第14話 命がけの鬼ごっこ
凛はエレベーターへ向かい、下に降りるボタンを連打した。しかしエレベーターは中々上がってこない。カッターナイフを持ったエマが後ろから迫ってきている。凛は非常階段に繋がるドアを開けると、非常階段を駆け下りた。恐怖と緊張で手が震えながらも凛は電話をかけた。
「凛? もう少し遅くなりそう? 」
「助けて! 」
凛のただ事ではない様子に圭一の声も少し変わった。
「どうしたの? 今どこにいる? 」
「会社! 」
「何があったの? 」
「エマが宇宙人に乗っ取られた。婚約者もエマが殺したみたい。さっきも警備員の人を殺した。このままだと私も殺される! 」
「わかった。すぐに向かう」
凛は何度も階段から転げ落ちそうになったが、ようやく一階が見えてきた。このままなら外に出れるはずだと凛は胸を撫でおろした。
「遅かったね。待ってたよ」
一階からぬっとエマが出てきた。凛は悲鳴をあげそうになった。エマはエレベーターで先に一階へ降りて待ち伏せしていたのだ。凛は体の向きを変えて階段を駆け上がった。
どれだけ階段を上り下りしているだろう。もうかれこれ一時間ほど経過していた。口はカラカラに渇き、太ももはパンパンになってもう足を動かすことはできない。だがエマは自分の真下に迫ってきている。凛は力を振り絞って階段を駆け上がり、近くのオフィスに入った。オフィスは人気がなくシーンとしていた。凛はデスクの下に隠れて息を潜めた。コツンコツンとエマのヒールの音が階段から聞こえてくる。エマはオフィスの中に入ってきた。
「どこにいるの凛? ここにいるのはわかってるよ。出てきなよ」
エマの声は子供と遊んでいるような声だった。凛はスマートフォンをお守りのように強く握りしめていた。
「どこにいるんだろう? もしかして隠れてるのかな」
エマはわざとらしい口ぶりだったが、突然ガタンガタンという大きな音がオフィスに響いた。
何が起きているの?
凛がそっとデスクの陰から覗くとエマはすごい勢いでオフィスにあったロッカーを片っ端から開け始めていた。ロッカーに凛がいないことがわかると、今度は椅子を引きずり出してデスクを確認し始めた。音がどんどん近くなっていく。凛は両手で耳を塞ぎ、エマが自分に気づかないことだけを祈った。するとその祈りが通じたようにぴたりと音が止まった。
「ここじゃないのかな」
エマは足音が遠くなっていった。凛はほっとして息を吐いた。
「見つけた」
凛はその声に体を恐怖が貫いた。エマは凛の足を掴んで彼女をデスクから引きずり出した。凛はなんとか逃れようと爪で床を引っ掻いて抵抗するが、抵抗むなしく引きずられていく。
「イヤァァァー! 」
エマは凛を仰向けにした。
「止めて! 」
「うるさいよ」
エマはカッターナイフを持った手で凛を何発も殴り始めた。凛の口は切れて血が溢れた。血は気管に入り凛はむせ返り血が服を汚した。凛が喋らなくなると、エマは凛の体に乗っかり彼女が動かないようにした。
「私にこんなに手を焼かせるなんて凛は悪い子だな。悪い子にはお仕置きをしないとね」
エマは片手で凛の瞼をこじ開けてカッターナイフを近づけた。凛の目にはカッターナイフの刃先が近づき、彼女の視界はカッターナイフの刃先でいっぱいになった。凛は次に来る痛みを覚悟した。
ドゴッ
しかし痛みはなく代わりに鈍い音が聞こえた。そして音の直後、エマは倒れて凛の体にのしかかった。凛はエマを押しのけるとそこには、消火器を持った圭一が立っていた。
「圭一! 」
「立てる? 」
圭一は凛の腕を掴んで立たせた。
「隠れてて」
「わかった」
凛はデスクの影に隠れて二人のやり取りを伺っていた。
「痛い。何するの? 」
エマはゆっくり立ち上がった。彼女の頭から一筋の血がたらりと流れている。
「悪いけど凛は渡さない」
「はぁ? 何言ってるの? 」
「今なら見逃してやる。だから失せろ」
「あんたいつからそっち側になったのよ。今まではこっち側だったでしょうが。裏切者にはそれなりの代償が必要だね」
