普通
結婚指輪は結晶だ。
永遠の愛を誓った証だ。
赤の他人であった人間と添い遂げようという願いが込められている。
だからとてもとてもまぶしく輝いている。
人間を愛することができないわたしからしてみれば、そんな誓いは理解から一番遠いものだ。どうしてそんな約束ができるのだろうか。いつか裏切ってしまう心配もある。だけど、それよりも前に、その瞬間だけでも、目の前の人間をそれだけ大切に思えるということが信じられない。
人間は気持ち悪い。
犬や猫とも違う。
鉄や銀とも違う。
人間に似ているものは人間を模して作られた人形ぐらいだ。そんな人形でさえ、現代ではまだ、人間のような気持ち悪いやわらかさとぬくもりを持ってはいない。
どうして人間はこんなに気持ち悪いのだろうか。
どうして人間はこんなに気持ち悪い人間を愛することができるのだろうか。
みんな嘘をついて、それらしく見栄を張って生きているのではないかと考えたこともある。だけどそうではないらしい。
人間は人間の体を欲するものなのだ。
普通は。
普通の人間は。
だからそういった機能を所持していないわたしは不完全なのだと思う。そうしてそんな欠けた部分を埋めるものがあった。
わたしの理解が及ばない感情。
欠片の結晶。
望んだように手に入らないからこそ、その結果が一等輝いて見えるのだろうか。わたしはあの日、わたしの穴を埋めるものを見つけてしまった。
結婚指輪を見るとわたしは、物語のヒロインが恋い焦がれたときのような熱い想いを内側に感じる。子供の頃にはまるで感じたことのなかったそれを、どんな経験を超えても感じることのなかったそれを、得ることができた。
結婚指輪にふれるとわたしは、わたしの上を覆う男性がわたしを見ていないときのような興奮を体中で感じる。友人たちから秘密の話だと聞いていただけのそれを、いつかあるかもしれないと期待し裏切られたそれを、得ることができた。
誰かと誰かの愛の印にだけ、わたしは欲情することができる。
なんておかしなことだろうか。
わたしは普通の人達が愛し合ってくれないと同じような愛を感じることができない。
それでも事実としてそうなのだから仕方がない。わたしは、好みの人間を見つめるようなかわりに人の薬指にはめられている金属のリングを見つめる。好きな人にふれるように光を反射させる指輪をなでる。
はじめは男女関係がなく機会があれば酔ったふりなどしてさわっていた。だけど、その結果、勘違いをされて、愛を誓ったはずの人間が道を踏み外してしまうことがあった。それでも指輪さえあればいいかと思っていたけれど、そうではなかった。誓ったはずの愛が偽物になり、目の色を変えた男性の指にはまっていたそれは、以前までの輝きを失って、異臭を放つ汚れた物体に変わって見えた。
だから最近では気をつけるようにしていた。
自分の身を守るのも当然として、指輪がくすんでしまわないように、大丈夫な人を選ぶようにしていた。そういった指輪でなければ、だめであるようにも感じていた。
まったく経験がなかったから対象であればどんなものでもいいかと思っていたのだけど、そうではなく結婚指輪の中にも好みがあるということ。色とか形ではなく、ふたりの関係など。もしかしたら、わたしはそのような関係に人間への愛を感じているのかもしれない。
至極、いびつな形で。
「だからあなたの思いには答えられません」
わたしは後輩の彼女に向かって言った。
他の人間にこの話をしたことはほとんどない。同僚で知っている人間はいないし、家族も知らない。ごく親しい友人への相談、医師とのカウンセリング、あとはそう、幼馴染の彼へ別れ話をしたときに説明したぐらいだ。酔っている。油断していたとも言える。
ただ、相手が真剣に話してきたからにはこちらもできるだけ真面目に話したいとは思う。彼女のことは嫌いではない。ただ、そういった目で見ることはできないというだけだ。その他の多くの人間と同じく。
後輩は目を見開いていた。まったく予想外の話だったのだろう。当然だ。こんな人間がどれぐらいいるのかは知らないが、わざわざ話すようなことではない。話すことにメリットがなければ、わざわざ波風をたてるより黙っていることを選ぶ。
理解してもらえるものではない。
理解してもらえるとも思っていない。
普通ではない。
「気持ち悪い?」
わたしは問い掛けた。言ってしまってから気付く、意地の悪い質問だ。たとえそう思っていたとしてもそのままは言いにくいだろうし、片方の質問が言いにくいということは、真に一方の答えを口にしても、それが真実ではないように見せてしまう。
彼女は言葉を出さず、わずかに首を横へ振った。
「ありがとう」
わたしは彼女の背中にそっとふれる。
「飲もうか。もう電車もないし」
いつか彼女が大切な人と愛し合い結婚して指輪を交換したなら、そのときはちょっとさわらせてくれたらうれしいなと思う。
気持ち悪いという自覚があったので、口からは出さなかったけど。
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