼はなんだったかしら」

 エレンの一言をきっかけに、依頼人の家に向かう道中依頼内容を確認し直すことにした。

「ゴブリン退治だよ。なんでも、ある商人の家にゴブリンが忍び込んでは盗みを働いてたらしくて。ある程度は見逃していたけどここ最近になって住人に害をなすようにまでなり、とうとうギルドに依頼が来たみたいだ」

「なるほど、よく聞く話ね〜」

「おい、ここじゃないのか」

 キアラの声に皆が横を見上げると、大きな門が待ち構えていた。

「おっきいわね……」

「本当だね……」

 改めて門を正面にして、揃って少し間抜けな顔になって見上げていると門扉が開いた。きちりと身なりを整えた老人が現れ、おもむろに口を開く。

「……何か御用で?」

 ハミルはハッと姿勢を正す。使用人の一人のようだ。

「はい、ギルド・海扇のハミルと申します。ゴブリン退治の依頼を受け、参りました」

 ハミルはそう言って書状を渡す。

 一通り目を通してから老人は答えた。

「……主人から聞いております。どうぞお入り下さい」

 どうぞ、と言いながらもその目は疑いに満ちて、あまり歓迎されているとは言い難い。

「こんな若造が? とでも言わんばかりの目だったわね」

「ああ」

 二人の若者はそうこぼす。

「こらこら、二人共そんなこと言わないの」

 二人とそう年の変わらないものの、年長者としての義務を果たさんと、ハミルは二人を諌めてから老人に続いた。



「こちらです」

 老人の後に続き豪華絢爛な部屋の中に入る。

 すると、満面の笑みを丸顔一面に浮かべたふくよかな青年が彼らを迎えた。

 老人とは正反対の対応に少し戸惑う。

「ようこそいらっしゃいました! 私はこの家の主人、エメリッヒです」

 よろしくと言いながら三人それぞれと握手を交わす。

「ハミルです、こちらはキアラ、エレンと申します」

 紹介に合わせて二人も軽く会釈する。

「では早速、最近の被害の状況についてお伺いしたいのですが……」

「はい、それはもちろん!」

 こちらへ、とソファーに案内される。

 席に着くと早速エメリッヒが話し出した。

「最初は黙認してたのですがね、ほらたくさんありますし少しくらいは、と」

 隣でエレンが嫌味な話ね、とキアラに囁く。

「そしたら近頃人に危害を加えるようになりまして、先日も……」

 そうエメリッヒが言いかけた時、絹を裂くような悲鳴が響いた。

「こっちだ!」

 先行するキアラにエレンが続く。

「な、何が……まさかまた奴らが!?」

「確認してきます、皆さんは安全なところへ!」

「は、はい…!」

 エメリッヒが頷いたのを確認してから、二人の気を辿ってハミルも外に飛び出した。



 中庭に出るとキアラがゴブリン三匹と応戦していた。キアラの後ろではエレンが怪我をした女性を看ている。二人を背に守りながらのため、防戦一方といったところか。

「エレン、キアラどんな状況だい!?」

 攻撃をかいくぐり二人の元へ行く。

「襲われてたのはこの人だけみたい。何箇所か傷が」

 エレンが介抱している女性に視線を落とすと全身爪で引っ掻かれたような傷が見える。そして、一番怪我がひどいその手にはブローチが握られていた。ゴブリン達はこれを狙ったようだ。

