マッチ売りのシンデレラ
M.A.L.T.E.R
第1話
はあ……はあ……はあ……。
ポツンポツンとある灯りは、このまえ降った大雪をしっかり照らしていた。
その灯りの下には日が暮れて大分経った街を走っていく一つの影。
と言っても、道を照らす灯りはそんなに多くもないので、ときどきその影は夜闇にまぎれる。定期的に見えたり消えたりする"白"は瞬く灯りだろうか? いや、違う。 あれは、走っていく少女の吐く息だ。
のびっぱなしの金色の髪はもう一度降り始めた雪を吸い取って重くなっている。けれど、その青い瞳からはまだ希望の色はきえてなかった。
「マッチはいりませんか? 」
申し訳程度ですらない薄いマフラーやつぎはぎだらけの服からは絶えず凍った風が吹き込んでくる。少女はふるえをおさえながら声をまたはり上げてマッチを売っていく。
「マッチはいりませんか?」
少女のその青い目は道行く人に向けられる。けれどもその目は誰の目とも合うことはない。
「ああ……」
今日も一箱、いや一本も売れずに終わってしまうのだろうか……少女はそんなことを思う。
「でも、帰るわけにはいかないの……。あそこには痛いことしかないから……」
少女は自分に言い聞かせるようにそう呟く。もし、一箱も売れずに帰ったら、お父さんに気を失うまで殴られるから、帰るわけにはいかなかった。
(いっそ死にたい)
気がつくと頭の上、肩の上、服のあちらこちら……雪が積もれる所にはしっかり積もっていく。
雪は確かに絵に描かれたり、歌の歌詞に入ったりするほど、人々に愛されているが、少女にとってはただの体温泥棒でしかない。
だから、少女は走り続ける。叫び続ける。たとえ靴がなくて、もう冷たいと感じられない雪の上だったとしても。止まれば、黙れば、死んでしまうから。
「あのっ……マッチは、いかがですか?」
道行く人に何度も何度も声をかけていく。けれど、その声は雪と静けさに包まれた街に響いて雑踏に踏み潰される。
そして、踏み潰された雪は氷のようになって、裸足の少女の足を滑らせた。
「きゃっ……」
消え入りそうな叫び声を上げて、少女は氷の上に倒れる。
(あれ、力が入らない……)
すぐに体を起こそうとする細い腕はもはや少女の体を支えることはできなくなっていた。それもそうだろう。 家に帰れば、お父さんに気を失うほど殴られる。だから、寝るのも夜明け前のわずかな時間しかできない。ご飯もお父さんの目を盗んでこそこそやらなければいけないし、乞食をしていてもだーれもなんにもくれやしない。さらに寒さを防ぐために走って叫んでいれば、少女の体が衰えるのも当然だろう。
(……わたし、死んじゃうのかな……。死んだら、天国のおばあちゃんに会えるかな……)
優しかったおばあちゃんを思い浮かべながら、そこらに散らばったマッチをかき集めて、すってみるが、すでに雪のせいで湿って火がつかない。
(ああ……つかない……。…………せめてご飯があれば……。もうお腹すかないけど)
そうわずかな願いを放って、少女はにこやかに笑って、目をゆっくり閉じた。
───────────────────────――
少年は家出していた。
少年は今日もまた兄と比べられた。たしかに兄は優れているのかもしれないが、少年は兄とは違う。けれど、周りの人間は少年と兄を何度も何度も比べる。
だから、それに反抗して家出したのだ。これまで、何回も家出したことはあったが、こんな寒い日に家出したことは一度もなかった。
「さむっ。こごえ死にそうだな……。暖炉とかないか……せめて、マッチとかねえかな……」
少年はふるえながら、ポツリと言う。
雪が積もった街を少年はコートをきつく羽織って、買ったばかりのブーツをはいて歩いていく。
「絶対帰ってやるもんか」が「いつ帰ろうか」に変わったころ、少年は倒れている少女を見かけた。
少年はこれまで家出したときに、何度も道で倒れている人を見かけたことはあった。最初は、見かけるたびにゆすったりしてたが、どれももう死んでいて、少年にできることといえば、せいぜい人々に踏まれないように道の端っこに避けといてあげることだった。
