シーン2

台風みたいですよね

 ──東京都渋谷区。芸能事務所『ドリームスター』オフィス


 ブース内のデスクで健人と対面して座っている女性は中野菫さん。夏実が所属する事務所のマネージャーだ。


 「それじゃ、契約は以上です。オーディションやお仕事は、レッスンの先生の評価や現場での評価で、こちらから宛てがいます。レッスン代は月末までに振り込みお願いね!もし遅れる場合は連絡頂戴。何か質問ある?」


 「無いです」


 「そう。じゃあ──」


 「未来のスターを目指して頑張ってね。握手」


 「はい?」


 「元気ないぞ!気合い入れないと!」


 「はぁ」


 健人は、しっくり来ていなかったが、とりあえず握手をした。中野さんは元々モデルと女優の経験があり、かなりの美人だ。



 外に出ると夏実が待っていて、健人に気付くと手を振った。


 「どうだった?」


 「どうって……。んー、まぁ頑張ってみるよ」


 「よし!これからはライバルだから!良きライバルとして頑張ろう!」


 「……ああ」


 「そこはオーッ!でしょ」


 「……」


 「そんなこと恥ずかしがってたら演技なんか出来ないぞ。今日のレッスンだって何か無愛想だったし」


 「そんなこと言われたってな、いきなり連れてこられてレッスンに参加しろなんて言われても普通は──!」


 「……んー。確かに。そこは慣れですな。そういや私も最初は恥ずかしかった」


 「……」


 「でも!」

 背中で腕を組んで下から健人の顔を覗き込む。


 「何だよ」


 「滑舌!」


 「は?」


 「か・つ・ぜ・つ!滑舌ぐらいは良くしないと!まずは元気に大きな声だね!」


 「どうすりゃいいんだよ」


 「ふふん。いい人紹介してあげる」


 「いい人って誰だよ」


 「いいから!来て」


 「たまにはちゃんと説明をしろ。今日だっていきなりレッスンに参加するとは思ってなかったし、お前はいつも自分勝手に人を振り回すだろ」


 珍しく自分の言いたいことを伝えようとした健人だが、そんな話も聞かずに先に歩いてしまう夏実。


 「何ー?行かないのー?」


 「……ったく本当に。お前のそういう所が勝手だって言うんだよ!」



 ──数十分後。喫茶店


 「由奈ー!」


 「あ、夏実ちゃん」


 「ごめんねー待たせちゃって」


 「平気だよー」


 「そう?良かった」

 4人がけのテーブルに1人で座っていたこの女の子の名前は山岡由奈。髪の長さは夏実と同じくらいのショートカットだが、茶髪で天然のウェーブがかかっている。大人しめな服装だ。


 「どうしたの?今日は」


 「ちょっとお願いがあって!……ねー遅いよ!こっち!」

 夏実が後ろを振り返るとコーヒーを片手に健人がやってくる。


 「遅いって、お前が何も注文しないで勝手に席行くからだろ。……あ、どうも」


 「平沢健人君!で、この子が山岡由奈!」


 「どうも」

 初対面でぎこちない健人と由奈。


 「あのね、平沢君、新しく事務所に入ったんだけど、滑舌を教えてあげて欲しいの!」


 「え!?私が?」


 「そう!由奈そういうの詳しいじゃん!あ、由奈はね、高校の時から友達で、声優目指してるんだよ」


 「へー」


 「無理だよ、私がそんな先生みたいな。そもそも私もそんなに──」


 「あ、ちょっと待ってて!私もコーヒー買ってくる!」


 「もう!夏実ちゃん!」


 席を立つ夏実を横目に、とりあえず向かいの席に座る健人。自分以外にも夏実に振り回されてる人間を目の当たりにして、少し仲間意識が芽生える。


 「勝手だよな。あいつ」


 「そうなんですよー。何か台風みたいですよね」


 「気まぐれな台風だ」


 「最近までは元気ない感じだったんですけど、今日は復活してますね。謎……」


 「ふーん」


 「夏実ちゃんとはどういう関係なんですか?」


 「えーっと、同じ家に住んでて──」


 「えっ!!!」

 赤面して顔を手で覆う由奈。どうやらかなりウブな様子だ。


 「いや、違くて、ほら、シェアハウ──」


 「おまたせー。……どうしたの?」

 赤面して涙目になってる由奈と、前のめりで何か説得している健人。そして変な雰囲気の2人を見て目を細める夏実。一瞬場が静まり返る。


 「何か変なこと言われた?由奈」


 「……」


 「ちょっとー」

 由奈の隣に座り、向かいの健人を睨む夏実。


 「違う!お前事前にちゃんと色々説明をしろよ!俺はただ──」


 「夏実ちゃん!」

 突然立ち上がり大きな声を出す由奈。再び場が静まり返る。


 「え?」


 「か、かかっ!彼氏と同棲してるの!?」


 「え!待って!彼氏!?同棲!?」

 今にも泣きだしそうな由奈に、素で慌ててる夏実。そして「あちゃー」と額に手をやる健人。周りから見たらかなりカオスな現場だ。



 ──数分後

 「平沢君が一緒に住んでるなんて言うからじゃん」


 「違うだろ!お前が初対面の二人を残して席を外すから!」


 「ごめんね。私、夏実ちゃん家がシェアハウスなの忘れてて」


 「いいの。それで、お願い出来る?」


 「え」


 「滑舌」


 「あー、でも私も自信ないよ……?」


 「大丈夫!初めの頃は私にも色々教えてくれたじゃん!そんな感じでいいから!」


 「うーん……」


 「無理に頼むのも良くないだろ」


 一瞬健人の方に目線だけ向ける由奈。

 「……夏実ちゃんがそこまで言うなら、私で良ければ」


 「本当!?やったね!決まり!」


 「いいのかよ」


 「……よろしくお願いします」


 「あ、いやこちらの方こそよろしくお願いします」


 「ふふん」

 上機嫌な顔で健人の顔を見る夏実。『台風みたいですよね──』健人にとって夏実は本当に台風のようだった。人を無理やり巻き込んで、でも立ち止まっている人間を動かす力があって。例え空回りしたとしても、それでも風は起きる。そんな風に背中を押され、未来に踏み出せた──

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