ある意味恋愛初心者令嬢♀×彼女を落としたい策士公爵♂
とある貴族の夜会で。
華やかな紳士淑女に負けることなく、ひときわ輝きを放つ女が一人。
「ああ、リリアナ様は今日もお美しい」
一人の男が褒めそやす。
「リリアナ様の美貌には、美の女神ですら逃げ出すでしょう」
別の男も賛美する。
「リリアナ様、どうすればあなたの愛を得られるのでしょう。あなたに囚われた哀れな男に、どうか愛の慈悲を恵んではいただけませんか?」
「まあ、情熱的な方。でもごめんなさい。わたくし、まだ誰にも恵みを与えるつもりはありませんの。それではごきげんよう」
「リリアナ様っ……」
前からも後ろからも、右からも左からも上からも下からも――というのは冗談として。
それでも、あらゆる男たちからの称賛に、リリアナは扇の下でほくそ笑んだ。
――ああ、なんて気持ちいいのかしら。
異性からちやほやされることが、こうも優越感に浸れるとは。たくさんの男たちから褒めそやされ、誰も彼もが夢中になる。自分がそれほどの美貌を持っていることを、リリアナ自身も自覚している。
リリアナは、この状況を楽しんでいた。
異性に好かれ、絶賛され、誰もが自分の愛を請おうと必死になる。リリアナが少しかわいらしくお願いするだけで、大抵の男たちは言いなりだ。そりゃあ、リリアナが図に乗るのも仕方ないことだった。
「まだ誰かに絞れないの」とかなんとか適当に言って、のらりくらりと男たちを躱す。その甘い駆け引きすら、リリアナには楽しくてしょうがなかった。
だから、これはある意味、天罰なのだろう。
蓋を開ければ、ただ好きになれる人がいなかった恋愛初心者令嬢が、調子に乗ってこの状況に酔ってしまった結果。
彼女は、どういうわけか、天敵と婚約する羽目になっていたのだった――。
【彼女が罠にはまるまで】#隠れ愛され #策士
リリアナは由緒正しい伯爵家のご令嬢だ。社交界では薔薇姫と呼ばれるほどの美貌を持つ。それゆえ、リリアナの社交界デビューは遅かった。リリアナの身を心配した両親と兄たちが、リリアナをなかなかデビューさせたがらなかったからだ。
しかし、リリアナは恋に憧れていた。
両親の大恋愛しかり、兄夫婦たちの輝かしい恋愛しかり。
リリアナの周りには、お互いに想いあって夫婦になったカップルが多く、憧れるなと言うほうが無理な話だった。
だからリリアナは、素敵な男性との出会いを求めていた。それが、ひとたび社交界デビューを飾ってみると。
自分が思いのほか男性受けがいいことを知った。また、男たちに称賛されるたびに満たされる優越感が、リリアナを酩酊させてしまった。
もっと欲しい。もっと褒めて。もっと私に夢中になって――!
なあんて、ある意味恋愛を拗らせていた間に、リリアナはいつのまにか婚約させられていた。なんでも、ご令嬢のいる他家の親から苦情が入ったらしく、身分的に無視できなかったための措置なのだとか。
そして肝心の相手は、リリアナが忘れたくても忘れられない憎き男、ブルクハルト公爵アルベルト。
唯一、リリアナに辛辣な言葉を浴びせた男だ。
「初めまして、キャンベル嬢。ブルクハルト公爵アルベルト・ウィンターだ。婚約者として、これからよろしく?」
「なっ、初めましてですって!?」
リリアナは今、両親に押しつけられた婚約者を、自分の家のタウンハウスに迎えていた。婚約してから二週間も経った日のことである。
そもそもリリアナは、まずそれに怒っていた。
両親に勝手に婚約者を決められていたことも業腹だったが――なにせキャンベル家は自由恋愛を謳っている――その相手も、一向にリリアナに会いに来ない。待てど待てど、手紙の一つさえ寄越さない。他の男なら、すぐにでも会いに来るだろうところをだ。
そして、ようやく婚約者が挨拶に来たと思ったら、彼は腹立たしいことをのたまった。「初めまして」と。
意味がわからない。
「まあ。公爵様ともあろうお方が、まさか一度どころか七度も顔を合わせたことのある
「心配には及ばない。領民からはちゃんと慕われているし、誰も俺のやり方に不満はないそうだ。おかげで、あちこちから条件のいい女を紹介される」
「まああ。では、その条件のいいご令嬢と婚約し直してはいかがかしら。わたくし喜んで、ええ小躍りしながら、婚約破棄を受け入れて差し上げますわ」