今日も、道の真ん中に雪に埋もれかけた行き倒れを見かけた。わずかに雪の中にさらさらの金色の髪の毛を見つける。近づくと、寒さから守る気などさらさらなさそうな薄いマフラーとつぎはぎすらも破れた服も見えた。 そして、雪と同じ色をした肌が雪の隙間からわずかだけ見えた。
「まただ……。……どうして、おやじはこういうまずしい人のためになることをしないんだろう……。」
少年の本能も理性も貧しい人にどうしてなにもしないのか、と腹を立てていたが、少年には力不足だった。
なのでせめてもののすくいとして、しゃがんで、手を合わせようとするが、
ピクリ
と雪がかすかに上下しているのが目に入った。
「!!!」
少年が慌てて少女の首もとを触れると、冷たさの奥にほのかな温かさをかんじた。
この子はまだ死んでない。けれども、少年は迷った。
確かにこの少女はまだ生きているのだが、少女は雪の中に埋もれていて、しかも息の間隔はかなり開いている。
だが、少年の脳内議事堂では本能院、理性院とも全会一致で「助ける」という決議を採った。
「まってろ……。今、たすけてやるからな……」
雪を掘り起こす。雪が追い積もるよりも早く。手袋が濡れて重くなったので、外す。手がかじかんでいるが、気にしない。
雪の中から出てきた妖精にはすでに生気は無い。
とりあえず、胸を押してみようとするが、押すだけで小さい少女の胸は壊れてしまいそうだし、効果もなさそうだった。
「………………」
少年は一瞬ほおを赤らめたが、首をブンブンふって少女の口の中に息を吹き込んでいく。少女のくちびるは昔、乳母にしてもらっていたおやすみのキスよりもはるかに冷たかった。
できるだけ自分の体温を移すようにしたいので、少年は、雪の上にあおむけになりその上に少女を乗せて軽く抱くようにしながら息を吹き込み続ける。
「げほっ、げほっ、……ひゅー、ひゅー……」
やがて少女の呼吸がかえってくるがそれは弱々しくとても生きているとは思えなかった。
「くそっ、やっぱり餓死寸前かよ……」
自分が知っている女子と比べても、体の横幅が半分程しかない体躯を見てそう愚痴る。
何か、食べさせられるものはないか?
そう考えて、ポケットを探ると非常用に取っておいたパンが出てきた。
「う…………ぐ…………」
それを少女の口に持っていくが、顎に力が入らないらしく、噛んでくれない。
「くっ…………」
少年は自分の外套で少女をすっぽり覆い、それを背負って歩き始める。
ドンドンドン!
少年はとりあえず目の前にあった民家の戸を思いっきり叩いた。
ドアが開き、少年は目を輝かせるが、
「うるさいよこんな夜中に! 物乞いならよそでやってくんな!」
そこから出てきたおばさんはそう怒鳴ったきり、ドアを固く閉じてしまう。
「ち……」
少年は舌打ちしてまた隣、そのまた隣⋯⋯とドアを叩き続けるが、夜中なせいで起きてすらくれなかったり、追い返されたりしてしまう。
「スープを恵んでもらうだけなのに、どうして、どうして……」
少年は確かにこの国の事情を憂いていたが、どこまで酷いのかはまだ知らなかった。しかも、少年が思っていたよりもずっと国の状況は酷かった。一杯のスープでさえ人に分けるわけにはいかないレベルだった。結局、少年は自分も王宮の中でぬくぬく育ってきただけだった、ということを思い知らされた。
「はあはあ……どうにもならないのか……このオレではやっぱりダメなのか……」
少年の脳裏に兄の顔がちらつく。いつもなんでもできて、みんなにちやほやされている兄。少年は歯ぎしりをする。
何度もドアを叩いて追い返されているうちに、いつの間にか王宮が近くなっていた。民家も大きくなって、貴族の家が増えていた。
その中を少年は歩いていく。ある家の前で足を止めた。
「ここは……オースティン卿の家か。卿なら城にいつも来ているし助けてくれるだろう……」
ドンドンドン!
