メッセージⅡ

 国連都市ミリオポリス。

 オーストリアの首都——かつてウィーンと呼ばれた都市が二十一世紀初頭に国際化路線の成功で大いに化けた成れの果て。

 歯止めにきかない超少子高齢化/慢性的な労働人口不足/拡大し続ける貧富差——そこに追い打ちをかける移民問題/難民問題——差別/凶悪犯罪/テロリズム+その他諸々エトセトラ

 何だか知らないけどマズいのでは? と言ったような物事が溢れかえっていながらも、何だか知らないけど今日も無事都市活動を維持し続けている。そんな、長年メンテナンスを怠ってきたせいでいつ壊れてどんな被害を生む事故を起こすか未知数だが、それでも止まることなど許されず皆仲良くはらはらどきどきしながら操作せざるを得ない工業機器じみた都市。それが西暦二〇二三年のミリオポリスだった。

 だが、そんな壊れかけの都市を日夜駆けずり回り、治安維持に務める者たちがいる。

 《ミリオポリス公安高機動隊MSS》——彼らもまた、都市に数ある治安機構のうちの一つである。

 ミリオポリス第三十五区——都市南部に位置する伝統的な建物が並ぶ区域に佇むMSS本部ビル=銀と灰色の要塞——ハースハウス風建築/地上八階建て/地上部分の三倍もの地下施設。

 地下一階・駐車場——防弾装甲の車両や軍用機体がひしめく駐車区画にスロープを降りてきた車両が滑らかに停車。

「なあ、飯食ってきて良い? 腹減ってんだけど」

 車両から降りて駐車区画外のエレベーターホールへ——椿=二基あるエレベーター/その一方を呼び出す上司に進言=起床してすぐ現場へ向かい胃が空っぽ。

「ん? ああ、そうだね。椿ちゃんは少し休んでて。それまでにURマシンの解析もある程度済むと思うから」

「ん、じゃあそうする」

「通信を入れるから、そうしたらラボに」

了解ヤー

 エレベーターが到着——乗り込むドミニク+捜査官たち/ドアが閉まる/降下——椿に見送られ地下三階へ。

 地上行きのエレベーターを呼び出し、すぐに到着したそれへ乗り込む椿/地上四階を指定/閉まるドア——壁に背を預ける/小さく吐息。

 MSS——公安機関から独立した部隊/秀でた情報収集能力により対テロ任務にあたる組織——今から約七年前に首相直轄組織として再編されて以降、組織の都市治安維持に対する役割の重要性は、都市で多発する重大な犯罪の複雑化/高度化/凶悪化に従い日に日に上昇。

 そして椿は、そんなMSSの一セクション——特殊科学捜査班に所属する未成年捜査官の一人だった。

 エレベーターが到着=本部ビル四階——建物西側に女性隊員寮/東側には食堂。

 朝食をとる前にシャワーを浴びるため自室へ向かうことに——エレベーターホールから左手/ホールと隊員寮区域を隔てる電子ロック付きドア=許可なしでは女性隊員以外は何人たりとも踏み入ることのできない鉄壁——パネルにIDカードをかざして中へ。

 自室へ直行——内装=他の部屋と同じ間取り/備え付けの机+ベッド+クローゼット以外に大きな家具はなし——整理整頓の行き届いた/物の少ない簡素な室内=見方によっては生活感がないと言えそうな質素さ。

 羽織っていたブルゾンを脱いでベッドに放る/綺麗に整えられていたベッドカバーに盛大な皴——不自然なほど整然とした雰囲気がほぐれる=そうすることで初めて部屋が息づくよう。

 クローゼットの中から適当な下着&MSSの制服を見繕い隊員共用のシャワールームへ向かおうとしたところで、机の上の壁面——部屋の中で唯一と言っていい装飾品=コルクボードにピンでとめた一枚の写真が目に入った。

 二人の幼い少女たちのツーショット写真。

 ぶすっと睨むような視線の少女×にこにこ眩しい笑顔の少女=どちらも丸坊主/痩せぎす/訓練用の配線むき出しな機械の手足——並んで立ち、背後の壁に寄りかかりながら互いを抱き合う姿勢でカメラに写っている。

 僅かな間だけ写真を見つめて部屋を出る——今度こそシャワールームへ。

 熱いシャワーを頭から浴びながら今しがた目にした写真を思い浮かべた。今から七年前に撮影した、椿とその親友とのツーショット写真を。

 二十一世紀に突入した頃から世界中で深刻な問題となっている超少子高齢化問題——不足する労働人口を補うべく政府が打ち出した打開策=十一歳以上の全市民に対する労働権の付与。