「ハミル、この人は頼んだわよ」

「わかった」

 キアラの元に駆けていく背を見送ってから、不安そうにしている女性に目線を合わせる。

「すぐに治します、もう少しの辛抱です」

 そう微笑むと彼女は小さく頷いた。

『神の息吹よ、汝の傷を癒せ』

ハミルが唱えると彼女の傷が仄かに光る。

その光がおさまった時には、傷は跡形もなく消えていた。

「あ、ありがとうございます……!」

「いえ」

 ハミルは彼女を安心させるように再び笑みを見せてから、ゴブリンの方を見る。その目は鋭く聡明に煌いた。

「エレン、そっちは!?」

 女性を守れる距離を保ちつつ問いかけると、キアラの援護に回っていたエレンが半ば叫びに近い声で返事をする。

「動きが素早くて攻撃が全然当たらない! お陰で一匹も倒せてないわ!」

 そんな応答の間もキアラがいくつもの攻撃を受け流していた。一つ一つの攻撃自体は強くはないが、一番最初に接敵したキアラはかなり体力を消耗しているようだ。

「何か、策はないのかハミル!」

 切羽詰まった声でキアラが尋ねた。

 素早くて攻撃が当たらない、なら……。

「俺が動きを止める。キアラは彼らを追い込んで詠唱の間の時間を稼いで、エレンはとどめを頼む」

「「了解!」」

 そう言うやいなやキアラは前方に大きく踏み出して、エレンは後方に下がる。

「はぁぁぁぁ……!」

 飛び出した勢いそのまま大きく振り払った剣は、ゴブリン達を弾き飛ばした。

 キアラの邪魔にならないところまで下がったエレンも、体勢を整えると詠唱を始める。

 その間に精神統一を終えたハミルは、一つ深呼吸してから口を開いた。

『光の檻よ 彼の者の動きを止めよ』

 キアラに追い立てられ、ひとところに集まっていたゴブリン達を光の檻が囚える。

「今だ、エレン!」

 エレンはその声を受けておもむろに目を開けた。金の瞳に日影が入り込んで、きらきらと輝く。

『聖なる炎、魔を退ける炎よ 邪なるものを焼き払え……!』

 詠唱が終わると同時にゴブリン達を業火が襲う。その火を受けて、エレンの瞳がまた燿いた。

 ゴブリン達の絶叫が響き渡る。

「これで終わりね!」

 燃え上がる炎と煙を背に、エレンはハミルに笑いかけた。



 空に黒い煙が昇っていく。

 それも途絶えて、余煙の下を見ても、そこには何も残っていなかった。

 やはり魔物と俺たちは違うものなのか。

 まだシャサールになって日は浅いが、依頼をこなすたびに人と魔物との違いをまざまざと思い知るのだった。

 一方で、絵本でみた物語ほどの絶対的な悪者とも思えなくなっていた。誰も疑問に思わないはずのその前提が昔からどうも気になるのだった。それもあってまだ俺は魔物を悪と決めつけられないでいるのだが、こうも違うものと思い知らされると……

「みなさーん!! もう終わりましたか!?」

 ハミルの思考を遮るようにエメリッヒの声が響く。

 一つ頭をふって、笑顔を作りエメリッヒの方に向き直る。

「はい、ご安心ください。ゴブリン退治完了いたしました」

「それは良かった! 本当にありがとうございます!」

 終わってみるとこちらを不審げな目で見ていた老人も、態度を改め感心したような様子で、エメリッヒなんてなおのこと笑みを深めていた。

 ぜひお茶でも、と勧めるエメリッヒの提案を辞退し、三人は報酬を受け取りにギルドに向かった。


 ♢ ♢ ♢


「やあ、ハミルもう終わったのかい?流石だね」

 そう言って男は報酬をハミルに手渡した。

 ここはギルド・海扇。

 カウンターの向こうで人の良さそうな笑みを浮かべている男の名はジャックという。海扇のギルド長である。

 ジャックは軟派で少々胡散臭いが、懐が深く多くのシャサールから兄のように慕われている。それが彼が若くしてギルド長である所以だった。

「ありがとうジャック。思ったよりも早く終わって手持ち無沙汰なくらいだよ」

「おや?そうかい?なら丁度いい仕事があるよ」

「丁度いい仕事?何よ、早く言いなさいよ」

 そう急かすエレンにジャックは落ち着いて対応する。

「まあまあ落ち着きな、エレン。なぁに、隣町まで大商人の坊ちゃんを護衛するだけさ。なんでも護衛の奴らがこれなくなっちまったらしいが今日の内に出立したいみたいでね、すぐに来て欲しいらしい。……行けるか?」

