第4話 いきなり秋田県民と言われても
東京解体は、逆らうことのできない大きな流れとなったが、個人的にはなかなか受け入れがたかった。今は職場の近くで、安アパート暮らしをしているが、世田谷というブランドは、私にとって身体の一部のように欠かせないものだった。それが、縁もゆかりもないはずの秋田県民になったのだから、当然といえば当然だ。
地方救済決死隊の提案を政府が検討すると発表された当初、誰もがどうせ相手をなだめすかせるための時間かせぎ程度にとらえ、本気でそんなことが実現するとは思っていなかった。もちろん、私もだ。
戦争並みの緊急事態ということで、国会で討論されることになっても、そんな暇があったら、年金のことでも議論していろと思っていた。
それが、記者会見から数ヶ月後の金曜日。その場で思いついたにすぎない妄想レベルの提案が正式に決定され、組み合わせの発表まであった。そのとき私は自分の仕事をしていたが、報道を見ていた職員からすぐに情報が伝わった。
「秋田、世田谷区は秋田県に決まりました」
「秋田? ここ秋田県なの?」
「秋田県世田谷市? こっちのほうが人口多くない?」
庁舎全体がわめきたった。
我々の部署も仕事の手を休めて、雑談タイムになった。
「秋田か……」課長は腕を組んで、「予想してたけど、まさかね……」
「予想してたんですか?」
課長に席が近い、天然パーマ男の佐藤さんが聞いた。
「バランスをとる必要があるから、弱小県と富裕区という組み合わせになるはずだ。世田谷クラスになると、どうしても金が必要な北海道か秋田というところだ」
「まさかね、というのは?」
「理屈では理解できるけど、感情的に受け入れられないんだよ」
私と同じだ。
それからすぐに、県知事から区長に電話があったという話だ。
人口で若干上回り、経済的には遙か上をいく世田谷区なのに、区長は知事に対し、下手に出たという。今後は、秋田県内の一市長なのだから仕方がない。
知事のほうも謙遜して、蟻が象を飲み込むようなものだと表現したらしいが、いくらなんでも大げさだ。蛙が蛇を飲み込む程度だ。
その日は、秋田ショックの影響で、管理職以外のほとんどが、仕事を定時で切り上げ、近くの酒場などに繰り出した。お偉方は庁舎内に残り、素面で深刻な話をすることになるのだろう。
一般職員だって相当深刻だ。酒の力でも借りなければ、現実にまともに向き合えない。都市整備政策部の若手十人ほども、行きつけの居酒屋で思いをぶちまける。
そこでは、様々な憶測が流れた。
「これから人事交流とかで、向こうから来たり、こっちから行ったりすることあるよな」
「もちろん、いままでの区と都の関係と同じだよ」
「給料は下がる。間違いなく下がる。向こうの物価に合わせるから」
アルコールが進むと、
「冗談じゃねえよ。田舎っぺの分際で、都会を吸収しやがって」
「どちらかというと、こっちが吸収する方だよね」
「あんな糞田舎なんか、ただでも要らない」
スマホで秋田弁について調べている者もいる。
「のみがだ。飲み会のことだって。秋田弁って、か行とた行が濁音になるらしい。だげど、馴染みのない場合や、直前の音によっては濁音にしない」
というわけで、秋田弁の練習が始まった。
「おぢゃづげ(お茶漬け)」
「がっこ(たくあん)」
「おっかね(怖い)」
「ごんぼほる(暴れる)」
明日は休みだ。
「にじがい、どごさいぐ?」
「やぎにぐ」
「おらもやぎにぐ」
「がらおげ」
二チームに別れ、私と佐藤さん、後輩の鈴木君のデザイン課三人組はカラオケを選んだ。
秋田をテーマにした歌を探したが、知っている歌がない。東京で調べると、何百曲も表示された。知っている曲となると、かなり少なくなるが、何曲か歌って、東京との別れを惜しんだ。
佐藤さんは男泣き。
「何の因果で秋田県民になんかにゃならんといかんのにょよ~」どこの方便かわからない。
午前二時にお開きで、私は一人暮らしのアパートに帰った。
翌日の土曜日。昼近くに目を覚まし、昨夜カラオケに行ったことを思い出し、デイリーランキングを調べた。「東京」という言葉を含む歌が上位を占めていた。皆、考えることは同じなんだ。
