俺の気も知らないで
──数日後。5月。
入学して1ヶ月。早々にゴールデンウィークという名の連休がこの時期にあると、どうも春休みの感覚に戻ってしまうのも仕方がない。だから五月病なんて言葉が流行る訳で、こんな短い間隔で連休があると連休明けなんてキツいに決まっている。
連休でも特にバイトしかやる事ない健人。
「あ?」
……昼頃に起きてリビングに降りると、普段はあまり出くわさない加藤さんと遭遇した。
「おはようございます。ん?こんにちは?」
加藤さんに挨拶をするも、時間の感覚が不確かになっている健人。
「あ、平沢君!おはよう!」
「リビングにいるの珍しいですね」
「あー、ちょっと行き詰まっちゃって。息抜き。在宅でプログラミングの仕事してるんだよね、僕」
「へー、そうだったんですね」
「人間関係が苦手でね。ハハッ」
「……あんまりそうは見えないですけど」
「そうかな?」
「はい」
極力人と関わりを持たない健人にとっては、加藤さんは常に腰が低くて世渡り上手に見えていた。
「あ、そうだ!これ」
加藤さんに1枚の紙を渡される健人。
「何ですか?これ」
「分かんないけど、工藤さんに平沢君に会ったら渡してほしいって。手紙かな?」
「工藤……」
あの日以来、夏実とは家の中ですれ違うことはあっても、会話をすることは無かった。
「二度と話しかけんな──」
自分が言ったセリフを思い出して、少し言い過ぎだったと後悔する健人。何度か謝るチャンスはあったが、自分から話しかけんなと言った側から話しかけるというのは、健人には抵抗があった。
「ありがとうございます」
受け取った手紙を持って自分の部屋に上がり、中身を読む。
『話しかけるなと言われたので手紙を書きました。ポストに郵便物が溜まっていますよ。夏実』
「は?何だこれ」
そんなこと直接言えよと一瞬思ったが、自分が悪い事と、確かに最近ポストなんかチェックしていなかった事に気付く。ポストは玄関の外に8個設置されていて、それぞれのポストにちゃんと部屋番号が書いてある。
「全然溜まってねぇじゃん」
204と書いてあるポストを開けると、デリバリーやらのチラシが数枚と茶封筒が1つ入っていた。
チラシを一通りチェックしてゴミ箱に捨て、茶封筒の封を切る。中身は手紙だった。
『健人へ。健人がこの手紙を読んでいる頃、お母さんはもうこの世にはいないと思います──』
「は?なんだよこれ。……母さんの字だ」
母親が死んで3年。初めて読む母親の手紙に戸惑う健人。
『誰よりも優しい子に育ってくれて、お母さんは誇りに思います。でも、一つ心残りがあったので、手紙を書いてお父さんに託します。健人は昔から、お母さんや友達想いの優しい子でした。でも、そんな優しい健人だからこそ、人の為に自分を犠牲にしてしまう所が一つだけ気がかりです。どうかもう少し周りの人に甘えて、もっと自由に、もっともっと自分に正直に生きてください。男の子なんだから、夢を目指してください。いつも1人にしてごめんなさい。お父さんを恨まないであげてください。お母さんもお父さんも、いつだって健人の味方です。あなたのすることは、何も間違っていません。だって、こんなにも優しいんだから。平沢健人が輝ける日を、遠くから見守っています。母』
「……うっ……うっ……ち、違う……。違うんだよ。俺は、俺はただ……くそっ」
手紙を読みながら大粒の涙を流す健人。母親が死んだ時も泣かなかった健人が泣いたのなんて、いつぶりだろうか。何故このタイミングだったのか。母親が死んで自分が駄目になっていくのも、お見通しだったのか。未来へ踏み出す勇気が無かったのは、寂しかっただけなのかもしれない。口には出さずとも、どこかで何で自分だけこんなに不幸なんだろうと思っていたかもしれない。仕方ない事と思い聞かせても、全てを胸の奥にしまい込めなかった。それでも相談出来る相手なんかいなかった。
「あ……。ハッ、ハハッ。こんな時に……何であいつら……。ハハハ。どいつもこいつも。なんでこう勝手なんだよ。俺の気も知らないで」
泣きながら笑っていた。頭の中に祐樹と、それから夏実の顔が浮かんだから。
丸めてゴミ箱に放り投げたチラシのうちの1枚を取り出す。
『ドリームスター株式会社 事務所オーディションのお知らせ』
「全くあいつら……」
今までもずっとそうだ。いらないチラシをゴミ箱に捨てるように見て見ぬふりをして、気付かないふりをして、押し込めてきた。1人で踏み出すのが怖かったから。ようやく止まっていた歯車が動き出す。少しずつ、少しずつ、真っ暗な未来に光が指す。
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