メッセージⅠ

 夢を見ていたような気がする——遠い日の夢を。

 目が覚めればいつもその内容はあやふや——だが、夢から覚めた時はいつも必ず

 痛いほど/怖いほど/哀しいほど切実に、懸命に、必死に——ああ、また私の生身の脳があの時のことを思い出していたのだ。

 ベッドのうえで少女は右手=一見なんの変哲もない——しかし鋼鉄/人工皮膚/芸術的ともいえる計算により組み上げられたソレ=機械化義手を見つめる。

 手のひらに今も微かな感触が残っているような気がした。電子的に再現された感覚しか知覚することのできないはずの手に。感触=祈り/あるいは呪いと名付けるべき温もりが。

《——……ん、……ちゃん。おーい、ちゃーん。まだ寝てるのかーい?》

 寝ぼけた意識が輪郭を伴うに従い脳裏で存在を主張し始める声——ノイズ交じり=顎骨に移植された通信機——上司からの通信/中途半端に炭酸の抜けたコーラのごとき締まりのない声音/今日も今日とて冴えない一日の始まりを告げる起床命令モーニングコール

《んー、あと五時間》

《お、ようやく起きたね》

《せめてあと十時間》

《それは職務怠慢で始末書かな》

 身を横たえたまま大きく伸び/大きく欠伸/大きく深呼吸=微睡まどろみの残滓ざんしを吐息——息を吐ききったタイミングで体操の跳ね起きよろしくベッドから立ち上がる。

《んだよ、事件か?》すたすたと洗面所に向かいながら《って、訊くまでもねえけどー》

 部屋を進みながら服を脱いでゆく少女——脱ぐ/ぶん投げる/脱ぐ/ぶん投げる——露わになる肢体/徐々にだが確実に獲得されつつある丸み=少女の可憐とも言える瑞々しさ×蛹が蝶へと変貌を遂げつつある過程の怪しげなふくよかさ——それら全てをどこぞへような豪快な脱ぎっぷり=部屋の散らかりっぷりエントロピーは日々増大。

 下着姿で鏡の前に立つ。

 さらさらした月光のごとき白銀の髪アイス・ブロンド/切れ長の瞳/不敵な笑みを浮かべる唇/同年齢=十四歳の中では実りが良いと自負する胸元/すらりと細く長い手足。

第二十五区ライヒェンシュマオス新貧民窟スラム付近でね。詳しいことは合流してから話すとして……、あとどれくらいかかる? 地点Aプンクト・アーを通るよ》

《まあ》手早く用意を済ませつつ《十五分ってとこかな》

《わかった。じゃあまた後で》

了解ヤー

 通信終了アウト——その間にも歯磨き/洗顔/寝癖直し+その他諸々エトセトラを終わらせ、最後に鏡の中の自分に向き直る。

 ようアロー。今日も今日とてシケた一日がお出ましだぜ。

 にやり=気は乗らないがまあ頑張ろうぜ、と語りかけるような笑み——踵を返す——ベッドの傍ら=本人だけが洗濯済みと判別できる衣類の山へ歩み寄り、これまた手早くダメージジーンズ/インナー/ブルゾンを着衣——肩甲骨まで伸びた髪をポニーテールプフェールデシュヴァンツンにまとめ、キャップを被ると、ベッド脇のへ歩み寄った。

 窓を開ける——長い足をさんにかける/外を見る=かつてウィーンと呼ばれたオーストリア首都・ミリオポリス——その第二十五区東部にの眺め。

 どれも外壁が薄汚れてボケたような建物群/割れた窓の数々——路上=ひび割れたアスファルト/可燃ゴミ/不燃ゴミ/粗大ゴミ+ゴミ+ゴミ+ゴミ=臭い立ちそうな景色——素敵に腐れた街の一角を吹き抜ける風を清々しく吸い込み——十三階建てアパートメント=その最上階から

 自由落下——めくるめく巻き起こる風——愉快に絶叫シャウト。「やっふううううううううッ!」

 狂乱の紐なしバンジー/みるみる迫る地面——落下地点に車=違法駐車車両。

 窓を離れてから僅か数秒後——ズドン!——車の上に落下。

 静寂——鉄に人体が叩きつけられる異音に住民たちが様子を伺いにくる様子=皆無。

 明日の生活も見えない日々に疲れた人間が天にまします神様に身を委ねようとした結果としてひび割れたアスファルトとの刹那的蜜月の末に現代アートさながらの前衛的模様に成り果てることなんてよくあることで構ってなんかいられませんアーメン。