お屋敷の重厚なドアを叩く。
「誰だ!」
「オースティン卿……俺だよ。ハンスだよ」
少年は自分の名前を目の前の大きな男に言う。
しかし少年はいつもと違って、外套も羽織ってないし、上着も雪で変わっており、癖っ毛の髪の毛も雪によってしっかりストレートになっていた。
「ん? なんだ? このみずぼらしいガキは。どっか行けよ。」
しかし、立派な髭の顔は少年にとって信じられない言葉を発した。
「な、なに言ってるんだ? ……卿。オレだぞ。ハンスだぞ?」
「うるさい。お前みたいなゴミが王子の名を騙るんじゃない! おい、誰かこいつをつまみ出せ!」
「は? な、なにを…………ぎゃっ!」
投げ出された少年はあっけにとられていた。王子は自分なのに、信じてくれず挙句の果てには追い出されてしまった。
少年はもはや立ち上がることもできなかった。すると、背中からか細い声がした。
「……ありがとう………………ごめんね……」
少女は飛びそうな意識で一部始終を見ていた。なので、目の前の誰とも分からない少年にお礼をしたのだ。
「……なにが『ありがとう』だ! オレはまだなんにもしてねぇ!」
しかし、少年は怒鳴った。だが、その怒鳴り声は空しく少女のまぶたは閉じていく。
「お、おい、まだ死んじゃだめだ! お前が死んだらオレはまたなんにもできないままだろッ! 」
少年はそう叫びながら少女を揺らす。
少年はとにかく急いだ。王宮に。きっと父はカンカンに怒ったままだろう。でも、腹心の家臣ですらああなのだから他の家臣に頼ってもムダだろうから仕方がない。
「おかえりなさいませハンス様。……後ろの方は?」
「なんでもいいだろう。オレは急いでいる。そこをどいてくれ」
「はあ……」
王宮の門の前に立つ衛兵をどけて少年はズンズンと進んでいき、宮廷の玄関の扉を開く。
「おかえりなさいませ」
使用人たちのパターン化した声が聞こえる。
「あ、家出大好きな王子が帰ってきたわ……」
「ほんとだ。あの後ろのやつは……」
「王子って、許嫁がいるのに夜な夜な嫁探しでもしているのかしら? やぁねぇ~」
それに交じって、姉妹や従姉妹たちの冷やかしの声が聞こえるが、すべて無視していく。
大広間を抜けて長い廊下を歩いていくと少年の父、つまり王様が少年の部屋の前で立っていた。
「ハンス。こんな夜中までどこに行ってたんだ!」
「どこでもない。そこをどいてくれないか」
「このワシに向かってなんたる物言いだ!もう一度聞こう。ハンス、こんな夜中までどこに行ってたんだ?」
王様は天を衝くように怒り狂った。しかし、少年はあくまで冷徹に答えていく。
「もう一度言うぞ。そこをどけ。こいつを寝させられない」
「断る。……? お前の後ろのソレ、どうした?」
王様は速攻で返した後に、ハンスの背中の大きな荷物に目をやった。
「雪の中で拾った。死にそうだったからな」
すると、王様は少年からひったくるようにしてその中身を見る。
「⋯⋯ふん。こんなやつとっとと捨ててしまえ」
悪びれもなくそう言う王様に少年は激昂した。
「……なんだとっ! 貴様本当に、死にかけのやつに向かってそんな事言っていいと思っているのか!」
「さっきから生意気ばっかり言いおって!」
ガン!