午後になると無性に誰かと話したくなって、中央区にいる友人を訪ねた。大学時代の友人で、勤め先が外資系金融機関だけあって給料がいいので、最近、タワーマンションの中層階を購入したばかりだ。
エントランスのインターフォンで呼び出すと、
「わざわざ秋田県からよく来たね」と言って歓迎してくれた。
「隣の青森に来ただけじゃないか」
中央区は青森県が引き受けた。
「秋田と青森といっても、そっちは世田谷市民。俺なんか、東京都中央区日本橋からいきなり青森県南武蔵郡三戸町だぜ。三つの戸で無理矢理みつのへって読めって」
「お互い雪かき大変だな」
入り口のロックが解除され、高層階用のエレベータを利用して、彼の部屋に向かった。
三度目の訪問になるが、
「上の階は高い割に、景色はこことあまり変わらない。見学したときにそう気づいてよかったよ。数千万も余分に払うところだった」
などと、まだ自慢してくるので、
「たしかに公務員では手の届かない物件だけど、大金持ちになったって買うつもりはないよ。だって、管理費馬鹿高いし、プールやジムだって、住人の負担だろう」
とネットで知ったデメリットを口にしてしまった。
「それ考慮に入れても、安いと思う」
「外に出るのにいちいちエレベータ使わないといけなくて、朝なんか行列ができるから、時間のロスが半端ない」
私の低階層アパートは階段を利用する。
「常に揺れてるから体に悪いし、地震のとき揺れが大きくて、窓もほとんど開けられなくて、日射しが強くてエアコン入れっぱなし」
「そういう考えもあるな……」
「老朽化したとき、修繕費が大変。タワーマンションの修繕なんてこれまであまり事例がなく、実際いくらかかるかよくわからないらしい。そのとき、住人が減ってれば、一人当たりの負担がさらに大きくなってる」
「そのことは考えてる」
「コンドミニアムのことをマンションと呼ぶこと自体がおかしい。マンションって、大邸宅って意味だぞ。それに欧米の富裕層は集合住宅には住まない。それは貧困層の住むものだから。何でこんなもの買ったんだ? 何とか(馬鹿)と煙は高いところが好きってことか?」
私のほうが優勢になると、
「夜になればわかる」
彼はそう言ったきり、黙りこくってしまった。
夜になった。彼はワインセラーからシャンパンを取り出して、ふたつのグラスに注いだ。
「さあ、東京を名残惜しもう」
といって、片方を私に渡し、自分は窓際のリクライニング・チェアに腰掛け、私は傍で立ち飲みとなった。
私は、酒の善し悪しには疎いが、一口飲んだだけで、気分が高揚し、
「君の言ってた意味、わかったよ」と彼に言った。
彼は、私の言葉など聞いていないかのように、
「ここ買ったの失敗だったかもな。せっかくの夜景も青森県南武蔵郡みつのへ町じゃあ、当然相場も下がるし……」
私も、彼の計算高い態度など気にせずに、そびえ立つ摩天楼の夜景を眺めながら、信じられないがもうすぐここは青森なんだ、と感慨にふけった。
そして、こういった高層ビルやタワーマンションこそが、面積当たりの人の集積度を上げ、東京への過度な集中を促す要因になっていることに気づいた。全ての建物が平屋だったら、狭い空間に一千万人も暮らせない。
新制度の施行が近づくにつれ、県との人の出入りが増えた。向こうから新しい人が来る度に、各部署で挨拶するが、つい方言が出てしまうシーンもあって、笑いをこらえなければいけない。
そして、新制度の施行日、朝礼で知事が挨拶をした。初日に県庁を留守にして、こちらに来たということだ。マスコミも取材に来ていて、もしかしたら私の姿がニュースで流れるかもしれない。
佐々木知事は秋田生まれだが、インテリで東京暮らしが長かったので訛りはない。
「秋田県についてあまりいい噂は聞かないでしょう。
出生率、婚姻率、死亡率、自然増減、がん、脳血管、自殺率、高齢者率の各部門で堂々のワースト一位です。
人口動態もすごいですよ。
一人生まれて三人死ぬ割合です。それに加えて、一人出ていく。どうやったって、人口が減りますよね。それが一昨年は二人出て、去年は三人です。どうしようもないですよね。
その結果、135万人いた人口が九十年間減り続け、昨年は90万人を下回りました。