 また同時に、政府は身体に障害のある子どもを無償で機械化することを決定し、労働力の確保を狙った。

 椿や一緒に写っていた少女はそうした機械化児童の一人であり、写真は新しく与えられた手足の操縦が上手くいかず毎日もがき苦しんでいた頃、機械化児童専門の教育・医療・研究・育成のための施設『132養護施設』——通称〈子供工場キンダーヴェルク〉で撮影した一枚だった。

 一見すれば幼い女の子同士が仲良く抱き合っているだけにも見える写真——だがその実、それは互いに支えあうことでしか立つことさえできない、悲痛と屈辱にまみれた日々の一場面にすぎなかった。

 書類上では両手足+胴体との接続部+脊椎の一部が人工物に置き換えられているという自分の身体/どこまでが生身でどこからが作り物なのか知る術などなし————そんな思考の連鎖に苛まれ続ける日々の。

 ————

 不意に脳裏でこだまする声——無線通信によるものではない、彼女自身の過去/あるいは心の奥底とも言うべき場所から響く声——椿を熱く駆り立ててやまない=さながら

 はっとする——熱いお湯を浴びたままぼうっとタイル張りの壁にもたれる自分に気付く/慌てて壁から背を離す。

 ——心の隅に這い寄る思考を払うようにぱんぱんと頬を叩く/手の平に確かに感じる柔らかな感触=

「うっし!」

 手早く全身を洗って脱衣所へ——本部ビルに帰ってきた時とは打って変わったMSS公式制服に身を包み、さっさと遅めの食事を済ませるべく食堂へと向かった。


 本部ビル地下三階——科学捜査官たちが科学的見地による事件解決のため、日夜証拠品をこねくり回しているラボフロア。

 その一角——フロアの約四分の一を割いて設けられた特殊施設——通称〝図工室〟=集合済みの椿+ドミニク+捜査官たち。

 汚れ一つない白色の床・壁・天井/窓はなく、部屋の内外を繋ぐもの=今は閉ざされたドア/そのそばに椿たちが囲うスチール製のテーブル。

 テーブル上——事件現場から押収されたURマシンが鎮座/その隣にテーブルから伸びるコードに接続されたPDA。

「調べた結果、マシンの中身はごく普通のURゲームばかりだったよ。保存されたそれらのデータにこれといって気になる点はなし。ただ、記録されたログを調べてみたら、直前の使用者を特定する手掛かりが見つかったんだ」

「使用者?」椿=壁にもたれてドミニクたちが作業する様を傍観しつつ「それってのは、部屋で死んでた、あーっと……」

「エルンスト・トウシェク氏」

「そう、それ。その人以外の使用者がいたってこと?」

「そういうことだね」

 その時〝図工室〟のドアが開いた。

「やあやあやあ、遅くなってごっめーん」

 さして悪びれた様子の感じられない女の声音=扉から入ってきた人物を室内の全員が振り返る。

 赤+白+青+黄色+その他諸々の色でマーブルの染まった短髪/童顔/右耳にピアス+イアリングの束/椿より少し高い程度の背丈/試薬によって所々カラフルに染まった白衣/コツコツ妙にうるさい足音=シークレットブーツ。

 どこぞの高校に通う不良少女が迷い込んできたかのような雰囲気——だが彼女の入室を咎める大人は皆無。

 ドミニク=姿勢を正しつつ「いえ、まだ準備中ですので、

「んんー? それならちゃきちゃき働きたまえー」

 女=あっはっはー——純白の室内に甲高い笑い声を響かせつつドミニクの隣へ。

 イルマ・菖蒲アヤメ・フリッシュ=MSS特殊化学捜査班主任/ティーンエージャーと間違われてもおかしくはない風貌/これでも成人女性/ドミニクという勤勉+忠実+優秀な右腕的部下の密かな悩みの種である地下世界の女王。

 女王に急かされ動かす手を早める捜査官たち——それ尻目に、イルマ自身は椿——その白銀の髪アイス・ブロンドをつまみ上げる。

「椿、髪のばしてんだ?」

「ん? ああ、そういえばだったわ」

 不意に異変=椿の髪が淡く発光/エメラルドの輝き——毛先からさらさらと短くなってゆく/さながら砂像が風に溶ける様の超高速再生/瞬く間に肩甲骨まであった髪がベリーショートに変貌=一秒余り/まるで髪が伸びる様を超高速逆再生したかのような光景。

