恋は十人十色
蓮水 涼
現代
しつこい後輩♀×意地悪な先輩♂
息を吸って、吐いて。
ドキドキする心臓は、無視しよう。
「〜〜っぱい好きです付き合ってください!」
「無理。つか、そこで噛むとかありえねぇ」
――ああ。
通算90回目の告白は、どうやら見事に砕け散ったようです。
【101回目の告白】#一途 #コメディ
それでも諦めないのが
3ヶ月だ。その間に90回の告白と玉砕を繰り返すだなんて、きっとギネスに載れるんじゃないだろうか。玉砕後の廊下をとぼとぼと歩きながら、杏衣はそんなどうでもいいことを考えた。
(朝の告白は失敗に終わっちゃったから、今度は放課後の告白にかけよう!)
先輩こと
これは杏衣が英二に10回目の告白をしたときに決められた約束だった。
当初の杏衣は、断られても諦めない、TPOはわきまえない、とにかく迷惑極まりない女だった。
それに堪忍袋の緒を切らしたのが、言わずもがな英二本人で。
彼はこめかみをぴくぴくと震えさせながら。
『いい加減にしろよてめぇ。俺になんか恨みでもあんの? あるんだろ? あるからこんなことしてんだよな? ああ?』
『そんな、恨みだなんて滅相もありません! あるのは先輩への愛だけです、きゃっ』
『きゃっ、じゃねぇんだよ。だいたい愛とかふざけんな! どこに好きな男に恥かかせる女がいるんだ!?』
『え、恥? 恥かかせた人がいるんですか!? 先輩に!?』
『驚いてんじゃねぇ! おまえだからなその犯人!』
『私!? でも私、ただ先輩に告白しただけで……』
『ああそうだな今が体育の授業中ってことを除けばな!』
『窓から先輩が見えてそのボールを蹴る凛々しい姿に興奮しました。付き合ってください!』
『断る! さっさと自分の教室に帰れ! そんでもって二度と授業中に告白なんかしてくんじゃねぇ!!』
そんな感じで、お昼休みの告白もダメ、休日の偶然を装った告白もダメと言われ。
ついに残った時間が、朝と放課後のわずかな時間だけになった。
朝は、英二が校門に入ってから靴箱に到着するまでの間。
放課後はその逆で、英二が靴箱から校門に行き着くまでの間。
それ以外の時間と場所で告白した場合、二度と口を利かないと宣言された。
そんな事態になったら間違いなく死ぬと思った杏衣は、今日までちゃんと言いつけを守っている。
(う〜ん、噛んだのがダメなら、次は早口言葉で告白してみようかな)
告白も90回を超すと、さすがにバリエーションがなくなってくる。
というか、そんなバリエーションなんて考えなくてもいいのに、愛する先輩を飽きさせてはいけないとよくわからない熱を発揮するのが、辻本杏衣という人間だった。
(よっし、放課後の告白はこれに決めた!)
「歌うたいが歌うたいに来て歌うたえと言うが、歌うたいが歌うたうだけうたい切れば歌うたうけれども、歌うたいだけ歌うたい切れないから歌うたわぬ代わりに愛を叫ぶ。好きです!」
「何言ってんのかわかんねぇし長ぇよ!!」
(なんですと!?)
せっかく難易度高めの早口言葉を挑戦してみたのに、どうやら91回目の告白も撃沈したらしい。
「くっ……まさか伝わらないなんて。噛まずに言えたのにっ」
「おまえは何がしたいの? 告白? 早口言葉?」
「告白!」
「お断りします。じゃ」
「ええ!?」
――もしかして今の、92回目の告白でした!?
