異世界

夢見る令嬢♀×焦る公爵子息♂




「あなたとの婚約を破棄したい」



 その言葉を聞いた瞬間、アデリーナ・アプトンは


(キタキタキタ、キターーーー!!!)


 内心で思いきり叫んだ。

 まるでで嗜んだ乙女ゲームのような婚約破棄を目の前にして、心の中はお祭り騒ぎである。

 といっても、今は界隈で賑わったような卒業パーティー中ではなく、観客も当事者を抜けば、アデリーナひとりしかいないのだが。

 

 王太子、

 公爵令嬢ときて、

 男爵令嬢。

 

 たったこれだけの、役者たち。

 それでも確かに、この場は横恋慕の末に生まれた婚約破棄の場であった。





【好奇心は猫を殺す】#勘違い #愛され





 アデリーナは興奮した様子で教室に戻る。ここは、貴族の子女が通う学園だ。男にとっては人脈を広げるため、女にとっては良縁相手を探すため、彼らは青春時代をともに過ごす。

 アデリーナはさっそく自分の机に向かうと、その後ろの席にいる男子生徒に声をかけた。


「ねぇジルド、私、見ちゃった」


 目を輝かせる彼女に、ジルドは読んでいた本から視線を外す。ゆっくりと彼女を映すその瞳は、紺碧の空を思わせる色合いだ。理知的なその瞳で見つめられれば、アデリーナを含む淑女たちは、皆浮き足立ってしまうことだろう。

 ジルド・ヴァレンティーノ。彼は、本来なら、アデリーナが話しかけることなど畏れ多い、公爵家嫡男である。


「見たって、何を?」


 大好きな読書の時間を邪魔したアデリーナに、彼は寛容にも話題を繋げてくれる。


「あのね、殿下が、ついに婚約破棄を申し出たのよ!」

「……は?」

「ジルドも知ってるでしょ。イーサン殿下が、公爵令嬢のマリアンヌ様と婚約してること。でもね、殿下はついに真実の愛を見つけたの!」

「ちょっと待て。真実の愛だって? どういうこと?」

「真実の愛は真実の愛よ! 私、もう嬉しくて!」

「嬉しい? いや、本当に待って。少し冷静にならせてくれ」

「無理よ。これが冷静にならずにいられる? ああ、夢みたいだわ。まさかこんな日が来るなんて! しかも、それをこの目で拝めるだなんて!」


 アデリーナはうっとりと頬を染める。

 それを見たジルドは、反対に苦々しい表情で本を閉じた。


「アデリーナ」

「なあに?」


 いつもはアデリーナの話をなんとなく聞くだけのジルドも、今は珍しく真剣な顔をしている。その端正な美貌を正面にしてしまうと、アデリーナは思わず見惚れてしまった。

 王太子殿下も確かにかっこいいけれど、アデリーナにとってはジルドのほうがかっこいい。

 公爵家の嫡男だから、彼にも婚約者はいるだろう。あえてその相手が誰なのかは聞いたこともないけれど、アデリーナはまだ見ぬ彼の婚約者が羨ましくて仕方なかった。

 願わくは、自分も。

 自分も、ジルドのように素敵な婚約者に恵まれるといいけれど。


「アデリーナ、悪いが、ちょっと笑えなくなってきた。頭を整理したいから、もう一度言ってくれ」

「だから、殿下が婚約を破棄したのよ。マリアンヌ様との婚約を」

「それは本当か? 本当に、マリアンヌ嬢との婚約を、殿下が破棄したのか?」

「ええ。だって私、この目で見て、この耳で聞いたもの。『私は真実の愛を見つけてしまった。申し訳ないが、あなたとの婚約を破棄したい』って、殿下はそう仰ったわ」

「真実の愛ね。それで、アデリーナは興奮してるわけか?」

「当たり前でしょ! マリアンヌ様の嫌がらせにもめげず、二人で数々の困難を乗り越えてきたのよ! その全てが報われた瞬間じゃないの!」


 興奮するに決まってるわ、とアデリーナは鼻息を荒くした。とても貴族令嬢とは思えない様相である。彼女だって、一応は男爵令嬢であるはずなのに。


「あのときの殿下といったら、とっっっても素敵だったわ! ああ、ここにがあったら絶対に連写したのにっ」


 悔しげに机を叩くアデリーナは、ジルドの顔色には気づかない。普段からあまり表情の変わらない彼が、氷水にでも浸かったように死にそうな顔をしていることに。


「悪役令嬢ものなら、本当はマリアンヌ様を応援しようかと思ったんだけど、マリアンヌ様、本気の嫌がらせをするんだもの。あれは応援できなかったわ」

「……だから、イーサンを諦めきれなくて?」

「そうね。男爵令嬢だから、身分はやっぱり障害になってしまうけど、それも乗り越えてこその愛よ。むしろ壁があるほうが燃えるのよね、恋って」

「君が……君がそんなに情熱的だったなんて、知らなかったんだが」

「私? 私はそうでもないと思うけど……そう見える?」

「見える。見えるから、今焦ってる」

「あら? ジルド、あなた顔色が真っ青ね? 体調悪かったの?」


 保健室に行く? とアデリーナは首を傾げた。彼の体調不良を無視してまで聞いてほしい話でもない。というより、彼の体調が悪いのなら、何をやっていても中断すべき事態である。