「隣町までならそんなにかからなそうだね」

「ああ、今日中には終わるだろうなぁ」

「決まり!引き受けたわ!そうと決まればさっさと行きましょう!」

 キアラが口を挟む間もなくそう言って、エレンはハミルを引きずって行ってしまう。

「ちょ、ちょっと待ってよエレン!」

 せめて自分で歩かせて!と叫ぶ甲斐もなくハミルはずるずると引きずられて行ってしまった。

 そんな二人を半ば諦めに近い表情に、さらにはハミルへの同情を含んだ目で、残された者たちは見送る。

「ほれ、キアラ。集合場所とかが書いてある紙だ、ハミルに見せな。」

 全くエレンはせっかちだなぁ。などとジャックは呟いている。

「了解だ。行ってくる」

「ああ、行ってらっしゃい」

 その言葉に軽く手を振って応え歩を進めた時、ハミルが盛大に転んだりでもしたのか、大きな音が遠くから響いた。

「……まったく」

 呆れ気味に呟いてから彼はハミルの救出に向かった。


 ♢ ♢ ♢


「ここが……」

「待ち合わせ場所か」

 そこにはすでに準備を終え、今にも出発できそうな集団が待っていた。

「海扇から派遣されました。ハミルと申します。こちらの二人はキアラと、エレンです。よろしくお願いします」

 紹介に応じて二人も会釈する。雰囲気につられていつもよりも心持ち丁寧に。

「お待ちしておりました。執事のジェームズと申します。急な依頼にもかかわらず対応して下さりありがとうございます」

 彼は深々と、丁寧にお辞儀をした。

「こちらの方がウィリアムお坊ちゃまでございます」

 そこには十歳かそこらの少年が、手を組んで不遜げに立っていた。

「ウィリアム様よろしくお願いします」

 そう笑いかけるもウィリアムはふいとそっぽを向いた。


 ♢ ♢ ♢


「なんか昔のキアラに似てたわね」

「そうか……?」

 護衛をしながらエレンが言い出した。

「そうよ! 最初の頃は一匹狼気取ってツンツンしてたじゃない!」

「はは、確かにね」

 キアラはツンツンてなんだ……と言わんばかりの顔をしている。

 その表情を呆れた顔でエレンは見つめていた。そして、ふと首元に視線を落とす。

「そういえば」

 キアラが怪訝そうにエレンの方を見る。

「そのペンダント、昔からつけてるけど……なんなの?」

 キアラは孤児院に来た頃から、青みがかった乳白色の石がはめられた繊細な銀細工のペンダントをつけていた。エレンは昔に思いを馳せて、そのことをふと思い出したようだ。

 エレンはそのままペンダントに手を伸ばす。

 するとキアラの表情が豹変した。

「やめろ!」

 そう叫んでエレンの手を乱暴に払う。

「きゃあ!!」

 エレンの手から血が滴り落ちた。

「エレン!」

 駆け寄ってハンカチを強く押し付けてエレンの止血をしながらも、態度が急変したキアラの方をハミルは振り返った。

「……っ!」

 ハミルの目を見てキアラははっとして我に返ったようで、その顔はみるみるうちに青ざめる。そして、身を翻し、森に向かってがむしゃらに走り出した。

「キアラ! 待って!」

 そう言って駆け出そうとするエレンの手を咄嗟に掴む。

「待つんだ! エレン! あと少しでこの依頼も終わるんだ。こっちを終わらせてから探そう」

 ハミルの言葉にエレンは激情する。

「何よ、ハミルはキアラよりも依頼が大事だって言うの!?」

 顔を真っ赤にして怒る彼女に負けじとハミルも声を張る。

「違う! 違うよ……でも、ここで投げ出したらジャックに申し訳が立たない。それにキアラも少し一人になりたいんじゃないかな、だから今は追うべきじゃないと思う……お願いだ、わかってくれ」

 最後の一言には様々な想いが込められているのが、エレンにはわかった。

 お互い、理解が追いついていないのだ。

 懇願にも近いその言葉を、その言葉に込められた意を丁寧にとき解いて理解した頃には、エレンも少し落ち着いたようだった。

(まずは出来ることから、よね)