 椿=短くなった髪を手櫛てぐしで軽く整える/ドミニク=傍らで起きた劇的変化に目もくれず部下達に指示/イルマ=髪をつまんでいた指と指の腹を擦り合せる——そして腕組み/したり顔。

「うむうむ、この私が考案・設計し、兵器開発局の暇そーにしてた連中に作らせてみたメリアー体エクステの調子は今日も良好だ」スレンダーな胸を反らして「なあ竜胆。相変わらず凄くないかい? 君もわかってるだろう? メリアー体を任意の構造物へ造換するにはそれなりの置換熱が発生するのさ。その熱放射の一環として熱エネルギーを光エネルギーへ変換する措置、それをここまで淡い発光に抑えておきながら、かつ置換熱によって椿の大切な大切な髪が傷むこともない! 驚異のエネルギー転換効率! すごいなー、天才だなー、うんうん竜胆もそう思うだろそうだろ? はっはっは、そんなに褒めても何も出ないがイイぞもっと褒めろドンと来い!」

「はっ、えっ? すみません、聞いてなかったです」

「はい減俸ー」

「ええっ!?」

「響いちゃったねー、査定にねー」

 嘘とも冗談ともつかない調子/にこにこ笑顔——今日も今日とてドミニクいびりに余念なし。

 黙々と準備を進めていた捜査官——苦い笑いを浮かべるドミニクを傍らにイルマを振り返る。「準備できました」

 コツコツコツ——スチールテーブルに歩み寄るイルマ/テーブル表面をひと撫で=浮かび上がる光学方式キーボード/凄まじいまでの速度で打鍵/テーブル表面に次々と浮かび上がっては消えてゆくウィンドウ——電子機器の操作などお手の物である捜査官達ですら閉口する早業。

「よしよし、仮想化演算領域もマスターサーバー上にうまく構築できてるね。AIとの同期もまずまずだ。単位くらいはくれてやろう」鼻歌まじりの操作/瞬く間に終了。「じゃあ、はじめよっか」

 イルマが言うのと同時に部屋の四方——天井/壁/床がいっせいに発光=エメラルドの輝き/〝図工室〟全体が燃え上がるよう/眩さに目を細める一同/そして数秒のうちに終息——窓さえ無い白色の空間が変貌=次の瞬間には、椿たち捜査官は

 必要な物が必要なだけ存在する落ち着いた内装/ひっくり返されたテーブル/散乱したスナック菓子/そっぽを向いたソファ——そして赤々と壁にこびりついた血痕+頭部が陥没し絶命したトウシェクの遺体。

 椿=すぐそばの壁を撫でる/手の平に壁紙の感触/まるで本物の質感。

「〝図工室〟全メリアー体の造換を確認」ドミニク=興奮気味/手元のタブレットを覗き込みながら「物理演算誤差、正負ともに想定値内。エレメント安定。空間構造情報の三次元写像に問題ありません。AIによるバックアップも順調です」

 思い思いに姿を変貌させた室内を見て回る捜査官たち——そんな彼らの注意を引きつけるべくイルマがぱんぱん、と手を叩く。

「ほれほれお前たち、あんまりはしゃぐんじゃないよ。いくらだからと言って、そう証拠となる現場を荒らすのは感心しないな。メリアー体による三次元空間の再現には、それなりのリソースを食うんだ。マスターサーバーにかかれば朝飯前の仕事だとしても、あんまり遊びすぎて長官のお叱りを受けてもしらないぜ?」

 捜査官たちの間に流れていたウキウキした雰囲気が一瞬にしてクールダウン——誰に言われるでもなく揃って休めのポーズに/椿もまた壁から背を離してイルマに体を向ける。

 イルマ——全員の注目が集まったところで「さて」と切り出した。

「ひとまず現状の再確認も含めてわかってることを報告してくれるかい、竜胆」

わかりましたヤヴォール、主任」

 頷いたドミニクが一歩前へ——咳払い/タブレットに視線を落とす。

「のちほど各員のPDAにも資料を送るから、詳細なことはそちらで確認してほしい。今はひとまず、エルンスト・トウシェク氏殺害について、全体的に周知して起きたい事項だけを確認するよ」軽く前置きして同僚たちに目をむけつつ「トウシェク氏の遺体が発見されたのは今朝七時四十分ごろ、場所は第二十五区にあるアパートメントの一室。第一発見者は彼の友人で職場の同僚でもある人物で、死因は頭部殴打による撲殺と推定」

