第8話 監視
「またいるよ」
圭一は窓の外を眺めていた。
「何がいるの? 」
凛が窓に近づくと圭一は、窓の外を指さした。
「あの車、昨日も一昨日も外に止まってた。僕たちのことを見張ってるんだ。それに尾行もしているみたい」
凛が窓の外に目をやると、シルバーの乗用車が路上の端で止まっていた。凛は言われてみれば三日前から車が止まっていたような気もするが確かではない。
「気のせいじゃないの? 誰が私たちのことを見張るの? 」
「桜井だよ」
凛はその名前に驚き、目を開いた。
「桜井さんが? でも捜査は打ち切りになったんじゃないの? 」
「さあ? どうでもいいけど。ただ目障りだな」
「殺すなんてことしないでよ! 」
「殺さないよ。桜井が死んだら、真っ先に疑われるのは僕だからね」
圭一はそう言うとカーテンを閉めた。
それは突然のことだった。泉が殺害された事件の捜査会議があり、多くの刑事たちが会議室に集まっていた。定刻通りに会議室に警視正が入ってきた。桜井たちは起立し警視正に敬礼をした。警視正は会議室に集まった刑事たちを見渡すと、ゆっくりと口を開いた。
「突然のことだが捜査を打ち切ることになった。急なことだから戸惑っているだろうが、そういうことだからよろしく頼む。以上」
警視正は一方的に言い放つと、会議室を出て行った。刑事たちは思いがけない出来事に騒然とした。桜井の近くにいた一人の刑事は悔しさの余り机を叩いた。多くの刑事たちも納得出来ない表情を浮かべていた。それは桜井も例外ではなかった。警察という大きな組織に属している以上、不条理なことや納得のできないことは今までにも多々あった。しかし捜査が一切の説明もなく打ち切りになることは今までなかった。桜井は勢いよく立ち上がり、大股で歩き出した。桜井の部下がどこへ行くんですかと声をかけてきたが、桜井は無視をして警視正を追いかけた。
「どうして捜査が打ち切りになったんですか? 」
警視正は桜井を一瞥もせず黙ったままだった。警視正の隣にいる部下が口を開いた。
「理由はさっき言った通りだ」
「あんなの理由になるんですか? 」
周囲の人間が固唾を呑んで彼らのやりとりを見守っている。
「お前は何年刑事をやってるんだ? そろそろ理解しろ。納得できないこともある。それが組織というものだ」
警視正は未だに口を開かず、彼のコバンザメのようにくっついている部下の警視が口を出してくる。桜井は黙ってろという意味をこめてその男を睨みつけた。
「確かに納得できないことは今までにもありましたよ。それでもいきなり捜査が打ち切りになるなんて聞いたことない! どうして捜査が打ち切りになったんですか? 」
「これ以上捜査してもホシも証拠も挙げられそうにないからだ」
その言葉に桜井の怒りが爆発した。
「ホシと証拠を見つけるのが捜査だろうが! なにふざけたこと言ってるんだ! 」
桜井の怒気に押されて辺りは静まり返った。
「俺たち刑事は家にも帰らないで、駆けずり回って毎日捜査してるんだよ。それなのにたった一言で捜査が打ち切られて納得できるかよ! 」
「もう決まったことだ! 我々はもう手を出せない」
桜井は頭に血が上っていたが、警視の言葉で一瞬にして冷静になった。
「『我々は』ってどういうことですか? 」
警視正は表情を変えなかったが、隣の警視はしまったという顔をした。桜井はその反応を見逃さなかった。桜井は凛にした尋問のように平然とした顔で追及した。
「『我々』以外なら捜査ができるんですか? それは誰ですか? 」
墓穴を掘ったことに気づいた警視は、平常心を取り戻した桜井と反比例するかのように落ち着きを失っていく。
「黙れ! 」
警視が声を荒立てたが、ただ大声で喚いているだけで全く威圧感がなかった。桜井は警視を無視して、警視正に対して同じ質問をした。
「誰なんですか? 」
「これ以上『我々』の手には負えないんだ」
警視正はただ一言そう言うと、その場を後にした。警視は警視正にくっついて彼を追いかけた。二人がいなくなると、時が戻ったかのように周りの人間が動き出した。
「クソ! 」
桜井は右の拳を壁に思いっきり殴りつけた。
泉が殺害された事件の捜査は打ち切られ、大勢の刑事たちはまた新たに発生した事件の捜査を始めた。桜井も靴をすり減らし現場を駆け回っていた。多くの刑事たちは日々の凶悪事件に忙殺され、マスコミは泉の死体が見つかった時はセンセーショナルに報道したのに、今ではほとんど報道されなくなった。今では週刊誌やネットで時折、事件を取り上げるが続報がなく、しばらくしたら人々の記憶からこの事件も忘れられるだろう。しかし桜井だけは忘れていなかった。
桜井は非番を使って、覆面パトカーで圭一と凛が住んでいるアパートの前に張り込みと尾行を始めた。この二人は必ず何か知っているという確信が桜井にはあった。しかし警視の言う通りで、捜査したところで有力な手掛かりを見つけられないかもしれない。それに桜井の見えない所で影で動いている人間がいるようだ。そうだとしても桜井は捜査せずにはいられなかった。それは正義感や大義が理由ではなかった。この事件は自分のものだというまるで独占欲に近い思いからだった。桜井はアパートの前で停めた覆面パトカーの中から、圭一と凛が過ごしている部屋をじっと見つめていた。その目をとても鋭かった。
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