 きっとそれは、例えば、自身の婚約者と話しているような場面ときでも。アデリーナにとってはジルドが最優先となるのだ。

 といっても、アデリーナに婚約者はまだいないけれど。


「ほら、立って。一人が無理そうなら付き添うから」

「……じゃあ、よろしく頼む」

「ええ。私の腕につかまって。あ、マクロイド様。申し訳ありませんが、ジ……ヴァレンティーノ様が体調不良のようですので、私が保健室に連れていきますね。先生に伝言をお願いできますか?」

「もちろんだよ、アプトン嬢。ジルド、お大事に」


 そうして二人は保健室に向かったのだが、こういうときにかぎって保健医がいない。

 いや、この時間に保健医がいないことを、ジルドは最初から知っていた。どこか二人きりになれる場所は……と考えていたとき、真っ先に思い浮かんだ場所だった。アデリーナが提案しなかったら、おそらくジルドのほうから提案していただろう。

 ここなら、余計な邪魔も入らない。

 先に保健室に入ったアデリーナの背後で、カチャリとロック音が鳴ったことに、残念ながらアデリーナは気づかない。


「先生、いないのね。とりあえずベッドで休む?」

「そうしよう。アデリーナも、少し休憩していくか?」

「でも講義があるし」

「君は勉強熱心だな」

「んー、それは、下心があるから」


 だって、アデリーナが淡い恋心を抱いているジルドは、無類の本好きなのだ。

 だからか彼の持つ知識量は半端ない。

 そんな彼と話を続けるためには、アデリーナもある程度知識人でいなければならなかった。彼は何も知らないおバカな令嬢をかわいいと思ってくれるタイプではなかったから。


(こんなふうに喋るきっかけになったのも、講義で私が的確な反論をしたからだし)


 それはディベートの講義だった。王都に孤児院を増やすか否か、その議題をもとに賛成派と反対派に分かれて、最終的な結論を出す。そんな講義内容。

 しかし、あくまで講義であるため、その結果が国政に反映されるわけではない。ましてや本人の意思に関係なく、数が平等になるよう、適当に賛成派と反対派に分けられたのだ。アデリーナは、このとき偶然、ジルドとは反対の意見派に分けられただけのことである。

 けれど、博識な彼に対抗できる者など、アデリーナのクラスには少数だった。王太子であるイーサンと、その婚約者のマリアンヌ、そして伏兵アデリーナ。この三人だけ。

 どうやらジルドは、そのときのアデリーナの切り返しを気に入ってくれたようで、以来、身分不相応にも友人関係を続けている。

 だから、アデリーナが勉強熱心なのは、ひとえにジルドと話したいからだ。彼に飽きられたくないからだ。

 身分が違いすぎるとわかっていても、だからこそ、学園ではこの恋を謳歌したい。そんな下心があった。


「下心か……。それは、イーサンに見合うために?」


 しかし、なぜかここで王太子が出てきて、アデリーナはきょとんとする。


「殿下? まあ、そうね? 殿下も博識な方だから」


 このとき、残念ながらジルドは「殿下」の意味に気づかなかった。いつもの彼なら気づいていただろう言葉のニュアンスに、彼は気づけなかった。

 それくらい、別のことに気を取られていて。


「でも、あまり女性は出しゃばらないほうがいいのよね? 昔より寛容になったとはいえ、男性の中にはまだ女性は一歩引いてしかるべきって考えを持つ方が多いらしいし」

「イーサンもその考えだぞ」

「そうなの?」

「ああ。でも君は、そういうタイプじゃないだろう?」

「そうねぇ……」

「俺は違う」

「え?」

「俺は、女性も好きなようにやるべきだと思っている。女性だからってやりたいことを制限させるのは、気にくわない」

「まあ、さすがジルドね! 新しい考え方も積極的に取り入れるあなたなら、そう言ってくれると思ってたわ。ほんと、あなたの婚約者が羨ましい」


 つい、本音がぽろりと落ちる。

 分を弁えてはいるけれど、どうしたってその想いは消し去れない。

 羨ましい。こんなにかっこよくて、知的で、女性のことを考えてくれる人が将来の旦那様になるなんて、世界で一番の幸せをプレゼントされたと言っても過言ではないだろう。


「あーあ、私の婚約者様も、そういう考え方の人だったらいいのに」


 そう呟いた瞬間。


「なら、なればいい」


 アデリーナの視界が、急にぐるんと切り替わった。

 背中に弾むベッドの感触。目の前には見惚れる美貌のジルド。彼の背景には、なぜか白い天井が見える。

 アデリーナは、目をぱちぱちと瞬かせた。


「なら、婚約者になればいい。イーサンなんてやめて」

「へ?」

「君がイーサンを熱心に見つめていたのは知っている。でも君は、イーサンより俺と一緒にいてくれたから」

「う、うん?」

「だから、勘違いしてた。イーサンは王太子だからな、勝手に諦めてくれたんだと思っていたが……。まさか、俺の知らないところで会っていたとは」


 アデリーナは、ジルドが何を言っているのか理解できず、余計に目を点にした。

 イーサンを熱心に見つめていたのは、彼が前世の乙女ゲームに出てきそうな境遇の王太子だったからだ。そこに悪役令嬢っぽいマリアンヌがいて、ヒロインっぽい男爵令嬢がいた。

