第15話 しばしの別れ

 事件が起きてしばらくは凛と圭一にとってとても慌ただしい日々が続いた。二人は警察署へ行って何度も事件のことを説明させられた。特に大変だったのは圭一だった。圭一は凛を守るためとはいえエマを殺してしまった。彼は何度も警察官や検事に説明をさせられる羽目になった。しかし緊迫した状態でありエマに対して殺意があったわけではなく、圭一の正当防衛が認められた。ただ凛は彼が会社で肩身の狭い思いをしているのではないかと心配だった。

「会社はどう? 」

「どうってなにが? 」

 圭一は凛の質問の真意がわからず、不思議そうな顔をした。

「会社で居づらくなってない? 」

「そういうことか。必要最低限のことしか声をかけて来なくなったからちょうどいいよ」

「そっか......。私も会社戻れるかな」

 凛の会社は殺人事件が起きた現場なので、警察関係者以外は入れないようになっていて彼女の会社は休業状態だ。もし会社が休業を明けたとしても、圭一は今まで通り凛が働けるのか疑問だった。凛の怪我は大分良くなったが、あの事件以来、凛はどこか違う世界を見ているようでぼんやりとしている。時折ふとした時に涙が流れることもあり、感情のコントロールが効かなくなっている。事件が凛の心に影を落としていることは明らかだった。圭一はそんな凛に為す術もなくただ見守ることしかできなかった。


 凛と圭一は夕食を食べていると、一本の電話が鳴った。凛は席を立ち電話に出た。

「もしもし。お母さん。どうしたの? 」

 電話の主は凛の母、美和からだった。事件があってから美和からよく電話が来るようになった。

「そんな急に言われても困るよ」

 美和がなにを言ったのか分からないが、凛は少し戸惑っているようだ。

「わかった……。ちょっと考えてみる。じゃあね」

 凛は電話を切るとテーブルに戻った。

「なんだって? 」

「実は……。しばらく実家に戻ってこないかって」

「別にいいんじゃない」

 圭一の口調は素っ気ないものだった。

「えっ? 」

「最近、凛は感情のコントロールができなくなっている。ここを離れて心と体を休ませるべじゃないかな? 」

「そうだね……。圭一は私がいなくても平気だもんね」

 凛は圭一にいらない存在だと言われている気がした。

「別にそんなことは言ってない」

「そうは言ってないかもしれないけど、私にはそう聞こえるの! 」

「ほらそうやって感情的になるだろう? 今、アパートの周りにマスコミの人間が集まっている。こんな状態で凛は落ち着いて生活できるの? 」

 事件のあと警察がエマの自宅を捜査すると、自宅から彼女の婚約者の血痕と体の一部が発見された。エマは婚約者と警備員を殺して、会社の同僚である凛も殺そうとした。そんな衝撃的な事件に世間は騒然となり、マスコミは凛と圭一の話を聞きたいと思うのは当然だった。二人の住んでいるアパートには、二人から話を聞くために昼夜問わずマスコミが集まっている。圭一は仕事に行く時と仕事から帰って来る時に彼らから寄ってたかって質問を投げかけられている。こんな状態で凛が落ち着いて暮らすことはできないと圭一はそう考えた。

「わかった」

 凛は圭一の言葉に頷いたが、納得していない表情を浮かべた。


 マスコミが少なくなった日を見計らって凛は必要最低限の荷物を持って玄関を出たが、彼女が外へ出ると否や待ち構えていたかのようにマスコミが彼女の元へ駆け寄った。マスコミが少なくなったように見えたが、どこかに隠れていたらしい。

「目の前で同僚が警備員を殺したのを見た時はどんなお気持ちでしたか? 」

「殺された警備員はあなたを守るために殺されたんですよ。責任は感じてますか? 」

 フラッシュが凛を容赦なく照らす。

「恋人があなたを守るために友人を殺したんですよね。友人が殺されたときはどう思いました? 」

「止めてください」

 凛はマスコミのしつこい取材から逃れようと顔を背けるが、マスコミも必死で凛からコメントを聞き出そうとする。

「なにしてるんですか。あなたたち! 」

 外の異変に気づいた圭一が出てきて、マスコミに取り囲まれている凛を抱き寄せて庇おうとした。しかし圭一が出てきたことでむしろマスコミの執拗さが過熱していく。

「あなたが彼女の友人を殺したんですよね? 彼女を守るためとはいえ殺す必要はあったんですか? 」

「黙ってないで答えてくださいよ」

 近所の住民も騒がしさに気づいて外へ出てきた。一人の男が凛たちをスマートフォンで撮影しようとしている。圭一はそれに気づいた。

「なにしてはるんですか? 止めてください」

 圭一は男のスマートフォンを奪おうとするが、マスコミに押されて奪えなかった。凛は一人の男性レポーターに押されて転びそうになった。圭一が男性レポーターに掴みかかろうとした。

「なにしてるんだ! 止めろ」

 突然男の声が響いた。その声に先ほどまでの喧騒は静まり返った。その声の持ち主は桜井のものだった。桜井はずかずかと凛と圭一たちに近づいた。

「おい。ここは私有地だぞ。私有地に勝手に入って取材してもいいと思ってるのか? これ以上私有地で取材を続けるなら不法侵入で逮捕するぞ」

 桜井が怒りをこめてマスコミを睨みつけると彼らは黙った。

「おい! そこのお前。さっき二人をスマホで撮っただろう。そのデータを消せ」

「いや……。でも」

「消せ」

 桜井は二人を撮影した男のスマートフォンのデータを消去させた。マスコミは桜井の気迫に押されて、すごすごと退散した。

「大丈夫か? 」

「はい。ありがとうございます......。でもどうしてここに? 」

「丸川さんに聞きたいことがあってな」

「それはどんなことですか? もしかしてエマのことで圭一を捕まえるつもりじゃ……」

「そういうことじゃない。ただもう少しだけ話が聞きたいだけだよ。それよりそんな大きな荷物を持ってどうしたんだ? 旅行か? 」

「実はしばらく実家に戻ろうかと思って……」

「なるほどな。これだと落ち着かないだろうからな。実家はここからならどれくらいで着くんだ? 」

「都内なんですけど。ここからなら電車で一時間半くらいですかね」

「そうか……。それなら車まで送ってやろうか? 」

「そんな! 申し訳ないです」

「車なら大した距離じゃないし、乗っていけばいい」

「でも……」

「電車で移動するとまたああいう奴らが取材攻めするかもしれないぞ」

「そうかもしれないですけど」

「凛、桜井さんの言う通りだよ。桜井さんにお願いしよう」

「うん……。わかった」

 圭一の言葉に凛は覆面パトカーに乗り込んだ。

「乗るか? 」

「いいんですか? 」

「ああ。一人乗せるのも二人乗せるのも同じだからな」

「それじゃあお願いします」

 圭一も乗り込むと車は動き出した。圭一はそっと窺うように凛の顔を眺めていた。車が動き出してもしばらくは誰も口を開かなかったが、凛がふと口を開いた。

「桜井さんは普段あんな感じなんですね」

「ああ。笑ってないと怖がられるからな」

「むしろそっちのほうが怖がられるだろう」

 圭一の呟くと桜井はぎろりと睨んだ。凛は二人のやり取りが面白かったのか吹き出した。

「桜井さんは普段のほうがいいですよ」

 圭一は久しぶりに凛の笑っている顔を見た。

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