貴重な告白の一回を質素に終わらせてしまった杏衣は、なぜかそちらに落ち込む。
ならば明日こそはと、無駄な気合いを入れた彼女は、次の日。
「あなたをこの世の誰よりも愛しています。私と共に愛の逃避行といきましょう!」
「いくか! つかなんだその大量の花は!?」
お小遣いをはたいて買った花束を英二に向け、杏衣は物語の騎士のように片膝を折っている。
さながらテレビ番組の企画でプロポーズする男のようだ。
仰々しい演出に、英二は空を仰ぐ。できればその花束を踏んづけてやりたいとさえ思った。
「これもダメでした!? ちぇ、自分がされて嬉しい告白をやってみたんですけど、先輩には不評なんですね。次考えます」
考えなくていいと英二が止めようとしたときには、すでに杏衣の姿は昇降口に消えていて。
朝から変な注目を浴びた英二は、苛立つ気持ちを抑えつつ自分の教室に向かった。
しかしその放課後。
さらに英二を苛立たせる出来事が、目の前で起こった。
今日は午後から雨が降っているのだが。
「ちょっと返してよ! それ私の傘! これから先輩に告白して両想いになって相合傘する予定なんだからっ」
「はあ? 両想いって……ないわ〜。あの人杏衣のこと完全に相手にしてないじゃん。相合傘とか無理だって。てことでこれ、俺がもらってくから。なんなら俺と相合傘する?」
「するか!」
放課後もまたしつこい後輩からの告白があるのだろうと、むしろ日常と化してしまったそれに特に何を思うでもなく靴を履き替えたとき、昇降口の入り口に見慣れたその後輩を見つけた。
が、英二にとっては目障りな男も一緒にいる。
名前は知らない。確か「あきら」と彼女が呼んでいたから、それが名前なのだろう。二人はいわゆる幼なじみという関係らしかった。
「とにかく返してよ! 先輩が来ちゃう」
「いい加減諦めろよ。おまえ、学校中の噂になってんの知らないの? めっちゃ哀れまれてるよ」
「知ってるけどどうでもいいの。そんなことより、早く。傘がないと告白できないんだから」
「傘使って告白って、何するつもりだよ……」
呆れたように晃が零すと、杏衣はなぜか胸を張った。
「ふふん、気になる? なら特別に教えてあげないこともない」
「何様だよ。てかなんで誇らしげ?」
「今日の天気予報は晴れでした」
「無視か」
「でもお昼からは雨が降りました。なぜかって? それは私が照る照る坊主を逆さまに飾ってお祈り申し上げたから!」
「何してんのおまえ!?」
いやそんなわけねぇだろ。英二は内心で冷静に突っ込んだ。
人間が天気なんて操れるわけがない。なのになぜ晃は驚いているのか。馬鹿なんだろうか。馬鹿なんだろうな、二人とも。
「だから先輩は当然傘を持ってきていない。そして、これじゃあ帰れないと困り果てる。そこに私がすっと傘を差し出すの。『よかったら一緒に入りますか』……きゃーっ、これ絶対胸キュンだよ! 想像して晃! これなら先輩も私を好きになるよね!?」
「ならねんじゃね?」
「なぜに!?」
「だってそれ、杏衣がやるんだろ? おまえ、これまでの自分の所業を思い出せよ。絶対裏があるって先輩なら思うんじゃねーの。てか俺なら思う。胸キュンの前に訝しむ」
「それはあんただからでしょ。先輩はあんたみたいに歪んだ心なんて持ってませんー」
「いーや、絶対に歪んでるね。現に杏衣のことも弄んでるじゃん」
「はい? 何言ってるの。あ、わかった。先輩がかっこいいからって嫉妬してるんでしょ。だから悪口言うんだ。最低」
「ちっげぇよ! 俺はなぁ、おまえのことを心配して……」
「違うよな。嫉妬してるんだろ? 俺に」
二人のじゃれ合いを邪魔するように、英二が間に割って入る。これ以上黙って見ているのがつまらなくなったからだ。
右から杏衣の驚く声が聞こえたが、それを完全に無視すると、左手側にいる晃ににっこりと笑みを浮かべた。
「わかるよ、〝あきら〟くん。君が俺を目障りに思う理由。俺も、君を目障りに思ってるから」
気づけばいつも一緒にいる、幼なじみという存在を。
「は? それ、どういう――」
「先輩! 今日も一日お疲れ様です! 傘ないですか? ないですよね? そうだと思って私、傘を持ってきたんです! 私と付き合ってくれるなら相合傘しても」
「持ってきてる」
「ですよね持ってきてますよね……って、え? 今なんて言いました先輩?」
「だから傘は持ってきてる。天気予報、午後から雨だったし」
「うそ!?」
「嘘じゃねぇよ」
持っている傘を広げた英二の横で、杏衣は呆然とそれを眺める。
そんな彼女を一瞥してから、英二はそのまま歩き出した。