 見つめないはずがないだろう。彼らの三角関係は、アデリーナにとっては物語を見ているようなものなのだから。


「しかも、婚約破棄だって? あのイーサンにそこまでさせるほど惚れさせるとか、全くの予想外だ」

「そ、そうなんだ? でもあの、とりあえず、この体勢どうにかならない?」


 心臓に悪いことこの上ない。なのに。


「ならない。なぜなら今、俺は焦っているからだ」

「へ、へぇ?」


 いや、どうしてジルドが焦るとこの体勢になるのか、甚だ疑問ではある。あるけれど、有無を言わせない圧力が、上からのしかかってくる。

 好きな人に押し倒されている胸きゅんものの体勢なのに、ちっともドキドキしないのはどうしてだろう。むしろ別の意味でドキドキしている。


「アデリーナ」

「はいっ」


 声が裏返る。だってジルドが、優しく頬に触れてくるから。


「俺は、君のやりたいことを邪魔しない。応援する。そう決めていた。だが、これだけは許せない」

「こ、これ?」

「君は俺を選んでくれたのだと思っていた。いつも俺のそばにいてくれるし、楽しそうに話を聞いてくれる。たとえイーサンに心を奪われていようとも、結婚相手としては諦めたんだと思ったから、だから俺は、まだ我慢できていた」

「えーと」

「なのに、諦めてなかっただと? 君の根性ある性格には好感が持てるが、それとこれとは話が別だ。何もそこで根性を発揮するな。潔く諦めていろ」

「う、うーん?」

「君には俺くらいがちょうどいい。俺と結婚してくれるなら、イーサンのことも、最初はまだ想っててもいい。俺も、あともう少しなら我慢するから」

「けっこ……え!?」

「頼む、アデリーナ。ちゃんと惚れさせてみせるから、せめてそばにはいてくれ。イーサンを好きでも、俺のそばからは離れないでくれ……」

「ちょ、まっ、ちょっと待って!?」


 慌ててジルドの話を遮ると、彼は「なんだよ?」と不満そうに睨んでくる。睨みたいのはこちらだ。


「ねぇ、何を言ってるの、ジルド? 色々と意味がわからないんだけど。というか、好き? 私が、誰を?」

「……それを俺に言わせるのか」

「だって! ジルドが変なこと言うからっ」

「何が変だ。君は、イーサンのことが好きなんだろう?」

「違うけど!?」

「…………は?」


 今度はジルドが固まった。

 しばし互いを見つめ合う。互いに、相手の真意を読み取ろうと、瞳の奥まで覗こうとする。


「私、殿下を好きだなんて思ったことない」

「でも熱心に見つめていた」

「それはあれよ、人気役者を見つめるのと同じような心境よ」

「どういう心境だ、それ」

「目の保養的な」

「俺では保養できないのか」

「ほっ!?」

「俺の顔は好みじゃないのか」

「こっ!?」

「俺は、アデリーナの顔ならいつまでも見ていられるが」

「ぎゃっ!!?」


 なんだなんだ、何が起こっている!?

 アデリーナは、口だけでは飽き足らず、全身を震えさせた。なんだこの甘やかな攻撃は。痛くも痒くもないはずなのに、心臓には大ダメージを与えられている。恐ろしい。


「君が俺のそばにいてくれるからと、慢心していたのがいけなかった。まさか今さら離れていこうとするなんて思いもしなかった。君のお父上には、すでに話も通したというのに」

「えっ!?」


 初耳だ。話を通したって、いったい何を。

 いや、この流れで察せないほど、アデリーナは鈍感ではない。


「アデリーナ」

「ひゃいっ」


 今日は、よく名前を呼んでもらえる日だ。なんて素敵な日だろう。

 しかも、


「俺は君が好きだ。君がイーサンを好きでないのなら、俺も手加減はしない」


 しかも、


「だから、抵抗せず、俺を好きになってくれ。俺を目の保養にしてくれ。他の男なんて、見ないでくれ」


 しかも、絶対無理だと諦めていたジルドから、告白されるなんて。

 今日は、なんて素敵で、なんて尊い日だろう!


「私、もう死んでもいい……」

「は? それは困る――ってアデリーナ!? おい、アデリーナ!」


 ジルドの切羽詰まった声を聞きながら、アデリーナは幸せの中で気絶した。

 そして目が覚めたら、心配したジルドにやたらと甘やかされて、アデリーナは二度目の気絶を経験する。

 三度目。我慢ならなくなった彼からふてくされながらキスをされて、アデリーナはようやく理解した。


(これ、ちゃんと現実なのね……!)


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