第11話 後悔

 凛には空白がある。それは圭一が死んだことが分かったあの日からできた穴だ。凛は一度も圭一のことを忘れたことはなかった。一日の中で必ず圭一のことが頭を不意によぎる。なのにもう一人の圭一のことが頭から離れない。どちらも凛の中に共存している。そんなことを考えていると、思わず仕事をする手が止まっていた。

「松本さん。どうしたのぼーっとして」

 凛は女性の上司に声をかけられた。

「すいません。ちょっと考え事してて……」

「それならいいけど……。ねぇ鈴木さんが元気ないみたいなんだけど」

「え? 」

 凛はエマに目を向けた。いつもなら意欲がみなぎり仕事しているが、今は覇気を感じられずどこか悩んでいる様子だ。

「本当だ。どうしたんだろう? 」

「最近はあんまりご飯を食べてないみたいで心配で……。松本さんと鈴木さんは仲良いでしょ? それとなく聞き出してみてくれない? 私も心配で聞こうとしたんだけどなにもありませんって言われちゃって」

「分かりました。聞いてみます」

「お願いね」

 上司は凛に頼むとデスクに戻った。凛は最近は圭一とのことが頭にしかなく、エマが悩んでいることに気づけなかったことを反省した。凛は昼休みに話を聞いてみようと決めた。


 十二時になると多くの社員が昼食をとるのに席を立った。しかしエマはまだパソコンと向き合ったままだった。

「エマ! 久しぶりにご飯食べに行かない? 」

「いいよ」

 二人は会社の近くにあるイタリアンレストランに行った。昼なら日替わりパスタとスープとサラダのセットで千円と消費税で食べることができる。少し前なら二人でよく行っていたが、圭一が宇宙人に寄生されてからは全く行けていなかった。凛は日替わりパスタとスープとサラダが一緒になったセットを注文したが、エマはコンソメスープを頼んだだけだった。

「スープだけでいいの? 少なくない? 」

「うん。でもお腹いっぱいだからこれぐらいがちょうどいいの」

「そう……」

 凛は上司が言っていたようにエマは食欲がないようだった。凛は中々本題に切り出せず、関係のない仕事の話で間を持たせた。注文したものが来ると凛は思い切って切り出した。

「あのね最近あんまり元気ないみたいだけど、どうしたの? 」

 エマはうつむいて口を閉ざした。凛は彼女が話し始めるのを待った。しばらくするとエマは口を開き、ゆっくりと言葉にし始めた。

「実はね……。彼と結婚できなくなるかも」

「どうして? 」

「彼がいなくなったの」

 凛は驚いて目を丸くさせた。

「なんでいなくなったの? 」

「分からない。家は家具とか荷物は置いたままで職場にも来てないみたいで……」

「行方不明ってこと? 警察には? 」

「行ったけど事件性があるかどうか分からないから捜査できないって」

「そんな……」

「うん……。どうしよう凛? どうすればいい? 」

 エマは懸命に涙を堪えていた。エマはどんな辛い状況でも笑顔を絶やさなかった。なのに今はただ悲しみに打ちひしがれている。凛はこんなエマの姿を見たことがなく、エマにかける言葉が見つからなかった。凛はテーブルの上に固く握られているエマの手を包んだ。

「大丈夫。大丈夫だからね」

 凛は大丈夫な根拠がわからなかったが、ただ大丈夫と繰り返した。そしてエマの手を優しくさすり続けた。


「はあ……」

 凛は料理を作りながら何度もため息がもれていた。

「どうしたの? 」

 その様子を見た圭一が声をかけた。凛は鍋の火を止めてソファに近づいて座った。圭一はソファで漫画を読んでいる。今まではテレビで地球人の機微を知るために観ていたが、今は漫画や小説で勉強している。

「エマってわかる? 」

「凛の同僚だろう? 彼女になにかあったの? 」

 圭一はページに目を落としながら聞いた。

「エマの婚約者がいなくなっちゃったんだって……」

「自分で失踪したの? 」

「違うよ! 多分……。失踪する理由もないし、それに家の中に荷物が置いたままなんだって。失踪するなら荷物とか整理するんじゃないかな」

「警察には行ったの? 」

「行ったけど捜査してくれないみたい……。私どうしたらいいんだろう? 」

「どうもできないでしょ。凛は警察みたいな捜査権を持ってないんだから」

「そうだけど! 」

 圭一のにべもない言い方に凛はまるで駄々をこねる子供のような声を上げた。その声を聞いて圭一はようやく彼女に目を向けた。

「私だってエマの役に立ちたいの。私が圭一のことで悩んでた時に、エマが心配してくれた。なのに私は自分のことで頭がいっぱいで、エマが苦しんでることに気づかなかった。そんな自分が情けなくて……」

「気づけたならよかったじゃん」

「え? 」

 圭一の言葉に凛は顔を上げた。彼は先ほどまで読んでいたページに目を向けている。

「だってそうだろう。気づかないままだったら彼女を傷つけていたかもしれない。だけど凛はそれに気づいて反省している。次から気をつければいいんだと思う」

 もしかして励まそうとしている? 

 凛は圭一の言葉にそんな疑問が浮かんだ。今までだったら圭一は呆れたような表情をして辛辣な言葉を投げかけていただろう。

「ねえ。エマの役に立てる方法はないかな? 」

「そんなの分からないよ。僕は彼女じゃないんだから」

「そんな言い方しなくても……」

 圭一の冷たい言い草に凛は微かにショックを受けた。聞かなければよかったと後悔をした。

「だけど凛が彼女にしてもらったことをすればいいんじゃないの。彼女の婚約者を見つけることはできなくても、彼女の役に立ちことはあると思うよ」

「してもらったこと……。そうだね。私にもできることはあるよね。ありがとう」

 圭一の言葉に凛は心に立ち込めていた霧が少しだけ晴れたようだった。彼女は立ち上がりキッチンで料理を再開した。圭一は料理を作り始めた凛の後ろ姿を見届けてから、また漫画を読み始めた。

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