 眼鏡の位置を調節するドミニク=ここからが重要だと言外に語る彼の癖。

「僕たちが今いるここは、警察の要請で現場に駆け付けた際、PDAで3Dスキャニングしたアパートの部屋を完全再現したものだよ」

 つま先で軽く床を蹴ってみる——アパートの床板/そこに敷かれたカーペットの柔らかな感触——うわ、すげー=その再現率に関心/ドミニクが興奮するのも納得。

 メリアー体=兵器開発局により開発された、兵器の始祖たる槍の柄すなわちトネリコを意味する精霊ニンフメリアーから命名された造換筒。

 その役割=データ上に登録された物体の三次元構造情報を遠隔地のメリアー体へ転送し、メリアー体が構造を再現することで行われる、あたかも物体そのものを転送するに等しい物資輸送。これまではMSS本部に登録された転送兵器を都市内部にて事件解決にあたっている戦闘員のもとに転送することに使用されていたが、その三次元構造情報を正確に再現するという特性から、近年MSSでは事件の証拠物品や検証に必要な物品などをラボ内で再現するためにも使用しており、〝図工室〟は部屋全体をメリアー体で覆うことにより三次元構造情報を把握した別空間——外部へ持ち出すことのできない事件現場などの再現が可能な特殊施設だった。

「それでだ。現場から預かってきたURマシンの中身を解析してみた結果、残されていたログに気になる点が見つかったんだ。犯行が行われたと思しき時間帯に、トウシェク氏はゲームで遊んでいたようなんだけど……、その際のログにトウシェク氏以外の人物の痕跡が発見されたんだ」

 椿=ドミニクの言葉を受けて疑問を提示「その人物ってのは現場の第一発見者とは違うの?」

「うん、そうだね。百パーセント違う人物だと断言できるよ」

 これ以上ないほどの断定口調——その指が素早くタブレットを操作。

 椿たちの傍=何も存在しない虚空/実はメリアー体による風景の再現で何もないように見えているだけの部屋の壁に男性の上半身写真ミディアムショットが浮かび上がる。

 頬張った面/短く刈り上げた髪/がっしりとした肩幅/分厚い胸板——電子の胸像の下に表示された名前+年齢=アーベル・ホフマン/二十六歳。

「これがその人物だと?」捜査官の一人が男の顔を覗き込みながら言う。「この短時間でよくここまで突き止めたものだ。親切にも彼はよほどの手がかりを我々に残してくれたらしい」

「ああ、その通りなんだよ、ジェイコブ」ドミニク——捜査官=ジェイコブの発言に首肯「ログに残されていた痕跡と言うのは、政府に登録された脳内チップの識別IDだったんだ。つまり、このアーベル・ホフマン氏は『132養護施設』を卒業した、元機械化児童というわけなのさ」

 一瞬の沈黙——そして思い思いの反応を見せる捜査官たち/その中で一人、椿は口を閉ざしたままアーベルの顔写真を見つめていた。

 『132養護施設』——〈子供工場キンダーヴェルク〉の卒業生=言うなれば椿のOBにあたる人物。

 都市に蔓延する凶悪犯罪——その中には当然、身体を機械化した人間によるものもある/だが——犯罪/その可能性が自分自身の目の前に姿を現したのは、これが初めてのことかもしれないと思った。

 妙な気分——まだ写真の男が犯人であると決まったわけでもないのに——それなのに、この妙な胸のざわめきは何だと言うのだろうか?

 ジェイコブ——腕組み/ふむ、と唸って「なるほど、これならデータベースに照会するだけで身元は特定できるわけだ。しかし、何故ゲームをプレイするだけで識別IDが?」

「もっともな疑問だけど、そこに大げさな仕掛けがあるわけじゃないんだ。これはUR技術の最大の特徴によるものでね。URというのは、可覚仮想現実——言葉通り、仮想現実を使用者の五感で知覚可能とした技術なんだ」

