第5話 東京スラム化計画
税収が増えたはずの地方だが、あまり良い報道がない。首都圏から地方に移転する企業もほとんど現れず、相変わらず南武蔵、つまり旧東京への人口流入が続いている。地方の税収が増えたといっても、これまで積もりに積もった借金の返済に当てられ、経済活性化プロジェクトを打ち出すだけの余力がないのだろう。結局、地方行政の延命がなされただけで、民間経済まで効果が波及していないということだ。
それ以外に、良く見るニュースでは、地方で外国人犯罪が急増、警察もお手上げ、といったものがある。
高齢者、しかも一人暮らしの多い地方で、違法滞在の外国人集団が組織的犯罪に及ぶ事件が多発。これは人手不足を解消するため、移民を大量に受け入れたことが原因だ。
研修生や出稼ぎなどで地方の業者のもとで働いていたが、きつい仕事に耐えきれず、逃走したり、廃業などで仕事が無くなり、困った挙げ句、高齢者ばかりで、ろくに防犯もできない民家などを集団で襲うのだ。一部ではマフィア化し、地元警察では手に負えないとの報道も。
この問題はさすがに放置しておくわけにはいかず、南武蔵から大量の警官が地方に異動することになった。なんと、警視庁時代四万人を越えた警官の人数は、二万人を下回るという。
こちらだって外国人も、彼らによる犯罪も多く、以前より増加している。市ごとに県警が異なり、ただでさえ効率が悪くなった南武蔵は、人員を地方にとられ、治安はロサンゼルス以下に。
そうなると、南武蔵の犯罪者や予備軍は味を占め、より活発に活動するようになった。南武蔵の各警察はてんてこ舞い。万引き程度では動いてくれない。路駐のとりしまりもままならず、道路はいつも大混雑。
役所にも苦情が殺到するが、こちらも以前より忙しい。
第二庁舎の半分以上を県が使用することになり、かなりの部署がそこから他の庁舎にどかなければならず、いい迷惑だ。
私のような若手は、本来の業務に携われず、引っ越しの手伝いに大わらわだ。
「どうせなら、第三庁舎に入れよ」
と、私は資料をダンボール箱に詰めながら、文句を言った。第一庁舎と第二庁舎は、有名建築家が設計したものだ。
特に第一庁舎のデザインは斬新で、言葉で説明しにくいが、あえて表現すると、箱の隅のひとつがすごく太い円柱で、箱よりも高く、先端が丸くなっている。
でも、第三のほうが建物は新しく、現代的だ。
箱を抱えて歩いていると、後ろのほうから、
「区民会館閉鎖って、本当?」
という声が聞こえた。
「何て連中だ!」
私は心の底で叫んだ。
私だけではない。少なくとも本庁の職員は、非情なリストラを迫る秋田県に対して敵愾心を持っているはずだ。
第三庁舎にダンボール箱を運び終え、自分の部署に戻ると、いたのは課長だけだった。これまでよりスペースが狭くなるので、デスクを動かしている。
「佐藤さんも応援ですか?」
「警察の応援」
「警察の応援って? こっちだってばたばたしてるのに」
「向こうは緊急なことが多いから仕方ないよ。いずれにせよ都市デザインなんて、悠長な仕事は後回し」
課長は呑気そうに言ったが、その通りだ。事実、私も自分の部署に戻っても、すぐに片づけないといけない案件はない。それでも、デスクの引き出しを開け、書類を広げ、眺めながら言った。
「いつになったら落ち着くんですかね」
「今後は忙しくなる一方」
「どうしてです?」
「上のほうの指示で、わざとやってるんだから、どうにもしようがない」
「わざとって、わざと忙しくしてるんですか?」
「もちろん。公務員を減らし、サービスを低下させ、生活インフラを劣化させる」
どうせネットの情報を鵜呑みにしたに決まってるが、
「どうしてです?」と聞いてみた。
「東京人を地方に移すため」課長は相変わらず、東京という言葉を使う。「東京に人がいたままじゃ、地方が活性化しないから」
「その通りかもしれないけど、それをどこかが指示してるんですか」
「政府」
「政府が黒幕ってことですか?」
「考えてみろ。東京解体なんて、普通は三十年かかっても出来そうもないことが、一年もしないうちに決まるなんておかしいじゃないか。知事が集まって、独立を言い出す? そんなことしたら、自分の首が飛ぶ。どうみたって、あれは国家に対する反乱だよ。それが、誰一人として首になってないだろ?」
「そう言われれば、そうですけど……」
「最初から、政府の方針として、東京解体が決まっていて、知事達が協力させられたんだ」
今から考えれば、千代田区長が提案を支持したのもおかしい。人口が少なく市になれないことくらい、区長クラスなら当然知っていたはずだ。知事達と同じで、事前に政府から協力を求められていたのだろうか。それに、独立を言い出した知事達の人数が、23区と同じ23人というのも怪しい。
突発的なものではなく、ある種の計画に基づいて実行された可能性は否定できない。
「でも、どうしてそんな手間なことするんです?」
「東京解体なんて、政府のほうから言い出せるわけないじゃないか。野党は大反対。これまでの失政をとがめられ、選挙で敗北。それより、崩壊寸前の地方から言い出せば、地方の人間は賛同するし、都会の人間だって同情するから、反対の声が弱まる」
「結局、どうなるんですか?」
「東京がスラムになる」
「そんな馬鹿な」
いつもの冗談だと思ったが、課長は真顔で、
「デトロイトのように、防ごうとしてもスラムになってしまったのではなく、スラム化の方針のもとなのだから、百パーセント必ずスラムになる」と宣った。
