身代わり令嬢♀×護衛騎士♂



「どうして裏切ったの」


 彼女のその言葉が、耳の奥に刺さって離れない。

 冷たい声。冷たい視線。――ああ、痛いな、と。

 どうしてだなんて、そんなこと、一つに決まっているだろうに。

 真実を打ち明けられたなら、彼女はまだ、この腕の中にいてくれただろうか――。





【幸せは時に不幸であると】#悲恋 #裏切り





 リーナは、公爵令嬢だった。

 父は現王の弟で、王女とは従姉妹同士。容姿がとても似ているため、リーナは王女の身代わりを務めることが多かった。

 彼――ハロルドと知り合ったのも、王女の身代わりをしているときである。


『失礼いたします、王女殿下』


 いきなり声をかけられ、いきなり腕をとられ。

 それを無礼だと怒る前に、ハロルドは厳しい眼差しで言った。


『昨日の擦り傷がない……。誰だ』

『いっ、たい!』


 問い詰めると同時に腕を拘束されて、リーナは『痛い』と何度も叫んだ。それでも彼は容赦なくて、ある意味安心したものだ。

 ああこの人は、ハニートラップにも負けないのだろう、と。

 しかし、賊の汚名は勘弁である。身代わりのことは国王と王子、一部の重鎮しか知らないので、リーナはなんとか彼を説得して、牢に入れる前に真実を知る重鎮の一人に会わせてほしいと頼み込んだ。もちろん拘束されたままだったが、リーナは文句も言わなかった。

 やがて誤解が解けると、今度は彼が全力で謝ってくる。顔を地面につける勢いだったので、むしろ笑ってしまったのは秘密だ。そこまでしなくてもいいのにと。

 そうして、リーナはハロルドという友人を得た。生真面目で、真っ直ぐで、お小言の多い、優しい友人。

 身代わりがバレてからは、王女も交えて、三人で談笑することも増えた。

 それに、身近に秘密を知る人がいるというのは、意外にも心強いものらしい。護衛として優秀なハロルドは、いつもリーナを助けてくれた。さりげなくフォローしてくれた。

 なによりも、彼が秘密を知っているから、リーナは常に気を張らなくてもよくなった。彼と二人きりのときは、たまに冗談だって交わすほどだ。


『ねぇ見て、ハロルド。あそこに猫がいるわ』

『どこですか?』

『ほら、あの木の下よ。頑張って交尾してるでしょ?』

『ぶっ。ちょ、なんてもの見てるんですか!』

『あら〜? ハロルド、顔が赤いわね。ふふ、照れてるの?』

『あなた仮にも王女でしょう! 恥じらいというものを持ってくれませんかね!?』

『本物なら持ってるでしょうけど、私にはないわ。むしろ興味津々よ』

『なぜ!』


 彼が、からかうと意外に面白いということも、付き合う内に知ったことだ。

 生真面目で、真っ直ぐで、お小言の多い、優しい友人。

 友人と思えなくなったのは、たぶん、リーナのほうが先だった。


『ねぇ、ハロルド』

『はい、殿下。どうされました?』

『こんな状況で言うことじゃないのだけど、今は二人きりだからいいわよね? いいことにするわ』

『……それで、なんですか?』

『私、どうやらあなたが好きみたい』


 そう言ったときの、ハロルドの顔といったら。

 最初はきょとんとしていた。意味を理解できなかったのだろう。

 リーナはそんな彼を見つめ続けた。そのおかげか、彼の顔がだんだんと赤みを帯びていって。


『なっ、え、はあ!?』

『好きよ』

『いや、何をっ』

『あなたは私が嫌い? これは、リーナとして訊いてるんだからね?』

『それはわかって……って、そういうことじゃなくて!』

『だって、あなたを見るとムラムラするんだもの。キスしたいし、キスしてほしいわ。もうこれ、完全に恋しちゃってるわよね?』

『言い方!』


 とても公爵令嬢とは思えないが、リーナはこういう女だった。そもそも、猫の交尾を興味津々に眺めている時点で、普通の令嬢ではない。

 ハロルドもとっくにそんなことは知っている。でもまさか、こうもストレートに愛を囁かれるとは思ってもみなかったのだ。

 というか、これは囁かれているのだろうか。囁きなんてかわいい言い方ではない気がする。


『あなたもムラムラしない? 私と一緒にいて』

『だから言い方!』

『しないなら仕方ないわ。諦める』

『えっ』

『――っていうのは無理だから、襲おうと思うのだけど、どうかしら?』

『普通逆ですけど!? せめて俺に襲わせてください!』


 まさにハロルドを襲うため、ソファに彼を押し倒したところでそう叫ばれる。


『あら。ということは、返事はOKということね?』

『あ……』

『嬉しいわ、ハロルド!』

『ちょ、待っ――』


 制止も虚しく、ハロルドの唇はいとも簡単に奪われた。

 この日から、二人は秘密の関係を始めた。王女にも秘密の恋。誰にも内緒で、人に隠れて愛を育む。

 生真面目な彼は、それに負い目を感じていたようだけれど、リーナは幸せだった。

 王女の身代わりは、王女に婚約者ができれば解消される。そのときをもって、リーナはリーナに戻れるのだ。

 だから、自分自身に戻れたとき、リーナは正式にハロルドとの関係を両親に打ち明けるつもりだった。幸いにもハロルドは、男爵家の次男とはいえ、貴族の身分を持っていたから。

