第13話 鬼ごっこスタート
寺内進は四十三才の時に耳鳴りや動悸、倦怠感を感じ始めた。最初は年齢のせいかと思い放っておいたが、治る気配が全くなかった。寺内は病院に行くと自律神経失調症と診断された。医者から原因はストレスだろうといわれた。医者からストレスの原因は思いつきますかと聞かれると、寺内はすぐにストレスの原因が思い浮かんだ。寺内が会社に入ったころは業績がよくインセンティブも多くもらえていたが、最近は業績が悪化しノルマを達成できなければ社員の前で罵詈雑言を浴びせられる。自分の保身のために同僚の足を引っ張ろうとするので社内の雰囲気は最悪だ。寺内はそのことを話すと、医者から休養したほうがいいと言われた。しかし今休めばどんな冷ややかな目で見られるのかと思うと、恐ろしくて休むという選択はできなかった。寺内は休んだほうがいいと強く言う医者にそうですねと愛想笑いを浮かべた。それ以来その病院に行くことはなかった。
寺内は襲い掛かる耳鳴りと動悸に耐えていたが、とうとう我慢できず会社に行けなくなってしまった。彼は上司に電話して事のあらましを説明してしばらくは休養していたいということを伝えた。
「仕事もしない穀潰しはいらないよ」
その上司の言葉に寺内の張り詰めていた糸がぷつんと切れた。気が付くと寺内はそれなら会社を辞めさせてくださいと言っていた。寺内はそれからすぐに会社を辞めた。
寺内は一年何もせず過ごしていると少しずつ体調も良くなったので転職活動を始めた。しかし寺内の年齢と病気によって会社を辞めたことがネックになり、彼を雇う会社はなかった。しかし諦めず寺内は求職活動をしていた際にある求人を見つけた。それは警備員の仕事だった。警備員のバイトは日給だけでも一万は超える。寺内の年齢でも働けるようだった。彼はすぐに求人先に電話すると、次の日面接することになった。寺内は久しぶりにスーツを着て緊張した面持ちで面接を受けたが、業界自体が人事不足なこともありすぐに採用になった。
警備員の仕事は一日中立ちっぱなしで体力的に辛い場面が何度もあった。また上司が厳しく何度も仕事中に叱責が飛んできた。しかし慣れてしまえば大したことはなかった。前の仕事では一日中駆け回り、色んな人間に頭を下げてノルマを達成できないと上司から人格を否定されるようなことを言われた。そんなことを比べれば今の仕事は大分よかった。むしろやり続けるうちに寺内は自分が治安を守っているということにやりがいを感じるようになってきた。寺内は積極的に資格を取得するようになり、剣道も習い始めた。寺内は仕事に対する熱意が認められて給料も上がり、それなりのポジションにも就くようになった。彼は警備員という仕事が天職だと思えた。
その日は既に多くの社員が退社してビルに残っているのは数人だけだった。寺内は十時近くになるといつものように巡回を始めた。一階で不審な点がないか確認していると女性がエレベーターから降りてきた。寺内は遅い時間にも関わらずまだビルに残っている女性に話しかけると、その女性曰くもう一人の同僚と一緒にオフィスに残って仕事しているらしい。女性は夜食を買うために出掛ける途中だった。寺内は女性にもう遅いので早めに帰るようにと言った。
「ありがとうございます。あともう少しで終わりそうなので、もうちょっとだけ頑張ります。警備員さんも仕事頑張ってください」
女性は会釈したので寺内も敬礼で返した。時々こういう風にビルで働いている人間とのコミュニケーションも寺内にとっては楽しみの一つだった。
寺内は七階を巡回していると突然静寂を切り裂くように女性の悲鳴が響いた。悲鳴は八階からだ。寺内は階段を駆け上がった。
「どうしましたか!? 」
そこには先程、エレベーターホールで話をした女性が座り込んでいた。その女性の視線の向こうにはカッターナイフを持っている女性がいた。
「なにをしてる! カッターを離しなさい! 」
寺内は警棒を取り出した。カッターナイフを持って女性は寺内に向かって来た。
大丈夫だ。あっちはカッターでこっちは警棒だ。あんな短いもので何ができる? それに俺は男だ。負ける訳がない。
寺内はずぶりという音を聞いた。彼は反射的に首を手で押さえたが、首から熱い物が流れて止まらない。血だ。寺内は立っていられなくなり後ろに倒れた。未だに首から血が止まらない。返り血を浴びて自分を無表情で見下ろす女性の顔が寺内の最期の見た景色だった。
寺内の首から血が凄い勢いで吹き出し、血は天井と壁に飛んだ。その血は凛の服をも汚した。エマは微動だにしない寺内を見下ろしていたが、彼女は屈むと彼の耳を口に含んだ。皮膚が裂ける音がした。
「美味しくない」
エマはペっと口に入れていた耳を吐き出した。唾液まみれになった耳はデスクの下に転がっている。
「もしかして彼も殺したの? 」
「彼? 」
「エマの婚約者も殺したの? 」
「あー。あの男ね。だってお腹減ってたんだもん。以外と美味しかったよ」
「最低……。あなたって最低! もう少しで二人は結婚して幸せになるはずだったのに!! 」
凛はエマの姿をした化け物をきっと睨みつけた。
「うるさいな! ワーワー騒がないでよ」
エマは血塗れになったカッターナイフをカチリカチリと出した。
「来ないで……」
凛はその音に息が詰まるような緊張感を抱いた。彼女は後ずさりをしていると自分の鞄が目に入った。凛は鞄に手を突っ込むとスマートフォンを取り出して走り出した。
「鬼ごっこスタート」
エマは笑みを浮かべた。その笑みには血も凍るような不気味さがあった。
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