 自分に言い聞かせるように心の中で呟く。

「……わかったわ。ならさっさとこっちを終わらせましょう」

「ありがとう、ちゃんと傷の手当てをするよ」

 改めて陽の光の下、エレンの手を見る。

 すると、その手には獣の爪に切り裂かれたような創傷が残されていた。


 ♢ ♢ ♢


 依頼を終えると、2人は挨拶もそこそこに街と街との境にある森へ立ち戻った。

 もう日も暮れている。これからは魔物の時間だ。山際には月がのぞいていた。

「どうやって探すのよ」

 エレンは所在がわからず、すぐに探しに行けないもどかしさに苛立っている。

 手がかりはないに等しい。満月のため月明かりで夜目がきくのが不幸中の幸いだった。

「大丈夫、確かここら辺に人探しのがあったはず……」

 以前依頼で使った記憶を頼りに、ぱらぱらと先生の本をめくる。

「あった」

 目当てのページを開き、言葉を指でなぞってから口を開いた。

『我らが父よ 暗き、冥き闇夜に、探し人へ繋がる道を照らし示し給へ』

 そうハミルが唱えると森へと続く白く光る糸が浮かび上がった。

「こっちだ」

 糸をたどって二人は駆け出した。


 ♢ ♢ ♢


 糸を辿るとひらけた所に出た。

 木々に囲まれた湖のほとりに、キアラは一人、こちらに背を向けて立っていた。

「キアラ……」

 声でこちらに気づいたのか彼はゆらりと振り向く。そしておもむろに顔を上げた。

 その目を見てエレンはゾッとしてしまった。

 金の瞳が炯々と怪しく光る。

 彼はやおら口を開いた。

「……ハミル……エレン……来てくれたのか」

 その口にはよくみると鋭い牙が覗いている。

「なあ、聞いてくれるか」

 さらに気づけばその耳も獣のそれになっているではないか。

(ワーウルフ、だったのか……)

 どうして俺たちは今まで気付かなかったのだろうか。

「満月の夜、僕の力は解放される」

 ぼそぼそと、それなのにはっきりと聞こえる声で彼は告白する。

「すると破壊衝動が抑えられなくなるんだ」

 その声は切なく。

「本当はそんなことしたくないはずなのに壊したくて壊したくて仕方がなくって」

 今にも泣き出しそうな声だ。

「…ねえ、エレン、ハミル、僕はどうしたらいい?」

 そう言って彼は泣き笑いにも似た笑みを見せた。


 ♢ ♢ ♢


「……ッ!」

 私は思わず後ずさってしまった。

 彼を助けたい。

 心ではそう思っているはずなのに、その思いに反して体は……この、得体の知れない化物の前から逃げ出したくて仕方がなかった。

「エレン落ち着いて。まだキアラは自我を保ってるんだ、だから、どうにかできるはずだよ」

「そんなこと……!」

「大丈夫、できるよ」

 ハミルは私に視線を合わせ微笑んだ。

 ハミルは誰かを安心させるためによく目を合わせて微笑みかける。年下の多い孤児院で暮らしていたからこその癖なんだろう。その笑みはどうしてかいつも安心させてくれる何かがあった。

 今その目には少しの自信と不安や焦りとが入り混じっているのが見えた。

 それでも私が彼を信じて任せようと思うには十分な力をたたえていた。

 なんだかんだ言って頼りになるのだ、このおっちょこちょいで、女々しくて、少しだけ年上なだけの私たちのお兄ちゃんは。


 ♢ ♢ ♢


 どうしてワーウルフだと気付かなかったか、やっとわかった。

 彼が隠していたのはもちろんだ。しかし一番の理由は——ペンダントだった。

 キアラは昔からあのペンダントを人に触らせないようにしていた。そして、エレンが触ろうとした時の反応。それらを結びつけると、彼はペンダントが自分を化物に変化させるきっかけだと思ってるようだけど、それは違う。

 いつもはペンダントが狼に変化するのを抑えていたんだ。今回は感情の昂りのせいで制御しきれなかったようだが。

 何故なら、キアラが狼に変化し始めてから、それまで、何の存在感も持たなかったあのペンダントの力が急激に増幅した。

 それは邪悪なものとは違って清冽で、研ぎ澄まされた力だった。それがなによりの証拠だ。

 なら、きっとあのペンダントを使えば……!