「仮想現実の知覚……?」

「そう。従来のARやVRといった技術は、専用のデバイス……ゴーグルやディスプレイなんかに映像を出力、時には外部の補助装置を使って人の五感に働きかけることで脳に錯覚を起こさせる、あくまで仮想の域を出ないものだ。でもURの特に優れていて、またデメリットでもある点は、脳内チップを介すことで電子的な感覚情報をユーザに知覚させるところにあるんだよ。いうなれば、人間の五感に頼ることなく、仮想の空間がユーザの脳において現実そのものになるんだ」

 UR技術を十全に享受するための——ドミニクがアパートの一室で何気なく言った一言はこのことなのだと知れた。

 脳内チップを埋め込んでいないと楽しむことのできないコンテンツ——そりゃ流行らないわけだ=椿の雑感。

 そんな彼女の考えを察したようにドミニクが付け足す。「もちろん、脳内チップを埋め込んでいない人でも、ゴーグルなんかを使ってURを楽しむことはできるんだけどね。それってVRと変わらないからさ……」

 妙に落胆した調子のドミニク=世の中の大半の人間がそうであるように全身生身/脳内にチップなど埋まっておらず/捜査官たちのあいだに流れる共通認識——ああ、URを十分に楽しめずがっかりした経験があるんだね。

「んじゃあ、このアーベル・ホフマンは脳内チップを通して、URゲームで遊んでたってこと?」

「そうなるね」

「だが、そうするとホフマンが第一の容疑者ということになるが……、こうあからさまな足跡を残して犯行に及ぶとも考え難いか?」

「いんや、そうとも言えないのさ」これまで口を閉ざしていたイルマ——ドミニクの手からタブレットを引ったくる。「椿、ちょっとこれを持ってみてくれるかい?」

 タブレットを操作——部屋に低い唸り声のような音/駆動音——椿が立つすぐそばの床の一部が隆起/みるみる形を成形/ボウリングのボール大のが出現。

 言われるがままに拾い上げる/見かけ以上にかなりの重さの巨大トマト/妙に硬い質感/今この場に似つかわしくないそれを両腕で抱えた自分が酷く滑稽——恥ずかしさを誤魔化すために質問。「これ……、どうしろっての?」

 にやりと意地悪い笑みを浮かべるイルマ「そいつを。全力でね」

 閉口する椿=その一言で主任の意図を察知/腕に抱いたトマトを見下ろす/再現されたアパートの壁を見つめる/赤々とした血痕が目を打つ。

 深々と溜息——巨大トマトを片手に持ちかえる/腕全体にのしかかる重量/体勢を維持/捜査官たちがイルマの意地悪さにやれやれと肩をすくめる目の前で、手にしたトマトを全力で壁に向かい叩きつけた。

 ごすっ、と言った具合の思いのほか鈍く低い音——手のひらに伝わる痺れるような痛み=硬い物体同士がぶつかり合った衝撃の反作用——そして部屋の白い壁紙へ放射状に広がる赤い果汁。

「しっかり全力を出してくれたかい?」

「……ああ、ご注文通りにな」

「ふんふん、となると私の考えていた通りだ。ありがとね、椿」屈託ないとさえ言える笑顔を浮かべて「さあ、見比べてくれたまえ。部屋に残された血痕と、トマト果汁とをね」

 血痕/果汁——本来似ても似つかぬそれら二つを交互に見比べる捜査官たち。「液の広がり方がよく似ている。主任、これはつまり……?」

「いま椿に叩きつけてもらったトマトは、成人男性の平均体重と頭蓋骨の硬さをメリアー体で再現したものさ。無論、椿のためを思って胴体部までは再現していないからトウシェク氏殺害の瞬間を忠実に予測再現するには至らないわけだけど……まあ、私たちにとってはそんなことは瑣末なことさ」椿に向き直り「で、だ。椿、これは思ったままのことを言ってくれれば構わないんだけど、ぶっちゃけ人間の頭を壁に叩きつけるって、どんな感じ?」

 普通そんな訊きかたするか?——果たしてイルマが何を配慮しているつもりなのか見当がつかず/不満というよりは呆れに近い感情を飲み込んで利き手=右手を見つめる——開く/閉じる/開く/閉じる——まだ僅かに残っている衝撃の感覚を確かめるように。