晃が弾かれたように声をかける。
「待てっ……じゃなくて待ってください先輩! さっきの、どういう意味っすか? やっぱり弄んでるってこと? こいつのこと」
「弄んではいねぇよ。ただ俺は、おまえが言ったとおりの人間だってだけだ」
「はあ?」
「俺はどうやら、心が歪んでるらしい」
英二が肩を竦める。
晃はもう一度わけが分からないといった感じで「はあ?」と盛大な間抜け顔をした。
振り返って傘越しにそれを見た英二は、満足そうに目を細めると、口角を意地悪くつりあげる。
「そこの放心してる馬鹿に言っとけ。これで93回目なって」
もう何がなんだかわからない晃は、後から襲ってきた苛立ちに地団駄を踏んだ。
しかし翌日も、杏衣の求愛行動は変わらない。
実は英二から、告白は100回目までしか相手にしないと言われている杏衣だ。100回を越しても英二の心に変化がなければ、それ以降は完全に無視するからと宣告されている。
だから彼女は焦っていた。晃から「なんかよくわかんねぇけど、昨日の、93回目らしいぞ」という伝言を聞いた杏衣は、文字通り顔を真っ青にさせていた。
「好きですお願いします後生ですから私と付き合ってくださいっ」
「いや、重いんだけど」
朝、学校の門を越えてすぐ。
英二は頭を抱えたくなる光景に出くわした。
いつものごとく英二を待ち伏せしていたであろう杏衣が、いきなり土下座をかましてきたのだ。
杏衣の諦めない
英二はどこの世界に土下座しながら告白するやつがいるのだろうと、小さなため息をついた。
「なんで、今日は土下座なわけ?」
「だって! これで94回目ですよ? あと6回しかないんですよっ? 私だって焦ります!」
「ふーん。そんなに俺と付き合いたいんだ?」
――ま、知ってたけど。
最後の言葉は小声で呟いて、英二は土下座する後輩を見下ろしながら、笑顔で言う。
「ごめんなさい」
ガーンとわかりやすく落ち込んだ杏衣を置いて、英二はいつもどおり教室へと向かった。
内心では、あと6回か、と胸を躍らせながら。
それからも杏衣は毎朝毎放課後欠かさず告白するも、結果は全て惨敗だった。
あるときは自作の愛の歌を歌って告白してみたが、最後まで聴き終えることなく「マジやめろ」と真顔でチョップを食らわされ。
あるときは手持ち花火を持ち込んで、英二の手にも無理やり持たせ、夏の夜のロマンチックさを演出しながら告白してみたら、なぜか英二と担任からのダブルチョップを食らい。
ならこれならどうだと、テレビで見てかわいいと思ったチアリーダーの格好で愛を叫びながら踊ってみたら、踊っている最中に顎を鷲掴みにされて、にっこり一言。
「着替えてこい」
その有無を言わさない空気は、そこだけ真冬のようだったと杏衣は思う。おかげで真夏なのに寒気がした。
と、そんなことを続けていたら、100回目の告白まで残すところあと1回になってしまっていた。
「やばい。どうしようあと1回しかないよ、やばいよぉおおお」
「もう諦めれば?」
「晃は黙ってて」
「どうせ無理だって」
「うるさい黙れ」
「だいたい男なんて他にもいっぱいいんじゃん? だから別に」
「もうっ、聞こえなかったの!? 晃は黙ってて!」
「そう怒んなよ。杏衣はなんであの人がいいわけ? そーいや聞いたことなかったよな」
99回目の告白を終えて帰宅した杏衣の家に、なぜか晃がやってきた。
しかし彼が隣である杏衣の家にやってくることは昔からなので、今さら何を思うわけでもない。
ただ、今日の杏衣にとっては煩わしくて仕方なかった。だって、最後の告白に向けて、史上最高の告白を考えなければいけないのだから。
「教えるわけないでしょ。そしたらみんな先輩を好きになっちゃうじゃん」
「俺がそうなると思ったおまえは頭がイカれてる」
「そんなのわかんないよ!? 世の中にはBLというものが存在してるんだからね!」
「じゃあはっきり言う。俺の恋愛対象は女だ。というかその、好きな奴いるし、俺……」
「なんだ、そうなの? じゃあ晃には教えても大丈夫か」
「ちょっと待て。その前に俺の発言をもっと気にしろ」
「あのね、先輩はね、まず顔がかっこいいでしょ? あの切れ長のクールな目がたまらないの。あと声もいい! 低すぎず高すぎず、耳に心地よくて。骨ばった大きな手も最高だし、とがった喉仏も素敵。それと、あの細いのに筋肉質な胸板も素敵だよね。ぎゅっと抱きしめられたい!」
「外見ばっかかよ! つか俺の話聞いてねぇな!?」
晃はなぜか涙目だ。
が、杏衣はそれに気づくこともなく、胸を張りながら続けた。
