第12話 二人だけの残業

「鈴木さん。ちょっといいかしら? 」

 上司はエマのデスクの隣に立つと、彼女を連れて行った。凛は心配で二人が別室に移動する様子を見ていた。三十分程経つと二人はオフィスに戻ってきた。エマは少し項垂れていて、凛は彼女に近づいた。

「どうかしたの? 」

「私が提出した書類が全部間違ってたみたい……」

「え! もしかしてそれって明日の夕方に締切の書類? 」

「うん……」

「手伝うよ」

「大丈夫だよ。私のミスだから。自分でなんとかするよ」

「でも……」

「大丈夫だから。凛は帰っていいよ。彼氏さんが待ってんじゃないの? 」

 エマの頑なな態度に凛はなにも言えず、終業時間を三十分ほど経つと鞄を持ってオフィスを出た。彼女はオフィスの入っているビルを出ると、スマートフォンを取り出した。今の時期は繁忙期ではないので、圭一も凛からの連絡にすぐ気づくだろう。

「残業するので帰るの遅れます。悪いけどご飯は自分で用意してください」

「分かった」

 凛がメッセージを送って二、三分後に圭一から返信が来た。素っ気ない文面だったが、それで充分だった。凛は踵を返しビルに戻った。まだオフィスには何人も社員が残っていた。凛はエマのデスクの隣に立った。

「どうしたの凛? 忘れ物? 」

「私も手伝うよ」

「それでわざわざ戻ってきたの? そんないいよ。彼氏が待ってるでしょ。早く帰りなよ」

「大丈夫。彼には遅くなるって言ったから」

「でも……」

 いつまでも遠慮をやめないエマに凛は思わず声が大きくなった。

「でもじゃない! 」

 凛の声に何人かの社員が彼女に視線を注いだ。凛は周りに小さく頭を下げると、エマに向き合った。

「私が困ってた時に助けてくれた。今度は私がエマを助ける番だよ」

「凛……。本当にありがとう」

「さっさと終わらせて二人でご飯食べに行こう! 」

 凛は自分の席に座ると作業を始めた。


 ようやく作業の終わりが見えてきた。凛は辺りを見渡すと残っている社員は彼女とエマの二人だけだった。

「お腹空いた」

 エマの口からそんな言葉が溢れた。既に時間は十時近くになっている。

「それならなにかコンビニで夜食を買ってくるよ。なにがいい? 」

「なんでもいいよ」

「本当になんでもいいやつ買ってきちゃうよ」

 凛は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

「いいよ。凛に任せる」

 エマも笑いながら応えると、凛は財布を持ってオフィスを出た。凛がビルのエントランスに出ると男性の警備員と出会った。

「お疲れ様です。残業ですか? 」

「ええ。そうなんです」

「こんな時間まで大変ですね。買い物に行くんですか? 」

 警備員は四十過ぎの男性で人の良さそうな人物だった。警備員の人当たりの良さに凛は思いかけず流暢になる。

「はい。ちょっと近くのコンビニで夜食を買おうと思って」

「大変だな。一人で残業してるんですか? 」

「いいえ。同僚と二人で。まだビルに残ってる人いますよね? 」

「いいや。多分お二人だけですよ」

「本当ですか? 」

「働き方改革ってやつですよ。夜も遅いのでなるべく早く帰ってくださいね」

「ありがとうございます。あともう少しで終わりそうなので、もうちょっとだけ頑張ります。警備員さんも仕事頑張ってください」

 警備員は敬礼をしてビルの巡回を始めた。

 凛はコンビニでおにぎりを四個買ってオフィスに戻ってきた。

「ただいま」

「おかえり。ありがとう」

 凛はコンビニのビニール袋から二つおにぎりを取り出すと、残りのおにぎりが入ったビニール袋をエマに渡して、自分の席に座った。凛がパソコンを開くと画面が真っ暗な状態だった。彼女がマウスをカチカチとクリックしても変わらなかった。彼女は何気なく椅子の背もたれに寄りかかり、未だに真っ暗な画面を見ていると画面には疲れた顔をしている自分と何かを手に持っているエマの姿が反射していた。エマの手にはカッターナイフが握られていた。エマは凛に向かってカッターナイフを思いっきり振り下ろした。凛はカッターナイフの刃先が突き刺さる寸前になんとか避けることができた。カッターナイフは凛がさっきまで座っていた椅子の背もたれに刺さり、椅子の背もたれからは綿が溢れていた。

「なにするの? エマ」

「あーあ。あともう少しだったのに」

「冗談止めてよ……」

「さっき言ったじゃん。『お腹減った』って」

 凛は前にもこんな場面に遭遇したことを思い出した。

「まさか……。 あなた宇宙人なの? 」

「なんで知ってるの? まあいいよ。どっちみち凛を生きて返す訳にはいかなくなったから」

 エマは座り込んでいる凛ににじり寄った。

「来ないで……。来ないでぇ! 」

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