第8話 東北の片隅で緯度と経度が交わり、地球は回る
翌日、東京に本社があるゼネコンから何人か来た。東京の営業本部次長を始め、仙台にある東北支社や秋田営業所からだ。大型プロジェクトをここが請け負う、いや、ここが提案してきたのだ。
全国各地でこのような開発が行われているようで、営業次長はかなり多忙のようだ。挨拶をすませると、早々に帰っていった。
課長は秋田営業所の人達と顔見知りで、仕事なのか雑談なのかわからない話を始めた。
私は東北支社の人から、夢のような湖畔の街並みを描いた、カラー表紙の分厚い資料を渡され、レクチャーを受けた。
詳しい内容は忘れたが、重要ポイントはおさえた。
寒冷地では、道路に消雪パイプを設置し、周囲に水を散布する方法を採用している地域があるが、地下水の汲み上げが問題になっている。これに対し、レイクタウンでは、周囲の水域の水を利用するので、安全である。
道路だけでなく、屋根に積もる雪対策にも、この水を使う。表面に効率よく水が流れる特殊シートを敷き、それで雪を溶かし、雪かきを不要にする。低温の水でよいので、加熱にかかるコストは少なくてすむ。
鉄道を通すのはさすがに無理だが、完成時にはEVの自動運転が一般化していると予想され、高齢者でも自在に移動できるとのこと。
地方活性化が目的なので、実際の施工に当たっては、できるだけ地元の業者を使うと約束。
干拓地なので、地震などによる液状化は大丈夫なのか、と質問すると、万全の対策を施すそうだ。
それからゼネコン側と課の何人かで、一緒に昼食という流れになって、いつもの定食屋に行こうとすると、向こうがどうしても支払うというので、少しグレードの高い店に入った。
あまり雑談は無かったのだが、
「ツキノワグマ……レイクタウンにするなら、対策いるな」
冷麺をすすっていた重森さんが、突然、思いついたように言った。ツキノワグマ情報はホームページで掲載されている。
「これまで八郎潟に出たことあるんですか?」私は聞いた。
海に近い平地なので、まさかと思ったが、
「これまでで二回ほど」
と重森さんが答えた。
「最近増えてるから……このままだと人間より熊のほうが多くなる」
と言って課長は笑った。
「怖っ!」
「そのくらいで驚いてちゃだめだな。平原君も早いうちに現場、見ておかないと」
課長が私にそう言うと、営業所の人が、
「いいですね。我々も改めて見学したほうがいいので、ご一緒に」だそうだ。
ということで、相手方の車で八郎潟に向かった。ゼネコン側は秋田営業所の望月さんと山田さん。二人とも三十代で、望月さんは東北の人間、山田さんは二年前に東京から来たという。
赴任したばかりでこちらに慣れていない私だけでは、業者に丸め込まれるといけないということなのか、同じ課の村田さんがついてきてくれた。私よりひとつ年下の地元の男性で、案内役を引き受けてくれた。
国道7号線を北上し、県道54号線にさしかかると、西に曲がる。
八郎潟はすべて陸地になったわけではなく、周囲を水域が囲んでいる。南東部の湖は八郎潟調整池(残存湖)、東側は東部承水路、西側は西部承水路と呼ぶ。
東部承水路を渡り、信号のないまっすぐな二車線を進む。先が見えず、道の両側は植林されている。
干拓地の西寄り、54号線が一旦終わると、南北に続く42号線だ。54号の南側、42号の東側に人の住む集落が広がる。
後部座席で私の右にいる村田さんが、
「小中学校もあるんです」
と教えてくれた。大潟村の人口は三千人近い。当然、学校くらいあるだろう。
「将来、高校もできますかね?」
私は聞いた。村田さんは直接の担当ではないが、当然、プロジェクトの概要は知っている。
彼は声をひそめて、
「本当にこんなところが市になると思います?」と逆に聞いてきた。
「なる……んでしょうね」
私も本心は疑っていた。
大潟村役場に寄った。
簡単な挨拶を交わしただけで、早々に引き上げる。
帰り際、庁舎を見上げて村田さんが、独り言のように、
「ここが市役所になるのかな」と言うと、
「この建物も市にふさわしい立派なものにしないといけないですね。その際はうちにお願いしますよ」
などと、しばし山田さんが営業トークを繰り広げた。
それから集落を見て巡った。
商店街もスーパーもある。建物が密集していないので、こぎれいに感じる。雪が降っていないので何ともいえないが、これなら住んでもいい。この景観を全体に広げれば、レイクタウンは以外といけるかもしれない。そう思った。
集落を離れ、42号を南下。
途中で左折し、298号線を東に進む。四、五キロ進み、北へ曲がる。
これほど広い農地は、国内ではここ以外に北海道くらいだろう。
ついでに干拓地のほぼ中央にある経緯度交会点を見学した。
道路の脇にそれはあった。北緯40度と東経140度が交差する地点だ。それだけなら何のこともないように思えるが、10度単位で交会するのは、日本でここだけだ。
