第6話 希望
桜井からの尋問から逃れた凛はしばらく彼と顔を合わすことはなかったが、彼女は自分の気づいていない所で桜井が嗅ぎ回っているのではないかと考えると、落ち着かない気分だった。凛は今度こそ桜井は言い逃れができない絶対的な証拠を自分の目の前に突きつけるのではないかという不安を抱えて、押しつぶされそうになっていた。彼女は今まで通りの生活を過ごしていたが内心はまるで自分が犯罪者になったかのような気分をずっと味わっていた。そんな気持ちが表情に出たのか色々な人間に心配された。凛の友人であるエマも心配し、何度も凛に声をかけてきた。しかし凛は大丈夫としか答えなかったが、確実に彼女は追い込まれていた。
凛は仕事が終わり、いつものように宿泊しているビジネスホテルに向かっている途中で男性に話しかけられた。男性は大きめの黒いショルダーバッグを肩に担いでいた。
「すいません。松本凛さんですよね? お話いいですか? 」
「なんですか? 」
「私はこういうものです」
男性は凛に名刺を差し出した。名刺には安田望という名前とフリージャーナリストという肩書が書いてあった。安田は親しみやすそうな笑顔を浮かべていた。凛は戸惑いながらも名刺を受け取った。
「私に何か用ですか? 」
「実は宇宙人のことを調べています。何かご存知ではないですか? 」
凛の表情が思わず強ばった。彼女はすぐにいつもの表情に戻したが、安田は一瞬の彼女の表情の変化に気づいた。
「何か知ってますよね? 」
「知りません。失礼します」
凛は安田から貰った名刺を突き返すと、その場を後にしようとした。しかし安田は人懐っこい小型犬のように彼女の後ろをついて来た。
「何か知ってるんですね! お願いします。お話だけでも」
「話すことは何もありませんから」
「お願いします! 私は松本さんの役に立ちたいんです」
「役に立つ? あなたに何ができるんですか? どうせ面白おかしく記事にするんでしょ」
「大丈夫です!松本さんのことは記事にしませんから。本当です! 」
凛は安田に追いつかれないように歩くスピードを上げたが、安田は諦めず彼女について来る。彼女はどこまでもついて来る彼に苛立ちを隠せなかった。
「あなたフリージャーナリストなんですよね? 記事を書くのが仕事なのに記事にしないなんてどういうことですか? 」
「私は自分の書いた記事で誰かの役に立ちたいんです! でもそれが誰かを傷つけるものなら書きません。それが私のジャーナリストとしての信条です」
凛は安田の言葉に立ち止まり、彼の顔を見た。安田はまっすぐ彼女を見据えていて嘘をついているようには見えなかった。
「これ渡しておきます。もし何か話したいことがあれば連絡ください。今日はここで失礼します」
安田は凛に突き返された名刺をもう一度彼女に渡して去っていった。凛は思わずその名刺を受け取ると、去っていく安田の後ろ姿を見ていた。
凛はビジネスホテルに着くと、スマートフォンを取り出した。そして検索エンジンを開き、「安田望」と検索した。検索結果の上部には同姓同名か似た名前のSNSのアカウントが出てきた。それらを無視して彼女は画面を下にスクロールすると、安田が執筆した記事が出てきた。彼は国内で起きた刑事事件を主に記事を執筆していた。彼が執筆した記事の中で凛が一際気になったものがあった。その記事は殺人事件の被害者遺族についての取材されたものであり、突然命を奪われた被害者の無念。大切な人を奪われ今までの生活が変わってしまった家族の深い悲しみと怒り。身勝手な理由で人間の命を奪った加害者への怒り。安田の記事は読んでいる人間の感情を揺さぶるものでありながら、感情的になりすぎず、丁寧に調べ上げられた素晴らしい記事だった。その記事は小さい賞ではあるが最優秀賞を受賞している。賞の審査員は安田を将来が期待されているフリージャーナリストだと絶賛している。今までに凛は色々な記事を読んだが、こんな心を揺さぶられる記事を読んだのは初めてだった。凛は安田の取材に対する姿勢と先程の彼の態度を合わせて考えてみた。
あの人なら信じられかもしれない。
凛は一つ息を吐き覚悟を決めて、スマートフォンのダイヤルに電話番号を入力した。
二人は週末に凛が宿泊しているビジネスホテル近くの喫茶店で会うことにした。凛は安田に電話した際に知っていることを話す代わりにある条件をつけた。それは自分が話すことを記事にはしないこと。それができないのであれば話せない。厳しい条件だと思ったが、安田は快諾した。彼はパソコンが入るくらいの黒い鞄を持って彼女の前に現れた。凛は安田と会うとまずこの前の失礼な態度を詫びた。
「この前は失礼な態度を取ってしまってすいませんでした」
「いえいえ! こちらこそいきなり色々と聞いてしまいすいませんでした。でもどうして話そうと思ってくれたんですか? 」
「安田さんの書いた記事を読みました。被害者遺族についての記事です。とても良い記事だと思いました。その記事を読んであなたなら信頼できるんじゃないかと思ったんです」
「本当ですか? 嬉しいな」
安田は照れくさそうに笑った。凛は安田のその笑顔を見て少しだけ緊張が解けた。しかし彼女には大きな疑問があった。
「でもどうして安田さんは私の名前と私が泊っているホテルを知っていたんですか? 」
凛が問いかけると先程まで照れ笑いを浮かべていた安田の顔は、打って変わってきまり悪そうな顔をした。
「実は……。元々都内で起きていた連続女性殺人事件を調べていたんです。しかし容疑者は神社で白骨化した状態で見つかりました。それで色々調べている内に、丸川圭一さんが警察にマークされていることを知って丸川さんに話を聞いてみようと思ったんです。だけどけんもほろろに断られてしまって。それで丸川さんの恋人である松本さんに話を聞いてみようと思ったんです」