「まず重かった。私の身体はほら、だから問題なかったけどさ、あれだけの重さのものは、大人でも持ち上げるのに苦労すると思う」

「ふんふん、それでそれで?」

「普通の人間には、あれだけ重くて硬いものを壁に叩きつけるだけで潰すなんてできるとは思わない。何か別の凶器が必要になると思う」

「なるほどねー、やっぱそうだよねー」

 イルマ——タブレットをドミニクに返し、自分は血痕の前に仁王立ち/しげしげと目の前のものを観察。

「私はアーベル・ホフマンがエルンスト・トウシェク殺害の有力容疑者と考えていいと思うな。凶器は犯人の身体そのもの。何故かって、一つには現状わかっている限りでトウシェクと一緒にいたのはホフマンだけだということ。それに椿に実演してもらった方法なら、現場に残された遺体や血痕の状態を、生身の人間にはちょっと難しい殺害方法を含めて再現できる。警察の捜査で真の凶器が見つかるとも私には思えない。犯人が凶器を使ったというのなら、わざわざアパートの壁にこうも露骨な足跡を残すと思うかい?」

「もしも、だ」ジェイコブ=腕組みして思案しつつ「二人が一緒にいることを知っていた人物が、トウシェク殺害をホフマンの仕業に見せかけるための偽装を施したのだとしたら?」

「ま、その可能性は否定できないねー。でも、それこそ元機械化児童なんていう身元の割れやすい人物に罪をなすりつけるようなことをするかな? そこから簡単に足がつかないとも限らないんだぜ? 偽の証拠づくりにかかる労力を考えても、私だったらもっと別の身代わりスケープゴートを選ぶな」

「……確かに、俺が犯人だったとしても、もっと別の偽装方法を考えるかもしれないな」

「だろう? ただ、それとはまた別の点から、私もホフマンの手足が凶器であるとは百パーセント言い切れない疑問点もあるんだ。言ってしまえば、ホフマンの手足ではのさ。竜胆、そのへん説明よろしくー」

 頷く竜胆——空中に映し出されたホフマンの上半身写真ミディアムショットの隣に、細かな表が表示される。

「今表示しているのは、アーベル・ホフマン氏のだ」表を指し示しながら。「これによると彼が『132養護施設』を卒業した時、使用可能と許可された機械化義手および義足の等級ニヴォーベーまで。そして仕様通りなら等級Bニヴォー・ベーの機械化義手に人間の頭蓋骨を破壊するだけの動力の出力は許可されていないはずなんだよ」

「つまり、彼は違法に機械化義手のバランサーを解除している可能性があると?」

「その通り。実際、トウシェク氏の遺体に見られるほどの人体破壊を機械化義手を使って行おうとすれば、等級Cニヴォー・ツェー……椿ちゃんのような、治安機構所属の者にしか使用が許可されない義手のスペックが必要なはずなんだ」

「ふむ……。となると、今回の捜査は単なるエルンスト・トウシェク殺害犯の逮捕だけでなく、機械化義手の違法改造の取り締まりにもつながってくるわけか」

 捜査官たちの視線が改めて容疑者の写真に集まる。

 機械化義手の違法改造——人間の身体そのものを凶器化せしめる行為/実際にこれまで都市内で起きた事件において大いに振るわれてきた猛威/その抑止・根絶はMSSにとっても重要な課題の一つであることは間違いなかった。

「な、都市随一の情報収集力によるを目的として作られた私たちにはおあつらえ向きなネタだろう? これは是非とも調べてみる価値ありだ」イルマ=どこかこの状況を楽しむように。「と言うわけで、我々はアーベル・ホフマンを第一容疑者とし、本件の調査を開始する。役割分担といこうか。アイン、椿は第二十五区に潜って、バランサーの外し屋を洗い出すこと。ツヴァイ、ジェイコブには容疑者の身辺捜査をお願いしようかな。ドライ、竜胆は警察との連携を密に、二人のバックアップをしてあげて。その他各員はURマシンの詳細調査と、竜胆のサポート。状況に変化があり次第、柔軟に対応をよろしく。いいね?」

了解ヤー!」——各員が一斉に返答/それぞれの任務にあたるべく行動開始。

 再現されたアパートの一室=発光/エメラルドの輝き——さらさらと溶けるように内装が崩壊/足元から元の〝図工室〟に変貌。

 その間際——アーベル・ホフマンの上半身写真ミディアムショットを一瞥/〈子供工場キンダーヴェルク〉の卒業生/自分と同じ機械化児童/違法改造を施された可能性のあるその手足。

 あんた、いったい何やってんだよ。

 そんな、不意に心のどこからか湧いて出た憤りにも近い感情を振り切り、彼女は〝図工室〟をあとにした。

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Einzelgänger 高志千悠 @chiharu-1122

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