日本でひとつしかない貴重な存在なのに、広大な農地を背景に、標示塔を低い塀で囲っただけのものだ。
モニュメント(標示塔)は、最初に見たとき、文具のコンパスを思わせた。
辺だけでできた縦長の八角錐とでも言おうか。直径三メートルの丸い台の上、八箇所から出た、四メートルほどの金属の柱八本を、中央上で集めようとしているが、接触せずにいる形状だ。
あるいは、八角形の角にそれぞれ鉛筆を立て、先端を合わせ支え合った状態から、少しだけ先端を離したような形状と言って良い。
う~ん。実際はもっと複雑な構造なので、表現不足だ。
縦長の八角錐の縦辺八本の上部を消したものだが、各辺が金属の柱二枚を組み合わせたもので、二枚の間に隙間があり、その隙間は最下部で長方形の金属板を挟んだことから生じていて、その間隔が上部まで続き、もちろんそれだけでは構造的に問題があるので、途中に、八本の手を放射状に伸ばすヒトデ的生物を思わせる補強材をかます構造になっている。その補強箇所のせいで、本来のコンセプトがわかりにくくなっている。
他にも、八箇所ある柱の外側、丸い台座の外周辺りに、人が座るためなのか、台形を横にしたようなブロックがあって、ストーンヘンジのように標示塔を囲んでいる。
先ほどコンパスと述べたが、墓のように見えないこともない。もし、ここを未来人が訪れたとすれば、古代人が宗教儀式に使ったと解釈しても不思議はない。
まあ、こんなところか。おそらく、文章を読んだ人間にはさっぱりだろう。
私がモニュメントを客観的に表現しようと苦心していると、
「ここにタワーを建てるんです」
と望月さんが言った。
「今も立ってますけど」
「もっと大きなものにします」
「?」
「詳細は資料に載ってます」
私は、さきほどの資料を取り出した。
山など遮るもののない平地なので、風が強く、該当箇所を開くのに苦労した。
名称は、世田谷レイクタワー180。
「タワーというより、高層ビルですね」私は言った。
巨大商業施設を併設した180メートルのタワーだが、タワー部分の下から140メートルと上の40メートルで色分けしてある。東経の140と北緯の40を足して180ということだ。
そこまではいい。問題なのは、円柱タワーを隅の柱のひとつと見立てた巨大ビルが、世田谷区役所第一庁舎をそのまま縦に伸ばしたような形状であることだ。
「真似するほどの建物ですかね」と私。
「真似ではありません。これは建築の世界によくあるオマージュです」
「このモニュメントはどうなるんですか」
私は、目の前の複雑な形状の標示塔を見あげた。
「タワーが立つので不要になるか、ビルの屋上に移す案もあります」
「レイクタワー……」
私は、目の前に果てなく広がる農地と、資料の挿絵を見比べて、これは現実の出来事だろうか、と考えこんでしまった。
他に見るものもないので(農業見学ではない)、それからすぐ帰途についた。窓の外に広がる、果てしなく広がる農地を眺めながら、こんな場所に東京の人間が越して来るわけがない、レイクタウン構想など夢のまた夢、などという思いがとめどなく浮かんで来るのだった。
ちなみに、北緯40度と東経141度が交差する岩手県八幡平市にも、経緯度交会点があり、斬新な形のモニュメントも存在する。
Aの字から横線を抜いた形とU字を逆さにした形の中間の形(もっと簡単に言うと、蹄鉄の両端を外側に引っ張った形)をしたオブジェが二つあり、二つは十対七ほどの割合で大きさが異なり、小さい方には40°、大きい方には141°と記され、それを交差させて立たせ、大小の隙間に地球を模した球体を挟んだ形状である。
見る角度によっては、球体が胴体の首無し人間に見え、そのまま歩き出しそうな迫力がある。
あくまでデザインについてだが、本家(といってはあれだが、八郎潟のモノ)より、こちらのほうが未来的でコンセプトもわかりやすく、秀逸な気がする。
いくらデザインが素晴らしくても、141°という中途半端な存在なので、モニュメントの周囲には何もなく、あまり目立たない。
だが、このような天才的芸術作品を、僻地に埋もれさせるのは勿体ない。どうせなら足立市を含めた岩手県、いや日本全体、せっかく地球をモチーフにしているのだから、もう少し欲張って、全世界の新たなシンボルにすればいい。
ゴッホは生前無名だった。今の私は、ゴッホを見いだした評論家のような気分だ。
さらに、岩手県には、岩手町に北緯40度公園というものがあって、そこのシンボル塔にも地球儀が使われていて、センサーに反応してくるくる回るそうだ。緯度経度に取り組む姿勢が明らかに秋田と違う。仮に岩手県に十度単位の交会点があったら、大規模なモニュメントを作ったことだろう。
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