「は。おまえの踊りなど、誰も見たくはないがな。お里が知れそうだ」
アルベルトが嘲笑を浮かべた。
なんてムカつく男だろう。リリアナは顔を真っ赤にさせて彼を睨んだ。この男を相手に、淑女の仮面をかぶることもない。先に礼を欠いたのは向こうなのだから。
初めて会ったときも、この男はこんな感じだった。まるで喧嘩を売るように、両手に花よろしく男を侍らせていたリリアナに向けて、「邪魔だ。子供が図に乗って遊んでるなよ」と吐き捨てたのだ。
確かに。確かにあのとき、ちょっと道を塞いでいた自覚はある。だとしても、言い方というものがある。決して初対面の人間に吐いていい暴言ではない。
その後も六回、社交界で彼と顔を合わせたことがあるが、その六回とも、彼はリリアナを嘲笑した。
他の男と全く違った。リリアナは、この男とだけは絶対に結婚したくないと思ったものである。
それが、どうしてこんなことに。
「それにしても」
アルベルトが優雅な仕草でカップを持ち上げる。いくら嫌いな男とはいえ、相手は公爵だ。リリアナお勧めの紅茶を用意している。
彼が、それを一口飲んだ。その一連の所作が、見惚れるほどに洗練されていて。
リリアナがこれまで相手にしてきた、どの男よりも綺麗な所作だった。リリアナが腹立たしいのは、彼のそんなところも含まれている。
今まで会ってきた、どの男よりもイイ男。
社交界で彼の噂を聞かない日はないくらい、ご令嬢に人気の公爵様。
理知的でクールな雰囲気は一見近寄りがたく思えるが、その氷のように怜悧な美貌が溶ける様は、老若男女を問わず虜にさせてしまう。
公爵としての手腕も確かで、王族の覚えもめでたい。
今まで彼に婚約者がいなかったのは、人気がありすぎて一人に絞れなくなったからという噂もあるほどだ。なんでも、一人に絞ったが最後、選ばれなかったご令嬢による流血沙汰が起こりそうだったのだとか。
「それにしても、おまえは俺のことを嫌っていると思っていたが、ご丁寧に会った回数を数えていたのか? 健気だな」
くす、と彼が笑う。
これには別の意味で、リリアナは顔を赤く茹で上がらせた。
「ちがっ、別に、偶然ですわ! たまたま何かの奇跡が起こって、たまたま覚えていただけです!」
「どんな奇跡だよ」
呆れたように突っ込まれるが、リリアナは聞いていない。
この男は、全ての言動がいちいち色っぽいから困るのだ。そのくせ、リリアナには興味がない男。むしろ、リリアナには特別素っ気ない気もする。
「こんなことですぐに慌てて……だから子供なんだ、おまえは」
「あなたにそんなことを言われる筋合いはありません。子供がお嫌なのでしたら、どうぞ、婚約破棄なさってくださいませ」
「破棄はしない。一応、おまえの美しさは俺も認めるところだ。おかげで他の令嬢も、おまえなら仕方ないと諦めてくれそうな雰囲気だからな」
「え、い、今、なんてっ?」
思わずどもる。だって、リリアナにとって、信じられない言葉が聞こえた気がして。
「ん?」
「わ、わたくしのこと、美しいって言いました? あなたが?」
「ああ。見てくれはな。中身はまるで子供で、とても満足できそうにないが」
酷い言われようである。期待した自分がバカだった。どうしてこの男は、こうもリリアナに厳しいのか。
「こっちだってあなたでは満足なんてできませんけどね! 他の方のほうが何倍も楽しくて素敵ですし! 何より優しいですし!」
「……へえ?」
すると、アルベルトの声が、なぜか不穏に低くなる。
リリアナはびくりと身体を震えさせたが、気取られまいと胸を張った。
「あんな恋愛の〝れ〟の字も知らないような戯れで、何が満足できるんだか」
「あら。そういうあなたこそ、人に恋愛を説けるとは思えませんけれど? どうせ群がる令嬢を取っ替え引っ替えだったのでしょう?」
「まあな」
あっさりと肯定されて、リリアナはここでもイラッとする。
やっぱりムカつく。それが、アルベルトに抱く変わらない感情だ。
「だが、すでに遊びはやめている。おまえと違って、俺は本命を見つけたから」
「本命……?」
それはつまり、好きな人ということだろうか。
(え? じゃあなに。この人、お慕いする女性がいるってこと?)