「キアラ、どうすればいいか教えるよ、よく聞いて。お前はそのペンダントが自分を化物にさせる元凶だと思ってるようだけど、それは違う」

 そう言って一歩、キアラに向かって歩を進める。

「やめろ。こっちに来るな……!」

 低い声でキアラは唸る。

 しかし、ハミルはそれにも構わず言葉を続けた。

「そのペンダントはお前を傷つけるものじゃない。逆に守ってくれるものだ。」

 また一歩、キアラに向かって進む。

「来るな……」

 キアラはじりじりと後ずさる。足元でぴちゃんと水が跳ねた音がした。

「お前が暴走したらいつでも俺たちが止めてやる。だから、信じてくれるなら、そのペンダントを胸にかざしてくれ」

 キアラは信じられないといった顔をしていたが、ハミルが淡々と言い聞かせるように連ねた言葉を聞き終えると彼は一度目を閉じた。

 決心したように再び目を開いた時には、その瞳に戸惑いは消え、金の麦畑は凪いでいた。

 キアラは狼のような鋭い爪に獣毛までもが生えた右手でペンダントを掴み、のろのろと、しかし、しっかりとそれを胸にかざした。

 その瞬間ハミルはキアラに肉薄してペンダントに触れた。

 ペンダントが放つ力がキアラを包みこむのをイメージしながら力を送る。

「……ッ」

 燐光が瞬く間に身体を包むと、少し唸ってキアラは目を閉じた。

 ふらりと力が抜けて身体を傾げた時には、その姿は元の人間の姿に戻っていた。

 倒れかかってきた彼を俺は咄嗟に支える。

「……終わったの?」

 静寂に耐えかねてエレンがおずおずと尋ねる。

「まあ、多分」

「よかった……じゃあ、ほらテントでもはって寝かせてあげましょう」

「ああ、うーんそうだね……」

 肯定しながらもついてこないハミルを、エレンは怪訝な顔で見つめた後一瞬目を見開き、それからその綺麗な目を半眼にしてこちらを睨め付けた。

「……まさか、運べないんじゃないわよね」

 エレンは目をすがめて地を這うような声で問う。

「……そのまさかです、すみません」

 呆れ顔でエレンは近づいてきてこちらに背を向けた。

「ほんっとヘタレね! 少しはいいところがあるじゃない、と思ったらすぐこのざまよ。ほらっ」

「え?」

「背負うから乗せなさいってこと!」

「えーそれは俺の男としての威厳が……」

「じゃあどうしろってんのよ!」

 痺れを切らしたエレンがまくし立てる。

「一般的な救護の際の運び方なら知ってるけど……」

「……もう、なんでもいいわよ」

 エレンは付き合ってられないわ、と肩をすくめため息をついた。


 ♢ ♢ ♢


「うぅ……」

 少し唸ってからキアラは目を開いた。

「目が覚めたかい?」

「ハミル……」

 そう呟いてからさっきまでのことを思い出したのか、キアラはハッとして顔を背けた。

「色々とすまなかった……『いつでも止めてやる』なんていってくれて嬉しかった、ありがとう。でも、やっぱり僕はもう君達とは一緒にいれない。すぐに出て行くよ」

 早口にいいのけるといそいそと起き上がってこちらに背を向ける。

「なぁにバカなこと言ってんのよ」

 間髪入れずエレンがキアラに迫り無理やりこちらを向かせた。

「エレン!? 何を言ってるんだ、僕は……」

「キアラが何よ、キアラはキアラでしょ? 出て行く? そんな必要ないわ! ……さっきは突然のことでちょっと怖かったけど、そんなことで貴方を見捨てたりなんかしない」

 真摯な目に射抜かれ、キアラは動けなくなった。

 エレンの言葉にハミルも言葉を続ける。

「俺も同じ気持ちだよ。ただ説明してほしい。君について、君の家族について。君の悩みを分かち合いたい」

 誠意を込めて、伝える。それくらいしかできることがわからないから。

 すると彼は伏し目がちながらもこちらに体をむけて、こう話し出した。

「……わかった、まずは話すよ。僕が何者なのか、知っている限りのことすべてを」



 ♢ ♢ ♢



 昔から教会の孤児院にはよく両親についていっていた。

 両親がシスターマリアとお話をしている間は、孤児院の子達と遊んでいたのでその頃から年の近いハミルやエレンとは会っていたのだった。その頃から特に仲のいい友人だった。

 父も母も優しい人だった。二人は仲睦まじく幸せな日々だった。ただ父は月に何日間か家を開けることがあった。その間の母はどこか寂しげに、辛そうに笑うのだった。

 僕はそんなにそのことを気にしていなかった。でも、まさかその笑顔の意味を最悪の状況で知ることになるとは思いもしなかった。

 ある夜のことだ。

 眠っていると外から人の声が聞こえた。人々のもつ松明がゆらゆらと燃え寝ぼけ眼に痛かったのをよく覚えている。