少年に無慈悲にもゲンコツが振り下ろされる。思わずよろめくが、
「ここで倒れたら自分はなにもやり通せない負け犬のままなんだよッ……」
ボソリとそう言って、思いっきりふんばる。
「さあ、そこをどけ……」
王様は少年から有無を言わさぬ気迫を感じて後ずさる。
その隙に少年は自分の部屋に入り、少女をベッドに寝かせて、大声で叫んだ。
「爺や! 今すぐ何枚かの毛布と、砂糖を限界まで溶かしたスープを持ってきてこの子に飲ませてやってくれ!」
「かしこまりました」
長年聞いてきたその声に安心して、少年は床に倒れこむ。寒い中、少女を背負って町中を駆け回った疲れかもしれないが。
そんな様子を王様と少年の兄は遠くから見ていた。
───────────────────────――
ゆさゆさ……。
少年の体を細い腕がゆすった。
「ぐっ、ううっ……」
少年は妙な温かさを感じながら、頭を抑えて起き上がり、毛布に包まれた細い腕の持ち主を見つめる。
「……うおっ!」
目の前に顔があったので、少年は後ろにのけぞった。というか、少年は少女と同じ布団の中に入っていた。
「ふふっ」
慌てるハンスに目の前の顔が緩む。
のびっぱなしだが鮮やかな金髪に無垢な青い瞳。間違いない。自分が助けた少女だ。
「えっと、…………あれ?……お名前はなんて言うんですか?」
初めて聞く、少女のはっきりとした声。オースティン卿の家の前で聞いた消え入りそうな声ではなく、ちゃんと張りがあった。
「ハンスだ……」
それに聞き惚れていて、つい短く返す。
「ハンスさんっていうんですね。わたし、レイラって、いいます。」
「そ、……そう、か。レイラっていうのか。よろしく」
少年がたどたどしく言うのに対して、
「はいっ!」
少女は元気のいい返事をする。
初対面というのもあり、話すこともなくてしばらく、二人が超近距離で見つめ合っていると、使用人の一人がドアを開けた。
「昼食の時間です……ってあれ? ハンス様、お目覚めですか?」
「ああ」
「では、そちらの方と一緒に食堂にいらしてください。」
その声で二人は顔をわずかに紅潮させながら、ベッドを降り、食堂へ向かう。
宮廷の長い廊下を歩いていると、レイラは壁にかかっている絵とかにしきりに感心していた。
食堂に全員揃うと、昼御飯が始まる。みんな終始無言だった。レイラ以外。
レイラは生まれて初めて食べる料理たちに目を輝かせていた。王宮ではごく普通の食事だが。
「わ、わたしこんなに食べたことないです……」
「別に残してもいいんだぞ?」
「い、いえ、もったいないので全部食べます!」
そう言って、マナーも気にせず皿の上の料理を平らげていく。
皿がやってくると、その瞬間に消えていく料理たち。
「そ、そんなに旨いか?」
ハンスがレイラに向けてそう聞くと、
「むぐっ……? 当然です。だって……私の家の食卓には二皿目はないですから」
「………………そうか……」
二人のそんな会話を王様は遠くから聞いていた。
それっきり無言だった食卓だったが、なん皿目かが消えたころ、突然王様が咳払いをした。
「えー、おほん。……ハンス! ちょっとこっちに来い」
「はい。なんでしょうか」
一見なんともなく受け答えしているハンスだが、またなにか言われるか、殴られるかと思っていた。しかし、歩いていかない理由がないので、仕方なく王様の方に歩いていった。
「ハンスよ」
王様は険しい面持ちで呼びかける。
「昨日の暴言の数々は許される事ではないな?」
「はい……」
殴られる。
そう思って、ハンスはぎゅっと目をつぶる。
「……だが、一人の命を救ったのは事実。ならば、ハンスよ。その命を救いきれ!」
しかし、その頭に置かれたのはグーではなくパーだった。
「は、はい!」
ハンスは驚いた後、満面の笑顔を浮かべる。
「ただし、また昨日のような暴言を吐いたらつまみ出すからな!」
「…………」
残念ながらその笑顔はずっとは続かなかったが。