 それに、王女の身代わりをさせられている娘のことを不憫に思ってくれる程度には、両親はリーナを愛していた。少しのわがままなら聞き入れてくれるだろう。



 だから、まさか。

 まさか、最愛の恋人に裏切られるなんて、リーナは夢にも思っていなかったのだ。


「ハ、ロル、ド……?」


 彼に呼び出されて、のこのことやってきた自分が憎い。

 最愛の恋人は、よりにもよって、リーナにそっくりな王女と抱き合っていた。開いた扉の隙間から、リーナは呆然とそれを見る。

 ハロルドの手が――あの大きくて男らしいごつごつとした手が、王女の髪をすいている。愛しい女にするように。

 もう片方の手は、王女の細い腰を、がっちりとホールドしていた。

 王女の手も、ハロルドの背中にしっかりと回っていて。

 声が出ない。怒りも出ない。ただただ唖然と、愛し合う二人の姿を見せつけられる。

 そう、


「――っ!」


 だって、扉のわずかな隙間から、ハロルドと目が合ってしまったから。

 わずかな隙間で目が合うということは、ハロルドは最初からわかっていたのだ。わざと、リーナをここに呼んだのだ。これを見せるために。

 そうして彼が、王女の額にキスを落とした。


 そのあとのことを、リーナは覚えていない。

 生真面目で、真っ直ぐで、お小言の多い、優しい恋人。

 いつのまに、あんな知らない男になっていたのだろう。

 目が合った彼は、リーナを無感情に見つめていた。見られて動揺するでもなく、ただ、虚無を映すように。

 リーナの知っている彼は、恋人がいるにもかかわらず、決して他の女にキスするような男じゃない。そんな器用な男じゃない。

 好きでもない女に、キスができるような、そんな男では――――……。


 






「おめでとうございます、王太子殿下、王太子妃殿下!」


 教会の鐘が晴れやかに鳴る。

 今日は、この国の王太子と、その婚約者であったリーナ・アシュトン公爵令嬢の結婚式だ。

 神も二人の結婚を祝うように、気持ちのいい快晴だった。

 白のウエディングドレスを纏う彼女は、天使と見紛う美しさである。それを優しく見守る王太子は、彼女を誰よりも愛していると言わんばかりの眼差しだった。

 盛大な結婚式。国内外から多くの賓客を迎えて、たくさんの祝福に包まれる彼女。

 最後に見た、泣きそうな、こちらの心まで潰されそうな悲痛な顔とは違う、幸せそうな彼女の顔。

 ハロルドは、そんなリーナを、遠くの木陰から見守っていた。本当なら彼女の隣で笑っていたのは自分だったのに、と思いながら。


「……本当に、これでよかったの?」


 ぎりっと拳を握っていたハロルドに、王女がそっと声をかける。

 誰もが笑顔で祝福するなか、彼だけは、今にも泣いてしまいそうな顔で。


「いいと、言えば、嘘になります。本当は、俺が彼女を幸せにしたかった……」

「だったら、リーナに全てを話せば――」

「なりません! それだけは、なりません」


 さらに強く拳を握るハロルドに、王女はもう何も言わない。言えなかった。

 この、不器用で一途な男を、これ以上傷つけるのは忍びないと思って。

 だから、代わりのように訊ねる。


「もう、行ってしまうの?」

「はい。彼女の幸せを見届けられた。満足です」

「本当に、国を出るの?」

「出ます。ハロルド・ユーインは死にました。裏切り者のユーイン男爵家に、生き残りなど存在してはいけないのです。本当は、いっそ殺してほしかったのですが……」

「関係のないあなたを罰することは、お兄様がお許しにならなかったから」

「ええ。殿下には、この御恩はいつか必ずお返しするとお伝えください。死にたいと思っていましたが、見られるとは思わなかったリーナのウエディングドレス姿を見れました。それだけは、唯一、生き残れてよかったと思えましたから」

「……わかったわ。伝えておくわね」

「ありがとうございます、王女殿下。……あのときも、下手なお芝居に付き合っていただき」

「やめて。それは気にしない約束よ。私だって、リーナには幸せになってほしかったから」

「……はい」

「っ、でも、あなたにも、幸せになってほしかったわ。だってあなたは、私の護衛だったのだから」

「はい。本当に、ありがとうございました」


 ハロルドが丁寧に一礼する。

 王女は、それを寂しそうに眺めると、そのまま彼に背を向けた。


「さようなら、ハロルド」


 最後に、別れの言葉だけを残して。

 ハロルドは小さく微笑んだ。そこに少しの痛みが滲んだが、気づかないふりをした。

 祝福の声が聞こえる。

 たくさんの声が二人を祝福している。

 国を裏切った一族の花嫁では、決して手に入れられなかっただろう幸せを、彼女はちゃんと掴んだのだ。

 彼女が笑っていれば、ハロルドはそれだけで幸せだ。そう思うのに、胸は鈍く痛みを訴えてきて。


『ハロルド、ね、キスして?』


 そうやってキスをねだる彼女も、


『ハロルド、大好きよ』


 満面の笑みで愛を囁く彼女も、


『……ハロルドの、ムッツリスケベ』


 たまに見せる照れた彼女も。

 もうその全てが、自分のものではなくなったことに。

 どうしても、心は悲鳴を上げるけれど。

 

「――殿下ー! 誓いのキス、してくださーい!」


 民の一人が、お祭り騒ぎのようにはやし立てる。

 周りの歓声が大きくなって、一気にそういう空気が流れた。

 ハロルドは、耐えられなくなって、そんな二人に背を向けた。

 風が吹き抜ける。遠くでたくさんの口笛が響いている。

 


『ハロルド、何があっても、私たちはずっと一緒よ!』



 風に乗って、彼女の声が聞こえた気がした。

 振り返らない。振り返れば、せっかくの努力が無駄になる。彼女の幸せを壊してしまう。

 だから、何があっても振り返らない。



 ハロルドの瞳から、静かに涙が零れ落ちた。

 


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