田舎にありがちな閉鎖的な県民性で、診療所に来ていただいたお医者さんを次々と追い出してしまう。
住んだことのない人から見れば、まるで地獄ではないですか」
自虐ネタに笑ってしまいそうだ。
「本当に秋田は地獄なんでしょうか?」
そこで一旦話を停め、居並ぶ職員の顔を見回した。私と目が合った気がする。
「秋田は決して、地獄ではありません。閻魔様も鬼もいません」
それが回答だった。
「我々だって、のんびり構えていたわけではないですよ。手を尽くしても、どうしようもなかったんです……(途中、省略。話が無駄に長く、何を話していたのか思い出せない)……ですが、世田谷区を加えることにより、間違いなく秋田の将来は輝かしいものになるでしょう。
秋田県ほど世田谷にふさわしい県はありません。どちらも面積が広いという共通点がありますが、それはあまり関係ありません。
ワーストとベストの組み合わせだからです。
ワーストの県とベストの区。これほどお似合いなカップルはないではないですか。
ワーストの県にとってベストの区とは、大げさにいえば、神様、仏様、世田谷様です……みなさんもこれまで以上に忙しくて、大変だと思いますが、ここを乗り切って、一緒に新しい秋田県を作りましょう。どうか秋田県民にふさわしい職員になってください。
以上で、秋田県世田谷市発足の挨拶とさせていただきます」
盛大な拍手が起きたが、皆、どこか笑顔が引きつっていた。
東京都から秋田県に変わってすぐ、第二庁舎に県関係が入ることになり、私は準備に回された。
同期の女の子がいたので、手を休めて雑談をしていると、気になることを聞いた。
「平原君、旧特別区交付金って聞いてる?」
特別区とは23区のことだ。交付金とは国または地方公共団体が特定の目的をもって交付する金のことで、事業支援以外にも補助・助成が目的の場合もある。
小さな県ほどの人口を誇る我が世田谷も、今後は何かと歳出が増えそうだから、世田谷を吸収して大幅に税収が増える秋田県のほうから交付金がいただけるようだ。
と思い、「いくらくらいもらえるの?」と尋ねた。
「そうじゃなくて、旧23区から県のほうに交付金を支払うって制度」
「何だ、そりゃ! 逆じゃないか」
「しかも市に権限がなく、額は県が決めるって」
「そんな馬鹿な話があるか」
県は、これまで東京都が得ていた税収に加え、市税の一部を交付金という形で得ることになり、二重に潤う。
「それに、支所を減らすか、無くすって噂もあるけど」
「みんな本庁(区役所)に来いってか」
「秋田市の十分の一の面積もないのに、支所なんて贅沢だって」
秋田市だけで23区より広いが、
「面積の問題じゃなくて、人口だろう!」
世田谷区役所は、利便性を高めるため、区民がわざわざ区役所(本庁)まで来なくても済むよう、五箇所の総合支所を設け、そちらで対応している。区役所本庁は、全区にまたがる仕事や、支所間の調整を行い、区役所付近の住民は区役所第三庁舎内の世田谷総合支所の扱いとなる。
それ以外にも、出張所や街づくりセンターがあり、簡単な業務に対応している。
人口が小さな県ほどもあるから、そのくらいは当然だ。
用事のある市民全部が区役所本庁に押し寄せたら大変だ。窓口を増やさねばならず、ますます窮屈になる。
その程度で驚くのは早かった。その後も次々と、県側から無茶な要求が相次いだ。
通常業務に加えて、体制の変更に伴う仕事ができて、糞忙しいというのに、市の新規採用を中止することになった。これは世田谷だけの方針ではなくて、渋谷など他のところでも同じだという。
そればかりか、市の職員の一部を研修という形で県に出向させる。これでは人手不足で回らない。
相手を田舎者だと思ってなめていたのは間違いだった。
我々の立場は、大手に買収された零細企業の従業員なのだ。いや、大手企業連合の一つの傘下だ。
相手は秋田県単独ではなく、日本の地方全体。これまでのような、ばらばらの地方対東京ではなく、地方連合対東京だった場所の一部、と構図が変わっている。我慢するしかない。
当時の私はその程度にとらえていたが、まだ甘かった。
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