それからというもの、レイラとハンスはお互いの事を話したり、一緒に遊んだりした。
「あっ……ボールが屋根の上に」
「ふっ、しょうがねえな……」
ある時は蹴鞠をし、
「このお庭の木って全部長さがおんなじなんですね」
「まあな。こういうのもおやじたちには必要なんだ。」
ハンスが意識したことがなかったものに興味を示すレイラ。
「その服、新調してもらおうか」
「えっ、いいんですか? やったぁ!」
レイラの当たり前を塗り替えていくハンス。
二人とも年は同じなのに、全く違う境遇を知って、混ざりあう。混ざり合えば混ざり合うほど、お互いの色はより強く二人の心に残っていく。
「このままずっと、一緒にいられればいいのに⋯⋯」
「ああ⋯⋯、そうだな⋯⋯」
二人はこのまま楽しい日が続けばいいのにと願うが、神様は残酷にもお別れの日を連れてきてしまう。
「今日でお別れかぁ。短かったねハンスさん」
「ああ、オレも寂しいよレイラ」
二人は別れを惜しんで、手を合わせたまま離れようとしなかった。
「あ、そうだ。これを……」
不意にレイラの片手がポケットに突っこまれる。
「?」
レイラがポケットから取り出したのは、いつも売っているマッチの一箱だった。
「わたしを忘れないようにって……」
そう言いながら、ハンスの手の上に置いて握らせる。
「あ、ありがとう……」
上っ面だけの贈り物は数多くもらったが、そんなドストレートなものはもらった事がないハンスは顔を真っ赤にした。
「え、えっと……あ、あー、じゃあコレ……」
お返しに何か返さなきゃ、と焦って周りを見回したハンスが見つけたのは玄関のブーツだった。ハンスには、最初に会った時に靴を履いてなかったのが印象的だったのだ。
「え、ほんとにいいの?」
「もちろん」
「あ、あありがとう!」
ブーツを抱き抱えたレイラの笑顔で、何本もの矢が刺さったハンスのハートにもう一本追加の矢が刺さる。
「じゃあね~!」
彼女は手を振りながら、雪が止んだ街の中に消えてった。
「じゃあな」
それをしばらく、眺めていたハンスはレイラの姿が消えきると、
「ハンス」
その背に憎き兄の声がかかる。
「なんだよ、兄貴」
思わず身構えるハンス。
「…………お前、すごいよ。」
おもむろに口を開く兄。
「なんだ。皮肉を言いに来たのか?」
「そんなんじゃない。僕はハンスに憧れてるんだ」
「? ……なんのつもりだ」
それはハンスの本心だった。そりゃなんでもできる兄の方が自分より優れているはずなのに、こんな自分のどこに憧れる要素があるというのだ。
「だってさ、父さんに反抗して家出するのだって僕にはできないのに……行き倒れの女の子を命懸けで助けてあげられるなんてさ……僕には無理だよ」
「……っ! そ、そんな大したことじゃねえよ……」
人に褒められたことなどあんまりないハンスはその言葉に手を振って否定する。
「ううん。あの子を部屋に入れる時のハンスの顔カッコよかったよ」
「…………そうかよ……」
ハンスは真っ向から褒められて、ぶっきらぼうに、されど嬉しそうに言った。
それ以来、ハンスはあんまり反抗することはなくなった。兄を真の意味で越すため、に自ら努力するようになったのだ。
───────────────────────――
一方、レイラは街を歩いているうちにだんだん憂鬱になっていった。
もう十日も帰ってない。
それにマッチは倒れた時にほとんど落としてしまい、なくなってしまった。だから、あの家に帰らない訳にもいかなかった。しかも、ブーツを履いて少し服も立派になって……。なんと言い訳して帰ればいいのだろう。
殴られて気絶するのならまだいい。でも、こんな状態だと本当に殴り殺されてしまうかもしれない。
レイラは体を震わせながら家に帰った。
「…………ただいまーー……………………」
消え入りそうな声で家のボロいドアを開ける。
「その声…………レイラか?」
机に突っ伏していたレイラの父は低い声で問う。
「…………う、うん……」
ガタッ!