「つまり私の知らないところでコソコソと調べてたんですね」
安田はテーブルに頭をぶつけるのではないかと思う程に頭を下げた。
「すいません! でも他の人には松本さんのこと話していませんから……。それは信じてください」
凛は本当にあの記事を書いた人物が安田かと疑いたくなった。凛は安田がここまで喜怒哀楽がはっきりしている人間だと想像していなかった。ここまで感情が顔に出たら仕事に差しさわりがあるのではないかと他人ながらも心配になった。凛は彼が優秀なジャーナリストだとは思えなかったが、正直で根が悪そうな人間には見えなかった。
「分かりました! 信じます」
「本当ですか? ありがとうございます」
安田は頭を思いっきり上げると満面の笑みを浮かべた。
「ただいくつか質問させてもらっていいですか? 」
「どうぞ」
「私は全て話す代わりに取材をしないでほしいなんて厳しいことを言ったのに、安田さんはどうしてそれでもいいって言ってくれたんですか? 」
「私は宇宙人がいると信じてますが、多くの人は信じないでしょう。失礼な話ですが、松本さんが色々話してくれたとしても記事を載せてくれる雑誌がないんです。なので松本さんの話を記事にはできないんです」
安田の言葉に凛は納得した。
「そうなんですね。確かにとても信じられないですよね……。でもどうして安田さんは宇宙人について興味を持ったんですか? 元々は都内で起きた女性の連続殺人事件を調べていたんですよね? 」
「そうなんです。私は連続女性殺人事件を調べていました。この事件の犯人は泉達也という男です。泉は高校卒業後、定職に就かずオレオレ詐欺の受け子や窃盗などをして食いつないでいました。言うなればチンピラです。今までそんなことをしてきた人間がいきなり殺人なんて犯すでしょうか? ましてや人間を食べるなんて……。それで気になって調べ始めたんです」
「確かに……。おかしいですね。それで何か分かったんですか? 」
「はい。日本国内だけではなくて海外でも人間が人間を食べる事件が発生していることが分かったんです。これを見てください」
安田は鞄からパソコンを取り出して、しばらく操作した後、凛に画面を見せた。その画面には英語で書かれたニュースが写っていた。
「松本さんは英語が読めますか? 」
「ええ。少しだけですけど」
凛は画面を見るとニュースの内容を日本語訳にして話し始めた。
「イギリスで男性が突然男性に襲いかかり、首筋に噛み付いた。噛み付かれた男性は出血多量で死亡した。噛み付いた男性は逮捕される際に非常に抵抗し、警察官二人に噛み付いたため射殺された。一人の警官は病院で死亡した、もう一人は治療中だ。動機を警察が捜査している……」
凛がニュースを読み終わると、安田は彼女の前に置いていたパソコンを自分の元に置いた。
「これだけではありません。これはインドのニュースです」
安田はパソコンを操作し、今度はヒンディー語で書かれたニュースを凛に見せて、ニュースの内容を解説し始めた。
「このニュースでは妻が夫を殺害した後にその夫の死体を食べたと書かれています。勤務時間になっても来ない同僚を心配し、警察官を連れて家に訪れると血まみれの妻が出てきた。その場で警察官が妻を拘束し、家に入ってみると風呂場には腕が切断された夫が倒れていた。夫の腕は見つかっておらず、妻は夫の腕を食べたと供述している」
「そんなことがインドでも……」
「これは動画共有サイトでアップされた動画です」
安田は動画共有サイトにアクセスし、ある動画を再生させた。動画では白人の男が自分の部屋らしき場所で手や体を大きく動かし英語でスピーチしている。
「我々は君たちの言うところの宇宙人だ。地球を侵略しにきた。我々は君たちからは目には見えないため、地球人に寄生し侵略活動を行っている。今まで君たち地球人は我が物顔で地球人の資源を管理していた。しかし……それは管理ではなくただの搾取だ! このままでは地球の資源は枯渇し、地球の生物は絶滅してしまう。これからは我々が管理する立場になり、君たちは管理される側になるのだ」
男は動画の中で興奮した様子でスピーチを続けているが、安田はキリのいいところで動画を止めた。
「この男の人はどこに? 」
「分かりません。この動画をアップしてすぐに失踪しました。ただ彼の家からは人骨が4体見つかりました」
「人骨? どうしてそんなものが? 」
「恐らくは人骨は彼の家族のもので、彼が殺して食べたんだと思います。警察はこの男性が家族を襲った後に失踪したと考えているみたいですけど、私はそうは考えていません」
「どういうことですか? 」
「この男性は口封じに殺害されたんだと思います」
「それって宇宙人の仲間が殺したということですか? 」
「ええ……。彼は宇宙人がどのように侵略するか手口まで語ってしまっていますから」
凛は表情には出さなかったが内心驚いていた。少しの違和感から世界中でこんな事件が起きていることに辿り着いたのだ。やはり安田は優秀なジャーナリストなのだと実感した。凛はかすかな希望を込めて一番したかった質問をした。
「他にも何か分かったことはありませんか? 例えば宇宙人に乗っ取られた人が元に戻る方法とか」
安田は心苦しそうな表情を浮かべた。
「調べていますが、まだ分かりません……」
「そうですか……」
凛は安田の言葉を聞くと項垂れた。
「でも必ず元に戻る方法はあると思います。僕も調べてみます。だから松本さんも諦めないでください。一緒に丸川さんが元に戻る方法を探しましょう」
安田はそう力強く断言した。
もしかしたらあの頃の優しかった圭一に会えるかもしれない。
安田のその言葉に凛は希望を見いだせた気がした。
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