第7話 世田谷レイクタウン

 暴動は翌日には大方収まった。警察がよくやったのではなく、暴徒が疲れたのと、住民が結束して事に当たったからである。


 それでも傷跡は大きく、ガラスの割られた学校や店舗、黒こげの民家、荒れ果てたオフィス街など、スラム化へ大きく前進した。



 私達はますます忙しくなり、ブラック企業も顔負け。霞ヶ関のエリートにも負けない労働時間で身も心も崩壊寸前。地方や南武蔵より先に私がくたばりそうだ。


 だが、運のいい私は、そんな地獄から抜け出すことに成功した。正式に秋田県庁への出向が決まったのだ。



 羨む同僚の視線と殺人的な激務に耐え、無事、新天地に旅立つ日を迎えた。



 交通手段は秋田新幹線「こまち」。指定席しかない。盛岡経由で、日本海側に向かう。


 前世紀の終わり頃、秋田にも新幹線が開通した。盛岡秋田間は、トンネルや蛇行が多く、高速運行が難しいので、厳密には新幹線ではないが、新幹線車輌がそのまま走っているので、一般的には新幹線だ。



 新幹線の話が出ると、田舎の人間はそれで街から人と金がやってくるように勘違いして、 誘致に大賛成するが、完成後は都会とのアクセスが容易になり、ストロー効果でますます人と金が逃げ出すことになる。田舎に行きたい都会人の数より、都会に行きたい田舎者のほうが多いということだ。



 ストロー効果という言葉で、あるイメージが浮かんだ。


 東京と全国各地との間に目に見えないストローがあって、東京は相手の養分を徹底的に吸い尽くす。決して飲み残すことはしない。


 数年前に、ポンプで池の水を抜いて何が発見できるか、というようなテレビ番組があった。


 地方から金や人を全部抜いたら、後に何が残るのだろう。


 地方の人ぜんぶ抜く。地方の金ぜんぶ抜く。それが、東京のやろうとしてきたことだ。




 秋田駅に到着した。だだっぴろい割に、人が少なく、迷うことはなかった。駅前広場も人が少なく、そのせいかアーケードの屋根の位置がやけに高い気がする。思ったより高齢者の姿が少ないが、高齢者というものは基本的に外に出ないものだ。


 さすがに県庁所在地だけあって、駅周辺にはホテルや大型商業施設が建っている。


 無駄にでかい建物。そんな言葉が浮かんだ。



 駅前の商店街は、まだシャッター通りのままだ。世田谷吸収の恩恵は民間部門に波及していないのだろう。


 いや、これでも随分よくなったのかもしれない。


 世田谷を吸収していなければ、今頃、どうなっていたのだろう。



 秋田県の都市開発を担う建設部都市開発課は、本庁舎六階にある。課長は人の良さそうなおじさんで、出勤初日の朝礼では、東京から来たエリートと紹介してくれた。


 何人かと会話してみて、言葉で困ることはなさそうだと感じた。イントーネーションは違うが、県庁で働いているのに、方言丸出しのほうがおかしい。



 こちらでの私の仕事は、新規の大型プロジェクトの中心メンバーだそうだ。出向者にそんな大役を任せるのにも、理由がある。


 課長に会議室に連れて行かれた。中には怜悧な官僚といった感じの副知事とサモ・ハン・キンポー似の恰幅の良い部長がいた。課長は、「それではよろすく」とわざと訛って、私を置き去りにし、私はお偉方二人から説明を受けることになった。




「八郎潟の再開発?」


 私は驚いて聞き返した。


 八郎潟は秋田県の西側、男鹿半島の付け根に存在する湖で、東西12、南北27、周囲82キロと、かつては琵琶湖に次ぐ面積を誇ったが、戦後の食糧不足を解決するため、ポンプで水をかき出し、干拓地に変えた。


 湖はまだ少し残っているが、大部分が陸地になった。陸地部分は大潟村という。



「今は田圃と畑ばかりの干拓地」部長が答えた。「そこをモダンな住宅地に変え、世田谷を中心とした東京の人に移り住んでもらう。東京から人が来るわけない、と思うかもしれないが、今の八郎潟だって全国至るところから入植してきた歴史がある。東京からもたしか三人くらい来た。


