第6話 荒れる民衆と疲弊する公務員
課長の読み通り、南武蔵の混乱は激しくなる一方で、静まることはなかった。
「東京を返せ!」
などというプラカードを掲げたデモが、あちこちで起きているが、デモを取り締まることも、要求を受け入れる余裕も、今の行政にはない。
デモに警察が来ないので、あまり盛り上がらず、すぐに解散してしまうと嘆く声もある。
警察が当てにならないので、多くの地区が自警団を結成した。私も誘われたが、多忙を理由に断った。
相手が納得しないので、
「それは、みなさんが警察を信用していないということですか?」
と問いただした。
私も公務員だ。そう言われれば、相手も引き下がるしかない。
そういう私自身、今の警察を当てにしていない。無能という意味ではない。人手が足りなくて、頼りたくても頼れないのだ。
田舎へ異動した警官の中には、休みを利用して、こちらに来た者もいる。彼らの話では、向こうはそんなに大変ではない。できれば南武蔵の人員を増やして欲しいと、上司に訴えたが、聞き入れてもらえないそうである。やはり、課長の言うように、意図的な混乱のようだ。
公務員にスト権はない。しかし、公務員といえども生身の人間なので、身内の不幸や体調不良など、それなりの理由があれば休むことはある。
全員が過労死しても不思議がない激務のなか、たまたま体調不良による休みが重なって、実質的なストライキ状況になることだってありえるかもしれない。
もちろん、裏では一部の活動家が、地方から同僚を呼び戻すため、全員でサボるのです。この日に休んでくださいと、密かに呼びかけている。
通常なら、そんな呼びかけに見向きもしない私のような良心的な公務員も、一日休めば生き返ることができる、という誘惑に勝てずに、これも世のため人のためだと、自分勝手な理由をつけて、隠れストに参加してしまうことだってある。
その日の私がまさにそうだった。
もう少し待てば、秋田県庁というこの世の天国に行ける。だが、そのまえに過労で死んでしまう。そんな心配で夜も眠れない日々を送っていた時期なので、仕方がない。
その日はわざと朝寝坊して、勤務先に体調不良の連絡を入れようとしたが、誰も電話に出ない。
なんだ。みんな、私と同じなんだ。
そう安心して、そのまま再び眠りの世界に入った。
目が覚めると、外が騒がしい。
「放せよ」という若い男の声。
「返せ」
路上強盗と被害者のやりとりのようだ。
それだけでない。
「おい、火を点けるようぜ」という別の男の声と「面白え」という仲間の反応。
「助けて!」という女性の悲鳴。
何かおかしい。
そう思い、テレビを点けると、南武蔵全域で暴動発生と、ニュースでとりあげられていた。警察の対応が遅いという声がよせられているとのこと。警官の動員人数の発表もない。
これは、今日は警察が動かない、という情報が広まっていたのかもしれない。
今はインターネット社会だ。この日は、警察を始めとする公務員のほとんどが休暇をとっているという情報が広まって、犯罪を起こしても逮捕されないとわかれば、どうなるだろうか。
もともと、各県警に別れて連携がうまくいかず、警官の人数が減らされ、くたくたになっているところに、かなりがずる休みをしていたのだ。そこへ、情報を得ていた者の一部が一斉に行動を起こした。情報を本気にしていない者達も、一斉行動が実際に起きたと知れば、今がチャンスと参加者が増える。
たとえそれがデマだとしても、大勢が一斉に犯行に走ったら、警察の対応能力を超える。しかも、今回はデマでないから大変だ。
警察が犯罪を取り締まれるのは、多少のばらつきがあるにせよ、犯罪の発生が一年を通してほぼ均等だからだ。
ある特定の日や時間に集中したら、どうだろう?
そう、これは単なる暴動ではなく同時多発テロだ。
正午前に、市長名義のメールが来た。
本日、大勢の職員がストライキまがいの行動をとり、大変、残念です。しかし、休みをとる予定だった警察官の多くは、暴動沈静化に尽力しております。ですが、もともと人手不足のため、いつ収まるかは予想がつきません。現在、区役所の敷地内にも暴徒が押し寄せ、危険なので、しばらく自宅で待機するようにとのこと。
私はその日一日部屋から出ず、買い溜めておいた冷凍食品でしのいだ。
ニュースから目が離せない。
最初は単なる暴動にすぎなかったが、それに乗じて、本物のテロリストが行動を起こしたようだ。報道によると、犯人グループから、複数の商業施設や公共施設に爆弾を仕掛けたという予告があり、人手が足りないので、いたずらと判断して放置していたが、実際に爆発が起き、現在最優先で対処している。
暴動に放火は付き物だが、今回は異常に多い。それも特定の地域に集中し、怪我人の運搬で手一杯な救急隊(基本的に消防士)では、消火活動に間に合わず、延々と燃え広がる。集中砲火ならぬ集中放火だ。単なる暴徒による突発的犯行ではなく、組織だって行われた計画的な可能性もある。
火事で怖いのは火より煙と言われるが、煙の空間的な広がりについてはあまり知られていない。よくドラマなどで、近くで野次馬が火災現場を見上げるシーンがあるが、初期の段階ならわかるが、すぐに離れることになる。建物内部だけではなく周辺に広がる煙も凄く、風下では数十メートル離れても、雲の中にいるような状況が起こる。
つまり、火災件数自体はそれほど多くなくても、その街に暮らす住民がパニックを起こすのに十分なのだ。
午後九時。課長から電話があった。これだけの異常事態なのに、こんな時刻まで部下に連絡ひとつよこさないのは、彼らしい。
しかも、業務連絡ではなく、自分の推理を披露してきた。
「これ、最初から全部計画済みのことだよ。政府による自作自演。せっかくだからしばらく体を休めてね」
「自作自演って、どうしてそんな馬鹿な真似をするんですか?」
「東京から人を地方に移すために決まってるだろ!」
「いくらなんでも、ここまでやりますか」
「各県に分割して、地方移住キャンペーンしたくらいじゃ、東京から人は出ない。事実、統計見ても、相変わらず地方から流出してる。だから、警察はじめ公務員を減らして、くたくたにこき使って、集団で休ませ、暴動起こして、滅茶苦茶にしてるわけ」
私のような江戸っ子はもとより、地方出身者でさえも、一旦東京に居を定めると、よほどの事情がない限り、離れることはない。今、そのよほどの事情を人為的に作っているのだろうか。
「そこまでして、田舎に人を移す意味って何です?」
「何度も言ってるよな。もう田舎は死にそうで、本当に死にかけてる。馬鹿な政府もさすがにまずいと思い、今になって大慌てで対処してるということ」
課長の説に、私はいまいち納得できなかった。
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