「もちろん、先輩は
「待て。色々と待て。それのどこが性格良いわけ?」
「わかんないの!?」
「なんでわかること前提なの!? 誰が聞いてもわかんねぇよ! むしろ性格最悪だろ」
「どこが!? 先輩ほど優しい人なんてそういないよ!?」
だって、と杏衣は思う。
子供にこんこんと危険を説くのは、また彼らが誰かにぶつからないようにするためだ。
友人にノートを見せないのは、それだと本当の意味で友人の身にならないから。
そして捨て犬の前を素通りするのは、変に構って期待を持たせておきながら、結局助けないのが一番残酷だと知っているから。
それに。
(結局先輩、一度家に帰った後、毛布を持ってあのワンちゃんのところに引き返してたんだよね。先輩がそのワンちゃんと散歩してるところも見たし)
つまり、そういうことだ。
いつか機会があったら、あのときの犬の名前を聞いてみようと密かに考えている。
ちなみに、どうしてそんなことを杏衣が知っているのかといえば、所構わず告白していた頃の副産物だと思ってもらいたい。
「うん。やっぱり先輩の良いところは、私だけが知ってればいいや」
「……明日はどうすんの?」
「明日は朝じゃなくて、放課後にする。朝に告白して振られたら、さすがの私も授業どころじゃないし」
なにせ、明日の告白が最後になる。
今まで何度振られてもめげずに頑張れたのは、英二が自分の告白にちゃんと応えてくれるとわかっていたからだ。それがたとえ「ごめんなさい」でも、彼が告白を無視したことはない。
面倒なら無視するのが一番手っ取り早いのに、彼はちゃんと向き合ってくれた。
でもそれも、明日の100回目までである。
(待ってて先輩。絶対、先輩を振り向かせてみせるんだから!)
そんな杏衣を、晃が複雑な目で見ていたことに、残念ながら彼女は気づかなかった。
朝登校して、まず、英二は首を傾げた。
いつもの告白娘がやってこない。いつもなら校門を越してすぐにやってくる彼女が、どういうわけか見当たらない。
ようやく100回目の告白だというのに、まさか最後の最後で諦めたか。
「……」
結局、英二が昇降口に辿り着くまで、あの後輩は現れなかった。
毎朝毎放課後続いていた告白が、初めて途切れた瞬間だった――。
「英ちゃん、なんか機嫌悪くない?」
「別に」
「今日ずっとムスッとしてたよ。おかげで英ちゃんの隣の気の弱い山田くんがずっとびくびくしてた」
友人にそう言われて、英二の手がぴたりと止まる。
今日の授業がやっと終わり、ようやく放課後を迎えた今の時間。英二は帰る準備を早々に始めていたのだが、そんなことを言われてしまえば手も止まるというものだ。
「山田」
「は、はいっ」
隣の山田は、たぶん英二のことを怖いと思っている。と、英二は思っている。
「悪い。俺、そんなに怖かったか」
「へ? ううんっ、いや、あのっ、えっと」
「ぶっ。やっばい英ちゃんが山田いじめてるー」
「いじめてねぇよ!」
からかってくる佐々木は放って、英二は山田に向き直ったが、なぜか山田は顔を真っ赤にさせてわたわたと慌てていた。
その反応の意味がわからない英二は、残念ながら自覚なしである。
スクールカースト底辺にいる山田にとって、自分なんかにも気さくに声をかけてくれる
けれどそんなこと想像もしていない英二は、羞恥で顔を赤らめる山田を、どうやら熱でもあるのかと判断したらしい。
「なあ山田。おまえ保健室に行ったほうが……」
「うぅ、浮気ですか先輩ぃ〜」
「は!?」
誰が浮気だ誰が、と思って振り返った英二の視界に、見慣れた後輩の姿が映る。
癖なのかパーマなのかわからない茶髪を両サイドでゆるく結ぶスタイルは、彼女のいつもの髪型だ。たまにその一つを掴みたくなる衝動に駆られるが、英二はそれをずっとひた隠しにしてきた。
最初は、ただの幻かと思った。
けれどどうやら、教室のドアからじっと山田を睨む後輩は、本物のようである。
「なんでここにいんの、おまえ」
「うっ」
「俺、確か時間と場所は限定したはずだけど」
「うぐっ」
「そういや朝は来なかったな。もう諦めた?」
「諦めてません! ただ今日はその、最後だから、朝よりも放課後にしたくて。だから我慢したんです。でも朝会えなかった分、先輩不足になっちゃって。我慢してもダメで授業中は先生に怒られるし休み時間はぼーっとして晃や友達に心配されるし。それで、放課後になった瞬間、ついに我慢できなくなって……」
「来たのか」
「はい……。で、でも、告白はちゃんと言いつけを守ろうと思ってたんですよ!? 顔だけ見て、それで先輩が昇降口に着いてから告白するつもりだったんです」
