美味いよ
──数日後。メリーハウス
「これ、印刷して来たんですけど知ってますか?あめんぼです」
「いや、初めて見た」
由奈は健人に滑舌の講師をしにメリーハウスに来ていた。
「みんな必ず最初はこれを使って滑舌鍛えるんですよ。まずはゆっくりで良いんで、一言ずつハッキリとこれを読めるように頑張ってください」
「へー」
「手本見せますね」
そう言って由奈は台本を両手で顔の前まで持ってきて読み始める。真剣そのものの顔はまさに女優だった。普段がおっとりしてる様に見える分、健人は余計にギャップを感じた。
「あめんぼ あかいな あいうえお うきもに こえびも およいでる かきのき くりのき かきくけこ きつつき こつこつ──」
「出来そうですか?」
「ありがとう。やってみるよ。それより──」
「何か凄いな。スイッチが入るというか、迫力があるというか。やっぱり女優なんだなって」
「……そうですかね?」
「かっこいいと思う」
「……最初は誰でも恥ずかしいですよ。そのうち慣れます!ってか、現場では恥ずかしそうにやってる人の方が何倍も恥ずかしいです!」
「そっか。その……何で声優になろうと?」
「え?」
突然の突拍子の無い質問に困惑する由奈。
「俺、まだ分からなくて。本当に役者やりたいのか。一生懸命やろうとは思ってるけど、じゃあ何の為に一生懸命やるんだろうって。結局保身というか自己満足なんじゃないかなって」
「……私も入り口はそんな感じですよ」
「……」
「ただドラマとか小説が好きで、最初は夏実ちゃんみたいに女優さんになりたかったんです」
正面を向いて自分のことを話すのが恥ずかしいのか、由奈は横を向いてテクテクと歩き出す。
「それで専門のコースがある高校に入学したんですけど、そこで声優の授業もあって、声に出して台本読んでる時が1番楽しいなって気付いたんです。声優さんの方が向いてるのかなって。だから最初はそんな感じでいいんじゃないですか?みんな始めてみて分かることがたくさんあって、そこからやりたいこととか見つけて行くんだと思います!」
「そっか。そうだな。始めてみないと、だよな」
「そうですよ!頑張って下さい!私はカメラの前で演技するのが苦手だったんで、みんな凄いと思います!」
「ふーん。顔、整ってるのにな」
「えっ……!!」
ウブな由奈を、無意識に褒める健人。突然褒められた由奈は一瞬で涙目になり、顔が赤くなる。
「自信持っていいと思う。何か、モテそう」
そして無意識に追い討ちをかける。鈍感すぎる男とウブすぎる女。この2人、意外と名コンビかもしれない。
「……そ、そんなことないです!私なんか全然……背も低いし髪の毛も綺麗じゃないし……。……夏実ちゃんとかは凄い美人ですよね!」
「あいつが?」
「……可愛くないですか?顔小さいのに目大きくて、いつも明るいし……羨ましい」
「うーん……でもあいつ中身男だぞ?それも少年だな。ガキなんだよ、こっちの気も知らないで、いつもいつも自分勝手で──」
「ふふふ」
「……」
一生懸命夏実の話しをしていた事に気付き、少し恥ずかしくなる健人。
「あ、もうバイトの時間だ!何か分からないことがあったら連絡してくださいね!あめんぼ飽きたら言ってください!また別なの渡すので」
「悪かったな、わざわざ届けに来てもらって」
「近くに来たついでなので。……あの、頑張ってください!覚えちゃった方が早いですよ、その本。ファイトです!」
顔の近くで握りこぶしを作ってそう言い、玄関を出ていった。
「……やるか」
「あめんぼ あかいな あいうえお──」
健人は由奈を見送った後、自分の部屋に戻って由奈に貰った台本で滑舌の練習を始めた。すると下から健人の声が聞こえ、3階から夏実が降りてくる。
「はとぽっぽほろほろ? はひふへほ……ん?」
「はとぽっぽ、ほろほろ──だよ」
部屋の扉の外から声をかける夏実。健人は本読みを中断して扉を開けた。
「よっ!」
「……何の用だ」
「声が聞こえてきたものでして」
「迷惑だったか?」
「ううん。頑張ってるなーって思って」
「嬉しそうだな」
「そう?」
そうとぼける夏実はやっぱりニコニコしていた。
「まぁまぁ頑張りたまえ。私の為にも」
「どうして俺が頑張ったらお前の為になるんだよ」
「ふふん。人は自分の為より誰かの為に頑張る方が力を発揮出来る場合もあるのだよ」
「……何で俺がお前の為に頑張るんだ」
「だって、いつか一緒に出たいじゃん!ドラマ!」
「そう言われても、俺はまだ分からないことだらけだぞ」
「まぁ、地道にコツコツと……ねっ」
「……」
「何か食べる?作ってあげる」
「えっ」
一瞬健人の顔が引きずる。
「何だその顔は。一応女子だぞ」
「作れんの?メシ」
「どういう意味かな?」
顔は笑っているが目が笑っていない夏実。
「女子は機嫌がいい内に甘えておくものだぞー」
「んー、そんじゃオムライスで」
「やっぱり!そう来ると思った!任せて」
健人は夏実と一緒にリビングに降り、カウンターではなくテーブルの席に座った。
「はい、おまたせ」
「お、美味そう」
ケチャップライスに卵を乗せただけのシンプルなオムライス。如何にも家庭的って感じ。
「でしょー」
腰に手を当てて自慢げな表情。エプロン姿の夏実は、やはり可愛かった。
「いただきます」
「どう?」
「……美味い」
「そう?良かった。オムライス得意なんだ。私もいただきまーす」
夏実が一口オムライスを口に運ぶと、健人はスプーンを置いた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。……ただ、何かこういうの懐かしいっていうか、変な感じがして……。あんまり母さんの料理とか覚えてなくて、何か……ごめん。美味いよ」
健人は少し涙目だった。母親が死んでから、自分で簡単な料理を作ることはあっても、誰かに料理を作ってもらったことが無かった。そんな様子の健人を見て夏実もスプーンを置く。
「いつでも作ってあげるよ。私で良ければ」
「……何か今日のお前変だぞ」
「どういう意味だ」
「……ふっ。ははっ」
「……全く。全部食べてよね」
「ああ」
その後の二人は特に深い会話も無く、いつもの二人だった。それでも、少しずつ、少しずつ、糸を引くように、二人の距離は縮まっていく。
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