なのに、リリアナと婚約したのか。どうして。
「おまえはわかりやすいな。だったらどうして自分と婚約したのか、って顔してるぞ」
くく、と彼が喉奥で笑う。そんな仕草も、やっぱりリリアナの心をいちいち刺激する。
だからムカつく。自分に夢中にならないくせに、自分のほうはこの男の一つ一つを気にしてしまう。それが、余計に苛立たしくて仕方なかった。
「言っただろう。おまえなら、他の令嬢も文句を言わない。血も流れない。おまえの見た目だけなら俺も気に入っているし、家格もそこまで下なわけでもない。おまえがちょうどよかったんだ」
「そう、ですか……」
いつもなら「ちょうどよかったって何よ!?」と怒っているところだが、なぜか今は、怒りよりも虚無が生じる。
なんだろう。悲しみにも似ていて、うまく言葉にできないけれど、確かに心がチクリと痛んだ。
(ようは、本命の方を守るため、ということよね)
なんて酷い男だ。そのために、リリアナを犠牲にするなんて。リリアナを生贄にするなんて。
リリアナだって、こんな男と結婚なんてしたくないのに。
「本命って、どなたです?」
なのに、リリアナの口は勝手に動いていた。
勝手に、そんなどうでもいいはずのことを訊いていた。まるでそれが、リリアナにとって一番知りたい情報だとでもいうように。
「気になるのか? 俺の本命が、誰なのか」
「――っ。別に、そういう、わけでは。でもそう、そうですわ、わたくしはあなたの婚約者ですもの。知る権利があるわ」
「ふ。なんだ、ちゃんと婚約者と自覚してくれているんだな」
「あ、当たり前でしょ!」
急に。
本当に、急に彼が優しく目を細めるから、リリアナはドキリとしてしまう。氷が溶ける瞬間というのは、こうも熱いものだったのか。
心なしか、彼が嬉しそうに見えた。
「なら安心した。お子様には、まだ婚約なんて早いかと思っていたからな」
「はい!?」
いや、やっぱり気のせいだ。嬉しそうだなんて、この男にそんな純粋な感情が備わっているとは思えない。今だって、意地悪そうに微笑んでいる。失礼なことこの上ない。
「何度も言いますけれど、わたくしは立派なレディですわ。子供ではありません」
「ほう?」
「たくさんの男性に言い寄られますし、デートのお誘いだって、本気の求婚だってされたことありますもの」
「なるほど。だったら――」
向かいに座っていたアルベルトが、一瞬でリリアナの隣に移動してくる。驚いて固まっているリリアナに、彼は容赦ない攻撃を仕掛けてきた。
「キスなんて、もうとっくに経験済みか」
くいっと、顎を持ち上げられる。
上から見下ろしてくる青い瞳は、意外なほど真剣だった。胸がむず痒くて仕方ない。
「あの、なにを」
「まったく、子供も案外侮れないな。どこの男に許したのか、あとで白状させるから覚悟しろよ?」
「だからなに――――ンン!?」
いきなり重なる唇。
眼差しのようにひんやりと冷たいのかと思ったら、彼のそれは温かかった。むしろ熱いくらいの温度で、リリアナの心がじんわりとその熱に侵されていく。
どうしよう。胸が痛いくらいドキドキと鳴って、どうすればいいのかわからない。
「は、抵抗しないのか?」
「ん……だ、て」
角度が変わって、また貪られる。
抵抗したくてもできないのは、アルベルトのせいだ。
彼がこんなにも優しいキスをするから、思わず身を委ねてしまいたくなっている。
嫌いな男のはずなのに。
婚約なんて、絶対に破棄してやると思っていたはずなのに。
(どうしよう。離れたくない……)
彼のキスが心地良くて、不埒にも「もっと」と求めてしまいそうになる。
温かくて、柔らかくて、不思議と心が満たされた。自分が探していたものはこれだと、本能が告げている。
「ふぁ……」
「……こんな蕩けた顔を、他の男にも見せたのか」
唇が離れ、名残惜しそうに彼の親指が唇をなぞった。その感覚すら、甘美な震えを誘う。
「言っておくが、おまえはもう俺の婚約者だ。今までのように男と遊ぶのは許さない」
「遊ぶって、そんな」
なんだか棘のある言い方だ。
というより、彼は何か勘違いしていないだろうか。リリアナは、確かに男を両側に連れてはいたけれど、それは決して遊び相手だったわけではない。もちろん恋人だったわけでもない。
言うなれば、彼らが勝手にリリアナの隣を陣取っていただけである。そしてリリアナもまた、それを強く拒まなかった。異性に褒められて喜ばない女はいないだろう。
だから、彼の言う〝遊び〟は、一度もしたことがない。
リリアナがしたことといえば、せいぜい言葉遊びくらいのものである。
「おまえはお子様ではないのだろう? なら、俺の言うことを聞けるな?」