「父さん、あれ……何?」

 母に抱きしめられながら問いかけると、父は鋭く、それでいて悲しみをたたえた眼差しで窓の外を見据えたまま呟いた。

「……ここまでか」

 そして僕を見つめ、こう言った。

「キアラ、大丈夫だ。お前だけは必ず守るから」

 その言葉に僕はすぐさま反発した。何が起こっているかはわからなかったけど、今何かを言わなければダメだということだけはわかった。

「なんだよそれ! やだよ! 一人じゃやだ! なにが起きてるの? あの人たちはだれ?なにをしに来たの?」

 僕はまくし立てた。それでも父は僕の両肩を掴みしゃがんで僕と目を合わせこう返した。

「よくお聞き、キアラ。父さんはワーウルフ、つまり狼人間なんだ。村の人にとっては得体の知れない化け物。化け物なんて怖いだろう? だから彼らは父さんを倒しにきたんだ」

「なんで!? 父さんは何も悪いことしてないじゃないか!」

 そんな僕に両親は言い聞かせる。

「それでも、ワーウルフってだけで悪者にされちゃうんだ、この世の中は」

「そんな……」

「だからね、キアラ。これからはそのことを他の人に教えちゃダメよ。いくら半分は人間でも、もう半分がワーウルフだとわかればどんな嫌なことをされるかわからないわ」

「ほらこれをあげよう。これがあれば大丈夫だから」

 そういって父は自分の首にかけていたペンダントを僕にかけた。それは青みがかった乳白色の石を中心に据えたシンプルな銀細工で、父が母にもらったものだと言って大切にし、いつも身につけていたものだった。

「そんなの、僕にはできないよ……いっしょに逃げようよ! ねぇ!」

「母さんも、父さんもそうしたくて堪らないわ。でもそれはできないの。だからあなただけは逃げて、生き延びて……いつも行っていた教会があるでしょう? あそこなら大丈夫だから。一人で行けるわよね?」

「やだ! ならいっしょにいるよ……!」

「お願いだ、キアラ。父さんと母さんの最期のお願いなんだ。聞いてくれるよな?」

 その、真剣な眼差しに射抜かれて、断ることも出来ずに僕はただ頷いた。

「いい子だ、キアラ。キアラ・ローリング。お前は強く、優しい子だ。生き延びて、幸せな人生を歩んでおくれ」

「私たちはいつも見守っているわ」

 そういって二人は強く僕を抱きしめた。

 痛いくらいだった。だけどとてもあたたかかった。

 それも束の間、玄関からは扉を無理やりこじ開けようとするような音がし始めた。

「ここに隠れていなさい。おまじないをするから絶対に見つからないし、だれもあなたを傷つけることはできないわ」

 母の声は少し焦りを帯びていた。

「みんながいなくなったらここから出て教会へ行くんだ。いいね」

 地下の小さな床下収納に体を丸め隠れる。真っ暗でじめじめとしていて、薄気味悪かった。嫌で嫌で仕方がなかったが、その気持ちを押しやるように身をねじ込んだ。

「さようなら、私たちの愛しい子」

 母さんが戸を閉め、まじないのようなものをかけたすぐあと、村人たちが雪崩れ込んできたのが小さな穴から見えた。

 その人たちは口々に化け物め!騙しやがって! などと母さんと父さんを罵った。

 その言葉に僕は涙が溢れた。みんないつもは優しく接してくれていたのに。今は醜悪にその顔は歪んでいる。

「やめてッ……!」

 そう叫んでも届かない。

 狼に成り果てた父に村人たちは思い思いの武器を突き立てた。父の前に庇うように立ちはだかった母もろとも鋭利な刃が貫く。

「……ッ!」

 言葉が、出なかった。

 二人の血が床を真紅に染め上げる。

 二人が息絶えたのをみて村人たちは家に火を放った。今となって思えば火は浄化だ。きっと無かったことにしたかったのだろう。魔物という邪魔者を、穢れを、無に帰したのだ。

 火の手は僕のとこまでは来なかった。全てを燃やし尽くして火種が消えた後、僕は外に出て教会に向かって走り出した。

 後ろは振り返らなかった。

 息も絶え絶えに教会のドアを叩くと、シスターマリアが出てきた。

「どちら様? ……あら、キアラその顔は」

 それだけですべてがわかったようだった。

「辛かったわねキアラ、もう大丈夫。何があっても私が守ります。ゆっくり。ゆっくりでいいからその傷を癒していきましょうね」

 シスターマリアは優しく僕を抱きしめてくれた。涙が溢れて仕方がなかった。



 ♢ ♢ ♢



「それからは二人とも知ってる通りだ。ワーウルフについて僕はよく知らなかった。だから、自分も父さんのように変化し、化け物と言われるかもしれないと思うと、人と話すのも接するのも怖かった」