「だった?」
冷静に自分を見下ろしてくる英二が、杏衣は途端に恨めしくなった。さっきは山田に向けていたその視線を、今度は英二に向ける。
だって、我慢して我慢して。やっと放課後になって会いに行った大好きな人が、なぜか目の前でBL展開に突入しようとしていたのだ。
山田の赤面を盛大に勘違いした杏衣は、今にも泣きそうな瞳で英二を睨んだ。
「先輩のバカ! なんでそんな魅力的なんですか。ただでさえ先輩の周りには女子の敵が多いのに、男子まで誘惑しちゃうなんて聞いてません! 先輩がそうなら、私も言いつけなんて守りませんから。ずっと告白し続けてやります。無視されても諦めません。――ということで100回目!」
まるで挑戦状を叩きつけるように、杏衣は手に持っていたそれを目の前の机にばんっと置いた。
「好きです」
その瞳は、とても好きな人に向けるものではないくらい、強い怨念が込められていたけれど。
英二は内心に込み上げてくる可笑しさをどうにか抑えようと、緩みそうになる口角を手で覆った。
そして、視線を机に移せば、そこには――
「ぶはっ」
「!? せ、先輩……?」
見えた三文字に、英二はついに噴き出した。
「なにおまえ、こんなの持ってきたの? いつも振られてるのに? こんなの持ってきたら、余計に引かれるとか思わなかったわけ?」
「っ……だ、て。仕方ないじゃないですか。いつまでも振り向いてくれない先輩が悪いんですよ!」
呆然と二人のやりとりを見ていた佐々木と山田が、こっそりとその紙を覗く。
そこには〝婚姻届〟の三文字が。
「おまえみたいな重い愛、普通は鬱陶しいって思うんだよ、男は」
「……っんなの、分かって」
「だから、俺しかいないよな?」
「…………え?」
何を言われたかわからなくて、杏衣は下げていた視線をそっと上げる。
視界に入った彼の顔は、たまに見る意地悪な顔をしていて。
「ほら、これでいいんだろ?」
「!?」
差し出された紙の〝夫になる人〟
そこに〝沖永英二〟の名前が。
かくかくとして、まるで手本のように綺麗な文字が、増えている。
「なん、で?」
信じられない思いで英二を凝視しているのは、何も杏衣だけじゃない。佐々木も、ただ居合わせただけの山田も、三人ともが口を開けて驚いていた。
「101回目は、俺がするって決めてたからな」
意味がわからないと、杏衣はまだ呆然としている。
「悪いな。俺、基本的に恋愛って信じられねぇんだよ。だから最初は、おまえがどこまで本気か試そうとしたんだけど」
――いつのまにかもどかしくなってたんだよな。
英二はそう言って、初めて優しい眼差しで微笑んだ。
彼女の左頬に手を添えれば、つぅと透明な雫を受け止める。
まさか泣かれると思ってなかった英二は、ちょっとだけ罪悪感で眉を下げた。
本当はもう、とっくに彼女の虜になっていた。
たぶん告白が40回を越したあたりから、自分でも気づかないうちに惹かれていた。
いつもいつもめげずに、そして素直に感情を表してくれる彼女に、いつのまにか会うのが楽しみになっていた。
でも自他共に認める歪んだ心根を持つ英二は、嫉妬心から彼女の告白を受け入れなかった。
いつも彼女と一緒にいる、目障りな幼なじみ。
その幼なじみが彼女を好きなのは、見ていてすぐに気づいたから。
だから、そいつに解らせるために、英二は頑なに彼女の告白を拒んだのだ。
――こいつが好きなのはおまえじゃない。俺だ。
そんな子供じみた独占欲に振り回された彼女には悪いけれど、こればっかりはどうしようもない。徐々に自分がこういう人間なのだと教え込んでいくほかないだろう。
なにはともあれ。
ようやく、101回目だ。
「結婚する? 俺と」
「うぅ〜っ、し、たいっ、です」
「はは。おまえ、絶対後悔するぞ」
「しませんッ。しないから、結婚して先輩ぃぃい」
「おっと」
いきなり突進された英二は、難なくその小柄な身体を受け止める。
顔は涙でぐちゃぐちゃで、しかもそれを押しつけるように胸のところでぐりぐりとされたけど、英二はそれさえも面白くて好きなようにさせていた。
横から同級生の絶句した視線を感じたが、それで照れるようならあの数々の告白を受け止められはしないだろう。
泣きながら抱きついてくる杏衣をしっかりと受け止めながら、英二は同級生に手を振って――
か・え・れ。
藤ケ丘高校名物、辻本杏衣の告白劇の真相を知る者は、おそらく彼だけである。
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