「なんでわたくしがあなたの言うことを聞かないといけないのよ。だ、だいたい! 婚約者だからって、いきなりその、キ、キスするなんて……! 心の準備くらいさせてほしかったわっ」
「何を今さら。どうせ初めてでもあるまいに」
「……めてよ」
「なんて?」
「っ、だから、初めてだったのよ! キス!」
「…………は?」
アルベルトが目を見開く。その状態で凝視されるので、リリアナはいたたまれなくなって視線をふいっと逸らした。
顔が熱いのは、意図せず彼の唇が見えてしまったから。あの形のいい唇と、自分はさっきキスをしたのか、と。
思い出してしまったから。
「わ、わたくし、男性とお付き合いなんて、遊びでも本気でもしたことないもの」
「あんなにしょっちゅう男といて?」
「あ、あれはっ、勝手にいつもついてくるだけで。それに、わたくしのことお姫様のように褒めてくださるんですもの。悪い気はしないわ」
「……ならおまえ、キスは初めてだったのか?」
「だからそう言ったではありませんの!」
「へえ。ふうん。なるほどねぇ」
「な、なによ」
驚きから一転、アルベルトが機嫌良さそうに見つめてくる。わけがわからなくて、リリアナは困惑した。
でも、もっとわからないのは。
その彼を見て、激しく高鳴る自分の心だ。
「そうかそうか。お子様はやっぱりお子様だったってことか」
「なんですって?」
「たった一度のキスで顔を真っ赤にさせて……そんなによかったか、俺のキスは」
「なっ!?」
照れも恥じらいもなく言われて、リリアナは言葉を失った。これが経験の差だというのなら、悔しい。自分は子供じゃない。もうデビューもした大人なのに。
それに、ここで子供扱いされると、余計に反抗心が育つというもの。
「別に、キスなんて、ただの唇と唇の触れ合いでしょう? なんてことないわ。顔が赤いのは、あなたの気のせいではなくて?」
「じゃあ、どれだけキスしても、大人なおまえは顔を赤くなんてさせないと?」
「さ、させないわ」
リリアナがそう答えた瞬間、彼の口角がわずかに上がった。
「では、試してみよう。大人なら頑張ってついてこいよ?」
「望むところよ」
そうして今日も、明日も、明後日も。
リリアナは毎日のように、アルベルトからキスを贈られる。
それはつまり、毎日彼と会うということで。
そんな仲睦まじい婚約者たちを、周囲は羨ましげに見つめる。他人が間に入る隙もないほどに、二人はよく一緒にいた。
それが全てアルバートの策略どおりだったということを、リリアナはだいぶ後になって知る。
彼女が隠せないほど頬を紅潮させて怒ったのは、きっと言うまでもないだろう。
そして、それを見たアルベルトが、愛おしげに彼女をなだめたのもまた、言うまでもないことである。
『――失礼ですが、道を訊ねてもよろしいかしら』
彼と彼女が初めて出会ったのは、一年に一度開かれる
街は仮面をつけた人々で行列がなされ、王宮でも仮面舞踏会さながらのパーティーが開かれていた。
しきたりどおり仮面で顔の半分を隠していたアルベルトは、しかし滲み出る色気に吸い寄せられた貴婦人たちに囲まれてしまい。
そんな彼に唐突に話しかけてきたのが、これまた目元を隠す仮面をつけた女だった。
――道なんて、おかしなことを聞く。
アルベルトはそう思った。なぜならここは、舞踏会の会場内。道を知りたいなら城の使用人に訊けばいい。
それでもなお、彼女は同じ言葉を繰り返した。
アルベルトは、うるさく罵り出した他の女たちを無視すると、その珍妙な誘い方が面白い彼女についていくことにした。
彼女は休憩室に行きたいと言う。想定内だった。
が、想定外なことに。
『では、わたくしはこれで失礼しますわ。ご自分の体調が良くないときくらい、素直に休んだほうがよろしくてよ』
彼女は颯爽と去っていく。
アルベルトを、たった一人残して。
それからアルベルトは、その仮面の女を必死に探した。体調のことを気遣われたのなんて、初めてのことだったから。なんとなく気になったのだ。
それに、その洞察力に興味を持った。初めて〝自分〟を見てもらえたような気さえして、仄かに喜びも灯る。
だから、彼女のように不器用でないアルベルトは、不器用で鈍感な彼女を瞬く間に囲い込むことを企むと――。
「アルベルト様、ここは外で……ンッ」
「たまにはいいだろ。恥ずかしがるリリアナが見たい」
「この、き、ちく……!」
ブルクハルト公爵アルベルト・ウィンターは、こうして社交界の薔薇を手に入れたのだった。
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