「スラムね……」
スラムになっては大変だが、大変疲れていたので、どうでもよかった。
「俺の大学時代の先輩で総務省にいる人がいて、何年か前に会ったとき、複数の省庁で東京スリム化計画という話が持ち上がってるとオフレコで話してくれた。そこから話が大きくなって、スラム化計画になったんじゃないかと思う」
「スリムが訛ってスラムになったんですか?」
くだらないジョークで笑いを誘っても、残念ながら私は駄洒落で笑ったことがない。
そのとき内線が鳴った。受話器をとると、一階の窓口の人手が足りないから、誰でもいいから、至急、来てくれと頼まれた。
「え~、未経験なんですけど」
と私がごねると、
「猫の手借りるよりましでしょ!」と言われた。
行ってみると、窓口業務が混み合っているのではなく、大半が役所への苦情を言いに来ている客だとわかった。
それで担当者に本来の業務を行ってもらうため、私はクレーマーの対応に当たった。
一人目は60代のコンビニのオーナーだ。駐車場に駐めっぱなしの車があるので、警察に連絡しても後回しにされ、しかも、その車のガラスが割られ車上荒らしにあったので、また連絡したが、今、凶悪事件で手一杯と言われたので、役所に電話したがつながらないので、わざわざ出向いたという。
「事情はわかりますが、こちらも人手が足りなくて、警察の手が空くのを待っていただけないでしょうか」
と言って、丁重にお断りしようとすると、
「区長を呼べ!」と怒り出した。
「いません」
「どこに行った?」
「どこにも行っていません」
「いま、いないと言ったよな。嘘か?」
「いえ、区長はいませんが、市長ならいます」
「馬鹿野郎! くだらないこと言ってるんじゃないよ」
男性は、大声で怒鳴ったが、ロビーは怒号で満ちているので、目立たない。
結局、「こんなところ、二度と来るか」と捨てぜりふを残し、帰っていった。
来てもらわなくとも結構である。
二人目は、世田谷に住む四十代の会社員だ。新宿のぼったくりバーで殴られ、不当な料金を支払ったが、新宿警察にも新宿市役所にも相手にされず、世田谷警察にも断られたので、やむを得ずこちらの市役所に来たという。
これなら堂々と断れる。
「島根県に行かれて、島根県で事件に遭われたのですから、島根県警の管轄です。こちらの警察から向こうへ連絡は可能ですが、うちの市役所では処理できません」
「島根? 俺は島根なんか行ってない」
「新宿は今島根県です」
「それはそうだけど、あんただって同じ公務員だろう? 少しくらい伝手があるんじゃないの」
「私のほうから島根県警に連絡を入れても、全く相手にされません」
「まあ、仕方ないな」
といって、彼はあきらめて帰っていった。
最初から期待していないようだ。
三人目は、空き家の隣人の苦情なので、役所の管轄だ。隣の豪邸が十年前から空き家で、最近扉が壊され、それ以来ゴミ屋敷になりつつあるというもの。おそらく泥棒が扉を壊したのだが、ゴミ収集が週2から週1に減ったので、近隣の住人がゴミを捨てるようになったと思われるとのこと。
正直、空き家は激増しているにもかかわらず、以前のようには対処できていない。というより放置されている。そこがゴミ屋敷になったり、浮浪者が住み着いて、問題になっているが、今はそれどころではない。
平謝りで相手をなだめていると、課長が来ているのに気づいた。対応が終わると、
「こっちも緊急事態。平原、返してもらうよ」
と言って、私を庁舎の外に連れて行く。
喫茶店に入ると、窓際の席に座りアイスコーヒーを二つ注文した。
「いいんですか。ズルして」と私が言うと、
「市民の苦情なんか、いちいち相手することないよ」
「でも、一応仕事ですし」
「都市デザイン課無くなるかもしれないって……」
課長が、窓の外を見ながらぼそりと言った。
「え?」
と私は驚いたが、これまでの秋田県のやり口からすると、ありえなくはない。
「大発展している東京をこれ以上、発展させるのは、おかしいってよ」
「秋田に較べれば、発展してますけど、それって田舎者の嫉妬ですよ」
「うちだけじゃなく、部署を半分くらいに減らすみたい」
「一市役所にしては、組織が複雑すぎるということですか」
私は納得したように言った。
「人も減らすらしい」
「もう何人か出向してますよ」
「県だけじゃなく、向こうの市や町にも出向させろって。さらに世田谷市は今後十年間、新規採用中止」
「それがあいつらのやり方か!」
私は声を荒げた。
「それで、平原。秋田に行かない?」
課長はさりげなく聞いてきた。
「どういうことです?」
「向こうの都市開発に出向。都市があるかどうかしらないけど、そういう関係の部署」
今、ここを抜け出すことができるのは、正直、助かる。蜘蛛の糸にすがる地獄の亡者の気分だ。
だが、私一人が助かっていいのだろうか。
…………。
いいのだ。
もちろん、本心を顔に出してはいけない。
「秋田にですか……」いかにも嫌そうに言った。我ながら名演技だ。「まだ半人前ですし、もう少しこちらにいたいんですけど」
「それなら、断るか?」
「いえ、いえ。私ごときをご指名いただいて、光栄に思います」
「よし、向こうにそう返事しておくよ」
「で、いつ頃の話ですか」
「来期」
それまでは地獄で辛抱だ。
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