 ——一人の少女が全生命を賭して世界に自身の存在を刻み付けようとした挙句、スラムの路上に血と肉と鉄のオブジェをこさえてしまった——などということには

 天井が盛大にひしゃげ、窓ガラスが砕け散った車体の上ですくっと立ち上がる人影=カメリア=けろりとした表情で放置車両の屋根から飛び降りる。

 着地と同時に疾駆=通の向かい側/建物と建物の合間の狭い路地へ——視界の左右に並ぶ建物の壁を交互に蹴る/蹴る/蹴る=機械仕掛けの脚力=一息で壁面を垂直に上り屋上へ——矢のような速度はそのまま、建物の屋上から屋上へと飛び渡っていった。


《もう到着するぜ》

《了解。こちらも到着する》

 ビルの屋上を飛び渡り新貧民窟区域外へ——通信終了と同時にひらりと屋上から飛び降りる=タンタタタン=ビルの外壁を蹴って落下の勢いを制動——軽やかに路地裏へ着地。

 何食わぬ顔で表の通りへ——そこに走り寄せる大型車両/少女の目の前で停車。

 車両のドアが開く——中から顔をのぞかせる男=通信の相手「さあ乗って、椿ツバキちゃん」

 さっさと乗り込む——ドアが閉まると同時に走り出す車両=その内装——大量に設置されたモニター/仰々しい通信機器/車両後部スペースにテーブル+イス——そのうち一脚に着席。

「お疲れ様、椿ちゃん」男——椿の向かいに座る。「報告書は読んだよ」

 ライトブラウンの短髪+碧眼/と言うよりはと長い手足/背高/お気に入りの丸ぶち眼鏡。

「この件で潜るのはもう終わりで良いっしょ、ドム?」

 ドム=ドミニク・竜胆リンドウ・カナー——理知的な案山子かかしと言った風貌をした男のいらえ「ああ、情報はお上に渡したから、の仕事は終了だよ」

「っしゃー、終わったー」

「ま、すぐ次の事件だけどね」

「…………」

 少女=椿——深い溜め息+キャップを案山子めがけて投擲=容赦なし。

「仕方ないさ」顔面への攻撃を避けつつ「それが二特にとくだよ」

「そりゃそうだけどよー……んで、今度は何が起きたっつうの?」

 眼鏡の位置を直すドミニク——よくぞ聞いてくれましたといった調子/手元のタブレットを操作/傍らの壁/投影される資料。

「つい一時間ほど前、二十五区のとあるアパートの一室で殺人事件が発覚。被害者は部屋に住む男性のエルンスト・トウシェク氏で、第一発見者は彼を訪れてきた友人とのこと。死因は撲殺と推定。検視はまだだから、これから何が出るかはわからないけどね」

 壁面の資料=数枚の写真——そのうちの一枚に男性の顔写真。

「死んだ野郎が悪い、以上、閉廷」

「で、現場に駆けつけた警察が気になる物を見つけたらしくてね。昔ので現場へお邪魔しに行くってわけさ」

「無視すんなよー」

 駄々っ子のように騒ぎ立てる椿を乗せ現場へ急行——目的のアパートメント=すでに駆け付けている警察関係車両/群がる人々/野次馬に睨みを利かせる警官——ごった返したアパート前に停車/車両を降りる椿+ドミニク+その他数名の捜査官=外野を押しのけてアパート/目的の階へ——ほどなく問題の部屋に到着。

 ドミニクが徽章を掲げ入室——どことなくきりっとさせた声で。「MSS特殊科学捜査班のドミニク・竜胆・カナーだ」

 ドミニクを振り返る一同——続いて現れた椿の姿を見て怪訝な表情=「子ども?」「彼らの制服はあんなのじゃなかったろう」「外の野次馬が紛れ込んだわけじゃないだろうな?」——椿=周りの声など意に介さず。

