第16話 謝罪
三人を乗せた車が凛の実家の前に到着すると、凛と圭一は車を降りた。
「送ってくださりありがとうございます」
凛と圭一は桜井に向かって頭を下げた。
「別にいいさ。それよりあんたはこれからどうするんだ? ずっと実家で暮らすつもりか? 」
桜井は凛に聞いた。
「わかりません。これからゆっくり考えたいと思います」
「そうか……。まぁ頑張れよ」
凛はもう一度桜井に頭を下げると、彼は気怠げに手を振った。凛と圭一は家に向かった。凛は家のインターフォンを押すと、美和が二人を出迎えた。
「ただいま」
「おかえりなさい。あなたが圭一さんですね」
「はい。凛さんとお付き合いをさせていただいています丸川圭一と申します。今回は凛さんを傷つけてしまって申し訳ございませんでした」
圭一は美和に頭を下げた。
「頭を上げてください。娘の怪我は圭一さんのせいじゃないですよ。それにもし圭一さんが助けに来てくれなかったら、娘は死んでたかもしれないんです。この怪我だけで済んだのは圭一さんのお陰です」
「しかし......」
圭一にしては珍しく歯切れが悪そうだった。
「娘をここまで送ってくださりありがとうございます」
美和が玄関のドアを大きく開けると凛は玄関に入った。
「ありがとう。またね」
凛は圭一に手を振った。圭一も同じように手を振った。
「うん」
ドアが二人を隔てて、凛は名残惜しそうにドアをすっと撫でた。
「おかえりなさい。疲れたでしょ? 」
「ただいま。大丈夫だよ。お父さんは? 」
「会社でトラブルがあったらしくて朝一で会社へ行ったよ。多分夕方には帰って来るんじゃないかな」
凛の父親の雅之は建築会社の営業として働いている。美和も雅之と同じ会社で経理として働いていた。二人は会社で出会い、三年の交際後に結婚した。美和は雅之との結婚後も働き続けていたが、凛を妊娠していることが分かると会社を辞めて専業主婦になった。雅之は仕事人間で必要最低限のことしか話さず、凛は無口な父親がよく営業をできているのか不思議だった。雅之は昔気質の男で凛の記憶では雅之が笑っている顔を見た記憶はなかった。一方の美和は社交的な性格ですぐに友人ができるタイプだった。ここまで正反対な二人が結ばれて、今も幸せに暮らせているのか凛はずっと不思議に思っている。
「そっか。お父さんも大変だよね」
「それでも本人は楽しそうよ」
雅之が休日関係なく働いている姿に見慣れている凛は美和の言葉に納得した。
「ならいいけど」
「これから夕飯を作るから凛は休んでて」
「ありがとう。ちょっと部屋で休んでるね」
凛は階段を上ってすぐの部屋に入った。その部屋は小学生から大学を卒業するまで使っていた凛の部屋だ。部屋にはベッドと学生時代に読んでいた本や漫画が本棚に並んでいる。実家に戻ってくると必ずこの部屋を使う。凛がこの部屋に入ったのは半年くらい前だ。彼女は盆と正月になると帰省しているが、この前に帰省した時はこんなことになるとは微塵も思っていなかった。彼女はベッドに倒れこむと目をつぶった。
美和が部屋のドアをノックする音に凛は目を覚まし、リビングに降りた。既に父の雅之が仕事から帰ってきていた。
「おかえりなさい。お父さん」
「ただいま」
娘の凛が久しぶりに帰ってきても相変わらず無愛想な顔だった。既に食卓にはちらし寿司やローストビーフといったご馳走が並べられていた。美和は家事が上手で特に料理が得意だった。
「うわー! すごいね。今日の夕飯」
テーブルに並ぶご馳走に凛の声が自然と大きくなった。
「今日はご馳走よ」
美和は微笑んだ。すると突然テレビから聞き覚えのある声が聞こえて凛はテレビを向いた。そこには自分と圭一が映されていた。多くのカメラとリポーターに囲まれておろおろしている。凛はその姿は見てなんとも惨めで情けなく感じた。
「テレビを消せ。メシがまずくなる」
雅之の声には怒気が含まれており、美和は急いでテレビをリモコンで消した。先ほどまでの明るい雰囲気は一変した。
「あいつらに囲まれて暮らしてたのか? 」
「うん……。そうだよ」
「そうか……。大変だったな」
雅之は憮然とし表情でまるで部下を労うかのような口ぶりだったが、凛にはそれだけで雅之が自分を心配しているのかが充分わかった。
「ありがとう。お父さん」
「さぁご飯にしましょう! 」
美和の一声で明るい雰囲気が戻り、久しぶりで三人の食卓が始まった。