 確かに、孤児院に入った頃のキアラは記憶にある彼とは違って驚いた覚えがあるが、そんなことがあったのか。

 ならば、とハミルはキアラにペンダントのことを説明することにした。

「そういえば、いつも隠すようにしてたから気づかなかったけど、このペンダントについてる石はムーンクォーツだよ」

「ムーンクォーツ?」

 キアラは胡乱げにききかえす。

「そう、持つ者の感情を穏やかに鎮め、平和な心をもたらす石だ。その力が今まで君が変化するのを抑えていたんだろう。そしてきっと君のご両親の愛情が、それを可能にしてきたんだ」

 その言葉を言い終えるや否やエレンが言った。

「ならそれがあれば安心ね!」

「は? 何をいってるんだエレン。僕は……ワーウルフのハーフなんだぞ?」

 キアラの言い分を意にも介さずエレンは言いきる。

「だって抑えられるんでしょ? ならなんの問題もないじゃない。……私たちはもう家族なんだから、離れるなんて耐えられないわ」

「そうだよキアラ、俺たちはもし君が一人で行ってしまったとしても必ず見つけ出すぞ、一人になんかさせない」

「二人とも……」

 言葉を失うキアラの手をとって、いつになく力強い瞳でじっと見つめる。

「大丈夫、きっとその力は自分で扱えるようになるよ。もちろん扱えるようになるまで付き合うし。だから……いなくなるなんて悲しいことを言わないでくれよ」

 ハミルはそう加えた。

 キアラは二人の言葉に驚き、しばらく言葉が出ないと言った風だったが、何度も心の中で反芻したのち尋ねた。

「いいのか? 本当に……」

「もちろんよ! じゃあ今日はもう休みましょう、明日はギルドに戻って報酬もらわなきゃだからね!」

「全く……エレンったら」

 二人の笑顔につられて、思わずキアラも笑みを浮かべていた。

「二人にはかなわないな……」

 その目の端にきらりと光るものが見えたけれど、ハミルは気づかないふりをした。


 ♢ ♢ ♢


「さて!報酬ももらったし、次の依頼でも探しましょうか!」

「そうだね」

 昨日あんなことがあったというのに二人はいつもと全然変わらない。

「そうだ、忘れてた」

 そう言って僕の前にきたエレンはふわりと何かをかけた。

「フード付きの上着。突然耳とか生えちゃったらバレちゃうでしょ? だからもしもの時に隠せるように」

 いとも簡単にそんなことを言いのけて、花のように笑う。

「エレン……ありがとう」

 ずっと隠していたのに、それでも受け入れてくれたことが本当に嬉しくて、泣きたいくらい嬉しくて。それと同時に恥ずかしく、顔が真っ赤になってるのを隠すようにそっぽを向いてしまった。

「もう、キアラ! その服の分稼がなきゃいけないんだから早く行くわよ!」

 前を向くとすでに何メートルか先まで二人は行ってしまっていた。

「すまん! すぐいく!」

 慌てて駆け出すと誰かにぶつかってしまい、小柄なその人を軽くはじきとばしてしまった。輪をかけて焦った僕は、振り向きざまに凄い勢いで頭を下げ謝る。

「ああっ、すみません!」

「いえ、お気になさらず」

 どこか気になる人だったが、二人はどんどん先に行ってしまう。僕はその人に再度頭を下げてから二人を追って走り出した。


 ♢ ♢ ♢


「まだ継承者がいたのか……」

 走り去るキアラを、そしてその先にいる二人を見遣り、雑踏に消え入りそうなほどの小さな声で男は呟く。これほどの人混みだ、男のことを気にしている人は一人もいない。

「さぁて……どうしようかな」

 男は緑の瞳を半月のように歪め、にやりと笑うと、人混みの中へ姿を消した。

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