 研究によると、新しくて大きな住宅団地が開発された場所で人口が増えている。だから、新しくて巨大な街を作る。そうすれば人口は必ず増える。


 本格的に動き始めたら、都市開発課ではなく、別の部署を新設して、いずれ君にはそこのトップになってもらう予定だ」


「僕は出向してきただけの世田谷の職員ですよ」



「そのくらいの人事はどうにでもなる」副知事が言った。「世田谷から来た人たちにも満足してもらえるような、ハイセンスな街を作る必要があるが、地元の人間にはそれができない。今のところ、業者さんの言いなりだ。開発の主導権を県側がとるには、こちらにもプロフェッショナルな人材を用意しないといけない。


 長期プロジェクトになるから、年も若くて、都会の感性があって、ある程度の経験も必要ということで君が選ばれた。こちらに骨を埋める覚悟はできてるよな?」


「え、まあ……」


 いきなり、こちらに骨を埋めろと言われても困る。だって、世田谷から秋田だよ。すんなりはいとは言いたくない。



 が、その場の雰囲気から「はい」と答えてしまった。


「よし、それでいい」副知事は満足そうに言った。



 当時の私は勉強不足で、大潟村やそこの人口など知ってはいなかったが、


「どのくらいの規模の街にするつもりですか?」と質問した。


「最低でも五万。五万人いないと市になれないから。できれば十万」


「市? 市にするんですか?」



「名前も決めてある。世田潟せたがた市」部長が答えた。


「セタガタ……?」


 言いにくい。


「あの……もしかして、世田谷と大潟を掛け合わせて……」


 もしかしなくてもそうに違いない。


「行政上は大潟村が世田潟市に格上げしたもので、愛称は、世田谷レイクタウン」



「世田谷レイクタウン……」


 あまりの衝撃に、その先の言葉が続かなかった。



 湖の近くだからレイクタウンは正解だ。八郎潟レイクタウンならわかる。だけど、世田谷って……。何の関係もない土地の名前を勝手に使うとは。


 私の疑問を察したかのように、副知事は、


「もちろん、そっちの市長の許可はとってあるよ。それに、ニューヨークだって、イギリスのヨークにちなんだものだろう?」



 オランダ人が入植した地域は、ニューネザーランド(新オランダ)と呼ばれ、交易所のある場所はニューアムステルダムだった。オランダからイギリスに明け渡されるとニューヨークに改名した。


 それはいい。


 世田谷レイクタウンは、世田谷の人間ではなく、秋田の人間が名付けたことが問題だ。



 部長は調子に乗って、


「昔は琵琶湖の次に大きい湖だった。今でも大潟村は世田谷区がまるまる三つ入る広さだ。


こんなに広い平地、探してもないぞ。200万人くらい余裕で住める。


 最大級の予算を獲得した秋田だからこそなしえる、最大級のプロジェクト。大潟村だから大型プロジェクトと呼ぶことにする」


 と駄洒落を言った。


 生まれて初めて駄洒落で笑ってしまった。


 そう。私は大型プロジェクトの中心メンバーに選ばれたのだ。




 こちらにいても、首都圏の情報が入ってくる。



 東京都は、「東京を走らせる力」東京地下鉄の大株主だった。46道府県に株が分配され、社名が変わっても、東京メトロの愛称は残り、従来通りの営業を続けてきた。


 それが、ついに運賃とダイヤの大幅改正を行うことになった。


 運賃を大幅に上げ、運行本数は減らす。地下鉄内での犯罪が増え、利用者が減って、利益が維持できなくなったことが表向きの理由だ。


 地方の鉄道の多くは、廃線になったり、本数が削減されてきた。今度は東京の番だ。



 保育所も統廃合が進み、待機児童はますます増え、もともと子供を育てるにはきつい場所が、さらにひどくなった。南武蔵全体としての公式データはないが、物好きが計算したところ、出生率は1を切ったという。その反面、もともと東京より高かった地方の出生率は上がっている。 


 公立学校の教員の人数も減らされていると聞く。しかも、優秀な人材は地元に引き上げ、出来の悪い人物を南武蔵に異動させている。南武蔵でまともな教育を受けるには、私立にいくしかない。



 私には、目に見えない「東京を終わらせる力」が働いているように思えて仕方がない。その背後にいる正体が何なのかわからないが、東京を終わらせる力は、地方を盛り上げる力なのだ。

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