エマは圭一に襲い掛かった。圭一はカッターナイフから華麗な身のこなしで逃れていく。エマはデスクの上に載っていた書類やファイルを圭一の顔に目掛けて投げつけた。圭一はエマが投げつけたものを手で振り落としたその隙に、彼女は圭一の首にカッターナイフを突き刺そうとした。圭一は避けようとしたがカッターの刃が圭一の首に当たってしまった。
「圭一! 」
圭一は首から流れる血を手で覆った。その隙にエマは圭一に斬りかかった。彼は鋭い刃から逃れようとする。しかし首元の出血で動きが鈍くなり、避けることができなくなった。彼の肩や腕にはカッターナイフの刃で何本も赤い線ができていた。彼は突然跪き呼吸が荒くなっている。
「あんな大きな口を叩いておいてこのザマかよ。お前そろそろ死ねよ」
エマが圭一にカッターナイフを振り下ろそうとした瞬間に、圭一はエマの足にタックルをした。その勢いでエマは思わずカッターナイフを落とした。圭一はその勢いのまま窓ガラスにエマを叩きつけた。彼は彼女に何度も体当たりをするとミシミシと窓ガラスにヒビが入った。彼女は圭一の思惑に気づいて彼の背中を殴ったが、彼は物ともせず彼女を窓に押し付けた。するととうとう窓が割れ、割れた窓ガラスはコンクリートに当たって更にバラバラになった。エマは間一髪のところで窓枠を掴んだが、片手で全体重を支えているのでいつ落ちてもおかしくない。ここから落ちたら死ぬことは確実だ。圭一はエマの手を踏みつけようと足を上げた。
「凛助けて! 」
エマは凛に助けを求めた。
「駄目だよ凛。彼女はもう凛の知っている彼女じゃない」
圭一は冷ややかな声で凛を止めた。
「お願い! 助けて」
そんなことわかってる。だけど……。
エマの悲痛な声に凛の心は揺れていた。
「助けて! このままだと死んじゃう」
「駄目だ」
「お願い。私たち友達でしょ!? 」
エマのその言葉に凛の体は勝手に動き、凛は彼女の手を掴んだ。
「凛! 」
圭一は驚いた様子だった。
「大丈夫? 」
「ありがとう凛……」
圭一は窓から身を乗り出すと、エマが凛を掴んでいる手とは反対の手に何か光る物を見つけた。それは窓ガラスの破片だった。
「凛! 彼女を離せ!! 」
「えっ? 」
「死ねぇぇぇぇぇ! 」
エマは隠し持っていた窓ガラスの破片を凛に目掛けて刺そうとした。凛は思わず目を瞑ると呻き声が聞こえた。エマがゆっくり目を開けるとそこには首に窓ガラスの破片が突き刺さったエマがいた。圭一がエマの腕を掴んで彼女の首に破片を突き刺したのだ。凛は手を離すとエマはぐしゃという衝撃音とともにコンクリートに叩きつけられた。凛は割れた窓ガラスから変わり果てた凛をぼんやりとした顔で眺めていた。
エマがビルから落ちて十分もしないうちに警察と救急が到着し、凛と圭一は救急車で病院に運ばれて手当を受けた。手当が終わると警察官に事情を聞かれた。凛は警察官に質問されても口を開かなかったので、代わりに圭一が答えた。そんな二人の前に桜井が現れた。
「すいません。ちょっと署でお話しを伺いたいんですが」
桜井はいつものように気持ちの悪い笑顔を浮かべていた。
「わかりました。でも僕だけでもいいですか? 」
桜井は怪訝な表情を浮かべた。
「彼女がこの状態なので話ができないと思うんです」
桜井は凛の顔を見ると納得した。
「そうですね……。わかりました。では丸川さんだけで構いません」
圭一が凛の元から離れようとすると、凛は圭一の服の裾を掴んだ。
「すいません。やっぱり警察署に行くのは後日でもいいですか? 今は彼女のそばにいてあげたいんです」
桜井は思案した様子だったがすぐに頷いた。
「わかりました。それでしたらまた後日ということで」
「ありがとうございます」
桜井が去っても凛は一言も口を開かず、床の一点を見つめている。突然、圭一は凛の肩を抱き寄せた。
「えっ? 」
圭一の思いがけない行動に凛は声を上げた。
「これも恋人らしいことなんだろう? 」
「うん。そうだね……」
圭一の肌の暖かさに凛は今まで我慢していたものが溢れ出し、彼女は声をあげて泣いた。圭一はそんな凛を抱きしめていた。
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