「ひいっ!」
その返事とともにレイラの父が起き上がる。
そしてレイラの姿を目に捉えるとレイラに抱きついた。
だが、レイラには抱きつくために突き出された腕が殴ろうとしているとしか思えなくて、目はきつくつぶられていた。
しかし、レイラの予想していた"攻撃"はいつまでたっても来なかった。
代わりに、レイラの体はきつくきつく抱きしめられた。
「ど、どうしたの? お父さん……」
予想外の"攻撃"に戸惑うレイラ。その言葉に堰を切ったように泣き始める父。
「ごめんよぉごめんよぉ……。今まで散々殴って本当に悪かった。お前はいつもいつも頑張ってるのにさ……」
「…………大丈夫、気にしてないよ。お父さん」
突然のことになんて言おうかわからなかったレイラだが、なんとなくそう声をかけてみた。
「ありがとなぁ。父さんレイラが十日も帰ってこなくて、最初はなんで帰ってこないのか!って怒ってたんけど、気づいたよ。父さん酷いことしてたね……仕事がうまくいかないからって殴ったりして……本当にごめんなぁ」
「………………」
「だから、もう帰ってこないのかと思ってたんだ」
「大丈夫。私はここにいるよ……」
レイラの目からも大粒の涙がこぼれていく……。
二人は涙がなくなるまで泣き通した。
泣き尽くしたのち、二人はどちらかともなく「ご飯にしよう」と言った。
しばらくして食卓に置かれたのは、やっぱり一皿だけだったが、二人にとってはそんな事はどうでもよかった。 そもそも塩味しかしなかったし。
それからというものの、二人の生活はちょっとずつよくなっていった。王様が今回の件を鑑みて政治をよくし始めたという事もあるだろうが、やはり食卓に二人揃って、そして笑顔で溢れている事が理由だろう。
───────────────────────
十五年後━━
レイラは父が亡くなったのちも、田舎に移り住んで自ら畑を耕して過ごしていた。
「うーん……今日も良い天気だなぁ。良いことありそうだね、お父さん」
レイラはお父さんの写真を見て言った。
いつも通りの質素な朝ごはんを済ませて、畑に行くために、端の方に古びたブーツがきっちり置かれている玄関で鎌を手にしたところで、
ドンドンドン!
壊れそうな勢いでドアが叩かれる。
「あれ、この叩き方……どこかで聞いたような……?」
レイラはなぜ覚えている気がするのか不思議に思って、ドアを開ける。
そこには、癖の強い銀髪をはためかせた人がいた。そして、大きな外套を羽織っていた。
「わたくし、ハンスと申しますが……このマッチ箱に見覚えはございませんか?」
その青年がそう言って見せてきたのは、赤い箱に三本のマッチが描かれたマッチ箱だった。
「ええ……ありますけど……」
レイラは戸棚の上に置いてあるマッチ箱を出す。
何を隠そう、その二つのマッチ箱はレイラが幼い頃、売っていたマッチそのものである。
「あ! あーー! もしかして……ハンスさん?」
マッチ箱とハンスの顔を交互に見たレイラがハンスを指差して目を丸くしながら言う。
「ど、どうしてここに?」
「それは……色んな人に聞いたからだ。」
笑顔で言うハンス。
「あのさ……オレ十五年経ってもレイラの笑顔が忘れられないんだ」
そう言われて顔をリンゴのように真っ赤にするレイラ。
「だからさ……、結婚、してくれないか?」
ハンスも顔を赤くしながら、告白をする。
真っ赤な顔のその赤いくちびるを開いてレイラは言った。
「こちらこそ……ハンスさん」
マッチ売りのシンデレラ M.A.L.T.E.R @20020920
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