それから凛は美和の家事を手伝いながら暮らしていた。その日も凛は洗濯物を畳んでいたが、インターフォンが鳴った。美和が皿洗いの手を止めて出ようとしたので、凛は彼女を止めた。
「私が出るよ」
凛がドアを開けるとどこか見覚えのある中年の夫婦がそこに立っていた。しかしどこで見たのか思い出せなかった。凛はおずおずと尋ねてみた。
「どちら様ですか? 」
「鈴木エマの両親です」
凛は思わず息を飲んだ。凛の後ろから美和が声をかけてきた。
「どうしたの? 」
「エマさんのご両親がいらっしゃったの……」
美和の顔が明らかに引きつった。
「ここではあれだから上がってもらって」
「どうぞ」
凛は二人を家に上げてリビングに通して、座るように促した。凛はエマに家族の写真を見せてもらったことがあった。エマは時折家族の話をしていた。エマの話では二人とも明るくて豪快な人間だと感じていたが、今の二人には明るさも豪快さも見受けられず、憔悴しきった様子だった。凛がリビングに案内すると二人は突然跪き土下座をした。
「この度は本当に申し訳ございませんでした! 」
凛は二人に駆け寄った。
「頭を上げてください! そんなご両親が悪いわけじゃないですから」
「いいえ! 私たちの責任です。私たちの躾が悪かったんです。本当に申し訳ございませんでした! 」
エマの両親はリビングの床に頭を何度も擦りつけた。美和は二人のために入れたお茶を持ってリビングへ来た。
「そうですよ。あなた方が謝っても娘が怖い思いをしたのは事実なんですから」
凛は今までこんなにも冷淡な美和の声を聞いたことはなかった。
「やめてよ。お母さん」
「大体この時期になって謝りに来るなんてどういうつもりなんですか? 真っ先に娘に会いに来て謝るべきなんじゃないんですか? 」
エマの父親は床に正座したまま話し始めた。
「その通りです。こちらも動揺していてどうして娘があんなことをしたのかわからなくて……」
「一番動揺したのは娘じゃないんですか? 突然目の前で警備員の人が殺されるところを見て、自分も殺されそうになったんですよ」
「本当に申し訳ございません! 」
「申し訳ございませんじゃないでしょ! 」
「お母さんやめてよ! 」
エマの母親は肩を震わせている。しかし美和は気にも留めず二人にまくし立てた。
「娘は怖い思いをしただけじゃないんですよ。娘は顔を殴られたせいでしばらくはご飯を食べられなかったんです。娘の恋人が助けてくれたから良かったものの……。恋人も怪我をしてるんですよ。どうしたらあなた方を許せると思うんですか! 」
「本当に申し訳ございません……。こちらをお納めください」
エマの父親は長方形の封筒を美和に差し出した。
「なんですか? 」
「こちらで凛さんの治療費にでも充ててください……」
「お金で解決できると思ってるんですか! ふざけないでください!! 」
美和は金が入った封筒をエマの父親に投げつけた。
「そういうつもりじゃないんです」
「じゃあどういうつもりなんですか? もう帰ってください。あなた方の顔なんか見たくありません」
エマの父親は中々立ち上がれないエマの母親の肩を掴んで立ち上がらせた。二人は頭を深く下げると玄関へ向かった。
「お母さん! なんであんなことを言うの? 」
「なんでって。大事な一人娘を殺されかけたのよ? どうしたら許せると思うの? 」
「でもご両親がやったわけじゃないでしょ」
「そうだとしても許せない」
凛は美和の気持ちが痛いほどわかっている。もし自分が美和の立場だったら同じように許せないだろう。しかし凛は居ても立っても居られず、家を飛び出した。凛が家を出ると二人はまだそこまで離れていなかった。彼女は二人を追いかけた。
「待ってください! 」
凛が走って追いかけたことに二人は驚いていた。
「どうされましたか? 」
「私の知っているエマさんは明るくて面倒見がよくて元気で優しい人でした......。エマさんがどうしてあんなことをしたのか、なにか理由があると思うんです。だからそんなに自分を責めないでください」
凛の言葉に二人は涙を零した。
「ありがとうございます……」
二人は何度も頭を下げながら来た道を帰って行った。
ごめんなさい。本当の理由を知っているのに話せなくて
凛は遠ざかっていく二人が見えなくなるまで頭を下げ続けていた。
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