「こっちに来てくれ」警察官の一人の誘導——事件現場/リビングへ——そして真っ先に目に飛び込んだもの=血。

 部屋に入って正面の壁/真っ白な壁紙/浮かび上がる赤い紋様=赤い柔らかな物を思い切り叩きつけ、潰れ、放射状に飛び散った跡といった具合の血痕——何となくスペインで毎年八月に行われるという収穫祭トマティーナ/ギョッとするほどに潰されたトマトを連想。

 ドミニクを案内する警察官「遺体はそちらだ」

 警察官の指さす先——椿たちのすぐ傍ら=リビングに入ってすぐ右手。

「おっと……」ドミニク=目をつむって短く黙祷。

 血痕に注意を引かれ死角になった右手の壁際——白人男性の遺体=ぐにゃりと——糸の切れた操り人形マリオネーテが床へ投げ出されたような調子で無造作に転がるその骸。

 椿——死んだ男と目が合った——頭部=左側頭部のあたりが大きく陥没/十中八九それが致命傷となったに違いない外傷/恐らくその傷を負った衝撃で眼窩がんかから迫り出したのだろう眼球=そのが投げかける驚愕/混乱/恐怖/そして絶望——鼓膜を揺すぶる哀訴よりなお遥かに心に触れる無音のうちの絶叫。

 部屋を見渡した。

 何の変哲もない小奇麗な部屋——生活に必要な物が必要なだけ存在するという感じの質素さ——その中で数少ない事件性を感じさせる痕跡=ひっくり返されたテーブル/散乱したスナック菓子/壁際のテレビへまっすぐ向いていたに違いないソファ=今はそっぽを向いている。

 壁に残った血痕——それに比べてあまりに僅かな部屋の乱れ——ほとんど抵抗する間もなく殺された?

 椿=ふと倒されたテーブルのそばに気になるものを発見。「あれは?」

 床に転がった黒い円筒形の物=何らかの機械——両腕で抱えられる程度のサイズ/光沢質の表面/側面から伸びた無数のコード。

 警察官——よくぞ訊いてくれたという具合に頷きながら。「それがMSSに協力を要請した原因だ」

「あっ」何かに気付いた様子のドミニク=場違いにも心なしかうきうきした調子「これはもしかして」

「知ってんの?」

 ドミニク=ガジェットマニア——本人は恥ずかしがって隠しているつもり。

「現物を見たのは初めてだけどね。恐らく、このマシンはVR……仮想現実空間ヴィトゥエレ・リアリティートより更に一歩進んだ技術である可覚仮想空間ウンヴィアクリヒ・リアリティートに接続するための端末さ」

「あー、URって名前は聞いたことあるかも」

「UR技術が実用化に至ったのは、実はそう昔のことじゃないからね。椿ちゃんみたいに、名前だけなら、って人は多いと思うよ。それにUR技術を十全に享受するにはがあって、今はまだVRやAR技術に比べて流行ってないんだ」

「ふーん」気のない返事=URの何たるかについてなど興味なし。

 改めてマシンと男性を交互に見やる——UR/男の死——そこに繋がりがあるかは皆目見当もつかず——自分たちが呼ばれたのだという思い=静かな使命感。

 彼女の傍らで眼鏡をかけなおすドミニク=真剣な表情/共に日々事件を追う者の眼差し。

「では、我々はこのマシンを持ち帰って調べてみれば良いんですね?」

 ドミニクが警察官を振り返る。

「ああ。何かわかったことがあれば連携を頼みたい」

「ええ、もちろん」

 同行した捜査官に身振りで指示するドミニク——携帯用小型端末=PDAを取り出し部屋の様子を調べていた捜査官たちが作業にかかる。

 警察官——捜査官が慎重にマシンを運び出す様子を見守りながら「悔しいが、でこの手のことはMSSが最も情報を有効活用できることがわかっているからな」

「我々も最善を尽くします」椿+捜査官に目配せをして「それじゃあ、我々はこれで」

 警察の鑑識官たちが部屋の隅々まで舐めるように調べてまわる様子を尻目にそそくさと退室/滞在時間はほんの僅か——車両に戻りつつ、椿が後ろを振り返る。

「私らが扱うような事件になるかね」

 ドミニク=振り返らず——アパートの外/車両へ。

「そうでないことが一番だけどね」車両に乗り込みながら。「そんなことが許されるか否か、是非とも都市に問うてみよう」

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